神高教討議用資料

1991.2.2

ああせい こーすせいは 大きなお世話 (No.2)

−教育課程の自主編成を追求しよう−

神奈川県高等学校教職員組合
高校教育問題総合検討委員会(高総検)
教育課程グループ

.前回の討議用資料を読み,「コース制」「専門コース」といわれるものの歴史的・政治的な背景はわかりましたが,現実を見ると生徒は多様化しているわけで,多様化した生徒に対して個性を伸ばすための教育を施すことは,むしろ歓迎すべきことのように思えますが,いかがでしょう。
.前回,紹介した教育長の諮問機関である神奈川県後期中等教育検討協議会(後中検)の『第1次報告』においても,質問者の方と同様の趣旨から「(1)類型等の設置による特色ある高校づくり,(2)専門コースの設置による特色ある高校づくり」を提唱しています。しかし,ここで気をつけなければならないことは,「コース制」や「専門コース」の設置が,生徒の個性を本当に伸ぱすことになるのかどうかを,慎重に見ていかなけれぼなりません。
 まず第一に,「コース制」の最大の問題点は,「生徒の様々な学習ニーズや社会の変化に,より一層対応した教育」という言葉とはうらはらに,特定の専門科目によって構成されるコースに生徒を囲い込むという矛盾をもっています。こうした特定の枠にあてはめることで,生徒の様々な学習二一ズや社会の変化に対応できるとは,とても思えません。かえって,生徒を袋小路に追い込むことになってしまいます。むしろ,高総検などが以前から主張している「共通課程+自由選択制」の方が,より柔軟な対応ができるのではないでしょうか。それにもかかわらず,県当局はなぜ「共通課程+自由選択制」がだめで,あえて「専門コースでなければならないのかということを,明らかにしていません。
 次の例は,高校三原則(男女共学・小学区制・総合制)が守られていた京都府の府立S高校(普通科・商業科の総合制高校)における3年普通科の就職希望とみられる生徒の選択例です。
 なお,1966年度の実態ということで,はなはだ古い例で恐縮ですが,自由選択制による柔軟な対応の一端がわかるのではないでしょうか。

 教科選択の状況(S高校普通科3年生の一部)
1簿記・(物理Bまたは英語)・数II
2 簿記・日本史・古典A・芸術
3 簿記・日本史・芸術2科目)
4 簿記・(生物または地学)・芸術2科目
5 簿記・(生物または地学)・古典A・芸術
 なお,この高校では,教員定教の関係から選択履修のわくを設定しなければならなかったものの,それでも24通りの型があり,進学(文系・理系)・就職という固定コースに比べて,はるかに豊かな学習内容を生徒に提供していました。(『全書・国民教育・10・民主的高校教育の創造』国民教育研究所編明治図書)  以上のような,「共通課程+自由選択制」を実施してすべての生徒の要望に応えるとなると,現行の教職員定数・学校規模では,教職員にかなりの負担がかかることも事実です。だから,「専門コース」しかないというのは早計です。「専門コース」を導入する前に,自由選択制が可能な定数・施設の拡充についての要求を出すことこそ,まずなされなけれぼなりません。今後,急減期を迎え,教育の量から質への転換が,広く求められています。生徒の多様なニーズに本当の意味で応えるために,選択科目の充実とそれに対応できる教職員の確保は,まさに急務と言えましょう。また,急減期こそ,教育条件整備の最大のチャンスという認識からスタートしなけれぱなりません。
 もう一つの問題点は,「専門コース」が安上がりの「専門教育」の場になっていることです。「専門学科に近い専門科目の単位を設置」しながら,法制上は普通科に所属させておけば,(「専門コース」に特別な予算を多少付けたとしても)専門学科に義務づけられた人的・物的諸条件よりも安上がりに,「専門学科に近い教育内容」をほどこすことが可能になります。こうした,行政当局にとっての“利点”は,裏返せぱ,生徒・教職員にとっては,教育条件の相対的貧困化というマイナスの要素となることも,見落すわけにはいきません。

.私の学校では,管理職が中心になって「専門コース」の導入をすすめています。「専門コース」が導入されれば,金や人がつくという言葉に,分会内部も動揺しています。前回の資料で「コース制」の理念的な問題点はわかりましたが,導入された学校では,どのような問題点があるのでしょうか。
.前に述べたように,「専門コース」が設置されると,学区がはずされます。このことによって,現在よりも「優秀」な生徒が集まるかもしれないという可能性は,日々生活指導に追われている学校の教職員にとっては,魅力的であることは否定できません。しかし,実際には,学区がはずされたことによって,新たな問題点も出て来ているのです。
 例えぱ,県内のある学校では,学区外からの定員を埋めるために,教員が県内の中学校を訪問し,受験者の発掘に苦労しているという事実もあります。後中検報告にある「さまざまな生徒の学習ニーズ」という言葉とは裏腹に,無理に充足をはかっているような感じもします。受験者が多すぎても,中学校側に迷惑がかるし,かといって定員割れという事態は避けなければならないという状況の中で,教員の負担はかなりのものになっています。遠距離通学をしている生徒の健康上の問題や,交通費など保護者の負担も忘れてはなりません。
 また,もう一つの問題点は,コースの生徒と一般の生徒との問に差別意識が生ずる恐れがあることです。同じ学校の中で,優越感を持つ者と劣等感を持つ者がお互い反目しあうという雰囲気が形成されれば,学習活動だけでなく学校運営.全体にも支障をきたすことになります。
 例えば,京都府の例をみてみましょう。京都府では,高校三原則の崩壌後,1985年度より「全ての普通高校に府下共通の類型をおく」という,全国的にも例のない攻撃を受けました。この新制度の施行により,普通高校に次のような類型がおかれました。
 I類・・・標準コース(2年時に文・理・一般系に分化)
 II類・・・学力伸長コース(理数系・人文系・30%学区枠はずす)
 III類・・・個性伸長コース(体育系・芸術系、各通学区に1校)
 これは,一つの学校の中に格差を持ち込む以外の何物でもありません。ちなみに,高校入試成績の5教科合計得点の平均は,I類58.5点,II類78.8点,III類41.3点(1987年)となっており,コース間で20点近い格差が出ています。このような極端な序列化のため,I類の生徒は人学の時点からあきらめや挫折感を抱いて入学して来ると言われますし,III類にいたっては生徒指導上の矛盾が一気に噴き出し,「教育困難クラス」となっているようです。また,類ごとの中途退学者は,1類258名(2.08%),II類5名(0.13%),III類26名(6.77%)というように,I類III類に矛盾が集中しています。(1985年)  以上の例でもわかるように。同一の学校内に格差が生ずると,生徒問の関係はぎくしゃくしたものとなります。一般の生徒が劣等感を抱いたり,あきらめの感情を抱いたりする恐れもなきにしもあらずです。「専門コース」を導入することで,新たな矛盾が生まれないことを祈るぱかりです。

.私の学校は,世間でいうところの「教育困難校」です。授業はまったく成立しませんし,生徒を注意しようものなら胸ぐらをつかまれたり,すごまれたり苦労しています。こういう状況の職場に,「専門コース」が導入され,予算面だけでなく,現在よりもおとなしい生徒が入学してくるかもしれないと思うと,飛び付きたくなるのは人情ではないでしょうか。本部や高総検の方々が,「専門コース」批判をするのは勝手ですが,「教育困難校」で日々苦労しているわれわれにとって,「専門コース」は渡りに舟です。また,現在の高校は,画一的・硬直的な傾向があるという批判もよく聞きます。「専門コース」は,高校教育の画一的・硬直的傾向を打破するための有効な手段のように思えますが,いかがでしょうか。
.私たちは,「専門コース」導入については,終始一貫して反対の姿勢をとってきましたし,今後においてもその方向に変更はありません。しかし,ここで確認しておきたいことがあります。それは,もし仮にどこかの学校で「専門コース」の導入をしたからといって,その学校を非難したりするつもりは毛頭ありません。現在のような,極端な高校間格差が存在する以上,「専門コース」に飛び付く学校が出てきても何ら不思議もありません。むしろ,高校問格差を放置し,自分達の目的遂行のために,予算と学区はずしをエサにして,窮状にある人々に“抜け駆けのススメ”を吹き込んでいる,県教委の姿勢こそ糾弾されなければなりません。
 今,県教委がやらなければならないことは,「特色ある学校づくり」などではなくて,@学区の縮小・高校間格差の解消・入試全廃を展望した総合選抜制の採用による排他的競争の廃棄と学習意欲・生活意欲の回復,A教育課程編成と教育実践における各教師集団の白由と主体性の確保および条件整備予算の裏付け等を通じた教育・学習の自立性・自主性の確立,B管理主義の撤廃と生徒の人権の擁護などではないでしょうか。
 次に,高校教育の画一的・硬直的傾向について,私たちの考えを述べておきましょう。『後中検報告』でも,「高校教育の画一的・硬直的傾向」を批判しています。しかし,「画一的・硬直的傾向」を生んだ要因については,何の分析もおこなっていません。もし仮に,高校教育に画一的・硬直的傾向があるとするならば,それに対して最大の責任を負わなければならないのは,戦後一貫して民主的教育制度を形骸化し変質させながら,学習指導要領や教科書検定等を通じて教育内容の統制と,中央集権的・非民主的教職員管理をおこなってきた政府・文部省,およびそれに追随してきた県教育行政であると言えましょう。『後中検報告』のように・高校教育の画一的・硬直的傾向の責任を現場になすりつけ「専門コース」導入の口実にするなどは,見当ちがいもはなはだしいと言わざるをえません。また,現行のような高校間格差が存在する中で,「専門コース」が導入されても,学校問の順位の変動はあっても高校問格差そのものの解消にはつながらず,まして画一的・硬直的傾向が解消されるとはとうてい思えません。事実,県教委は大学区制のもとでの高校間格差の維持,入試選抜の継続,「ナンバースクール」の温存にあくまでも固執しているのです。むしろ上記に掲げた,教育委員会としての責務を忠実に果たすことによって,教育界をおおっている画一的・硬直的傾向は一掃されるのではないでしょうか。そうした要求をつきつけていくことが大事なのではないでしょうか。
 さて,「コース制」「専門コース」の問題点についておわかりいただけたでしょうか。高総検・教育課程グループでは,より詳細な内容の討議用の冊子『コース制を考える』を各分会にお配りしています。これらの資料を活用して,各分会レベルで活発な討論がなされることを期待しています。
 その際,おさえておいていただきたいことは,「専門コース」の導入が一つの学校レベルの問題にとどまらず,学区はずしなどにより入試選抜制度にまで問題が及ぶということです。確かに,教育課程の編成権は学校にあります。しかし,「専門コース」の導入によって入試選抜制度に与える影響を考えると,その導入にあたってはより慎重な検討が必要に思われます。生徒の多様な個性に対応するためには,本当に「専門コース」でなければならないのでしょうか。そのことをもう一度,問い直してみる必要があると思います。現在の貧弱な教育条件の中でも,できるかぎり多様な選択科目をおいて生徒の要求に対応しようという試みが,県内でもなされています。(高総検・新教育課程プロジェクトチーム編『改訂学習指導要領を批判し,神奈川における教育課程改革を展望しよう』所収の県立川崎高校のカリキュラムなどが参考になろう。)  こうした,実践例を参考にしながら,本当の意味で生徒の要求に応えられるカリキュラムづくりが求められているのではないでしょうか。