神高教学習会資料

国旗・国歌強制の現状と法的課題

早稲田大学教授
西 原 博 史

こんにちは。ご紹介いただきました西原です。今、園部副委員長の話を聞きながら、その力強さに感銘を受けていたところでした。このまま聞き続けていたかったんですが、そうもいかないようです。

私、西原博史と申しまして、今、早稲田大学で憲法を専攻しております。元々、“思想・良心の自由”という領域を専門としていた関係で、最近、結構忙しい生活を強いられるようになってしまいました。もちろん、今日のテーマとなります国旗・国歌強制の問題に対応するためです。その場合に、子どもや教師の思想・良心の自由が表に立つわけですが、この人権について、憲法学の中で得意とする人がそれほど多くないのが現状なのです。

はじめに: 国旗・国歌を「思想・良心の自由」から問題にするということ

 憲法19条に「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という条文があります。この条文は、戦前の治安維持法体制下で、特定の思想を持っていることそれ自身が処罰の根拠にされた時代を承けて、そういったことを繰り返してはならないという反省の上にでき上がった基本的人権の保障であることは言うまでもございません。それにもかかわらず、1980年代までの状況では、この人権についてそれほど多くの議論の蓄積はなく、「あって当たり前」みたいな意識ができ上がっていました。特定の思想を取り上げて、それを強制したり禁止したり、というような国家権力のあり方は、基本的人権がきちんと承認された現代社会の中では、あってはならないことです。そのような暴力的な支配は、現在では、それほど怖れるまでもないだろうという意識がどこかででき上がっていたんだと思います。

 ただ、「特定の思想を持つ・持たない自由」の他に、「思想・良心を自由に形成する権利」が国民一人ひとり、そして、子どもたちに保障されるのかどうか、などの問題については、必ずしも十分に明らかになっていませんでした。私自身が大学院に入って研究生活を始めたときに、私がこうしたテーマを選んだのは、どうしても、そこの欠落部分が気に掛かってしょうがなかったことによります。

 そして気がついてみますと、思想・良心の自由がきちんと守られていて、これで大丈夫、と言える状態ではまったくなかったわけです。特に、学校教育の場面で自由に思想・良心を形成する子どもたちの権利については、一番典型的には、教科書検定の問題に現れてきますように、かなり危うい状態だったわけです。

 もちろん、教科書検定の問題については、一方で、「国民の教育権論」という、憲法学・教育法学の提供した理論的な枠組みがあって、国家が一方的に学校における教育内容を決めることは許されない、という議論はきちんと組み立てられておりました。しかし、それですべて満足のいく状態でもありませんでした。この「国民の教育権論」は、もう片方で、文部省の側が言い出した「国家の教育権」と正面衝突を起こしていて、最終的に、1970年代の最高裁判決で、“これは両方とも極端だ”と言われ、議論が進まなくなってしまっていたのです。

 そこでは、“子どもたちに思想・良心の自由をきちんと保障する”ということはどういうことを意味するのだろうか、という問題は、実は、深刻な問題として残っていたのです。その中で1999年を迎え、国旗・国歌法が成立するに至ります。

 自己紹介の続きですが、国旗・国歌法の問題に関して、これが思想・良心の自由の問題なのだという提言をしていた人たちは、憲法学の中にも数多くおりました。ただ、“どこが、どういうふうに”思想・良心の自由の問題なのか、言い換えれば、“どこまで――国家が入り込んではいけない――個人の思想・良心が確保されなければいけない領域なのか”という点について、当時、立ち入った研究をしていた人間が少なかったという事情がございます。それ以来、北風が吹き始めると、“西原、ちょっと出てきて相談に乗れ”と言っていただく状況が、1999年、2000年、2001年と続いています。

 今日のお話は、まず、日本の現状、それも学校現場の現状をどう見るかという点から入っていって、それに対する法的な位置づけを押さえておく、という流れで進めていきたいと思います。

1. 2001年春の問題状況

 2001年春をどう総括するのか、という問題から入いっていく必要があるでしょう。1999年8月に、国旗・国歌法が制定されした。それまでは、社会の中では、「『日の丸』・『君が代』問題」と言われるものは学校の先生たちの問題である、という位置づけが、多分、一般的だったのだと思います。これはもとより、学校の先生たちの努力が実っていた結果、と位置づけることができます。

 つまり、「日の丸」・「君が代」を、子どもたちの前に持ってくることを防ぐという運動が功を奏していた時期があります。そのことによって、子どもたちは「日の丸」・「君が代」による悪影響に晒されずに済んでいたわけです。そして、その運動を担っていたのが、学校現場の教職員でした。その枠組の中では、旗が揚がってしまったら負け、揚がらなかったら勝ち、という形で闘争を組んでいくことになります。“うちの学校はやられた”、“うちは何とか頑張れた”という言葉をよく聞きました。ゼロか100%か、という闘いのあり方だったわけです。

実施率のほぼ100%化とその後に残る本来の課題

 1999年8月の国旗・国歌法は、まさに、その状況を変えてしまいました。この法律が国会の多数決で成立することにより、あたかも、国民の多数決で「日の丸」・「君が代」が国旗・国歌としてのポジションを獲得したかのような言い回しがなされていきます。それに基づいて、国民の多数は、国旗・国歌を尊重したいと思っているんだよ、という詭弁まで語られるようになります。これはもちろん、国会の多数決主義から出てくるウソなのですが、国会で多数決をもって決まったことによって、あたかも、国民の多数がそれに賛成しているかのような幻想ができあがってしまい、それが利用されていくことになります。

 そうした状況に勇気を得て文部科学省を中心とした国旗・国歌推進勢力が頑張ってしまったのが、「実施率100%化」という現象です。1999年の国旗・国歌法以前では、多くの地域で、実施率は非常に低い数字に留まっていました。それに対して2000年段階では、かなり強い攻撃が掛けられてきて、多くの地域で数字が急増していきます。そして、それでもゼロを守りとおした地域――典型的には、東京から近いところは、国立のようなところ――では、右翼や産経新聞などの右翼メディアが集中的に投入され、問題現象がでっちあげられて、子どもを守る人々が攻撃対象とされてくるという現象が起こってきます。それをどう評価した結果なのかは、よく分かりません。結局、2001年春の段階では、実施率という数字だけから言いますと、ほぼ全国的にかなり高い数字が出てしまうことになります。

 ただ、私自身は、これを一概に“負け”というふうには捉えたくないと思っています。昔ながらの、やられたか、頑張れたか、という発想からいきますと、実施率が100%に近づいたことは、“負け”を意味するかもしれません。しかし、われわれが一番考えなければならないのは、やはり、「日の丸」・「君が代」という国家シンボルの持っている問題性を子どもたちにどう伝えていくのか、という点に大事な課題があるということなのではないでしょうか。

 「日の丸」・「君が代」に接することなく大人になり、社会に出ていった子どもたちは、例えば、サッカーの試合を見に国立競技場にでかけていって、そこでいきなり「国歌斉唱」と言われると、何の抵抗もなく立ち上がってしまう、「日の丸」の小旗を渡されれば何の抵抗もなく振り回してしまうことが少なくありません。だとするならば、“ちょっと待て、考えなくてはいけない問題がそこにあるんだぞ”ということを子どもたちに伝えることが重要になってきます。その場合、たとえば学校に――認めたくない人々にとっては至って気色の悪い話ですが、場合によっては壇上に――旗があることによって、“いいか、あれは何なんだか、考えてくれ”という一言が言える機会ができあがるのかも知れません。

 だから、“実施率が100%になった、負け”という後ろ向きの姿勢が適切ではない部分があるのです。政府のほうの企てによって旗が立てられ、歌が流れる事態に至ったことによって、われわれ教育に携わる者は、次の世代を担う子どもたちに、そういう愛国心の強制を国家が行うことの問題性を気づかせるという課題を担い続けなければならなくなるのです。そして、そのための手がかりは、目に見える形で提供されているのです。

 私の話は、多分――教職員組合で話しますと、常に、ご批判いただく点なんですが――「先生たちのことより、まず、子どもたちのことを考えよう」という基調に彩られているのかもしれません。運動としての勝ち負けよりも、子どもたちに一体何が伝えられるのかを重視してしまうのです。

教員処分の拡大

 ただ同時に、心ある先生たちがどういう状況に置かれているかも確認していかなければなりません。

 2001年のもう1つの傾向として、単に実施率の問題だけではなくて、実施のあり方についても、問題が深まっていったという状況があります。この点で、2000年と2001年では、多分、質的に違うと言っていいんだと思います。

 例えば、私がよく連絡を取り合っているところに、大阪府の市部がありますが、そこでの違いは、かなり根本的なものがあります。2000年の段階では、例えば、高槻などにおける、小さい組合を担い手とする動きの中で、実施させないという運動からのスタンスの転換がうまく進んだ部分があります。つまり、“実施するんだったら、子どもに強制させない”という目標を設定した動きが、2000年段階で功を奏していくことになるわけです。多くの学校で、校長あるいは司会者に、「これは強制ではありません」という形で、参加しなくていいものである点を明示させる、あるいは、式が始まる前に国歌斉唱を行い、入りたくない人は体育館に入らなくてもいいという式の組み方をする。こうした形で、子どもの拒否権がはっきりと認められていくことになりました。これによって、子どもたちに問題に気づいてもらうという点では、かなりの進歩が見られたわけです。

 ところが、大阪府の教育委員会の側は、2000年の春が終わった段階で、こうした状況を問題視し始めます。そこから先、おそらく校長会レヴェルで、自発性をアナウンスさせるようなことはしない方向の申し合わせが行われたのでしょう。各校で、自発性の告知を組み込む方針が行き詰まっていくことになります。その結果、2001年3月段階では、自発性・任意性の告知がなされないで子どもたちが「国歌斉唱」に向かわざるを得ないという事態になってしまいます。

 そうした状況の中、強制ではない旨の発言を個別の教員が引き受けざるを得ないケースが出てきてしまいます。しかし、そうした良心的な教師に対して、大阪府教育委員会は処分攻撃をかけていくことになります。国旗の引き下ろしや、伴奏の妨害などと同じような、不規則発言・妨害行為として位置づけられてしまうわけです。処分と言いましても、公務員法に基づく不利益処分とは異なる“厳重注意”程度ですので、行政訴訟として争いにくく、当事者たちは現在、処分の悔しさを胸に切歯扼腕、という状況です。

 ただ、このような形で、子どもが自発性の告知を受ける機会さえ奪われて、事実上、「斉唱」の場を強制される結果になっているのです。こうした傾向が拡大するのをどうやったら防げるのかという問題が、西日本を中心に、論争の的になっています。

 さらに、教職員に対する処分の問題としては、「国歌斉唱」時の単純な“不起立”によって処分される事例が拡大しています。2000年以前には、こうした不起立処分は、地域限定的な現象でした。この点で特に有名なのが北九州市です。そこでは、1989年のいわゆる「徹底通知」以降、一貫して、立たないことが職務命令違反であるという位置づけになって、処分が繰り返されていまして、減給処分にまで及んでいるのです。

 ご存知の通り、北九州市の不起立処分については、いわゆる「北九州ココロ裁判」と呼ばれる行政訴訟が起こされておりまして、この結果が出るまでは、各教育委員会とも、なかなか、不起立処分に踏み込みたくないという状況でした。しかし、2001年春には、広島県が追随して処分に踏み切ることになります。

 広島県教組・広島高教組はいずれも、組合の方針として立たないという指導は行っていないと思います。ただ、同和教育の運動によって身分制秩序を単純には受け容れられない素地ができあがっている広島では、教職員の中に、歌えるものではない、立てるものではない、という意識が広く行き渡っているみたいです。結局、多くの教職員が――場合によっては処分覚悟であっても――立ち上がらない状況になっていくわけです。県教委は2001年3月、卒業式の「国家斉唱」時に立たなかった県立学校教員138人に訓告処分を行い、不起立の小中学校教員55人に対しても同様の処分を行うよう地方教育委員会に通知しています。

校長処分と処分の暴力性

 こうした暴力性をもった教育委員会による処分は、校長に対しても矛先を向けていくようになっています。ただ、興味深いことに、そうした校長処分は、教育委員会の力を見せつけるという所期の目的を単純には達成せず、むしろ、教育委員会側の論理の破綻を浮き彫りにする形になっているような気がします。

 こうした校長処分は、まず一つには、大阪で、強制でないことを子どもに伝えたこととの関係で発生しています。現場の教職員との関係で、校長自らが、「“これは自発的に決定すべきものなんだ”という案内をする」という決定に至ったケースがあったわけです。例えば、式典を切り離して、「国歌斉唱が先にあるから、入りたい人は会場に入ってください。入りたくない人は、別に待っていてください」という案内を放送で流させた事例が報告されています。あるいは、司会の先生に、「これから行われる国歌斉唱は強制的なものではありません」という案内をさせた事例。そうした措置をとったことによって、校長に対して厳重注意の処分が下っているのです。理由は、よく分かりません。

 この点は、もの凄く大きな問題です。こういう状況が広がっていきますと、子どもたちにとって、思想・良心の自由を守る防壁が何もなくなっていくことになるのです。自分が持っている権利についてさえ何も知らされないまま、いきなり“国歌斉唱”の場に放り出されることになります。強制でないことを子どもに知らせなければならない、という要請を考えても、この状態を放置できるものではありません。ただ、こうした状況に対抗することは、法的には、かなり難しいでしょう。

 と言いますのも、まず、こうした形で処分された校長たちは、処分の無効を訴えていくという発想にはならないのが普通です。むしろ、「今年は現場の教職員に負けて、自発性告知を行わざるを得なかったけど、是非、処分してください。そうすれば来年からは、教職員に対しても、もっと強い姿勢で臨むことができるはずですから」というような態度が見受けられます。先ほど、処分理由がわからないと申しましたが、実際、処分通知ひとつ、表に出てこないわけです。処分されたという実績だけが残って、次の年の運動の首を絞めていく。厳しい闘いです。

 ただ、この処分がどうして可能なのか、どういう根拠に基づくものなのか、という点を考えていくと、釈然としない点が残ってくることに気づかされます。その点がもっと明白になっていくのが、広島県府中市の校長処分の事例です。

 同和教育に関してかなりの実績を積んできたこの市にある16の小中学校では、いずれも、国旗・国歌を“実施できない”という決断に至ります。それに先だって、広島県教委は、「実施しなさい」という職務命令を――どういう根拠に基づいているのかは、全くわかりませんが――校長宛に出していたので、実施しないことが職務命令違反に該当することになりました。そこで県教委は処分をしたかったわけですが、地教行法の上では、小中学校の設置管理者との関係で、まず、市町村教委が処分内申を上げることによって、処分ができるという構造になっています。そして、府中市の教育委員会は、各校長の決断を支持し、処分内申を上げないという決定を下していきます。

 業を煮やした県教委は、直接、内申抜きで、いきなり、職務命令違反を理由に小中学校の校長を処分したのです。これは暴挙です。

2. 処分実務に対する法的評価

 一方では確かに、こうした厳しい現状があるのです。ただ、今ご紹介した府中市の事例のように、暴力性がはっきりと見て取れるような事例まで生じてきているわけです。だとしますと、法的にこうした事例を見ていきますと、別の絵が描ける可能性が出てくるわけです。

校長に対する教育委員会の職務命令権

 最もとんでもないのは、府中市のケースです。現場の教職員と校長が「やらない」と決めて、それを市の教育委員会が追認しているわけです、それに対して県の教育委員会が、地方教育行政機関の分際で、教育内容に口を出して、処分権限を行使しようというのです。これは、学校と教育の法に関するいかなる理論に照らしても、許されるはずのない事態です。

 問題点はいくつかあります。まず、教育における地方自治の問題。地方教育委員会の処分内申がなければ県教委が処分できないのは、子どもたちに身近なところで、まず、教育行政のあり方を決めるという地方自治の発想があるからなわけです。地域性という要素は、教育の中にもある程度反映していかざるを得ない部分があります。そのため、地方・地区・地域の教育に関する意識の多様性が考慮されているわけです。そして府中市の場合も、その地域の教育実践に根差した蓄積という意味では、特殊性を認めることに正当な根拠がある場合に該当しているわけです。

 そうした地域の独自性が配慮を強く要請している中で、その独自性を一切否定して、国旗・国歌の実施を命令によって実現できると考え、実施しない校長を処分してもいいと考える県教委の態度は、結局、県教委が県教委として成り立っている教育の地方自治という観点を根底から覆していくことになるわけです。地域の特殊性を考慮せずに全国一律の教育が上からの命令によって実現できるのならば、そもそも教育委員会制度など必要なく、文部科学省一つあればいいわけですからね。

 それから、第2点目としまして、職務命令の内容に関する県教委の権限に関する問題があります。これは、校長の立場をどう位置づけるのか、という悩ましい問題と関わります。

 学校教育法28条の3項は、「校長は校務をつかさどり、所属職員を監督する」という文章を置いています。教育法学の中で支配的な理論によれば、この「校務をつかさどる」というのは教育内容の決定を直接には含まず、教育内容は、同じく学校教育法28条の6項で「児童の教育をつかさどる」とされる教師の手によって決定されることになります。ただ、この理論の当否に関しては、ご存じの通り、見解の対立があるわけです。

 ただ、府中市の事例がとんでもないというのは、文部科学省が採用してきた理論を前提にしても成り立つはずがない、という点に基礎があります。というのも、これまで実務上の説明として聞かされてきた枠組では、学校行事の実施責任は校長にあり、その内容も校長が自らの責任において決定できることになっているはずだったのです。そのことによって、実際の職員会議の場で教職員が腹立たしい思いをすることが少なくなかったはずです。校長が決めたんだから、他の教職員は口出しをするな、という形で、校長の「校務をつかさどる」存在として機能が発揮されてくるわけです。

 ところが、府中市の事例では、その校長が決めたことが覆されることになります。むしろ、最初から職務命令が先行していて、校長が決められない状態になっていたのです。だとすると、“校務をつかさどる校長の最終決定によって、実施する・しないが決まる”という、これまでの説明が、すべて、ひっくり返ってしまいます。

 結局は、広島県教委の立場としては、学校行事の実施のあり方について、校長には決定権限がないということになります。だとすると、校長の職務命令権についても、怪しくなってくるわけです。これは、他の地域で当然の前提となっている法的な枠組を、根本的に覆していく立場です。

(教育課程の編成権や指導要領の解釈権との関係で)

 この問題を考えていくと、実は、教育課程の編成権が誰にあるのかという論点に、最終的に戻っていくことになります。別の言い方をすると、指導要領とは何なのかという、なじみの深い問題に関わります。

 学習指導要領が法的拘束力を持つかどうか、持つ――と最高裁は言っているのですが、だとする――ならばどの範囲においてか、などといった点は、ここでは、とりあえずそれほど重要ではありません。

 法律論として考えると、誰が学習指導要領を最終的に解釈する権限があるかという問題が出てきます。拘束力をもつにせよ、単なる指導・助言であるにせよ、とにかく指導要領は、具体的な授業の中で生きてくるためには、誰かが読んで、解釈し、具体的な意味をもたせて、実現していかなければなりません。

 確かに、特別活動に関する記述の中に、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」という記述が入っています。しかし、それに先立つ部分では、指導計画の作成に当たって、「学校や地域及び児童の実態に応じて、各種類ごとに、行事及びその内容を重点化する」ことが求められています。これはもとより、明文の規定がなくてもあたりまえの話でして、地域・学校・生徒の特殊性に応じた教育が行われなければならないのは、教育というものの本質的要請です。だとすると、「指導するものとする」と書いてある学習指導要領も、いかなる逸脱もすべて禁じられる絶対的規範と受け取ることは最初からできないわけです。地域の特殊性がどういう場合に主張できるのか、どういう場合に実施し、どういう場合に実施しないのか、という問題は、結局は、誰かが指導要領を解釈して決定することになります。

 このことは、特別活動に限らず、すべての問題に当てはまります。普通の教科教育の場面では、指導要領の解釈権は、最終的には、現場で授業を行う一人ひとりの教師に委ねられることになります。一応指針として、例えば、小学校の2年の3学期になったら、九九を習うことになっていますが、その九九をどういう形で、現在目の前にしている40人なり何人なりの子どもに教えていくのか、みんなが身につけられるように、どういう形で合理的な順序を組み立てていくのか、などの点は、創意工夫の問題になっていきます。場合によっては、足し算がまだできない子どもがいるので、掛け算を先送りすることが許される場合だってあるでしょう。

 これは釈迦に説法で、私が皆様に喋るべきことではありません。いずれにしても、最終的な授業の実施の中における指導要領の解釈というのは、各教員の裁量に属する部分があるし、そうでなければ、学校教育それ自体が成り立たなくなってくるのです。

 そして、各教員レベルにおける決定に際して、例えば、学年における教科担当者の話し合いの中における授業進度の調整などがなされていくことになるのでしょう。また、各学校のカラーというものが自ずと出てくるものですが、これは、その学校における教職員のコミュニケーションを通じて実現されてくる部分があります。学校教育のあり方を考えた場合に、そういう下からの積み重ね、つまり、各クラスにおいて、授業の実施についてある程度の裁量権を持った先生方の授業活動があり、それに基づいて、学校ごとに専門家集団としての教員団を母体とする教育課程編成があり、そして、それを対外的に代表していく校長の姿があることになります。“校長が校務をつかさどる”というのは、その意味において、学校の中で決まったことを対外的に代表していくんだというふうに、一般的に理解されているわけです。

 特別活動に関わる指導要領の解釈においても、同じことが言えます。日々の教科で、現実に生徒たちの前に立つ先生方が解釈権を有しているのと同じように、特別活動、例えば、学校行事を実施する責任を持つ校長が、最終的には、特別活動に関して学習指導要領の解釈権を持つことになります――具体的な行事の内容を決めるのに教職員がどのような形で決定権を持つのか、生徒や親がどのような形で参加できるのかという点は、ものすごく微妙な点ですが、法的問題というよりも各学校における組織構造の問題という側面が前面に立つように思われますので、ここでは深入りしません。

 そうであるからこそ、文部科学省は今まで一貫して、学校行事の内容に関して、校長が決めたことだから、教職員は定められた職務分掌表に基づいて行動しなければならない、というような論理を組み立ててきたはずだったわけです。それに対して広島では、県の教育委員会が、校長が行使すべき裁量権の内容、つまり、具体的な地域や学校のあり方を考えた上で国旗・国歌を実施するかどうかの最終的な結論を、職務命令で片づけようとしたわけです。一体、どこにそんな職務命令の根拠があり得るというのでしょうか。

 各教師が、なぜ、指導要領の最終的解釈権を持つのかというと、教師は、教育者としての専門職性に基づいて、行政上の裁量権を行使するべき立場に位置づくからなわけです。小学校の先生は小学生に九九を教えるプロフェッショナルだし、具体的なクラスを指導することに関するプロフェッショナルです。だからこそ、特定のクラスごとに採用される教育手法の選択に関して、他の人が口出しできる余地は最初からほとんどないということになるわけです。そして中学校以上では、教科ごとの専門性が表に出てくることになります。高等学校においては、その専門性が強まり、そのことによって、教師の裁量の幅が広がっていくというのは、理の当然と言っていいでしょう。

 そういう形で、教師の職務権限の独立と、それに基づく裁量的な指導要領の解釈権という構図は、教師の持つ専門性との関係で出てくるわけです。ここで、校長にもなにがしかの解釈権があるとすれば、それは、やはり、校長にも教育者としての責任があるという位置づけに基づいてのことになるわけです。この点について――特に、学校行事の内容が教育事項である以上は「教育をつかさどる」とされる教師の集団が最終的決定権を持ち、校長は独立の決定権を持たないのではないかという点について――は、現在も議論が続いている部分です。ただ、文部科学省の理解を採用して、校長に形式的な決定権があるのだと考えるならば、これは、校長の教育者としての専門性と責任に基づくものである点は、きっちり押さえておく必要があるでしょう。

 それに対して、地方教育行政機関である県教委というものは、何らの専門性もない単なる官僚組織です。この単なるお役人は、どのような論理に基づけば、学習指導要領の解釈を特定することができる立場に立てるというのでしょうか。それも、教育の機会均等を実現するために中央で一元的に教育内容をコントロールするというのなら――もちろん、憲法上・教育法の上で許された発想ではないとしても、ある意味での論理的一貫性が認められなくはないという意味で――矛盾はないかも知れないけれども、単なる一つの県の教育委員会という立場で、どうしてこれが可能と考えることができるのか。常軌を逸していして、どうひっくり返っても、正当化できる話ではありません。

自発性・任意性の告知に対する処分

 2001年春の状況の中で次の問題として考えなければならないのは、自発性を子どもたちに告げるということによって、校長や教師が処分されているという点です。

 これは、非常に問題がある現状だと言わざるを得ません。「子どもたちに国旗・国歌を、あるいはそれを尊重する態度を、強制するものではない」というのは、1999年に国旗・国歌法ができ上がった時の国会審議において達成された、最大の確認点だったわけです。にもかかわらず、結局、子どもたちにとって“選べない”状況ができ上がっているのです。歌わないというオプションがあることすら知らされずに、いきなり「国歌斉唱」の場面に引きずり出されるわけです。

 法的な問題としては、残念ながら、現在の段階では、任意性を告知されることがないまま、子どもたちが「国歌斉唱」の場面に引き出されたことそれ自身をもって、子どもたちに対する直接の権利侵害が発生した、だから子どもたちが学校側を相手取って訴えることができる、という認識には、多分、なっていないと思います。私のように、基本的人権の保障がストレートに任意性告知の義務をも含むとする見解は――確実に支持者を増やしているとは思いますが――まだ少数説なのかも知れません。

 学校側としては、子どもたちに対する侵害状態を予防するための措置を講じる責任があるとは言えるでしょうが、それが講じられなかった場合に、子どもたちは学校側を相手取って訴えることができるかどうかについては、かなり微妙です。現実には、子どもに対する「強制」に限りなく近い状況が、日常的に発生している現実なのだと言わざるを得ないのでしょう。

教職員の立たない、歌わない権利

 不起立教職員の問題は、こうした状況の中で、子どもたちをどう守るのかという点と関係してくると考えています。ここでは、先にご紹介した北九州ココロ裁判の行く末が気になるところです。この裁判は、弁護士をつけずに本人訴訟として進められていて、現場の教職員が自分たちで書面を書いて、裁判所に持っていっているのです。勝ち負けよりも、自分たちの言いたいことを、まず、言っておきたいというところに主眼があったのですね。しかし、国旗・国歌法ができあがって、北九州の状況が全国の注目を集めるようになると、負けられない裁判になってしまいました。

 それでも、とにかく言いたいことを全部言っていますので、かなりのんびり進んでいます。訴訟提起が1996年11月ですから、もう5年越しになります。それでもまだ立証段階に入りませんで、自分たちの主張を整理しあっているという段階です。

 ただ、中味を見ると、実際には、市教委の側が原告たちの主張にまともに答えられない状況になってきています。たとえば、市教委の出した“4点指導”というのがありまして、「国旗は壇上の正面に掲げること」というところから始まって、国歌斉唱の段階では、「教職員は全員起立して、心を込めて国歌を斉唱すること」という点まで含んだ指導があるのですが、その指導の責任が誰にあるのか尋ねられて、市教委が答えられなくなっています。“これは文部省が言っていることそのものなのか、それを市の教育委員会が解釈してそういう指導を作り上げたのか、それともこれは、単なる指針であって、それを実際に各学校の中で職務命令に作り上げていくのは校長の権限なのか、どうなんだ?”と問い詰めても、“指導要領を普通に読めばそういうふうに読めるでしょう”という程度の答えしか返ってきません。まともな責任体制をどう組み立てるのか、何の考えもないわけで、議論はなかなか噛み合ってきません。

 裁判官も元々、どちらかと言えば、市の教育委員会のほうに同情的だったんですが、市教委側のあまりにも不誠実な態度に最近では呆れがち、という雰囲気みたいです。多分、2002年に入って立証段階に入いり、争点を明確化して、最終的には、あと2年くらいで判決に至るのではないか、という状況になっているわけです。

(教師の人権か、子どもの人権か)

 ただ、「不起立に対する処分を取り消せ」と主張する際の、理由の組み立てについては、原告の立場に立ってもいろいろと問題があるのです。基本的には2つの考え方があります。教師の思想・良心の自由の問題なのか、子どもの思想・良心の自由の問題なのか、という選択になってくるわけです。そして実際には、ココロ裁判では、最終的には、子どもの思想・良心の自由の問題なんだ、という言い方をしていくわけです。

 すでに確認したように、任意性の告知すらないままに、子どもたちが「国歌斉唱」の場面に突き出されているのが現実です。子どもの思想・良心の自由が脅かされ、強制が働いている。子どもたちとしては、ここで自分が目立ったことをすれば、後でいじめられることも考えなければいけない状況に追い詰められているのです。その子どもたちを前にして、教師が立ち上がれないのは、自分の思想・良心よりも、子どもたちの思想・良心の自由を守るための必要があってのこと、ということになります。

 実際に、自分が知っている子どもたちの中に、事情があって、歌いたくない、立ちたくないと思っている子どもたちがそこにいることを知っている。その状況の中で処分されまいと思えば、自分は立ち上がって、少なくとも口を開けるしかない――福岡県教組は、処分回避のために“口パク”指令を出しています――ことになる。しかし、そのことによって、歌いたくないと思っている生徒に対しては、自分は強制する側に廻ってしまう。“自分も立つんだよ、他の人もみんな立っているんだよ、あなたはなぜ立たないの”という圧力が、歌いたくない子に掛かってしまう。それを知っている教師に立つことが許されるだろうか。

 自分が立ち上がることによって、子どもたちにもの凄く大きな強制を働かせるという状況があるわけです。その状況の中で、自分が座ることによって、子どもたちに“立たない”という正当なオプションを示すことしかできない状況ができあがるのです。司会が口できちんと“立たないでいいですよ。歌いたくない人は歌わなくていいですよ”というふうに説明しないのであれば、心ある教師が処分覚悟で自分でやって見せることによって、子どもたちにそのオプションがあることを示さざるを得ない。それによって、儀式の進行が妨げられることはあり得ません。これは、歌うことが強制でないことを伝える最後の平和的な手段になってくるのです。

 北九州市でも被差別部落の子どもがいるし、在日朝鮮人がいて、彼らを巻き込んでこの歌などとても歌えるものではない、という現状があります。そのことで子どもたちが悩んでいるのを現実に見ている先生方にとっては、この論理は、多分、全く自然な考え方だったんだろうと思います。

 それに対して、憲法学の中でも、これが“教師の良心の自由の問題だ”と捉える見解の方が強いような気がします。福岡県の弁護士会が2000年6月に、市教育委員会宛てで、「こうした処分実務は教師の権利侵害に当たるから止めなさい」という警告書を発しています。その中でも、理由としては、教師の基本的人権、特に思想・良心の自由を侵害するという点が指摘されています。

 ところが、ここに問題があるのです。この警告書をよく読んでみますと、「単なる不起立くらいで、実質的な昇給延伸を伴う戒告や、さらには減給という処分を行うことは、あまりに大きな損失を負わせるものだから、そこまでいったら人権侵害に該当する」という構図になっています。つまり、教師の良心の自由という点から考えた場合には、“どれぐらいの程度で、教師の思想・良心の自由が侵害されているのか”が問題になるわけで、侵害の程度が軽いからいいじゃないか、というふうに主張する余地が出てくるわけです。だとすると、事はかなり微妙です。処分を受けて訴えている教師たちは、“教師に対して「心を込めて歌うこと」を強制する職務命令が違法なわけではない、ただ、それに対する違反に対して実質的な経済的不利益を伴う処分を下すことが行きすぎなんだ”という判決が出た場合に、どう受け止めるのだろうか、と考えてしまいます。教師が守られても、結局は子どもに対する強制状態の根本は間違っていないと裁判所が認めるなら、これは、本末転倒とさえ言わなければならない結果かも知れません。

 その意味で、結局は子どもたちのことを中心に置いて考えざるを得ないのではないかと、私などには思えてくるのです。座り続ける教師たちが周りにいてくれる分には、子どもたちは、ある程度の“立たない・歌わない”というオプションを見ることができるわけです。そして、教師に対して職務命令がかかるのは、まさに子どもに対する強制の手段として教師の「斉唱」行為が位置づけられているからなわけです。校長や教育委員会が職務命令によって教師たちに歌うことを強制することができるかどうか、というのが、日本全国の水準で見た場合に、最大の焦点となっているわけです。

授業における国旗・国歌のタブー化

 問題は、儀式の場面だけに限られているわけではありません。すでに1999年段階から、国旗・国歌問題は、授業に関する問題でもあったのです。一番典型的には、東京・八王子市の「石川中学事件」と呼ばれた事件があります。家庭科の授業の中で、国旗・国歌問題を取り上げて、“上から言われただけで、ものを考えずに国旗・国歌の実施を決断する校長の意識構造”それ自身を問題にした授業を行った先生が処分された事例です。

 もともと、国旗・国歌問題は、儀式の問題に留まるわけではありません。「日の丸」・「君が代」に対して国民の間に対立する見解がある中で国旗・国歌法ができ上がった時点から、子どもたちは、国旗・国歌の問題を通じて、国家と自分の関係を主体的に形造っていくための基盤を必要とすることになるわけですし、そのために必要な情報を伝えるという課題が発生してくることになります。一方では、“国際試合で他国の国歌が流れているときに、例えば、その辺に座り込んで、別の歌の口笛を吹きながら大騒ぎしたら、それは相手を傷つけることになるんだよ”ということは、儀礼の問題として、教えておく必要があるでしよう。ただ他方では、実際に、日本の、この歌・この旗が、歴史的にどういう役割を果たしてきたのか、そして、その旗を政府が今、子どもたちに強制しようとしていることがどういう意味を持っているのか、ということも、同時に、子どもたちに伝えていいはずだし、伝えなければならないはずです。まさに、「日の丸」・「君が代」を学校教育の場に持ち込むというのは、そういう教育を行う必然性を意味するはずなのです。

 国旗と国歌を「尊重する態度を育てる」ことが、学習指導要領(小学校社会)で設定されている一つの教育目標になっています。ただ、ここでいう「尊重」は、人間としての主体的位置づけを経ることなく、無批判にただ賛美するだけ、という意味ではないはずです。そして、どのような接し方が「適切」なのかは、基本的には子どもが自分で主体的につかみ取るべき問題であって、どこかの官僚が定めるべき話ではないのです。

 だとしますと、国旗・国歌問題は、必然的に授業内容の問題に関わってきます。もちろん、社会科・歴史教育の問題でもありますし、現代社会の問題でもあります。家庭科の問題としても取り上げるべき側面があるでしょう。

 そうした場合に、“国旗・国歌について自分で考えなさい”というメッセージを発したことが、偏向教育であるというレッテルを貼られて、処分されていく、ということがあるならば、深刻な事態です。2001年の地教行法の改正を通じて、いわゆる「不適格教員」と位置づけられた教員たちを、教育職以外の職場へ転職させる措置を推進できるようにする態勢が、整ってきています。そのことに基づいて、「不適格教員」の洗い出し作業を進めようとする動きがあるわけですが、「日の丸」・「君が代」に関して、子どもが自分で主体的に考えられるようになることを目指した教育を行うと、「不適格」とレッテルを貼られてしまうのならば、これは、教育というものが成り立つかどうかの根本的に問題に関わってきます。

 現実問題、「石川中事件」の当事者になった教師は、その事件を背景に、別の中学校に配属されたわけですけれども、その学校で従軍慰安婦の問題を取り上げたことにより、次の事件に巻き込まれています。その問題を取り上げて子どもに議論させていくうちに、話題は当然、戦争とは何か、兵士になることはどういうことか、ということに及ぶわけです。その中で、「うちの祖父ちゃんは人殺しか」という発言があった、それに対して、先生は何も言わなかった。ところが、後でその発言に対して、フレームアップされまして、先生が“お前のお祖父ちゃんは人殺しなんだ”と言った、という話にすり替わっていきます。そして、保守系市議会議員でもある親が、周囲の親を巻き込んで、偏向教育であるとして問題提起をしていったのです。それに対して、学校側は、十分な調査もしないまま、「元からあの先生は問題があったんです」などと、親の攻撃の火に油を注ぐような説明を繰り返すわけです。その先生本人が親の前で事情説明を行うことさえ許されない状態です。

 そういう形で、子どもに、自分で考える能力をつけようとする教師が狙い撃ちされ、「不適格教員」として排除されようとしているのです。

 この事態に対抗する上で、教師は絶対的な教育の自由を持っている、といった論理を組み立てていくことは、あまり適切ではないでしょう。先ほど言いましたように、学習指導要領の解釈権は教師にあるとしても、一定の限界は認めざるを得ないような気がします。例えば、教師の発言が常に「真実」であると子どもが信じるような、教師の絶対的権威が確立している中で、例えば、“お前たちのお祖父さんが戦争に行って人を殺したんなら、絶対に許せない犯罪者だ”と決めつけるとすれば、そこにはやはり、イデオロギー的な強制という側面を含んでいる可能性があります。そして、自分の主観的なイデオロギーを押しつけるために教師としての立場を利用することは、やはり、教師の職分から外れた、子どもに対する権利侵害であると位置づけなければならないでしょう。

 この部分は、皆様と私の間に、見解の相違があり得るところです。私は、個人の人格にかかわるような問題について、答えを押しつけるようなことは、公立学校にできることの範囲を超えているのではないかと考えています。そうした答えを押しつけることは、文部科学省にもできないし、教育委員会にもできないし、また、教師にもできない。子どもたちが自分たちで考えられるよう、様々な判断の材料、多面的な資料を提供するところまでしか、教師の職分が及ばないと思うのです。これは、自らの人格的な立場を権力――個々の教師も、子どもから見れば、国家権力そのものです――によって押しつけられない権利を子どもに認めた場合の、必然的な帰結だと思っています。

 ただ、資料をきちんと提供するという責任は、教師にあるわけです。“「日の丸」の旗が歴史的にどういう役割を果たしてきたのか。その旗に対して、例えば、韓国人・朝鮮人、そして中国人はどういう感覚でいるのか”という問題。これは、資料として、やはり、議論に参加するためには子どもたちが知っておかなければならない点です。だとすると、これを伝えることは、かなり本質的な教師の職分の一部ということになるはずです。

 そして、自らの立場を獲得する作業は子どもたちに委ねるしかないわけです。フリーディスカッションをさせるという、権力的でない手法は、そうした領域で教師にできる数少ないことの一つでしょう。そこではもちろん、子どもたちの議論は、いろいろな立場の間を揺れ動いていくわけですが、そこには「偏向」と呼べるものは存在していないはずです。子どもたちに自分で考える機会を提供したという限りにおいて、最も本質的な意味において教育の名に価する活動なのです。

 そういう活動に対して、国家権力の側の介入が起こるならば、まさに、子どもたちの人格形成が国家によって直接妨げられていることになるのです。残念ながら、父母の糾弾集会というものまで含んださまざまな仕組みの中で、「不適格教員」としてのレッテル貼りまでが進行しようとしているという現実は、一方で、事実として確認しておかなければならないでしょう。ただ、そこには正当性はない、あるはずがないのです。

3. 権力の暴力的処分に対抗するために

 心ある教師に対する権力側の攻撃は、厳しさを増しています。権力が認める考え方以外のものの存在を認めようとしない、偏狭な権力のあり方が表に出始めているようにも見受けられます。子どもにとって本当に必要な教育を確保し、教育行政機関を主体としたイデオロギー的教化から子どもを守るために、何ができるのでしょうか。

 この問いに対する答えとしては、陳腐かもしれませんが、やはり、教師には教育専門職としての独立の権限があり、従って、教育の具体的な問題は、まず、教師と子どもたちとのコミュニケーションから始まるんだという点を、出発点として再確認すること必要であるような気がします。クラスという場面では、子どもたちと先生とのコミュニケーションが中核になります。学校というレベルになりますと、一方で教職員、他方――というべきなのか、教職員の一員としてというべきなのか――校長という存在、そしてもちろん、子どもたちや父母を含めて、教育のあり方をめぐるコミュニケーションを展開していくことになるわけです。教師の専門職的独立性を踏まえつつ、対話の中で問題を解決していくという基本姿勢は、やはり、崩してはいけないでしょう。

 神奈川県の高等学校が置かれている現状は、例えば、広島や北九州といった、国旗・国歌推進勢力がいう「先進地区」と比べれば、まだまだ、合理的な議論の成り立つ余地があるようにも見て取れます。ただ、全国あちこちで、目立ったところが右翼のターゲットとなり、右翼メディアが社会問題をでっち上げ、親の不安を煽って、心ある教師を排除しようとする策動が行われているわけです。神奈川も、そうした動きのターゲットとなる危険を免れているわけではありません。一方でそうした危険が迫る中でも、他方で、運動をきちんと組み立てていくことが必要だし、可能なのではないかと思います。

 これが可能なのだというのは、あまりに楽天的な非現実論に聞こえるといけないので、つけくわえておきたいと思います。これは、ある程度の根拠があっての話です。ここまでのお話の中でも、法的にいってまだ未解決になっており、闘い方によってはきちんと勝てる部分があることをお伝えしてきました。そして、たとえば不起立教員に対する処分が許されるかどうかなど、重要な問題は、今後の裁判の推移の中で決まってくることになるわけです。そして、ここで強調しておきたいのは、裁判所にとって、国旗・国歌は決してタブーではないということです。

 例えば、2001年1月、東京高裁レベルで、日の出町の処分問題についての裁判が、勝訴判決を得ています。これは、国旗を引き下ろしに関わる、本来はあまり勝ち目のなかった事例だったのですが、処分に手続き的な瑕疵があったことが最終的に確認されました。都の教育委員会が先に処分してしまってから、“忘れていた”と、日の出町教育委員会に対して処分内申の書類をでっち上げるよう要請したという、お粗末な話です。この事実が確認され、「処分自体に手続き的な瑕疵があって、無効である」という判決が出た。当たり前と言えば、あまりにも当たり前なんですけれども、少なくとも、裁判所にとって、「日の丸」・「君が代」問題はタブーではないということは示せたわけです。

 2番目に、これは埼玉県の人事委員会に対する不服申し立てのレベルなんですけれども、所沢高校問題も、いい方向での解決が出ています。これは、国旗・国歌のある卒業式・入学式を拒否して生徒会が卒業、入学を「祝う会」を分離開催したことに関わって、入学式の事前説明会で「祝う会」の案内をした教師が、信用失墜行為ということで見せしめ的に処分された事例でした。この不服申し立て手続が、2001年8月に、処分取り消しの裁決をもって終わっています。

 それから、3番目ですが、国旗・国歌問題と間接的に関係していると言える事件に関して、最近も勝訴判決が出ています。これも北九州の事例なのですが、研究授業のときに、“戦争は永久に放棄する・日本国憲法9条”と書いてあるポロシャツを着ていった教師に対し、そうした服装で報告を行うことが教師の政治的中立性に反するという名目で、暴力的に登壇を妨げ、結局、その先生の報告を中止させたという事件があったのです。これに対してその教師が国家賠償請求を申し立てていたんですが、これが、2001年12月13日、福岡高裁における勝訴判決を得ています。すでに2000年7月の福岡地裁小倉支部判決が55万円の損害賠償を認めたのですが、それに対して控訴がなされ、高裁の裁判官が必ずしも原告有利でない訴訟指揮をしていたので、不安感があった裁判でした。結局は、憲法9条を胸に報告をすることは、暴力をもって妨げるべき非違行為ではないと確認されています。

 そして、今後、先ほどご紹介しました広島の府中市のケースについては、県の人事委員会で不服申し立ての手続きが進んでいくことになります。県の人事委員会としても、なかなか適法であったとは言いにくい事例になっていると考えています。“行政機関の分際で教育内容に口出しするな”という部分が、この府中市の事例で確認できていけば、今後に再び光明が射すことになるでしょう。ここから先は、法律家の職分に属する部分ですが、こうした本質的な点を疎かにせずに闘っていけば、2001年の場面であったような、非合理的な動きを押し返していくことは、十分可能だと考えています。

 そうした中で、現在、きちんとした態勢をとって、子どもの権利を尊重した合理的な運動が進んでいる神奈川県の高等学校レベルというのは、やはり、大事なところにあると思います。その意味でも、いろいろ教えていただきながら、一緒に闘っていきたいと思いますので、是非、よろしくお願いいたします。

 長くなってしまいました。ご静聴、ありがとうございました。(拍手)

 以 上