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高校神奈川 No.535

2006年11月24日

「進学」が教育目標 !? 私たちは許さない !

安部晋三首相は.教育基本法政府法案の成立を.第165臨時国会の最重要課題としました。私たち神高教はこの間、日教組に結集して全国的なとりくみを行なうとともに、県内では「教育基本法改悪ストップ!神奈川実行委員会」に結集し、新聞意見広告や、横浜関内の大通公園での集会にとりくみ、県民世論に広く訴えてきました。しかし、与党は.4野党欠席のまま、教育基本法政府法案を特別委員会で強行採決(11/15)、翌日本会議で可決、現在は参議院での議論に付されています。今後も、日教組に結集しての積極的なとりくみが求められています。

戦前に戻るつもりですか
 11月3日付の朝日新聞は、朝刊38面に「安倍世代」憲法をこう見ると題する記事を掲載しました。その中で、団塊の世代の後を歩んできた、安倍首相と同い年の俳優、石田純一さんは「安倍さんは僕らの世代の代弁者とは思えない。過激な軍備増強・改憲論は、同世代にはかなり奇異に聞こえるはずです。『現政権には戦前に戻るつもりですか」と問いかけたい」と、安倍首相の考え方に警鐘を鳴らしています。

負け組がいたっていいじゃないか
 阿部首相は、政策構想パンフ「美しい国日本」で、「過度の公的援助依存体質からの脱却」を目標に掲げています。日本の社会保障制度のどこが「過度の公的援助」なのでしょうか、経済格差が広がり生活保護世帯が急増する中で社会保障御を切り捨てる、その制度を受けることが「過度の依存」といって切り捨てる、この国の首相としての見識を疑います。<BR>
 続いて彼はこういいます。「再チャレンジできる社会、勝ち組・負け組が固定化しない社会を実現する」と。裏を返せば、この社会は競争社会だから負け組外手も仕方ないというものです。新自由主義とはこのようなものだと明確に理解できる政策です。私たちが望む社会は、全ての人が、他人の個性を認め合い自分の個性を理解し、そのことを社会に生かしていく機会を与えられる、そのような社会なのです。

とめよう「戦争のできる国づくり」
 安倍内閣は5年後の憲法改正を標榜しつつ、集団的自衛権についても、これまでの政府方針に反して、現行憲法の枠内でも行使できると発言しています。周辺事態法などの有事法制整備と同様、「戦争のできる国」づくりにむけた発言です。<BR>
 前任の小泉首相は、靖国神社への参拝にこだわり続けました。A級戦犯合祀が問題とされています。しかし、私たちが問題とすべきは、戦争でなくなった軍人を英霊として祀る靖国神社のあり方とその戦争遂行に関わる機能です。戦争で死んでいくことを、「誉れ」として、家族に涙させない状況をつくり、国の英霊とすることで戦争遂行の環境づくりをおこなうこと。靖国の課題は「戦争をする国」に欠かせない機能として重要なのです。

この国の教育はどこへ向かうのか
 格差社会の進展と戦争のできる国づくりの中にあって、安倍首相は、教育改革を最重要課題として、教育基本法の改悪を強行しようと、衆議院特別委員会で強行採決を行い、現在参議院で議論されています。「憲法理念の実現は教育の力にまつべき」とする現行の教育基本法は、平和主義・平等主義・人権尊重の憲法理念の実現に向けた人材の育成を期すもので、憲法に基づいて制定されています。憲法の示す理念が実現しているとは考えられない中で、教育基本法を変える理由は見あたりません。「新しい時代にふさわしい」と言う言葉だけがいくつも聞こえてきますが、理解できるものではありません。改悪の方向は、競争社会での格差拡大を是認し、「愛国心」をその条文に位置づけ、国家への奉仕を義務づけていくものとなっています。教育基本法改悪と対になって行われている「教育再生会議」は、教員免許の更新制、学校評価制度、教育バウチャー制の導入など、全てが競争を基本としています。子どもたちには、全国学力調査が待っています。東京足立区では、学力テストで査定し予算措置をランク付けすると発表しました。方針は撤回されましたが、そのような考え方が現出味を帯びてきています。ランク付けによる予算措置は学校格差を更に拡大するでしょう。競争社会に悲鳴を上げている子どもたちに向き合った教育改革とはなっていません。

求められるのは教育条件整備
 OECDの06年の教育に関する調査では、教育支出のGDP比率、教育費の私費負担率、学級規模、どれをとってもOECDの平均水準に達していません。今、国に求められているのは、各学校の教育へのとりくみを支える教育条件整備であると言えます。

「愛国心」は強制できない
 東京都における「国歌斉唱義務の不存在確認等請求事件」の東京地裁判決は、君が代斉唱時に不起立であったことなどを理由にした東京都教委の処分について、教育基本法第10条に違反する不当な介入であるとしています。さらに判決は、憲法の規定する思想・信条の自由は、他の人権を侵害するものでなければ最大限保障されるとしています。今、教育基本法に規定されようとしている「愛国心」は、思想・信条の自由に該当するものではないでしょうか。戦前において「奉仕」の究極の姿は徴兵であり、「愛国」の究極の姿が「靖国の英霊」であったのです。そのこと一つで、教育基本法改悪は、先の戦争の反省から成立した日本国憲法に違反するのです。
 冒頭に紹介した、石田純一さんは、最後にこう結んでいます。「世界で紛争の火種が絶えない今こそ、日本は武力放棄をうたった崇高な平和憲法の理解を、世界に伝えていくべき大切な時代にある。」
(藤本泰成)


相模補給廠11.12人間の鎖

基地の下で70年
「神余川平和運動センター」「基地撤去をめざす県央共闘」「第1軍団の移駐を歓を歓迎しない会」「相模補給廠の返還を求める市民の会」の四団体で構成する実行委員会が計画したこの人間の鎖行動の当日は、木枯らし一号が吹く寒い日だった。JR相模原駅の南口は、他の駅前と同様の繁華街であったのに、会場へと向かう北口は、目の前に基地があり、駅前にはロータリーだけで、商業施設などは何もない。基地の存在が地域の活性化にとって大きな損失となっていることがはっきりとわかる。駅のそばの陸橋には「基地の下で70年、もう我慢の限界」という常設の横段幕もかかっている。
 集会では主催者や政党などからの挨拶のほかに市長からのメッセージも読まれ、市民ぐるみの姿勢もうかがうことができた。その後、デモをしながら、人間の鎖行動の配置についた.花火を合図に、3回にわたって、みんなで手をつなぎシュプレッヒコールで基地の撤去を求めた。
 理解のために、現場には一度は行ってみるものだ、ということを改めて実感した。
(飯川 賢)


日の丸君が代学習会
〜東京の予防訴訟をめぐって〜

 10月16日、県民サポートセンターで25人が参加する中、「日の丸君が代学習会」が開催されました。東京の予防訴訟の原告となっている都立高校の教員から、現在の都立学校における学校教育への管理統制の状況報告があり、その後に今回の予防訴訟の弁護団の金弁護士による今回の判決の解説とその意義・意味・評価すべき点についてお話がありました。

都教委の教育の管理統制
 都教委による学校への管理統制は98年ごろから始まり、まず職員会議規定の変更や週一回の研修日の剥奪など教員の勤務のあり方への管理統制が行なわれた。そして03年ごろからは教育内容への管理統制を強めてきている。最初が七生養護学校での性教育批判であり、その後の卒業式・入学式での日の丸・君が代強制につながってきている。

東京の予防訴訟判決の意味と評価すべき点

  1. 予防訴訟という訴訟形態が具体的に認められたこと
    予防訴訟という訴訟形態は、最高裁の判例('72年11月30日「長野勤務評定義務不存在確認請求」)の中でそういう訴訟形態が可能であることは示唆されてはいたものの、具体的に訴訟という形になって現れたのは今回がはじめてである。
    従来の裁判にならえば、起立せずに処分を受けた者は裁判の原告になれるが起立したものは原告にはなれない。今回の予防訴訟であれば起立したかどうかを問わずに原告になることが可能となった。
  2. 人の外形的行為に対しても思想良心の自由による保護が認められたこと
    ピアノを伴奏する、起立して歌うという行為は思想良心の表れであって、その行為をするかどうかということまで思想良心の自由という概念で保護されると言う判断がでたことは新しい。
  3. 思想良心の自由に対する制限を厳格に判断したこと
    「思想良心の自由といえども他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反する場合は必要かつ最小限度の制約に服する」とした。この思想良心の自由に対する制限を厳格に解釈しているため、例えばピアノ伴奏についてはほかの方法等代替が可能であれば本人にピアノ伴奏の義務は生じないと判断されたのである。
  4. 不当な支配の存在意義
    都教委は各校長に君が代斉唱の実施方法、職務命令の発令方法、不起立の現認方法等詳細な指示を行っている。また各校長はそれに基づいて君が代を斉唱し、ピアノを伴奏するよう職務命令を発している。このような都教委の10.23通達などの一連の強圧的指導は教育基本法10条に反しているという判断がおこなわれた。

 −高校生平和大使報告(その2)−
アンネと会った、アンネに誓った

 私は不安や悩みがあるとそれを全て正直に日記の中に書きます。アンネ・フランクがキティと名付けた親友にあててしたのと同じように。私も自分の日記帳にはキティと名前をつけてきました。そしてついに、アンネに会うことができました。

 私は、辛い生活の中でも笑顔と希望を失わないアンネのことが好きでした。そのアンネが15歳という若さで亡くなってしまった背景は何なのか。戦争の犯す過ちとは、幸せな生活を営んでいた人々の尊い命をむやみに奪ってしまうことだと思います。これから先も続くはずであった命が突然途絶えてしまうのです。

 アンネに手紙を書きました。おそらくアンネの家に保存してもらえます。私は世界中が笑顔の花でいっぱいになるように活動していくからね!と誓いました。
高校生のこの年に、尊敬するアンネ・フランクに会うことができ、本当に嬉しく思いました。

 長い歴史の中でたくさんの思想が生まれ、民族が生まれ、宗教の違いによる争いが繰り返されるのは悲しいことです。ナチスから迫害を受けた人々も、例えばユダヤ人の血が一滴でも混ざっていればその対象になりました。中谷さんのガイドにあったように、イメージや偏見から争いが始まってしまうことは不思議にも思われます。歴史と宗教をからめて勉強をし、これから生涯をかけて追求していきたいと思います。

 この旅から帰って、やりたいこと、やるべきことを再確認することができました。また、未来への決意も生まれました。平和についての話をすれば、賛同してくださる人はきっとたくさんいると思います。その信念を強く持って、世界中が笑顔でいっぱいになるようにと望みながら、平和に向かって進み続け、そして一生懸命生きていこうと思います。
(江南高校 池田早華子)


シリーズ共生への道
ある中国帰国青年の話

 今回は、中国出身のある青年の話です。Aさんは、中国との国交が正常化し、永住帰国が本格化した1986年に吉林省長春から来日しました。来ることになったのは、Aさんのお母様が「残留孤児」で、ご両親が元気なうちに中国に残したわが子と家族を呼び寄せたからです。家族会議をして決定したそうです。ご両親は、言葉や風俗習慣の違いから、日本での暮しは大変だったようです。Aさんは、永住するので学校や友達等、中国での全てを諦める決心をしました。観光は楽しいけれども、住むのとは大違いだと。入国後一番大変だったのは、「先進国」日本に対するカルチャーショックでした。食べ物も異なり、中国の東北部は味も濃く、祖父母の家庭の味に馴染みませんでした。

 Aさんは、学年を2年落として川崎市内の中学2年に編入しました(川崎市では、高校受験や日本語能力など、子どもの置かれている様々な状況から判断して学年を下げる対応をしています)。中学の生活は、高校受験も控えてもいるし、年の差、言葉の違い、考え方の違い等大変でした。中学時代には、ほとんど友達は作れなかったそうです。誤解からでしょうが、変な人に見られ、何度もなじられていたそうです。言われている言葉は分からないけれども、顔の表情や言葉の調子などから、いじめられていたのだと分かったそうです。その時は、「悔しくて殴ってやりたかった」とも漏らしていました。穏やかで冷静な性格の持ち主であるAさんでも。中学では、日本語の日常会話や補習を受けることができ、学校の教員には良い印象を持っていました。中でも、週に2回程度放課後に派遣されて来た「日本語指導員」ーこの方も母親を日本人に持つ中国残留婦人ーとは、中国語で思いを語ることができ、心の平穏を保つことができたようです。カウンセラーとしての役割を果たしていられたのでしょう。

 高校に入学後も1年間は、大変な状況が続きました。それは、友達との接点が少なく、日本語習得が遅れたのも一つの原因です。日常会話が出来るようになるのに、2年近くかかったそうです。日常言語の習得と平行するように、友達も少しずつでき、高校生活も楽しくなっていきました。様々な経験を通して得られた自分への自信が、生活習慣の違いや「後進国」出身というコンプレックスを和らげていったようです。

 高校でも、2年3年生の時に放課後週に1度「国語」「保健」「数学」の補習を受けることができました。Aさんの在籍していた高校は障害を持った生徒、日本語を母語としない生徒など、サポートが必要な生徒が入学するとチームを組んで対応していたのです。この時は、専任の教員のチームと時間講師とで、放課後その生徒達の苦手な科目の補習を行っていました。時間講師の方は、中国出身で日本の理系国立大学に国費留学していた英語も解せる方で、かなりの科目を中国語でサポートしていただきましたし、なによりカウンセラーとしての役割が大きかったと思います。Aさんは、中国で中学までしっかり勉強してきた様子でしたから、「理科系」の科目や「世界史」「英語」は学んだことを基礎に、日本語の置き換えができ、楽しく勉強できたそうです。その中でも「世界史」は中国と日本との両方の視点から見ることが出来、興味深く学習したそうです。

 その後、Aさんは「帰国子女枠」を使って県内のある大学に進学し、製造貿易関係の会社で数年働き、オーストラリアに語学留学をしました。現在は貿易商社で営業の仕事をしています。中国語や英語を生かせているそうです。Aさんとは、彼が高校の時に教科担当としてお会いしました。今では、生徒の通訳や学校通知文の翻訳などを通して、私がお世話になっています。

 Aさんは、慣れない日本で着実に自分の居場所を作り、生活の基盤を築き上げました。それは、彼自身の弛まぬ努力によるところが大きいですが、要所での支援によるところも少なくないでしょう。Aさんは、学校や社会に望むこととして、次のように語っています。「学校通知文には翻訳が欲しかった。また、通訳が欲しかった。自分の文化を理解している人を通して、先生も生徒の気持ちを理解し、生徒も自分の本音を言うことができます。しかし、学校で出来ることは限られているので、自分の住んでいる地域で勉強を始めとしたサポートをしてもらえる場所が欲しかった。そうした場所があれば、同じ境遇の人々と情報交換や悩みを話せたと思います。あれから20年経ち、社会も外国人に対して随分変わってきたと思います。しかし、オーストラリアなどと比較すると、雇用や教育の分野で外国人が日本人と対等に扱われていないと思います。さらに、日本は男性中心社会で男女対等でないとも感じます。」

 最後に、若い人へのメッセージとして次のように語っています。「自分の考えている悩みを自分の中にしまわないで、誰かに話してもらいたい。コミュニケーションがないと、周囲もどうしていいかわからないし、小さな悩みもそのままにしておくと大きくなります。話すことによって癒されることもあります。自暴自棄にならずに、日本人外国人という枠に捕らわれないで、周囲の人や友達とつき合うことによって、信頼関係を結んでいって欲しいです。」
(鶴見総合)


 ある分会のとりくみ
11月から「毎週水曜日はノー残業デー!」

 新校完成への業務などで、総合産業高校も時間外勤務が常態化している学校の一つだと思います。定時制併設校であることから、11時まで学校に職員が残れるので、年度当初は単位制の時間割作成のため、連日夜10時、11時まで教職員が残って仕事をしていました。多くの教職員が「生徒のため」だけの合言葉のもと、気力だけを頼りに仕事をしていたように見えました。「このままでは誰か倒れる」。分会では常態化している時間外勤務の改善が第一の課題となっていました。

 管理職から衛生委員会の開催について打診がありました。多忙な職場において衛生委員会は邪魔者的な存在とされ、例年校医の講義を委員がただ聞くだけの形骸化した委員会でした。しかし、担当の管理職(事務長)に対して、衛生委員会を有意義な存在にするために事務局をつくり運営・活動を話し合うことを訴え、管理職も快くのってくれました。衛生委員会は労使が協力してつくるものであることを念頭に置きながら、委員の選任を分会推薦の委員とすることを明確化し、規定に沿った委員会構成としました。

 10月の分会総会で職場の状況について討議しました。現在蔓延している多忙感は、意味を見いだせない仕事が多く、生徒に多くの時間をかけられないことや、時間外勤務が常態化していることにあります。その解消のきっかけとして「ノー残業デー」の設定や長時間勤務実態調査が有効であるのではないか。分会総会は衛生委員会において「ノー残業デー」を設定することを提案することにしました。

 衛生委員会でも長時間勤務の課題が話し合われ、その解消策として毎週水曜日に「ノー残業デー」を設定することや長時間勤務の実態調査を行うことが認められ、当面11月から「ノー残業デー」を設定することとなりました。その後の職員会議において、校長から衛生委員会の報告として、「ノー残業デー」の設定について教職員に伝えられました。また、事務局で「毎週水曜日はノー残業デー」のポスターを作製し、各職員室(4つ職員室がある)に掲示しました。

 11月にはいり数回水曜日が回ってきました。校長から「ノー残業デー」の設定について話があったときには、「関係ない」、「校長は水曜日以外には時間外労働をしろと言っているのか」、「校長が仕事を減らせばいい」などという声もない訳ではありませんでした。しかし、長時間労働の問題が共通認識であり、分会総会や分会ニュースで討議したこともあり、今のところ「ノー残業デー」は概ね実施されています。

 「ここまですれば良い」と定まったものがない教職員の職務上の役割の中で、長時間勤務を減らすことはとても難しいことだと思います。「ノー残業デー」は長時間勤務の解消の特効薬ではなく、きっかけであり、「ノー残業デー」を目的ではなく、手段として、風化させることなく、大切にしながら意義を浸透させていきたいと思います。
(神奈川総合産業分会)


平塚支部レクリィエーション大会報告
シラスと秋刀魚に大満足

 午後から雨という天気予報にもかかわらず、8時頃からぽつぽつ雨が降り始めてしまった10月1日、予定どおり二宮海岸での地引網とバーベキューというプログラムで平塚支部のレクリィエーション大会を行いました。参加者は5家族20人とやや寂しかったものの、前の週に本部主催の茅ヶ崎での地引網大会が台風の影響で中止になってしまったとの情報もあり、強行実施する事にしました。二宮海岸は、頭上を西湘バイパスの橋脚が覆っていて、見た目はよくないものの、少々の雨なら影響はほとんどない所でした。当日は我々のほかに、どこかのボーイスカウトの団体も来ていて、万一私たちが人手不足になった場合は、ボーイスカウトの方々の手を借りるということで地引網を始めました。二網目に引いたボーイスカウトの人たちの網には、ほとんど獲物が入っていなかったらしいのですが、最初に引いたわれわれの網には大量のシラスが入っていました。ボーイスカウトの人たちに分けてあげてもまだ大量に余ったシラスは、半分は生で、半分はその場でゆでてもらって食べたり、お土産に持ち帰ったり・・・  バーベェキュウでは、用意した材料のほかに、網元から新鮮な秋刀魚をこれまた大量に差し入れして頂き、それを炭火で焼いたらこれが最高でした。とにかくみんな満足の半日でした。

 主催者として一番心配だったのは、行事を行う際掛けることになっていた保険を、掛け忘れてしまっていたことで、何事もなく終わってやれやれと言うところでした。
 それにしても、分会単位でもなかなかレクリエーションができなくなりつつある昨今、こういう機会を絶やしてしまってはいけないなと感じるとともに、忙しい中参加してくださったご家族に、感謝の思いでいっぱいです。
(二宮分会)


 小田原支部リクリエーション
紅葉のもとでのリフレッシュ

 今年度の小田原支部りくりは、昨年度と同じ、小田原市根府川にある「きのこ苑お山のたいしょう」で10月28日(土)に行いました。山はうっすら紅葉し秋晴れの気持ちのいい天気で、忙しくストレスの溜まることが多くなった職場をしばし忘れ、リフレッシュすることができました。参加者は4分会27人と少なかったけれど、こんにゃく作り、しいたけ狩り、バーベキューと楽しいひとときを過ごすことができたと思います。
(大井分会)