東京電力福島第1原発事故によって役場ごと埼玉県加須市に避難している福島県双葉町。
2月9日。法政大学女子高校(横浜市鶴見区岸谷)の2年伊藤千紘さんと笠井もなみさんは、同市内の避難所に開設された「ふたばカフェ」にボランティアとして参加し、町民のためにちらしずしを作った。同校国語特別講座「3.11後の世界」の一環だ。
14日の授業で、2人はスライドを使いながら同級生たちに活動報告した。「避難所で会った井戸川克隆前町長は、『高校生はたくさんの情報に触れてほしい』と願っていました」。出沢映子教諭が見守った。
1年間の同講座では、生徒たちが生まれる前に起きたチェルノブイリ事故を取り上げ、被災者の講演に耳を傾けた。
伊藤さんたちは「事故を後に伝えるのは自分たちの役目」「知るのが怖くて関心を持たないと、もっと怖いことになる」と、今後も原発関連のニュースに注目するつもりだ。
高校生はボランティアにも参加でき、学校から有志で被災地を訪れ清掃などを行う生徒は多い。しかし支援にとどまらず、「なぜ事故が起きたのか」「これからどうなるのか」という疑問を持つ高校生に、学校がすべて応えるのは難しい。
「理科系の中でも原子力工学を学ぶ学生は少なく、そこから教員になる学生はさらに少ない」
そう話す県立保土ヶ谷高校の小島浩介教諭は、大学の理工学部で放射線研究室に所属。卒業後は、原子炉の燃焼管理システム開発に従事した。
小島教諭が社会人となった1970年代は、各地で原発が新設、稼動を開始する「原発ブーム」のただ中だった。しかし、作業員たちが被ばくせずに原発を動かすことはできない現実を目の当たりにした。「原発はマイナスの方が多い」と、入社2年で技術者を辞め、物理の教師になった。
小島教諭は震災発生後、放射線の影響をテーマにした化学や物理の授業を行っている。昨年は物理の授業で、文部科学省の貸し出している放射線検知器を使い、放射線の効果で貝などが付着しないよう船底に塗る塗料に添加する放射性物質を測定した。
小島教諭は考える。「福島の事故により、私たちは放射線と付き合っていかなければいけない社会で生きることになった。危険なことは危険、解明されていないことは解明されていないと、きちんと教えなければいけない。そのための知識を、もっと教員側が持つことが重要だ」と。
(「災後の担い手たち」取材班)
◆学校における放射性物質に関する指導
文部科学省は東電福島第1原発事故を受け、2011年に小、中、高校用の「放射線などに関する副読本」をまとめた。一方、福島大学放射線副読本研究会は「内容が偏っているとの指摘がある」として、12年原発事故の概要や放射線の影響などを説明する「放射線と被ばくの問題を考える副読本」をまとめた。