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高校神奈川 No.553

2008年6月5日

「STOP THE 格差」第79回 かながわ中央メーデーに1万2千人
各界から政府批判の声が相次ぎ

4月26日、横浜臨海パークを会場に「第七九回かながわ中央メーデー」が開催されました。今年のメーデーは昨年にひきつづき「ストップ・ザ・格差」をメインスローガンに県下の連合神奈川傘下組合から二万人が参加し、メーデースローガン・メーデー宣言が採択されました。神高教からは家族も含め105人が参加しました。

 連合神奈川が主催する中央メーデーは、一〇時からの恒例のアトラクション(今年はマギー司郎の奇術)で大いに会場を沸かせたあと、一一時から式典が行われました。式典では白石連合神奈川会長の挨拶のあと来賓の松沢知事、中田横浜市長のメッセージを代読され、各来賓からの挨拶が続きました。各界からの挨拶では「格差社会」といわれる現状や、折からの「ガソリン税」「後期高齢者医療」問題に対する政府批判が相次ぎ、政権交代を求める声が相次ぎました。
参加者は家族連れも多く恒例となったアトラクションや模擬店、抽選会などを楽しみながら「労働者の祭典」の一日を過ごしました。
 神高教からは、川野書記次長が前半アトラクションと後半抽選会の司会を担当、メーデーの成功に役割を果たしました。式典終了、神高教参加者は園部執行委員長の発声で「団結ガンバロウ」を三唱、一二時三〇分散会しました。

■8地域連合それぞれの趣向でメーデー
 県下九地域連合のうち横浜を除く八地域連合もそれぞれ地域で様々な趣向でメーデーを祝いました。神高教各支部から合計七〇人が参加し、地域の働く仲間との交流を深めました。

■非正規雇用の労働条件向上を求めて かながわ交流メーデー
 五月一日には、反町公園を会場に四〇〇人が結集し、「かながわ地域交流メーデー」が開催されました。「かながわ地域交流メーデー」は神奈川の地域の労働者がローカルセンターの枠を超えて、相互信頼のもとで運動をすすめようと結成された「かながわ地域労働運動交流」(神高教・国労などで組織)を中心に「神奈川県労働組合共闘会議」「神奈川県ユニオン協議会」の三者による実行委員会主催で開催されたもの。今年で 回目となります。その時期時期の労働者がおかれている状況が鋭く反映され、特に近年では中南米からの移住労働者や非正規労働者のきびしい状況やこれをはね返す運動が当事者からアピールされてきています。今年は県内のガソリンスタンドで働くアルバイト労働者で組織する「ガソリンスタンドユニオン」からの訴えなどのあと、沢渡公園まで一時間デモ後進を行い、沢渡公園で昼食をとりながらさらに交流を深めました。


退任にあたって

                                 前執行委員長 竹田邦明
 
さる3月31日をもって執行委員長を退任いたしました。1980年に執行委員に就任以来28年間組合員の皆さんと一緒に、教育条件改善、労働条件改善の運動にとりくんできました。この間、多くの仲間に支えられ、何とか仕事を終えることができました。振り返りますと1980年代はまだバブルのころでそれなりに労働条件の改善が図られましたが、組織的には労働戦線統一という組合内部の問題に時間を割くことになりました。分裂・別組織結成、結果的に組織減少という道にいたった組合も少なくない中で、神高教は組合員の皆さんの力で分裂を避け、統一を守り、運動にとりくむことができました。この組合員の皆さんの判断こそ、今日の労働者、労働組合のおかれた厳しい環境のなかでも力をもって運動が継続できている源だと思います。いま年収200万円以下のサラリーマンが20%、1000万人を超えているといいます。収入が低いだけでなく、労働者の権利が認められず、はたらくことの尊厳が奪われています。労働組合の必要性はますます高まっています。神高教がこれまで同様自らの職場の課題だけでなく、他の労働者の生きる権利のために、そしてとくにハンデを負っている人々の生きる権利のために、そして何よりもこどもたちの未来のために、持てる力を存分に発揮してくださることを期待して退任の挨拶といたします。ありがとうございました。


メーデーからあらたなたたかいを!
組合歳時記 復刻版1

 五月一日がメーデーであることは誰でも知っている。しかし、その起源がアメリカの労働者たちによる「八時間労働制」獲得の闘争にあることを知っている人は案外少ない。
今からちょうど一〇〇年前の一八八四年、<労働騎士団>をはじめとするアメリカの労働団体は「八時間労働制」の獲得をめざすゼネストを毎年五月一日に行うことを決議し、一八八六年五月一日を最初の行動日に指定した。
 当日一九万余の労働者がストライキに決起し<八時間の労働、八時間の休養、八時間の教育>を要求した。しかし五月四日のその運動の中心であったシカゴでストライキ団と武装警官が衝突、多数の死傷者を出し、ストライキの指導者五人は逮捕され死刑を言いわたされた。このような多大な犠牲のうえに、このメーデーで二〇万人が八時間労働制を獲得した。
 一八八九年パリのインターナショナル大会は、アメリカ労働者のこの偉大な闘争を記念することを決定、以後メーデーとして全世界に広まることとなった。
 私たちにとってすでに制度としては当然のこととなった八時間労働制の獲得のための偉大な闘争と、その犠牲者を記念した日、それがメーデーだ。
 私たちは、とかく私たちの権利が法や制度で守られているという錯覚に陥りやすい。法や制度の拡充を要求し、それをテコにして私たちの権利の確保・拡大をめざすことは正しい。しかし過去から現在そして未来にいたる、私たちの権利を拡大していこうとする運動なしには、法も制度も位置づかないのではないか。人勧制度が無視されている昨今の情勢や労基法がいまだ位置づいていない多くの未組織の民間職場があることを見ればそのことは明らかだろう。
 メーデーを祝いつつ、この日を多くの先人の犠牲と、私たちの統一と団結のうえに、私たちの権利が位置づいていることを、確認する日としたい。

 日付の記載から「おや?」と思った方も多かろう。これは一九八四年五月二五日号の高校神奈川に掲載された「組合歳時記」からの転載だ。以来およそ四半世紀。その間バブルとその崩壊そしてグローバル化という名の歯止めのない競争主義の導入の中で、私たち労働者は「格差社会」にさらされている。
 今年のメーデーのスローガンは「ストップザ格差社会」。格差にあえぐ非正規労働者たちの組合結成とたたかいの報告が相次いだ。メーデーを祝いつつ、あらたなたたかいの出発点としたい。


日教組 第57次教育研究集会報告(551号続き)

■社会科教育分科会
 小中高あわせて三八本のリポートが提起された。高校からは、山形、千葉、東京、神奈川、福岡、大分、沖縄の七本。高校のリポートに絞って三つを紹介する。
 山形の報告。昨年度の未履修問題の「発覚」を受けて、一〇月三〇日から「世界史A」の補習授業を四七時間行った。受験期の三年を対象とするこの授業で、リポーターは「二〇世紀の『戦争』をむき出しにすること」「『戦争の映像』を徹底的に見せること」「『歴史認識』を相対化すること」にこだわった。生徒に課した最終レポート。「世界史Aは必ず履修すべき科目」という意見が大半を占めた。
 千葉の報告。「課題集中校」での「現代社会」の実践。沖縄戦の実態について生徒が討論などをとおして認識を深め、教科書の「集団自決」の文章を実際に自分で記述していくところにまで到達する。リポーターは、「きみならガマから出るか」と問いかける。「デテコイ」とアメリカ兵が投降を呼びかける。ガマを出れば保護され生き残り、出なければ攻撃されるか「集団自決」に追い込まれている。沖縄戦体験者の多くが迫られた決定的場面を再現した。「ガマから出ない」のだとすれば、「なぜ、出ないのか」「なぜ、出られなかったのか」と問いかけていく。「生徒たちが記した教科書の記述」のうち、日本軍の関与に一切ふれていないものは全体の四%だったという。
 神奈川からは、「国内外の多様な『時事問題』をテーマに、見ようとしなければ見えにくくなっている社会の姿を確認させる授業実践」が報告された。映画『ダーウィンの悪夢』を用いた授業などの筆者のリポート。共同研究者から、「自分でも手に負えないような問題を生徒に投げかけてどうする。しかし、意欲は買う」といった指摘を受けた。励みになった。
 全体をとおして討論は活発で、刺激的な分科会になった。

「人権教育」分科会
 人権教育分科会は、生徒の変わり目、教職員の変わり目、教職員の立つ位置などをキーワードとして議論が行われる。人権教育が部落問題を抜きに語られる場合がある中で、部落問題を中心において議論がされるのが特徴といえる。わたしを含め参加者が部落問題とどのように向き合ってきたか、そして、自分自身の変わり目はいつだったのかなどが問われる。その上で生徒とのかかわりを議論していく。
 熊本高からは同和教育推進教員となり、部落の生徒と出会い、その生徒や家族とかかわる中で生徒も励まされ、報告者自身も成長していく様子が報告された。報告の中でこの生徒が中学校時代に嫌な思いをした話に出会うが、詳しい内容は忘れてしまったという。このことが議論になる。この内容に共に向き合っていくことが大切で、それを避けているのではないかと。報告者はこの問いかけにより、自分自身の立つ位置を考えることにつながっていく。
 広島高からは広島の厳しい状況の説明があった。体制がなくなった時にどうのように行動していくのかが問われている。このような状況の中で報告を出してくることに敬意をあらわしたい。人権問題研究会(以下人問研と表す)の活動を報告してくれた。教科の準備室を集う場所として活動している。この活動の特徴は「ゆるい集まり」とのことだ。様々な出来事を語り合える場所になっている。報告からは楽しい雰囲気が感じられる。議論の中で「楽しさの質」が話題になった。報告者は仲間との信頼関係があり、本音で語り合えることが楽しさにつながっているとのことだ。厳しい状況の中では、「よるく」活動することも必要と思えた。
 「今でも部落差別ってあるのですか」という素朴な疑問を聞くことがある。全国からの報告を聞くと「部落差別はもうなくなったよ」とは言えない。「何故人間は差別してしまうのか」という問いに対し、向き合っていかなければ差別を生み出してしまう可能性はある。部落問題を中心に人権教育を進めていくことを確認することができた分科会だった。

技術・職業教育分科会
 職業観の育成を目的とする技術・職業教育は、小学校の「図画工作」、中学校の「技術・家庭」の後、高校では一部の学校を除いてなくなります。また、中学校での「技術・家庭」の中の「技術」は、中1、中2が週1コマ、中3が週0.5コマと非常に少なくなります。その後、「総合的学習の時間」の中での技術教育に触れる人以外の多くは、まったく「技術」教育に触れなくなります。次期学習指導要領では、「総合的学習の時間」は「主要科目」の増単により減少すると言われています。そういった中で、私たち専門学科の教員は、@専門高校における専門学科教育の充実、A中学校「技術」科への支援、B総合学科をはじめ普通科高校への「技術・職業教育」の導入、に向けて力を注ぐ必要があると思います。
 熊本県高教組から、農業高校の生徒が「米粉パン」を開発し、工業科の生徒がそれを焼く石釜を開発・製作し、商業科の生徒が商品名や宣伝デザインを考案し、実演販売したというレポートが印象的でした。地元産の米を使って、地元の産業の人の指導が加わり、コンビニでの販売まで実現したそうである。
 高大連携は、別なメリットもあり、多くの高校で実践されています。その一方で、(県立)高校間の連携はほとんど進んでいません。専門学科にはノウハウがたくさんあります。専門学科が総合学科を始め、普通科高校や中学校に技術提供をしてもいいのではないかと思います。また、総合学科、普通科高校は専門学科に協力を求めて頂きたいと思います。この分科会の司会として参加し、専門学科は「連携」と「支援」を積極的に行うことが必要だと思いました。


情報化社会と教育・文化活動分科会
 1日目は全体討議、2日目以降は2つの小分科会に分かれ、「情報化社会の教育・学校図書館」に参加した。19本のリポートという盛り沢山の内容だった。
 まず情報教育に関して。「チェーンメール」「なりすまし」等を使った情報モラルに関する実践や、体系的に情報教育を学ぶ提案など、IT利用の実践にとどまらない広い視点が出てきて興味深かった。デジタルの利用に関しても、手法や道具として、という形のものが多く見られ、アナログとのバランスが大事という論調も面白かった。
 次に学校図書館に関して。小学校の先生方の、授業を持ちながらも活発な図書館活動をやり続けるバイタリティには頭がさがる。どこも生徒の活動が活発であり、また地域の図書館を上手く利用していると思った。高校からは、朝読書について何件か報告され、討議の中で賛否両方の意見が出された。専任司書教諭の方や養護学校からの報告は初めて聞くものだった。神奈川からは学校図書館間および県立図書館と学校図書館の連携についての報告がされたが、他県でもコンピュータ化、ネットワーク化が始まっているようだった。
 全体として。学校図書館、専任の司書、本という資料の重要性を認識する声が、理屈ではなく教員の実践の中から出てきているように感じた。情報リテラシー=図書館リテラシー、情報を選び使いこなす能力は図書館を使いこなすこととイコールではないか、といったような発言が出るのはとても興味深いことだった。

情報化社会と教育・文化活動分科会
 この分科会は、「学校・地域での文化活動」「情報化社会の教育・学校図書館」の二つの小分科会で構成されている。一日目のみ、両方合同の全体会となる。情報関係のレポートで、対外的に話題となっていたのはこの一日目に報告された「携帯サイトでの誹謗・中傷にどう立ち向かうか」という大阪府高校のレポートだった。
 学校図書館関係では、このところ減りつつあった司書のレポートがひさしぶりに多く、しかも実践内容もレベルが高いと感じさせるものだった。近年、県立高校への司書全校配置を実現した鳥取県からも司書のレポートがあり、司書配置の問題には参加者の関心が高まっていたように思う。
 納得できないのは分科会運営のあり方で、この分科会では、従来一般参加者の発言が特に制約を受けることはなかったにもかかわらず、一日目は質問も発言もダメ、二日目からは質問のみ受けるという形。結局なし崩しに質問も意見も言ってきたが、「学校・地域での文化活動」の方は、そのような制約はなしで運営されていた。また、レポート、発言とも実践の内容に限る、運動については扱わないということも強く打ち出されていたが、かつては運営する側が率先して運動部分を扱ってきたことを考えれば、これも腑に落ちない。
 それもこれも司書配置の問題を扱いたくない日教組の姿勢の現われのような気がしてならない。                       


釣り大会報告

 5月18日、第13回をむかえる神高教釣り大会が行われました。荒天の昨年にくらべ、波は穏やか、天気はほどよい状態で絶好の釣り日和となりました。朝8時の出船で、約40人が2艘の船に分かれてキス釣りを楽しみました。
 ことしは比較的大きめなキスが多く、小気味よい引きを楽しむことができ、なかには釣ったキスをエサに800グラムを超えるマゴチをつり上げる人も。1時に釣りは終了し、帰港後には3匹の計量による表彰を行いました。
 神高教釣り大会は毎年5月中旬に行っています。腕に自信のある人、はじめてだけどやってみたい人、子ども連れで楽しみたい人はぜひ来年ご参加下さい。


シリーズ「共生への道」14
言葉という翼を探して

 ぼくの生涯のこの時期、すべてが失われた。ぼくが知っているあらゆるもの、友達、空、飛行、自分の生きかた、など何もかもが消えさった。それらは二度ともとには戻らないように、ぼくには思われた。ぼくにあるのは、自分の立っている場所だけだった。目の前のすべてが謎だった。昔を懐かしみ、それらがどこへ行ったのか、そうして消えてしまったのかを不思議に思った。(「リトル ターン」ブルックニューマン作 五木寛之訳 集英社)

 飛ぶ能力に長けた小アジサシ リトルターンは、ある日突然、飛ぶ能力を失ってしまう。前の日までできていたことが、今日はできない、本来ならできていたはずのことが、ある日突然できなくなってしまう。なぜ?リトルターンは自ら問いかける。
 「リトル ターン」はある日突然飛べなくなってしまう小アジサシの内面が描かれた物語だ。
4年前、不登校気味だったマミ(仮名)がアメリカへ留学すると報告に来たとき、私はこの本を彼女に渡した。数ヶ月後、アメリカに留学した彼女から手紙が届いた。先生、今まで通じていた日本語が通じない。今までできたことができない、私はリトルターンです、と。
 突然母語の通じぬ異国へ来てそこでの生活を余儀なくされる子ども達。彼らも言葉という翼をある日突然失ってしまったリトルターンだ。自分の意志で異国へ飛び込む留学生と違って、多くのリトルターン達は、親や社会の事情で母国から引き裂かれ、日本という異国へと連れてこられる。
 彼らの目に、見知らぬ異国である日本という国がどのように映るのか。長い鎖国の歴史から精神的には未だ抜け出ていないようにも思える閉鎖的な島国であり、千年以上の歴史を持つ芸能や文化、老舗を誇る一方、「以心伝心」などという言葉が示すように、言葉や合理的説明を介さなくとも分かり合える共同体には、外国につながる人たちをヨソモノと見る土壌が今なお残っている。他人の視線を必要以上に気にする精神構造は、他人に迷惑をかけないことを美徳をする恥の文化を生み、同時に「ばれなければ何をしてもよい」という一部の大人達によって生み出された偽造・改ざん事件を多発させている、どこかメッキの剥がれた、奇妙で、理解しがたい国である。
 そんな異国に放置されているニューカマーの子ども達。彼らが失ったものは、コミュニケーション手段である言葉ばかりではない。価値観、生活習慣、自分の存在の意味さえ見失ってしまっているのだ。そのつらさ・困難は、異国の中に身を置いた者にしか分からないのかもしれない。

差別をなくすのは無理
 淡々と陳(仮名)は述べた。昨年行われた、神奈川に住む外国につながる高校生達の交流会の場で、である。彼は更にこう言った。

 だから自己調節して生きている。日本の社会に合わせて生きている。でも、自分は自分。だから日本名も持っているけど、自分は本名を名乗っている。
 
 外国につながる子ども達に「自己調節」させてしまう社会。掛け声だけの「共生」。外へ出て行くだけで、受け入れることができない「国際化」。今の日本の現状である。
 未知の世界の中で飛ぶ能力を取り戻すためのリトルターンの内面の旅は、普段なら絶対に出会うことがなかったであろうゴースト・クラブ(ゆうれいガニ)との友情を生む。ゴーストクラブは、リトルターンにこう助言をする。
「きみは飛ぶ能力を失ったんじゃない。ただどこかに置き忘れただけだ」
と。
 リトルターンがようやく自らの影を見いだした鳥として、長い翼を風の中に持ち上げ、飛翔する瞬間の描写は、多様化を認めるだけの成熟した国になりきれていない日本という奇妙な異国に迷い込んでしまった数多くのリトルターン達への応援歌のようにも思え、感動的である。
 アメリカでの留学を終えて日本の高校に戻ってきたマミが、卒業の日、アルバムを抱えて私のもとに来た。
「がんばれ。日本のリトルターン。翼を広げて、自信を持って、大空を羽ばたけ」
私がアルバムに書き込んだ言葉を見ると、彼女の目にはみるみる涙があふれ、顔を覆って泣き出した。いろいろつらかったことが蘇ってきたのだろう。私は彼女を抱きしめながら心の中で励ました。
 大丈夫。自分で自分の影を見つけたのだから。どこにいたって自分は自分だから。がんばって、生きていきな、と。
 未成熟な国にも、きっと心優しいゴースト・クラブはいる。今現在、つらい思いをしているリトルターン達も、いつかきっと飛翔の瞬間をつかんでくれることを願う。

 そして以前はあれほど奇妙で孤独に感じられた今度の体験は、これまでも多くの鳥が体験したはずだし、これからもほかの鳥が体験するにちがいないと確信した。生きるということはこうして、空をまもるための必要な智慧を鳥に教えてくれるのだ。(「リトル ターン」ブルックニューマン作 五木寛之訳 集英社 より)