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神高教職場討議用資料 92-19

1992.9.19

学校5日制と部活動のあリ方についてPart2

学習会「部活動顧問を考える」(1992.6.3於本部)報告

神奈川県高等学校教職員組合
高校教育問題総合検討委員会
教育課程グループ

 学校5日制の本格実施が展望されるようになった今、部活動のあり方が大きな問題として浮かび上がろうとしています。しかし、部活動については、教育課程上および法的な位置付けの曖昧さなどから、私たち教職員の間ではなかなか議論になりにくい(活動や指導のあり方について互いに口を出しにくい)のが現状ではないでしょうか。
 そこで私たちは、ふだんから行なっている部活動の業務とは一体何なのか、とりわけその法的な位置付けはどうなっているのか、そしていかなる改革の展望を持でばよいのか、等々について議論を深めるため、標記の学習会を開催しました。そして、弁護士の尾山宏氏(教育法を専門とされ、これらの問題にも長年深く関わってこられた。日教組顧問弁護士・教科書裁判弁護団の一員でもある)をお招きし、「部活動における教職員の責任とその限界」と題する講演をいただきました。
 ここではこの講演の要旨を報告し、各分会での討議に資したいと思います。

<部活動の実状>

 種々の調査によれば、教職員の時間外労働・休日労働の最大の要因として部活動を挙げている人が最も多い。特に男子教員・運動部の正顧問はその傾向が顕著である。活動状況も、早朝練習、放課後の終了時間が遅い、日曜・祝日もつぶれる、夏休みのほとんどが部活につぶされる。後述するが、こうした部活動の過熱化の弊害は当然生徒にち生ずる。
 こうした問題状況に対する取り組みがある程度成果を上げているところも多い。早朝。土曜・休日の活動制限、活動終了時間の設定、回復措置その他の勤務軽減措置、そしてこれらを組合や分会の活動方針にしたり校長との交渉課題にする等々。しかし、全国の統計で見れば、こうしたとリくみが圧倒的に立ち遅れているのが高校である。分会で話し合ったこともないというところが大多数である。
 「組合が部活をやめろ、制限しろというのなら私は組合をやめる」という人がよくいる。これも調査の結果だが、部活動に教育的意義を認めない教職員は皆無に等しい。だが逆に、部活動が過熱化した場合の弊害をも大多数の人が認めている。
 最近の資料によれば、部活動によるスポーツ障害、中でも「疲労骨折」「腰椎分離症」等の「使い過ぎ症候群」(発達途上にある小中高生の骨や関節は外力に対する抵抗力がきわめて弱く、同じスポーツ動作を繰り返し行なっていると、その動作で使われる骨や関節に痛みや変形を生じてしまう)が激増している。(ここで提供された資料は、本討議用資料の最後に参考文献として載せた『スポーツ「部活」』の中の武藤芳照氏の論文による。武藤氏は日本水泳連盟の科学技術委員であり、バルセロナオリンピックでもトレーナーとして日本水泳チームに同行した――記録者注)その結果、20歳代なのに骨の質は70歳代に近い程もろくなっている、そういうケースも珍しくない。
 日本のトレーニング方法には、時間をかければかけるだけ、鍛えれば鍛えるだけ強くなる、という誤った認識がある。そこから生じる非合理的精神主義、根性主義が、精神的な歪みをも生んでしまう。これが身体的障害以上に大きな問題であるが、これについては結論で再び触れる。

<部活動の本来的領域は?学校教育か社会教育か>

 「我々は子供の学校教育だけでなく、充実した民主的な社会教育をも要求する権利があることを考えなければならない。現実にはこの社会教育がきわめて貧困かつ不十分な状態にあるため、社会教育として要求されるべき教育権が実際には学校教育に要求され、それが課外のクラブ活動等となって、教育労働者の過重な負担を生み出す原因となっているとみることができよう。そのことが充実した学校教育自体を困難にしている。学校教育を歪める要素となっている」  「就学青少年の教育を受ける権利は、学校教育のみならず社会教育の分野でも保証実現されるべきである。権利としての社会教育という発想が、就学青少年の場合、より自覚的に提起される必要がある。『教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない』(教育基本法第2条)のである。すなわち学校に持ち込まれている就学青少年の社会教育は、学校教育を妨げるないしは教員の労働負担になるといった理由から、単にこれを忌避するのではなく、積極的に社会教育の分野での教育を受ける権利の実現と、そのための条件整備や運動を、教育労働者の時短運動と統一的に発展させながら、社会教育の分野に移行させることが必要である」  これは、1971年の日教組佐賀大会における活動方針文である。前年には子どもの学習権を明快に述べた教科書裁判杉本判決があり、その延長上にあると考えることができる。基本的には、今日でもまったく私たちが基礎に踏まえるべき考え方だと思う。

<部活動は教職員の職務か?>

 結論からいうと「ゆくゆくは社会教育に移行するにしても、現行実定法の下では教職員の職務だと理解される。しかしそれには重大な制限があって、職務命令で一方的に命じ得るものではない」ということになる。ここで言う実定法(善し悪しは別にして現実に制定されている法)とは、第一に、人事院規則9-30(特殊勤務手当)の24条の2(教員特殊業務手当)において、手当が支払われる対象として5つの項目が定められており、その中の第4号に、「学校の管理下において行なわれる部活動(正規の教育課程としてのクラブ活動に準ずる活動をいう)」という形で部活動が含まれている。文部省サイドからは法的には一言も触れられていない事がらを人事院が云々すること自体がおかしいのだが、ともかくもこれを根拠に手当が支給されている。第二には、日本体育学校健康センター法の災害共済給付の対象に部活動が含まれている。以上の2点である。ただし、文部省訓令(組合との確認事項)にいう「限定5項目」(職務命令を伴う時間外勤務、国立学校以外は4項目)に部活動は含まれておらず、拒否は自由であるということを確認しておく必要がある。
 しかし、実定法上、そしてそれに基づいて実際に部活動業務が行なわれており、そのことで生徒が利益を受けているという現実をいきなりゼロにすることは難しい。

<当面の手立て−代休・回復措置、そして時間給相当額の支払い要求を!>

 基本的には、給特法(時間外の割増賃金支給を認めず、それと引き替えに本俸に4%上乗せをしている)を廃し、労働基準法の原則(36条;超過勤務には協定が必要、37条;超過勤務には割増賃金を支払う)へ戻すことを目指すべきだ。しかしそれはやはり遠い目標だろう。
 そこで当面の取り組みとして、次のような事項を交渉して当局に確認させることを提案したい。これなら、討議さえきちんとやれば、明日からでもすぐに取り組める。
(1) 給特法の下では本来時間外部活は許されず、したがって早期解消を目指すことを基本的に確認させ、その目標を具体的に定めること。
(2) 職務命令として押し付けないことを確認させること。
(3) 特勤とは別に、代休をとること、与えさせること、それが不可能な場合には、時間給相当額を支払うことを認めさせること。
※時間給相等額の支払い要求について  時間外労働が恒常化している現状では給特法のプラス4%の意味や効力は失われており、給与負担者は時間給相等額(現に給特法が存在する以上、割増賃金の支払いは無理なので)を支払わなければならない、という判決が、88年1月29日に名古屋地裁で下されている。恐らくまだ上級審で争われているのだろうが、私たちの要求の根拠としては充分な内容だと思う。この要求は、時短の精神には反する(金をとるのが目的ではない)かもしれないが、超過勤務の現状を何も認めていない、そして何も報われない、という現状はもっと悪い。

<再び「社会教育への移行」をめぐって>

 この考え方は日教組の内部だけにとどまらず、かなり多方面に広がってきている。
 例えば自民党「学校五日制に関する小委員会」はその提言の中で「家庭や地域社会の教育力が低下するとともに学校教育に過度に依存し、学校、家庭および地域社会の教育力のバランスが崩れた」「地域社会では、各種公共施設の整備充実を図り、地域活動諸団体の育成・振興を図り、これら諸団体が相互に協力して子どもの活動を促進する必要がある」というようなことを言っている(金子征史「学校五日制と教師の週休二日制」『季刊教育法』86号)。
 また、中央青少年団体連絡協議会(子ども会、青年団、ポーイスカウト、ガールスカウト、YMCA、YWCA等22の中央団体が加盟)の特別研究委員会は、2年前に「学校週五日制時代に向けて豊かな人間交流を−時間・空間・仲間を生かす青少年団体活動−」と題する提言をまとめている。これについて提言の起草委員長は「地域子育てネットワーク作りによって、学校週五日制は、大人自身の生き方や社会教育のあり方を問い直すきっかけになるだろう」「子どもと大人が共に育つ柔らかい組織運営と柔らかいプログラムを提案している」と述べている(西村美東士「社会教育の新しい展開からみた学校週五日制」『季刊教育法』86号)。
 こうした議論をみれば、部活動は本来社会教育で受け持つという考え方が、遠い先のこと、夢のような話では決してない、という状況が日本でも成熟してきている。

<教職員、父母、そして労働者の意識改革を!>

 調査によれば、欧米の年間総労働時間が1500〜1800時間であるのに対し、日本では2000時間をはるかに超え、残業や「サービス残業」を加えれば、業種によっては2500時間を軽く突破している。賃金の時間単価や購買力を計算に入れれば、「日本の賃金は世界一」という財界の宣伝はまったくのでたらめであることがよくわかる。また、労働省や自民党が言っている2000時間前後という数値もあきらかにうそである。日本経済の「強さ」というのは、経営者の手腕のためなどでは決してなく、第一に、長時間労働・残業が生み出したものである。
 こうした状況の下で、週休二日になって土曜に会社にいることができなくなったサラリーマンの中には、自分たちで金を出し合って会社の近くにマンションを借りてそこで仕事をしている人もいる。平日も会社で遅くまでは残業しにくいからそこへ行って仕事をしている。そこまでしなければ、同僚との競争に、他社との競争に、そして最近では外国企業との競争に敗れてしまう……。
 こうした社会全体に学校がすっぼり包み込まれ、学校教育全体が歪められている。しかし果たしてそれだけだろうか。
 学校の中で受験競争をする。小学校低学年から塾通いをする、日曜も正月もなしに。そして学校がまた偏差値だ何だかんだと競争に拍車をかける。そうしたなかで部活もまた競争でしょう。正ポジションを得るための仲間同志の競争、学校同志の競争、県同志の競争、全国一を目指しての競争……。
 ここでつくられる意識構造・精神的風土が上述の社会状況を生み出している。そうすると、学校五日制や教師の週休二日制問題、そしてその最大の障害になっている部活の問題は、今後の学校教育のあり方をめぐる最大の鍵となると思う。先に述べたような競争に勝つだけが価値じゃない、余暇を楽しむ多元的な価値を、人生に多様な価値を見出せるような、根本的な意識改革を、教職員、父母、そしてすべての労働者自体が行っていかない限り、時短も学校五日制も絵に描いた餅に終わってしまう、と私は思う。

<参考文献>

 尾山宏「特別教育活動における教員の責任とその限界」(『季刊教育法』4号 エイデル研究所 1972年)
 今橋盛勝・武藤芳照他編『スポーツ「部活」』(草土文化1987年)
 『季刊教育法』86号――特集 学校五日制のすすめ方(エイデル研究所 1991年)



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