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高校神奈川 No.542

2007年05月12日

「『給特法か』『超過勤務手当て追求か』?
ワークライフバランス実現のために

 「骨太方針06」および「行革推進法」の中で示された教職員給与削減の方針に基づいて、文部科学省と財務省の間で、人材確保法によって措置された本給と義務教育等教員特別手当(計7.26%)について、07年度から11年度までの間に給与月額の2.76%が削減することが合意されています。こうした中、中教審に設置された「教職員給与のあり方に関するワーキンググループ」はその報告のなかで、教員が子どもに指導できる時間を確保すること、校務・学校事務・組織運営体制の見直し、時間外勤務の縮減を示すとともに、メリハリある教員給与の在り方を行うことを提案しています。人材確保法については優秀な人材確保の点で重要としてはいますが、教職調整額についての一律支給の見直しなどの方向性を示しています。また、一年をつうじた変形労働時間、評価の給与への反映等についても触れています。
 私たちが健康で働き続けるための法整備と、現行賃金水準の確保を求める上で、「給特法」について、考えてみましょう。

学校現場は大忙し
 何でこんなに忙しいんだろう。面談だ、立ち番だ、巡回だ、それでもそれはそれで仕方ない。本務かどうか分からないけど、とにかく生徒や保護者との付き合いだ。頭にくるのは、何だかわからないけど頭の上からバケツの底が抜けたように降り注いでくる仕事の数々。何のためなのか、誰のためなのか分からずに、ただただやらされている仕事の多さだ。とても学校教育の改善につながるとも思えない調査の数々。生徒の実態もふまえない新規事業。そのための会議。その上一つのミスも許さないゼロトレランス状態。膨大な点検作業が時間を奪っていく。そのために教材研究や生徒の相談の時間が失われ、挙げ句の果てに今日も機械警備が入る直前にあわてて学校をはなれる。それも仕事を抱えて・・・。

慢性的な超過勤務状態
 そんな実態が文部科学省が実施した勤務実態調査に現れてきている。06年7月から小中学校で、高校では10月から実施された調査では、1日あたりの残業時間は通常期で月により1時間53分から2時間08分、持ち帰り時間は24分から35分。これが平均なのだ。慢性的な超過勤務状態と言っていい。(高校については未発表)

超勤は「自発的に行っている」?
 さらに問題なのは超過勤務の内容だ。教員に適用されている「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」(給特法)によれば教員に超過勤務を命じることのできるのは「職員会議」「生徒の実習」「学校行事」「緊急事態」の4項目に限られている。ところが超過勤務の内容の大多数はこれには当てはまっていない。つまりは教員の自主的なな勤務。要するに「勝手にやっていること」という訳だ。さらにはその実態は給特法制定時と比べて10倍以上にふくれあがっている。つまりは給特法は機能不全に陥っているのだ。

教員の職務は時間管理に馴染まない
 給特法では「教員の職務および勤務の特殊性に鑑みて4%の教職調整額を支給する」ことが決められている。法の制定時には、その前提に「教員の勤務は時間管理に馴染まない」との考え方があった。しかし、このところの教員へのバッシングの中でいつの間にかこの前提もすっ飛んで、時間管理は強化、超過勤務はさせ放題、という状況が広がっていることも多忙化の背景だ。

ワーキンググルーブ「給特法見直し」を打ち出す
 さすがの文科省も、この状況に中教審「教職員の給与の在り方に関するワーキンググループ」の報告の中で、給特法の見直しを打ち出した。その内容は1)給特法は堅持する2)教職調整額4%を引き上げるが「手当化」する。(一時金、退職手当の基準額にしない)3)教職調整額の一律支給をやめメリハリをつけた支給とする。という内容。もっともこの報告にはクループ内でも異論があり給特法を廃止して教員の超過勤務にも労働基準法を適用し超過勤務手当を支払うべき、との考え方も併記された。

教職調整額大幅引上げは可能か?
 こんな状況を受けてにっきょそは今給特法見直しについてどういう姿勢をとるかの論議に入った。「現行給特法堅持、教職調整額一律大幅引き上げ」という主張は上記のワーキンググループの報告からみて実現性に乏しいだけでなく、現在の超勤実態を追認する可能性が強いし、ましてワーキンググルーブの報告通りでは「踏んだり蹴ったり」になりかねない。

「給特法廃止、労働基準法適用」にすると
 そこで急浮上したのが「給特法廃止、労働基準法適用」という方向。給特法制定のきっかけとなった日教組主導の超過勤務訴訟の中でも「黙視の超過勤務も超過勤務手当支給の対象」との裁判所判断があることから、いっそのこと労基法の適用にして、起過勤務について手当請求を追求しいこうとするものだ。それによって超過勤務そのものを制限させる効果をねらおうとするものだ。
 給特法体制化では、いくら超過勤務があっても有効な対抗手段をとることができなくなっているが、労基法体制下なら36協定の締結交渉から始まって、超過勤務手当未払い訴訟にいたるまで様々な対抗手段を使って、超過勤務の縮減が実現できる可能性があるというわけだ。

画の中の餅は食えないが
 もちろん懸念も多くある。その第一は実現の可能性。どんなにおいしそうな餅でも画のなかの餅では食べられない。現にすさまじい教員バッシングの中での方針転換だけに、財源問題も絡んで虻蜂とらずになりかねない。
 第二に職務勤務の態様の特殊性との関連」だ。労基法体制に入るということは教員の仕事は時間管理に馴染まない」という考えを名実ともに捨てることであり、今以上に時間管理が強まることも懸念される。
 第三は労働時間法制改悪の動きだ。年収が一定水準以上の労働者には超過勤務手当を支払わなくてよいとするホワイトカラーイクゼンブションがもし噂入されたら、丸損になる。
 まだまだ懸念はつきないが要はそれでも突き進むかどうかだ。まさに前門の虎後門の狼状態の中で日教組の真価が問われる局面だ。
(園部 守)

教職調整額・時間外勤務手当における退職までの所得比較シミュレート
  給与月額 一時金 退職金
教職調整額 跳ね返りあり(A) 159,453,216 59,130,568 25,677,725 244,261,508
跳ね返りなし(B) 159,453,216 56,856,315 24,690,120 240,999,651
超過勤務手当 7%支給(C) 164,052,828 56,856,315 24,690,120 245,599,263
支給なし(D) 153,320,400 56,856,315 24,690,120 234,866,835
※22歳採用・60歳退職として試算
※給与月額は、給料月額と教職調整額(超過勤務手当)のみで試算
※時間外勤務手当は7%支給と支給なしの場合で試算
※一時金支給月数は、4.45月で試算
※退職金の支給率は59.28で試算


日常の分会活動が基本です
楽しく、気軽に、無理をせず

ノー残業デー
 無意識の時間外勤務が常態化していました。18時以降でさえ、新たな仕事が生じてくることもありました。これに対し分会では、職場討議に時間外勤務問題をあげ、その解消の一つの方策として「ノー残業デー」の設定を提起しました。その結果、時間外勤務が解消したかと言えば、そうとは言えません。しかし、冗談口かも知れませんが、「今日はノー残業デーだよ」との声が職員室で聞こえるようになりました。

分会ニュースで問題を共有
 総合産業高校は科目選択の単位制高校ですが、生徒の希望の偏りや、教室・教師数などの物理的な条件もあり、とりわけ低学年の生徒の科目選択の希望に添えない状況がありました。しかし多忙化した職場で、この状況をアピールすることができず、個々での話題域を越えることはできませんでした。それに対し分会では、分会ニュースにこの声を複数とりあげ問題の共有化に努めるとともに、分会総会で討議しました。

副校長って何?
 いきなり職場に副校長があらわれました。総括教諭の立場になった仲間が管理職から「幹部」として紹介されました。管理職から職員会講を軽視した発言がありました。それに対し分会では、「副校長とは何か」、「新しい学校運営組織のねらい」、など毎テーマに分会ニュースを配布し、管理職に対置しました。また、分会員の研修、人事評価システムの面接、勤務の割振り、など疑問があれば校長交渉を行い、解決をめざしました。しかし、すべての問題が解決したわけではありません。

本部のとりくみは分会からは遠い・・・
 分代や中央委員会では、中央(国)段階での春闘や教育3法案へのとりくみ、神高教本部段階の「勤務成績の給与への反映」の提起、平和、人権問題へのとりくみについて討議されています。しかし、多忙な中での分会総会の開催であるせいか、それらを報告しても議論になりません。神高教本部段階のとりくみの議論は、分会からは遠い存在に感じます。私たちにとって、職場や学校が大切であり、分会活動が神高教のとりくみだと思います。また、職場や学校のために、中央での教育・生活・平和・人権などのとりくみがあり、神高教の県教委などとの交渉があり、「情報」があるのだと思います。

分会活動への支援がほしい
 本部からの指示に忙殺されることがあります(すべてをこなしているわけではありませんが)。県教委の対応に追われ学校独自の教育活動が阻害されていることを連想します。分会が本部段階のとりくみを支援することも大切ですが、分会活動への支援も欲しいと愚痴っぽく思っています。

生き生きと仕事ができる職場つくりを
 ガチャガチャと多忙化している職場の中で、分会の仕事は一番後回しになっていることは、本分会役目も例外ではありません。しかし、無理せず、楽しく、気楽に、「みんなが安心して生き生きと仕事ができる職場づくり」を目指して分会活動を行いたいと思います。
(神奈川総合産業分会)


3・8国際女性デーかながわの集い07に参加して
3・8国際女性デーを知っていますか?

 3月8日。毎年この日に国際的なイベントか開催されている。今年神奈川の集いは3月2日に開催された。3・8中央集会につながる行事だ。中身はパネルディスカッション「横須賀・米原子力空母母港化反対-わたしたちの生命と健康を考える−」というものであった。
 私はふとある有名な大会を思い出してしまった。生命を生み出す母親は平和を求めるものだといった趣旨の大会である。女性に母性を重ね、平和運励の担い手であるのが当然であると役割を主張する、ものすごいジェンダーバイアスにそまった集会だ。
 この国際女性デーがそんな集会であるはずはない。私の頭の疑問符が消えぬまま、非核市民宣言運動の加藤泉さん、放射能から私たちの未来を守る会の広沢努さん、認知症高齢者グループホームRAKUの丹野貞子さんの話が始まった。
 事態は深刻だ。米軍の要請を受けて政府が安全性を宣伝する中で逃げられない形で空母化が近められている。パネリストは有名人でも特別な力をもった人でもない。素人だとパネラー自身が言っている。それでも1人700人もの署名を集めたり、地道な運動を作り上げている。できたら運動に協力して寄与してほしいという。こんな真面目で素朴な市民の運動を理解しない市政や国が許せない。彼らは私たちの生命を守るたたかいをしているのだ。
 国際女性デーは1908年NYで女性労働者が参政権と労働条件の改善を求めて行ったデモを記念して始まった。75年国連は「3・8国際女性デー」を呼びかけ、女性が依然として被っている差別と不利な扱いをなくすことを求め、77年には女性差別撤廃のため女性が平等に社会参加できるよう要請した。
 だとしたら、労働の場や家庭だけでなく、平和運動の担い手としての女性の平等な参加を求めていくことも大事だ。言葉でジェンダーフリーを求めるだけでは事は片付かない。国際女性デーで私自身の行動のあり方を問われたようであった。
(百合ヶ丘分会)


いじめを考える
国際不登校生徒・ひきこもりの現場から

 2月17日に神高教本部で、養護専門委員会の学習会か開催され、NPO法人アンガージュマン・よこすかで不登校やひきこもりの子どもたちに学習や就労声援をしている滝田衛さんによる講演会が行なわれました。参加者は41人(養護教諭以外9人)でした。冒頭で不登校・中退・長期欠席・いじめの統計等の話があり本題に入りました。
 いじめがあるという観点から問題を解決すること、子どもたちの育ちの課題、学校では自分を装っていて、気遣いやぼかし表現で結論をはっきりしない現状の子どもの姿。違和感と自己肯定感の折り合いのつけ方や仲間たちとの関係に悩む学校での子どもたち、ハズれてしまったということでいじめに過剰反応を示し、いじめに生き辛さを感じる子ども、過敏で傷つきやすい思春期の精神構造について事例を挙げて説明してくださいました。
 それに対し、1)育てるというよりも子どもは育つのだということ、2)子どもには子ども固有の力があること、3)自立・自律ではなく、人に頼る、大人の力を借りるように言うこと、4)問題をひとりでかかえるのではなく、みんなで支えていこうという姿勢の4つ指針を示し、コミュニケーションの重要性が強調されました
 ただし、コミュニケーションには気をつけなければならない。子どもたちから向かサインがあったときの最初のコミュニケーションが大事であるが、学校の先生は事例を出したり励ましたりして誤ってしまいがちである。いじめ、不登校、ひきこもりが、いつ、どこの時点から起こったかということを共有し、励ましではなく、問題のありかをいっしょに探っていくこと、つまり、子どもたちの心をなるべく豊かに引き出していくコミュニケーションをどのように作るかが大事であるということでした。
 最後に学校の先生か一番疲れている、忙しすきる。余裕がないと子どもたちとはかかわれないが、悩みを共有さえしてくれれば、「大変だったね。つらかったね。」という言葉だけでもいい、子どもたちは先生が好きなのだから頑張ってと励まされ閉会しました。
(養護専門委員会)


「共生への道」
「共生への道」への第一歩・個人的体験(上)

 75年4月、「解放民族戦線」がひたひたと「サイゴン」へむかっていた頃、わたしは教員になった。時代の空気の中で「ヴェトナム戦争反対」の集会やデモには出かけたものの、たび重なる「内ゲバ」に疲れ果てていたこともあって、職業を持ってまで、社会問題や政治にかかわる気は全くなかった。
 敗色濃厚ではあったものの、傷病兵で運んでくる米軍のヘリコプターに驚かされる米軍病院を迂回して通勤する毎日だった。
 それでも、東洋史を専攻していたわたしは「世界史」の授業を、エジプトやギリシアからではなく、中国をはじめとする「東アジア」から始めたのである。はじめて、教壇に立ち、はじめてチョークを持ち、黒板に東アジアの地図を描いた。半島を描き「朝鮮半島」と記した。そのとき、かすかな笑い声が起こったのである。「朝鮮だってよ」という、なんともいえない響き。
 わたしは、びっくりした。「何なの、今の笑い声は」からはじまって、無我夢中で「朝鮮を差別してはいけない」というような内容のことを話していたと思う。
 そのとき、ある生徒が「でも、先生は『チョーセン』に殴られたことないでしょ」と言ったのである。
 はっとした。
 たしかに、わたしは「チョーセン」に殴られたことはなかったのだ。中学校の時「バンチョー」にひどい目にあったことはあった。住んでいる近くに、被差別部落があって、長欠の子がいて、その子に給食のパンを届ける担当だったわたしは、そこで嫌な思いをしたこともあった。でも、「チョーセン」に殴られたことはなかったのである。
 民族学校とのトラブルがあいついでいた頃ではあったが、その発言をした子が、ほんとうに殴られたのかどうかは定かではない。しかし、わたしは、この子たちにいくら理屈で民族差別の不当性を問うても、説得力はないと思った。
 何しろ、大学で「東洋史」を専攻しなから「朝鮮半島」の歴史にかかわると、何かにはまり込みそうな気がして避けていた自分なのだから。でも、この子に答えられなかったらこの職業をきちんとやっていくことは辛いことになりそうだ、と直感した。
 同僚に「郷土研究部」の顧問をしていた教員がいた。「郷土研究部」はこの数年前、自分たちの町、相模原市の研究をしていた。相模原が台地で水田に適さないこと。首都東東に近いこと。その他の理由から、戦前からここは首都防衛の最重要基地になっていったことを「郷土研究部」はつきとめていった。その結果、基地の町を作り上げるために、電力その他の必要から、戦時中突貫工手で築かれたのが「相模湖ダム」であり、多くの朝鮮人・中国人労働者が、強制連行も含め動員されたことをつきとめたのであった。生徒たちは聞き書きをする過程で、何人かの朝鮮人と顔見知りになっていた。
 わたしは、この教員と相談し、ともかく「朝鮮語」を学ぶことによって、朝鮮半島のことは何でも知ろうとした。その方は、駅前で廃品回収業を営む方を紹介してもらった。行きつけの焼き肉屋さんも何軒かできた。
 「でも、先生は『チョーセン』に殴られたことないでしょ」という生徒のひとことがなかったら、わたしは「共生への道」を歩むことはなかったと確信している。その生徒さんの名前も覚えていないが、ひたすら感謝である。(続く)
(川和分会)