高総検レポート No 25

1996年2月16日発行

“ハードル”はできるだけ低く!

「総合的選考の基準」について

いま進められつつある「入選改革」の基本は、「特色ある高校をつくり、それぞれの高校の「特色」にあった生徒を、「特色ある選考基準により」選抜するところにあります。われわれは、この「改革」があからさまな「適格者主義」に陥っているという視点から、批判を繰り返してきました。しかし、―方的に定めたスケジュールをあらためることもなく、県当局は各学校現場に具体的対応を迫ってきました。すでに昨年3月に、各高校は「魅力と特色プラン」なるものを、当局に報告させられました。そして、この3月4日に、各学校から「総合的選考の基準」を報告しなければならなくなっています。もはや、「総合的選考の基準」を決定する最終段階になっているでしょう。遅いと言われるかも知れませんが、ここで問題点を確認しておく必要があると思い、このレポートを作成しました。

「基準」にあわない生徒は排除される

 「総合的選考の基準」は、高校の側にとっては「選考」の基準であるが、受験生にとっては高校を「選択する基準」、各中学校にとっては「高校選択を助言、指導する基準」になります。しかも、その「基準」は第一希望の30%(全体の24%)と第二希望(全体の20%に適用されるものとはいえ、一部の上位の生徒(C順位で定員の56%以下にならないという自信を確実にもっている生徒)を除き、その学校に出願した生徒の大部分が意識せざるをえないものなのです。もしかしたら、高校の側では、いままでとそれほど変わらない基準で選考するつもりかもしれません。しかし、公開された「総合的選考の基準」が「どのような生徒を優先的に選考するか」を明らかにするものである以上、受験生の多くはこの「基準」を頭に入れて出願せざるをえません。高校側から「特定の生徒に限定する基準」が示された場合、その「基準」に当てはまらないおそれのある受験生は、せっかくその高校への進学を希望していても、出願をためらわざるをえなくなってしまいます。
 まず、「総合的選考の基準」を、受験生と保護者、さらに受験生の進路保障にあたる中学校現場に不安を与えない内容にする必要があります。つまり、できるだけ多くの受験生に挑戦のチャンスを与えることができるよう、ハードルは低く設定する必要があります。そして、ハードルの設定のしかたによっては、中学校の教育に大きな影響を与えてしまう可能性があることも、十分に考えていかなければなりません。そこで、この観点から、いくつかの具体的基準について考えてみます。

l.教科活動について

特定の教科の学習成果及び学習状況
例 英語・数学の学習成果および学習状況
   3教科(もしくは5教科)の学習成果および学習状況
 事実上の傾斜配点の効果を生む可能性をもっており、長期的には中学校における学習の偏りをもたらすと考えられます。また、受験生の側からみるならば、公表された教科の不得意な生徒は、不利な立場に立たされることが予想され、出願をためらうことになってしまいます。出願前に特定の生徒が排除されてしまうような「基準」は、適格者主義排除という観点から、望ましい「基準」ではないと思います。また大幅な「公立離れ」を引き起こす要因になってしまう可能性も考えておかなければなりません。

 そこで、教科活動にもとづく基準を作成する場合、特定教科に限定することなくつねに全教科に配慮した内容にする必要があります。もし、「特定教科の学習成績、学習状況」を見るとするならば、必ずそれに続けて他の(実技教科も含む)教科についての配慮も可能になるような項目をつくり、結果として全教科を見ることになるようにする必要があると思います。
 高得点教科重視という方法もありうるとは思います。しかし、―教科において飛び抜けた点数をとっている受験生を、全教科について平均的に点数をとっている受験生より、ことさら優先しなければならない理由が、どこにあるのでしょうか。全体にわたり努力していることも、その生徒の「個性」とは言えないでしょうか。
 申告による教科選択が可能かどうかは、「大綱」上疑問が残るところだと思います。また、高得点教科重視の場合と同じように、手続き上も手間のかかるこの方法を、わざわざ実施する理由が見当たりません。

ll.教科外活動について

1.部活動、生徒会活動、ボランティア活動
 この項目が明記されることにより、中学校において教科外活動の競争がおこる恐れがあります。事実、「入選改革」が先行して行われている都県からも、この恐れを裏付ける報告が寄せられています。
 部活動について見てみます。もし部活動の「実績」を問うた場合、中学校においては、実績をあげるように努力せざるをえなくなります。もちろん、部活動で実績をあげるように努力すること自体は、否定するものではありません。しかし、高校入試のために部活で頑張らなければならなくなる、中学生の生活も考えるべきだと思います。その意味で慎重な表現が必要になると思います。
 生徒会活動(ホームルーム活動)について見てみます。「改革」の先行している都県でも、生徒会役員等への立候補が増えたという報告があります。もちろん、生徒が積極的になることは良いことかもしれません。しかし、高校入試のために、生徒会やホームルームのポストを争うような事態はどうでしょうか。たとえ、生徒会役員にもホームルームの委員、係にもならなくても、十分に自治的活動に参加している生徒もたくさんいるはずです。また、目立つ活動をしていない生徒でも、クラスや友達にとっては欠けがえのない存在のはずです。この項目を立てるときも慎重にすべきでしょう。
 ポランティア活動について見てみます。この項目はいろいろな問題を含んでいます。ボランティア活動は、校外の活動が主体となってしまいます。校外の活動(指導上参考になる事項欄)が、中学校の調査書の中に、客観的、公平に記載されるかどうかが、まず問題になるでしょう。また、特定の宗教団体等の活動の一環として、奉仕活動がおこなわれる場合もあります。それをどう評価するか、難しい問題になるでしょう。一方、学校の指導のもとで、ボランティア活動がおこなわれた場合はどうでしょうか。たとえば、吹奏楽部が老人ホームを訪問した、などの場合などですが、これは一般的な部活動、生徒会活動などに含まれるものではないでしょうか。とりたてて、ボランティア活動として別項目を立てるべきかどうか疑問が残ります。また、やや極端な言い方かもしれませんが、自分の家族の介護を毎日しても、ボランティア活動として評価されないが、老人ホームをたまに訪問すれば評価をえることができる、というのもおかしな話です。
 福祉関係の専門コースをもっている高校などでは、この項目を立てざるを得ないかもしれません。しかし、一般的にはこの項目は立てないほうがよいと思います。

 特記事項の問題について。調査書の他の記載事項と違って、「特記事項」については20%の枠(現在は15%)が決まっています。ですから、どんなに中学校の教員が公平に客観的に判断しようとしても、同じような活動をしていながら、ある生徒には特記が付き、ある生徒には付かない、という事態が生じてしまいます。「特記事項」の扱いについても慎重になる必要があるでしょう。「特記事項」「のみ」を優先する方法(「特記事項」があれば、それだけで合格圏内に入れてしまうというやり方)は、避けるべきではないでしょうか。
 いわゆる「点数化」について。教科外活動をみることが難しければ難しいほど、高校現場にとって「点数化」は魅力あるものになるかもしれません。しかし、本来点数で評価できないものを、無理やり「点数化」するわけですから、公平性、客観性を欠く結果に終わってしまい、高校側に対する不信感を生み出すだけの結果に終わってしまう恐れがあります。

 では、教科外活動については、どうしたらよいのでしょうか。まず、間ロを広げることではないでしょうか。つまり、教科外活動は全領域にわたって見る(「部活」「特記」だけに限定するようなことはしない)。そして実績は問わない(記載があれば、同列に扱う)。この方向が望ましいと思います。

2.意欲、基本的生活習慣の重視
 この項目をあげることには、そもそも無理があるでしょう。まず、普通科では面接を実施していない以上、「意欲」を問う場がありません(もっとも、面接を実施したとしてもわずかな時間の面接で「意欲」を量ることは不可能でしょう)。また「出欠席」については調査書の中に、その記載がないのですから、これを問うことも無理です。もし、あえて「意欲」「基本的生活習慣」を問おうとすれば、「行動の記録と所見」の欄を利用することになります。もちろん、記入する中学校の教員はつとめて客観的であり、公平であろうとするでしょう。しかし、その書き方には、個々の教員、各中学校ごとに、当然差が生じます。また、どんなに注意しても、見落としや、書き落としが生ずるでしょう。そして、高校側は、文章から中学校側の意図を、可能なかぎり客観的、公平にくみとろうとして、最後は判断に窮する結果に終わるでしょう。
 「意欲のある生徒を入学させたい」「基本的生活習慣のきちんとした生徒を入学させたい」という意図は、よく理解できます。しかし、「総合的選考の基準」とするには、この項目は、あまりにも、客観性、公平性を欠くものです。そして、この欄を利用したため、高校と中学校、さらに中学校と生徒の間に不信感を生み出してしまう結果になる可能性が十分にあります。

lll.その他の留意点

「特色」との整合性
 「総合的選考の基準」は、一応「特色」にもとづいてつくられることになっています。だから、受験生は建前上は「基準」にかなったものとして入学してきます。そのとき、「基準」とかかわりない教育内容だった場合はどうなるでしょう。あるいは、「基準」にあわないとして不合格になった生徒は、その事態をどうみるでしょう。「特色づくり」そのものの是非、あるいは「特色」を楯にとって選抜することの是非はともかく、「特色」にもとづいて「基準」がつくられている、という原則をわれわれは忘れてはなりません。
(だからといって、「総合的選考の基準」から「特色づくり」をするのも、本末転倒であり、信頼性を失うことになりかねません。)

「校内の選考基準」との整合性
 「総合的的選考の基準」として示された以上、選考はその「基準」にもとづいて進めていくと公約したことになります。もちろん実際に選考する場合は、校内で具体的選考基準を定めなければなりません。しかし、そこに矛盾があってはなりません。内部で用いられた選考の基準も、開示の可能性があると考えていかなければなりません。たとえ、実際に開示されなくとも、われわれは公表した「基準」に責任をおわなければならないでしょう。

*      *      *
 教科活動については、特定の教科に偏ることなく、可能な限り多くの教科にわたり学習成果・学習状況をみることができるように、基準を設定する。
 教科外活動については、特定の分野(部活動に限定など)に偏ることなく、可能な限り広い分野をみることができるように、基準を設定する。
 こういう問いが返ってくるかもしれません。「それでは、どうやって選考すればよいのか」「ハードルを低くする、間ロを広げる、というのは分かったが、それでは選考できないではないか」。しかし、まず中学生の立場に立って見てください。「高いハードル」「幅の狭い基準」が示されらどうなるでしょう。「自分の調査書の内容では、どこなら入れるんだ。どこを受けたらいいんだ」。中学生は「基準」を見て、出願以前にある高校をあきらめることになるでしょう。たしかに、それぞれの高校には、積み上げてきた実績があり、理想があると思います。しかし、だからといって「こういう生徒が欲しい」と「特色ある総合的選考の基準」を掲げたら、中学生も、中学校も、ならぴ立つ「基準」の間で途方にくれ、混乱することになるでしょう。

 われわれは公立高校設置の原点、地域の中学卒業生の高校進学への希望に応える、という原点にたって、「総合的選考の基準」をできるだけ多くの生徒に開かれたものにしましょう。そして、その「基準」にそって選考をした結果、なお合否を決定できない部分があるならば、客観性、公平性の観点からみて恥ずることのない、新たな「基準」(たとえばC順位にもどすなど)で選考を進めればよいのです。