高総検レポート No 31

1997年5月1日発行

「史上最多の欠員を生んだ新入試」

1.長すぎた入選
 県議会文教常任委員会において、「試験から合格発表までの期間が長すぎる」という指摘があったことが、合格発表翌日の新聞によって伝えられていました(3月6日神奈川新聞)。学力検査の後、採点をして、さらに選考会議を開く、ふつうに考えるならば、せいぜい1週間もあれば、結果は出る。ところが、今回の入選は学力検査から合格発表まで、15日間に達しました。受験生、保護者、中学校、さらに選考をおこなう側の高校現場、どの立場から見ても、この日程は長すぎました。この間、受験生は不安なまま、結果を待たされることになりました。中には、待ちきれず公立をあきらめ、私学への道を選んだ受験生もいると聞きます。

2.原因は「複数志願制」に
 この指摘に対する県教委の答えは、今回の入試のしくみが、事務量を増やし、時間のかかるものになったため、発表が遅れたというものでした。これでは、朝寝坊をして遅刻をした生徒が、交通機関の渋滞等の理由を縷々述べたて、弁解しているようなものです。「複数志願制」という複雑な制度が、時間のかかるしくみであることは、最初から明らかでした。入選が長引いた理由は、この「複数志願制」という複雑怪奇な制度を導入した、県教委の判断そのものにあります。

3.入選業務の加重負担
 また、県教委は、「パソコン通信導入の初年度にあたることから、トラブルへの対応なども念頭に置いた、慎重な日程を組んだこと」にも、原因をもとめています(同日 神奈川新聞)。高校現場の実務担当者は、この発言をどう受け取るでしよう。通信上の大きなトラブルがなかったからよかったようなものの、もし実際にあったならば、今回の日程では、対処しきれなかっただろう。これが、現場の実態ではないでしょうか。高校現場は、2月から3月まで(推薦制度がある学校では1月から)入選作業に忙殺されました。進級・卒業を控えた重要な時期と重なっています。本務と入選業務を両立させなければならなかった現場担当者の悲痛な声が、多くの学校から聞こえてきます。公立高校の本来の役割は、「どのような生徒を入学させるか」ではなく、希望をもって入学してきた生徒に「どのような教育をほどこすか」にあったはずです。本来の業務を犠牲にしてまで、入選作業に貴重な日時を費やすことに、いったい何の意味があったのでしょう。しかも、それが受験生に不安を与えるだけの結果になっているとしたら、あまりにも虚しい作業だったのではないでしょうか。このパソコン通信導入も、もとをただせば、「複数志願制」というやっかいなしくみを導入したから、必要になったものです。

4.活用されなかった「複数志願制」
 今回の入試において「複数志願制」を実際に活用した受験生、つまり、第一希望校と異なる学校を第二希望校として選んだ受験生は、4分の1にすぎませんでした。ということは、この複雑な入試制度導入は、残りの4分の3の受験生にとり、結局のところ意味のないものになってしまいました。
 この結果は、新しい入試制度を導入した県教委にとっては、残念だったでしょう。入選改変の意図が「いまひとつ浸透しなかった」という説明が新聞で紹介されていました(1月19日神奈川新聞)。しかし、「複数志願制」は、入選改変の最重要項目、いわゆる目玉ではなかったでしょうか。「二校志願できます。だから希望する学校を受けましょう。」という文句は、すでに十分に知られていたはずです。具体的なしくみの理解を取り合えずおくならば、「二校志願できる」ということを知らない受験生は、おそらくいなかったのではないでしょうか。それでも、受験生の多くは、「複数志願制」を活用せず、第―希望、第二希望ともに同じ学校を志願する結果になりました。「浸透しなかった」という言い訳では、説明がつきません。「複数志願制」が、受験生に見捨てられた理由は、もっと別のところにあります。

5.不安をあおる新入試制度
 「二校が志願できます」といっても、第二希望の実質倍率は不明でした。たしかに、第二希望の志願者数は発表されます。しかし、高校の入試担当者ですら、第二希望選考の対象者がいったい何人になるか、見通しがつかない状態でした。受験生には、第二希望の合否可能性など、分かるはずもありません。「どこを受ければ……戸惑う受験生ら」と、受験生の混乱が報じられています(1月12日神奈川新聞)。もし合否可能性を知ろうとするな らば、大手受験産業なみにデータを揃え、コンピュータを駆使しなければならないでしょう。だが、そんなことが、個々の受験生や保護者にできるわけもありません。結局のところ、塾や予備校など、受験産業を頼ることになります。事実、受験産業への依存の高まりも伝えられています(2月13日朝日新聞)。少子化の進む時代にあって、受験産業にとって、今回の入選改変は、干天の慈雨ともいうべき、ありがたい改変だったでしょう。ただし、手慣れた受験産業の力をもってしても、第二希望の合否可能性を読み切ることは、きわめて難しかったのではないでしょうか。なにしろ、最後まで第二希望の選考対象者がどうなるか、分からなかったのですから。こんな状態で、どうして、「安心して第二希望を当てにしなさい」と言うことができるのでしょう。結局、不確かな見通ししかもてない第二希望は見捨てられ、受験生の多くは第―希望、第二希望ともに、同じ学校を志願することになりました。
 こんな結果になりながらもなお、「『複数志願制』のために、入選日程が長引くのも止むを得なかった」と弁解してみても、多くの受験生にとっては、虚しい言いわけにしか聞こえないでしょう。他方、「入選改変の意図を理解し」て「複数志願制」を活用した受験生、つまり第二希望を他校に出した受験生にとっては、この長い日々は、不安がつのるだけに、より耐えがたいものになってしまったのではないでしょうか。この虚しく、不安な日々は、だれにとっても不幸なものでした。

6.史上最多の欠員発生
 合格発表の翌日、3月6日の各新聞は、公立高校に大量の欠員が発生したことを、大きく取り上げました。59校で641人にのぼる欠員が発生したことは、前年度の定員割れが、23校、126人であったことを考えるならば、大見出しに相応しい大事件だったでしょう。この数は、史上2番目とされています。しかし、今までの最多記録は、83年度入試、百校計画の進行途中でありながら、丙午のあおりを受けたという例外的な年でした。その意味では、今年が事実上の史上最多記録になったといっても、言い過ぎではないでしょう。
 この大量の欠員発生に対し、県教委指導部長は、「『入れる学校から行きたい学校へ』という今回の改革を受けて、生徒たちが選択した結果だと思う」と述べています(3月6日朝日新聞)。「複数志願制」については、「意図が浸透しなかった」と説明しながら、今度は「意図が浸透した」、ご都合主義そのものです。長い入選作業の果て、やっと合格発表にこぎつけながら、再募集となってしまった学校現場では、どんな気持ちで、この記事を読んだでしょう。それにもまして、不安な長い日々を経てやっと結果を知った、受験生たちは、この言葉をどんな気持ちで読むのでしょう。第一希望校が不合格で、第二希望校に回らざるを得なかった受験生もいます。あるいは第一、第二希望ともに不合格になった受験生もいます。それなのに、第一希望校が定員割れをおこしているのです。無責任きわまりない発言ではないでしょうか。

7.私学に流れた受験生
 最終的に定員割れをおこす公立高校が多数発生するだろうということは、私学の応募者が著しく増えていたことから、十分に予想がついていたところです。県内の私立高校の平均倍率は、昨年の2.91倍から、4.02倍へとはね上がりました。「97年度から公立高校の入試制度が新しくなったので、不安感があり、私立も受けておくという受験生が増えたのではないか(1月30日神奈川新聞)」。県の私学宗教課でさえ、こう分析しています。
 今回の入選改変により、もっとも恩恵をうけたところは、私学かもしれません。もちろん、私学への入学をもともと希望していて、私学に入学するならば、それはそれで結構なことかもしれません。しかし、公立を希望していながらも、入選に対する不安から、私学を受験せざるをえなかったとするならば、それは不幸なことです。しかし、もし、その不安が今年限りのもの、制度改変にともなう不安だけだったと言えるなら、時間の経過によって、問題は多少なりとも解決されていくかもしれません。もちろん、今年の受験生にとっては、あまりにも不幸で、取り返しのつかないことだったのですが。しかし、不安の根は、そんな浅いものではないようです。

8.問題の根は、制度そのものの中に
 今回の入選改変は、県教委側の説明によれば、もともと不安を与えないはずのものでした。「二校が志願できます(だから「いきたい学校を安心して受けなさい」)」「総合的選考の重視する内容は事前に明らかにされます(だから「安心して自分の個性にあった学校を受けなさい)」……。ところが、二校が志願できるといっても、もともと一つの学校の定員であったものが、第一希望の枠と第二希望の枠に振り分けられているだけです。当然、80%に縮小された第―希望枠の倍率は上昇しました。例年ならば、1.1倍そこそこになるはずの倍率が、1.36倍にはね上がりました。しかも、先ほどのように第二希望の合否可能性はさっばり読めませんでした。受験生の不安は、「二校が志願できる」ことにより、ますます大きくなってしまいました。
 そして、「総合的選考で重視する内容」が、たとえ事前に明らかにされても、それにどの程度の意味があったでしょう。調査書の記述部分をつかう以上、中学校側が、どのような文章を書くか、その文章を高校側がどのように読むか、だれが結果を確実に予想することができたでしょう。事実、中学校から送られてきた調査書を前に、途方に暮れている現場の声も聞こえてきます。そして、選抜である以上、最後は比較の問題にならざるをえません。資料が集まってみなければ、合否可能性は、だれにも分かりません。「総合的選考で重視する内容」の公開によっても、受験生の不安は、より増すことになっても、減ることにはなりませんでした。
 受験生の不安が、たんなる制度「改変」にともなう不安ではなく、このように「制度そのもの」に由来する不安であるならば、制度を変えないかぎり、不安が解消されることはあり得ないでしょう。

9.より明確になった「学校間格差」
 結局のところ、新聞等の報道を見ても、あるいは現場から聞こえてくる声を聞いても、あたらしい入選制度は、様々な問題をほとんど解決していないどころか、より深刻にしただけという結論しか見えてきません。たとえば、神奈川の公立高校がかかえる最大の問題として、これまでも繰り返し指摘されてきた「学校間格差」も、縮小されるどころか、第一希望校と第二希望校の組み合わせとして、より明らかになっただけでした。事実、現場から寄せられた情報も、「学校間格差」の明確化を伝えるものばかりでした。これも「複数志願制」導入の当初から、十分に予想されていたことです。「複数志願制」が、今後も続き、活用されていくならば、合否可能性を考えた第一、第二希望校の組み合わせが鎖のようにつながることになるでしょう。当然、第一希望校と第二希望校の「格差」は、明確になります。この新制度のもとで、「学校間格差」は、いままで以上に深刻に、いままで以上に明確になっていくことでしょう。

10.最後に
 これまで上げた、新入試制度にともなう問題点は、すべて当初から予想され、指摘されてきたものばかりです。こんな入試制度は、原点に立ちもどって改めていくしかありません。しかし、それは時間のかかる中。長期的課題になるでしょう。しかし、受験生は待てません。だから、当面できることから、まず手をつけなければならないでしょう。だが、できることは限られています。それでも、受験生の不安を、多少でも取り除いていくために、改善できるところは、少しでも改善していかなければならないでしょう。また、入試制度をさらにいじくり回し、ますます複雑怪奇なものにしていこうとする動き、具体的には推薦制度の拡大や学区の拡大へと向かおうとする動きにも、注意深く目を光らせていくことも、忘れてはならないでしょう。