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高校神奈川 No.547

2007年11月30日

07秋季年末闘争
難航したが大きな成果
「学校事務センター化反対」も前進

県労連07賃金確定闘争は11月22日午前0時40分、「人事委員会勧告の完全実施」「一時金増額分の県独自配分」を中心とする当局最終提案を県労連各単組が批准、妥結しました。確定闘争に選考して神高教として独自にとりくんだ「学校事務センター化反対」のとりくみとともに、神高教07秋季年末闘争は大きな成果をあげ、山場を越しました。

2つの課題に交渉が難航
 07確定闘争は、当初11月14日を最終交渉日に設定、16日の統一行動を背景に深夜まで交渉が続けられましたが、県当局が一時金増価分をすべて『優秀』区分以上者に配分する」ことを譲らず、また県労連が両立支援のための最重要課題としてきた「子の看護休暇」について全く回答しないことから紛糾、県労連はこの段階での打開は困難として、一旦交渉を打ち切り、再度21日に最終交渉を設定し直しました。
 再交渉となった21日もこの2つの課題を中心に交渉が難航、午後6時30分からの三役交渉も4時間に及ぶ中で、これらの課題について下の最終提案が示されました。

  1. 勤勉手当の成績率については07年4月に遡って0.05ヶ月分引き上げる。具体的には07年12月分は0.775月分とし、08年6月より「良好」0.735月分、「優秀」0.805月分「特に優秀」0.875月分とする。なお、「優秀」の分布率を30%に引き上げる。
  2. 子どもの看護休暇については対象年齢を中学校就学前までに拡大する。
  3. 非常勤職貫の賃金改定について08年4月から改訂後の給料表に準じて改定する。ただし引き下げになる部分については、1年間、現行額を据え置き、その後3年間にわたって3分の1ずつ減じる。

幹事団体交渉で妥結を確認
 県労連は幹事会においてこの提案を分析、特に一時金について県労連の主張である増額文の全額の「良好」への上積み、とはならなかったものの一律分と査定分の配分について「いたずらに差をつけない」という立場での神奈川県独自の配分に踏み切らせた点、また子の看護休暇についても対象年齢の拡大に踏み切った点を評価、既に14日までに示されていた回答と合わせて妥結水準に達したものと判断、午後10時30分より各単組の批准手続に入りました。神高教は午後10時40分より園部書記長から県庁大会議室に待機していた全分会の機関役員に交渉経過、結果について説明、批准を求めた結果、圧倒的多数の賛成で県労連幹事会の決定を批准しました。機関役員からは県労連幹事団の粘り強い交渉の結果大きな成果が得られたことに対して大きな拍手が送られました。県労連は6単組すべての批准を確認、翌22日午前0時40分幹事団体交渉において妥結を確認しました。
手当名 項目 現行 改訂後 適用
扶養手当 配偶者以外の扶養親族のうち2人目まで 月額6,900円 月額7,000円
扶養親族でない配偶者を有する場合の1人目の扶養親族 月額7,400円 月額7,800円
配偶者を欠く職員の扶養家族のうち1人 月額12,400円 月額12,500円
配偶者以外の扶養親族のうち3人目から 月額6,500円 月額7,000円
扶養親族たる子のうち15歳に達する日後の最初の4月1日から22歳に達する日以後の最初の3月31日までの間にある子1人につき加算する額 月額6,700円 月額7,000円 2007年
4月1日
住居手当 借家・借間居住者(支給限度額) 月額27,000円 月額28,000円 2007年
4月1日
自宅居住者 月額5,300円 月額6,300円

解説記事
 今期の確定闘争の最大の争点は勤勉手当の増額分(0.05月分)をどのように配分するか、にあった。当初から「全額『優秀』以上に」とする県当局には、昨年度「良好」(標準)を国が0.71月分としたのに対し、県は0.725月分とし、その結果査定原資(優秀以上分への配分)を国よりも大幅に削ることとなったことに対して、今回の増額勧告を受けて少しでも国に近づけたいとする意向が大きく働いたものと見ることができる。人事院勧告が「増加分の一部を使って査定を強める」とする働告を超えて「全部」を使う、という提案だった。これに対して県労連は当然態度を硬化させ、交渉の打ち切り、延期という事態となった。
 再開交渉後、県労連は人事院・人事委員会勧告との関係も踏まえ、「最小限査定分に踏み込むこともやむを得ない」との判断で交渉に臨んだが、県当局は「国と同様の配分」に固執、幹事団交渉、を経て三役交渉においてぎりざり当局の譲歩を引き出すこととなった。結果、0.05月分の配分については、一律分0.02月、査定分(「優秀」区分以上〕0.03月分は国と同様ではあるものの、「優秀」区分者を25%から30%とすることにより「良好」と「優秀」、「優秀」と「特に優秀」の差を0.07月(国0.015月)とし、あわせることで「いたずらに差をつけない」とする昨年の確認の範囲の中に納めることに成功した。差を縮小したこと自体大きな成果といえるが、成績率の拡大に対して神奈川県独自の位置づけを確認したことは、今優の賃金交渉において大きな意味を持つものといえる。

「職場民主化」のとりくみ
 県労連確定闘争に先立ってたたかわれた「学校事務センター反対・現業採用再開」のたたかいでも10月19日には「学校事務センターはその実施を見送る」「当面、現業の退職不補充は継続するがその欠員は臨任をもって充てる」等が確認されており、この点でも大きな前進が得られたことから、神高教07秋季年末闘争は県段階での二大課題について大きな成果のもとで決着がはかられたといえます。
 秋季年末闘争の残る一つの課題である「職場民主化」のとりくみについては10月1日全県一斉に校長に対して「学校運営の改善に関する要求書」を提出以来、各分会で精力的な交渉が展開されています。分会代表者会議や職場民主化対策会議でも一定の成果が報告されてきていることから、県段階での秋季年末闘争の成果を背景に前進が期待されます。


被爆62周年原水禁世界大会
夏に集う 夏に学ぶ 夏にたたかう
「微力だけど無力じゃない!」

今年も、暑い夏に、全国各地で、さまざまな集会が開催されました。神高教からも、多くの参加者があり、集い、学び、交流しました。全国や関東ブロックでの集会を中心にその報告を特集します。

●長崎大会
平和への強い意志が若い世代にも着実に

 8月7日(火)午前10時半過ぎ長崎空港到着。初めての長崎で、初めての九州だった。午後長崎県立総合体育館での総会に参加。その中で一つ気がかりな点を感じた。
 それは、多大な被害を被った地域ではことのほか難しいことではあるが、日本の加害責任のことが全く抜け落ちているのではないのかということであった。
 夜の神奈川代表団の懇親会の席でそのことを話した。そうしたら、長崎の地で日本の加害責任の問題を取り上げた「岡よしはる」さんの記念館に行くといい、と教えていただいた。
 またこの懇親会の席には途中から「高校生平和大使」も数名参加した。彼や彼女らとも話しをして、平和への強い意志が若い世代にも着実に、しっかりと引き継がれていることを頼もしく感じた。
 翌8日(水)の午前は、「被爆の実相を引き継ぐために」という分科会に参加した。
 遅々として進まない、日本政府の在外被爆者個々人に対する補償、を求める粘り強い裁判闘争の、当事者の方の話しをじかに伺うのは初めてだった。その精力的話しぶりとともに印象に残った。また、司会の方の「加害責任を考えずに、核廃絶は語れない」。という言葉もやはり重く、深く考えさせられるものだった。
 そして、午後は分科会でも紹介された「岡よしはる記念・長崎平和資料館」へ行った。原爆被災地の長崎で、日本の加害責任を正面から取り上げたこのような施設があるのは、とても貴重であると改めて思った。
 その後62年前原爆が投下された9日(木)の午前11時2分には、一斉にサイレンや鐘が鳴り、黙祷を捧げ長崎での日程を終えた。(大秦野分会(定))

●長崎大会
在外被爆者の多くが朝鮮半島にいることを

 8月7口から3日間、開会総会、分科会、慰霊碑墓参、まとめ集会、非核平和行進等の行動に参加した。
 総会等では強い危機感が表明された。1つは、本年4月長年核兵器廃絶に力を注いできた伊藤長崎市長が銃撃されるという民主主義を破壊する蛮行、及び長崎県選出の久間防衛大臣のアメリカによる核兵器使用容認発言である。2つは、核軍縮・核拡散防止を進めるべく開かれた2005年の核拡散防止集約(NPT)再検討会議では、何ら成果を得られずその後も進展が見られないことである。核保有国自らは核軍縮に取り組む姿勢を見せず、一方、核兵器はインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮等へと拡散し、世界の核不拡散体制が重大な危機に直面していることである。今後、2010年開催の次期NPT再検討会議において、実質的な核軍縮・核兵器廃絶の合意がなされるべく、国内外世論の喚起に取り組む決意が示された。また、10年前から取り組まれている高校生平和大使の報告と決意表明があったが、若い世代に反核平和の思いが確実に引き継がれていることに希望を感じた。最後に、『原爆許すまじ』を参加者全員で合唱したが、この歌を歌ったのは何十年ぶりだろう。
 2日目は、在外被爆者問題の分科会に参加した。1957年原爆医療法、1968年特別措置法ができたが、在外被爆者は対象外であった。これに対して裁判闘争が起こされたが、国は被爆者支援の法は社会福祉法であるから税金を払っている人のみが対象であると主張し、厚生省局長通達402号では国外に出れば支援を受ける権利を失うとした。ようやく2002年の高裁判決でどこにいても被爆者であることが認められた。通達402号を突破するのに34年かかったということである。在外被爆者の多くが朝鮮半島にいるが、生活に困窮している人も少なからずいるということである。ともすると在外被爆者の存在すら忘れてしまうが、これもまた日本の加害責任の1つとして決して忘れてはならない事実であると思った。(大秦野分会(定))

●長崎大会
是非一度足を運び戦争の愚かさ原爆の悲惨さを
 8月7日から9日、原水爆禁止世界大会長崎大会に参加してきました。神奈川ではまだ夏らしくない日が続いたためか、長崎はかなり暑かったです。
 初日、核兵器廃絶ナガサキ大会に参加。この大会には高校生平和大使として神奈川からも高校生が参加していました。「微力だけど無力じゃない」をスローガンに高校生1万人署名活動を行っている姿を見て、目的意識を持った高校生の運動を伝えていけたらと思いました。この大会には全国から多くの人が参加していて規模の大きさを感じていました。
 2日目、分科会に参加。この分科会では、核兵器廃絶・戦争廃絶にに向け、「核兵器を持っていい国」と「悪い国」があるのではなく「核兵器自体が悪い」とするべきだという主張があり、強く印象に残りました。私たちは、核兵器保有を認める、認めないではなく、どの国も持たないという原点に立ち返り、今後ともさらに核兵器廃絶を訴えていくべきです。
 最終日、まとめ集会に参加。ここでは世界で活動する高校生平和大使へのカンパがあり、10分足らずの間に集まったお金はなんと30万円。高校生の言葉「微力だけど無力じゃない」のように、数が力になった瞬間でした。その後、爆心地公園まで非核平和行進。62年前の今日、1945年8月9日も今日のようにこんな暑い日だったのでしょう。原爆投下中心地で青い空を見上げてみました。この空に突如衝撃が走り、一瞬にして多くの人命を奪ったのかと思うとなんともいえない気持ちになりました。そして今でも原爆によって身体や心に深い傷を負い、苦しんでいる被爆者が数多くいます。黙祷後、原爆資料館では衝撃の内容に出会いました。まだここに訪れていない方、是非一度足を運び戦争の愚かさ、原爆の悲惨さを目にしていただきたいと思います。日本は唯一の被爆国として、世界の先頭に立って核兵器廃絶を発信し、戦争の無い平和な世界を実現する、その役割を担っているのです。
 非常に有意義な2泊3日となりました。(城郷分会)

●広島大会
広島のアスファルト

 ドーハの悲劇を岡山で夜半観戦翌日広島へ移動。新幹線修学旅行はその後飛行機になる。
 往時、路面這う電車達は遺風(?)を留めウオーンと唸る音も相貌も趣があったと思う。
 2007年。夥しく発着する路面駅の車両は殆ど、N700系と同じく洗練された複数の連結までされて近代的だ。聳え並ぶ背高いスモールグラスのビル群は日を反射して煌めく。
 土の見えないアスファルトは熱い。東急ハンズにパルコ、天満屋だけ横浜の目に新しい。
 今年8月6日の朝は路面がうっすら濡れていた。夜半であれ降雨は数十年ぶりと聞いた。
 広島平和を祈念する公園。満場の人群れ、背を押し掻き分け前へ進む。ロープが張られ居並ぶ広島市濃紺白抜きの腕章が目につく。セミ時雨、背後街宣なのか喚き散す声と騒擾。
 黙祷。史上前例なき惨禍。誰が62年後この緑と空と近代化の街並みを想像し得たろう。
 そして広島市長の言葉。諫言鋭く厚顔変わらぬ国の為政者へ決然と向けられた時、私から数歩先ただ頂垂れた市職員の表情が俄に硬くなった。怒りだけではなく悲しみ。堪え切れずポツリと、空も静かに落涙して応えた。そのすべてを忘れない。
 ジュンク堂書店奥喫茶室駅南側市街と山並みまでを一望、名残惜しみ帰路についた。(上矢部分会)


07年度日教組「両性の自立と平等をめざす教育研究会」に参加して

●第2分科会
「正規」「非正規」のつながりとジェンダー

 女性「非正規」労働者の年収が200万という時代、「格差」とは言われなかった。男性の「非正規」労働者が増加し、200万の年収しか得ない時代になって「格差」が問題視されている。これこそが、「ジェンダー」なのです。第2分科会『「正規」「非正規」のつながりとジェンダー』で、助言者の古田典子さん(弁護士)が言われました。
 少し前までは、女性が働くことは「結婚までの腰掛け」男性の補助的な仕事をしていればいい」等といわれてきましたが、最近は、働くことはどう生きるかという人生の選択として市民権を得ていると思います。一方で、女性を侮辱する多くの言葉の「女性」の部分に「非正規」を当ててみると、今もまだよく耳にする言葉ではないでしょうか。教育現場に限定して言い換えてみれば「臨任や非常勤は、正採用までの腰掛け」「臨任や非常勤は、教諭の補助的な仕事をしていればいい」と。
 「正規・非正規」の格差は「男女」の格差と同質の問題であり、根底にあるものは同じです。女性だから一人前に仕事ができない、給料が低くて当然。という発想と、非正規だから一人前じゃない、給料が低くて当然。とは同じです。それが慣らされてしまった「常識」であり、社会的につくられた「意識」であり「格差」です。これらの格差を社会的構造ととらえることで、その思い込みも含めて克服できるものと考えます。また、教育現場での非正規雇用者も圧倒的に女性が多いことを考えれば、女性の中での正規・非正規の格差=女女格差」から生じる意識がともに働く仲間というつながりを壊していく一因になるのではという危惧もあります。
 最近の労働問順は派遣社員やパート労働などの非正規雇を正規雇用に、という議論で進んでいますが、「ワークシェア」の講論はどこにいったのだろうと思います。結婚や出産などの人生の選択と同様にフルタイムではたらく、時短ではたらくなどの働き方の選択もあってよいのではないでしょうか。問題は時知ではたらく労働者(これが、今の「非正規」といわれる働き方ですが)の労働条件・社会保障の充実であり、正規雇用のフルタイム勤務が正義というような発想からの解放が必要だと思います。どのような働き方であっても「労働者」としての誇りも責務はおなじであるはずです。
 会場にはまだ組合に入ってない「非正規」の人も参加しており、働き方の選択という発想を得た、参加してよかったという声がいくつか寄せられ、少しは意味があった問題提起だったのかなと安心しました。そのなかで、福岡の中学校に勤務する女性の話が印象的でした。「派遣35歳定年説」を聞いたことがありますが、これと同様に、学校で望まれる「非正規」労働者は、より若い、時間に制限なく働ける、動きやすい、発言をしない者が好まれるといいます。また、「非正規」で働く友人が出産し、復職しようとしたときに周囲は「正規職員ではないのだから無理に働かなくてもいい、よかったじゃないか」と助言したこと。これらの体験談は、女性であること、非正規であることの二重の差別事例だと思います。非正規は意志をもった労働者ではなく、指示通りに働く単なる「労働力」なのか、女性は仕事と子育てを両立させてはならないのか。これらがある地域の特定の事例であったとしても、根底に深く根付いているのはジェンダーにほかなりません。
 女性とは〜あるべき、労働者とは〜あるべき、といった観念から解放され、社会的につくられた構造を克服することが、それぞれの職場で、一人一人の人間性が尊重される関係ができていくのではないかとあらためて思いました。 (麻生総合分会)

●「ジェンダー家族・労働・性」講演 戒野 民江
私たちの生きにくさを探る

 第1日目の、お茶の水女子教授 戒野(かいの)民江さんによる講演「ジェンダー・家族・労働・性・・・私たちの生きにくさを探る」を聴いた。母子家庭の現状とDV被害当事者の現状を講演者は「前門の虎 後門の狼」になぞらえて「前門の困窮 後門のDV」と述べていたが、これは非常に的確に現状を表す言葉だと思った。また、徳島で起きたDV殺人事件や、朝日新聞に7月に連載された「踏まれたスカート」について、講演後に新聞を読み直し、インターネットで記事を検索してみた。講演を聴き、その後復習?をしながら、学校現場で起きていた、そして現在も起きている出来事についていろいろと考えを巡らせた。
 景気が回復しつつある、とは言われているが、「いったいそれはどこの国の話?」と突っ込みたくなることが多い。昨年度、ひさびさに3年の担任をして強く感じたのはとにかく「経済的な問題を抱えている生徒が増えた。」ということだった。予約奨学金を希望する生徒数は前年度の倍以上に増え、担当者は「申込用紙が足りない」と驚いている。無利子の第一種奨学金がもらえる生徒数は決して多くはない。保護者対象の大学・短大・専門学校入試説明会では、何よりも「合格したら、払込期限内にお金たちゃんと用意してください。」ということが強調される。学力・成績の問題よりもまず「お金」のことを言わなければならないのは辛いものである。(もっとも、昨今は大学・短大ともに相当入りやすくなっているところが多いという事実はあるが。
 三者面談の日程を調整しようとしたが、生徒のバイトの休みと親の仕事が休めるときがなかなか一致せず、午後6時半から面談開始ということも何度かあった。その母親は有休が非常に取りにくい職場にいて、それも実は別のパートも掛け持ちしているという。別の母親から「有休を申請しようとしたら、上司からもう来なくてもよいと言われた。」という話も聞いた。想像以上に厳しい現状をまのあたりに見ることになった昨年であった。「ワーク・ライフ・.バランス」どころか「ワーク・ライフ・コンフリクト(葛藤)」の中にいる多くの保護者。「指定校推薦が決まったのに、期日までに入学金その他を払えなくて結局は合格取消」という悲惨な例も何件かあった。生徒自身の責任ではないだけに、やるせない思いがした。誰もが安心して生活していくことができる社会をめざして、まず、「できることから小さいことでもいいからしていこう」、「理不尽なことに対しては黙っていないで声をあげよう」、でも「他者へのバッシングはやめよう」、当たり前のことなのだが、こんなことを考えるきっかけとなった今回の講演だった。(霧が丘分会)


第54回関東地区「母と女教師の会」 記念講演
「今 女であること」 講師 中山千夏さんを聴いて

 私は時代小説が読めない。読み始めても途中で厭になって止めてしまう。描かれている女性が男の一歩後ろを歩く人だったり忍従の人だったりするから。いくら良い小説と言われてもその時代状況を超えてはいないから。すばらしい描き方をしていると言われても差別された女性の姿であることに変わりは無いから。
 私と同じことを言う人がいる!うれしかった。時代小説だからしかたない?それだけではない。男社会の論理で書かれる小説のなかの女性は男の求める女性の姿でしかない、男に都合良く書かれている時代小説は読めないと中山さんは言う。
 では、現代はどうなのか。女性の地位は以前に比べてぐんと高くなった。といっても所詮男社会の中でのこと。たとえば女性兵士。平等なら女性も兵士になるのが当然だといわれるが本当にそうだろうか。中山さんは、これは男の在り様に合わせた論理であって、平等の視点から語られるのは間違いであるという。平等なら男の有り様と同じ重みで女の有り様に合わせた考え方があって良いはずだ。
 中山さんは伝統が嫌いだと言う。伝統は女が差別されていた時代のもの、それをありがたがることはできないという。くたびれた作家行き付く所は伝統であり、仏教だと言う批判がおもしろかった。思い浮かぶ作家が何人もいた。中山さんはウーマンリブに出会ってからは、宗教に変わるものとして人権思想を持ったという。宗教はあの世を見つめるが、人権は現世でしか有効でない、人権を見つめ、心でやっていると言う言葉も素敵だ。
 ジェンダーフリーバッシングが烈しくなってから自分の体について知らない女性が増えたという。妊娠についても知らないのに性教育の行き過ぎとはどういうことなのか。なぜ性教育をきちんとやろうとしないのか。それは戦争ができる世の中、男が戦争をしたくなる世の中に向かっているからではないか。いろんなことが憲法改悪につながっている。男だって戦争で犠牲になるのに、大抵は男は一番強い男に感情移入してしまい、自分の姿を見落としてしまう。話を聴いていると男の論理の脆弱さがみえてくる。すべての女と弱い男を抑圧する社会に日本はなってしまうのではないかと中山さんは危惧を訴えた。
 では女性が主導の社会ではどうなるのだるうかと中山さんは問い掛ける。女性には出産育児があるので戦争はできない。女性の有り様からは貧乏だけど遊んでいる社会しか生まれない。でもそういう社会は平等で、ゆとりがあり、かなりの自由を得た社会になる。そんな社会の方がずっといいではないかと。講演中の中山さんの表情はおおらかで心の豊かさが顔ににじみでていた。今ある様々なおかしなことは男社会ゆえのおかしさである。なら男の論理で物事を考えていくのは止めたほうがいい。女よ。自らの性のアイデンティティーを大事にしようよ。そう考えさせられる講演でした。
 最後に余談ではあるが、その昔、「ファッション=ファッショ」と書いた中山さんの文に出会った。日本の若い女性が右も左も同じファッションに身を包もうとするのをみて、学校時代の制服の強制にその原因があると説いたものだった。制服問題を考えるとき、いつも彼女のこの言葉が頭にあった。そのことを本人に伝える機会も今回得られた。神高教のメンバーとしての最後の年にひとつの締めくくりができて個人的にもうれしかった。(百合丘分会)


シリーズ「共生への道」12
家族がようやく一緒になれた
オーバーステイのフィリピン人兄弟

母子の証明
 2006年12月某日、13時にフィリピン人兄妹、母親、義父の田中さんの家族4名は東京入国管理局の横浜支局に出向きました。兄はマック(県立定時制高校)妹はジェイン(相模原市立中学校)。2人はここ1年ほどオーバーステイの状態で日本に滞在を続けていました。13持から、違反調査→違反審査→口頭審査と手続が一気に進み、15時頃となりました。次の手続きのため「17時に6階の会議室に来い」と言い渡され、待つことさらに2時間。本日中に結論が出そうな雰囲気で、途中から子どもたちもドキドキの状態でした。17時になり指定された会議室に行くと、そこには20〜30人ぐらい呼ばれていました。十数件(個人・家族・カップル)ほどの人たちと一緒に、一気に在留特別許可が認められました。子どもたちもお母さんも養父の田中さんも大喜び。在留特別許可の支援をしていて、一番うれしい瞬間です。
 兄と妹の2人がオーバーステイになった経緯を簡単に説明します。12年前、日本人男性の田中さんと結婚したフィリピン人のお母さん(永住者)が、死別した前の夫(フィリピン人)との間の子ども2名を2005年の3月に呼び寄せました。結婚以来12年間かなわなかった「呼び寄せ」でした。「家族一緒に暮らしたい」これが母子の願いであったし、「血はつながっていなくても、自分の子だ」として呼びよせに奔走した田中さんの願いでもありました。兄妹は2005年の3月に短期滞在のビザで来日、期限が切れると同時に資格変更の手続きをしますが、不許可となりました。「絶対フィリピンには帰さない。」と田中さんも決意し、2005年12月に子どもたちはオーバーステイとなり、同時に強制送還の手続きが開始されていました。在留特別許可の申請はこの強制送還の手続きの中で行われます。不許可の理由は、フィリピンのK市発行のマックの出生証明書の母親の欄のファーストネームには「EMMA」と記されており、母親の本当の名前「ELMA」とは、綴りが一字間違っていたことです。「本当の親子なのか?」と書類を眼にした入管担当官から言われたそうです。親子関係を疑われていることが、出した書類全部の信憑性に波及して、2人とも在留が認められなくなったのでした。母子の証明をしなければなりません。私たちのとりくみとしては、母親と義父の上申書の作成、兄妹と母親の出生以来のスナップ写真、DNA鑑定による母子関係の証明、学校関係の嘆願書や書類、マックの高校受検の支援、など。2006年11月になって、入管が家に調べに来て、家の中の写真を撮っていくなど、不愉快かつ緊張する場面もあり、長期戦になるかとも心配していました。精神的に不安定な時期を送った兄妹ですが、クロスワールドなどの高校生交流会に参加し、周りの人たちからの心理的な支えをいただきました。

追いつめられた子の希望のために
 2006年12月27日17時15分、私の携帯が鳴った。マックとジェインが審判を聞くため横浜入管に行っていた。5時に結果が出そうだとの連絡があったのでちょっと緊張した思いで携帯を取った。「先生、ありがとう。大丈夫だったよ。お兄ちゃんも。」声が弾んでいた。第一声を聞いて彼女の声から結果が伝わってきた。私は初めて、「オーバーステイ問題」の支援活動を行った。そして、高橋先生の援助を受けながらジェインとその家族に関わり、取りあえず良い結果が出て本当に良かったと思う。
 ジェインは2005年の4月に私の勤務校に転入してきた。日本語はまったく話せない中での出発である。半年前に入学していたタイ出身の子がいたので互いに助け合う関係ができ、半年経ってだいぶ日本語にも慣れて来た11月に聞かされた「オーバーステイ」問題だった。
 今まで自分ではまず子どもの思いを聞くことを大切にしてきたと思っていた。しかし、彼らの本当の姿を気づいてはいなかった。在留特別許可を取るためのとりくみとは、その家族に過酷なことを強いることを知った。まさにその家族のすべてを入管は明らかにしようとする。そして家族のすべてを支援する私たちに語らなければいけない。この間、何回もの聞き取りや対応の話し合いを重ねた。家族の絆が試される。ほぼ半年後の2006年4月に、書類をそろえて家族と共に横浜にある入管に行く。その間、家族に関わった多くの人の支援を受けるべく学校関係者や、家族につながりのある人に嘆願書を頼んだりした。それでも不安になる。2006年の9月にマックの嘆願書を書いてもらうために、マックが通う定時制高校に行き、校長先生や担任の先生に快く書いてもらった。そこで彼の高校での学習や部活にとりくむ姿を教えてもらったことは、マックの頑張る姿を知ることにもなり、支援して良かったと実感できとてもうれしい経験だった。
 その後、ジェインは在留特別許可が取れたせいか、安心して高校受験にとりくみ、友人と共に県立高校に進学できることになった。まずは一安心。しかし、ジェインにとってはこれから本格的に日本社会の中で生きていく努力が求められるということでしかない。日本の現実の中で頑張ってほしい。現在オーバーステイになってしまって追いつめられた気持ちの子の希望の姿として。

(相模原市立中学校)

※本文中の登場人物の名前は仮名です。


日教組第19回関東ブロック
教職員がつくる教育課程編成講座

●記念講演 教育基本法改悪後の「学力」の論議について
生きて働く学力を身につけるために必要なものは

 記念講演「教育華本法改悪後の『学力』の論議について(東京学芸大学 大森直樹さん)」では、教員評価などを例に、さまざまな抵抗が行なわれてはいるが、教育への支配が強まり教員の自己決定の機会が縮小され、教師の主体性にもとづく自由な教育が阻害され続けている状況が語られました。
 今回、教科の分科会に「日本語教育」が設定されたのは、OECDが企画したPISAの「読解力」の調査において日本の子どもに平均より低い項目があったことから、これでは教育先進国の面目がたたないと、教育行政が「学力向上」と言う流行(はやり)文句を用いながら教科名「国語」の向上を煽っている情勢があったからです。しかし、PISAの「読解力」とは、印刷物、図、映像などを理解し、利用し、熟考し、社会に効果的に参加できる能力と定義されています。「『それ』とは何を示すか」、「作者の気持ちを100字で述べよ」のような、小・中学校での「国語」の授業でやったいわゆる「読解力」とはまったく異なります。OECDは、経済開発に必要な力としてPISA型「読解力」を定義したと思えます。つまり、PISA型「読解力」とは日本での教科「国語」の領域だけではなくもっと広い領域なのです。
 「日本語教育」分科会では、分科会講師の布川源一郎さん(横浜国大教育人間科学部)の「『PISA型読解力』をどうみるか」の話をうけて、1)「いかに読むか」に目を向けた読書指導の試み、2)話す力・聞く力を高める学習の工夫、3)高校における言語教育をどうするか、の3本の小・中・高校での実践をふまえたレポートが提案されて討論を行いました。教科「国語」が専門ではなく、むしろ離れている私にとって、「読書」と「読解」が違うことや、「日本語教育」が、文法・語彙などの「言語の教育」と、読む・書く・話すなどの「言語活動の教育」の2本の柱で構成され、教員が生徒の幅広く自由な発想を引き出せる自由な学習をつくるためには、それぞれが必要であることがわかったような気がしました。

(総合産業分会)

●日本語教育分科会
「言語力」、どう育成するか

 8月17日から18日にかけて、日教組の教育課程編成講座(日本語教育分科会)に参加してきました。私は、本校と湘南高校通信制課程との統合再編に伴って実施した「国語表現II」のレポート改訂と実際の授業における「言語の教育」の実践を報告しました。レポートを添削しながら感じていた生徒の状況を改善するため、今年度、特に文法と語彙について体系的に指導項目を組み立てました。課題と感じていた生徒の状況は、i、「文」の概念を理解していない。句読法が身についていない。ii、「なぜか(理由)「何か(対象となる事物)」といった問いの要求に応じた解答ができない。iii、主述の整わない文を作る。iv、同語反復が多い。語彙が乏しい。といったことなどでした。
 以上の課題を解決するため、文法(論)の指導では(1)主語と述語、(2)修飾語と被修飾語、(3)陳述副詞の呼応、(4)分かりやすい語順を柱に、一文一文をわかりやすく組み立てる方法を教え、語彙(論)の指導では(1)多義語、(2)意味派生の傾向、(3)慣用句、(4)類義語と反対語、(5)位語と下位語、(6)同音語などについて、用例を示しながら解説し、練習問題を解いていく形で授業し、レポートを提出させました。
 参加者からは、「このようにきちっと丁寧に日本語を指導したい」との声をたくさん頂き、心強くして帰ってきました。今年度中に改訂が予定される学習指事要領について、中数審は「ゆとり教育」から「確かな学力の向上」に転換し、「言語力」「思考力」「輪理力」を全教科で育成する方針だと報じられています。そのこと自体は大切なことですが、方法論として再び技術主義や活動主義を持ち出されたのでは困ります。やはり、まずは言語(日本語)そのものを「論理的に」学び、言語を科学的・体系的に認識する力・認識しようとする力をつけさせることが、言語力育成の基礎になると考えます。
 今回の講座の前身である「自主編成講座」は、『国語・文学の教育』一ツ橋書房、78年)をはじめとする優れた手引き書を世に出し、多くの教師に教育指針を与えてきました。私たちが先輩から引き継いだ実践・研究の成果を発展させながら次世代に引き継いでいくとの大切さを改めて感じました。

(平沼分会(通信制))