三浦市内で半世紀ほど前まで栽培されていた在来種の三浦ダイコンが9日から、県内のスーパーで販売される。市内のダイコン出荷量の1%にも届かない特産品に危機感を抱いた地元の高校生が、病気に強い在来種に注目し、地元の農家と協力して2017年から栽培。生産量を確保できるようになり、出荷のめどが立った。生徒は「在来種が広まり、地元農業の活性化につながれば」と願っている。(鴻谷 創)
復活に取り組んだのは、県立三浦初声高校園芸科学化3年の米山颯葵さん(17)。高校の実習で通う同市南下浦町金田の農家三富美彦さん(50)の畑で栽培している。
三富さんによると、40〜50年ほど前まで、市内の地域や農家ごとにさまざまな種が在来種として栽培されていた。生産農家は収穫後に交配させ、その種またまいた。ただダイコンの大きさや形にばらつきが出るため、生産効率などを考慮した農家が
品種を見直すようになり、在来種はいつしか途絶えた。
三浦ダイコンはその後も主流として生産されてきたが、1979年の大型台風で甚大な被害を受け、栽培しやすい青首ダイコンに取って代わられた。現在の出荷量は市内のダイコン全体の1%にも満たない。16年にはメインの品種が高温で中身が黒く変色し、多くが廃棄される事態まで起きた。その品種の出荷取りやめが決まり、17年度は0.47%まで落ち込んだ。
「このままでは消えてしまう」。市の特産品の窮状に、米山さんは危機感を持った。三富さんの父・健一郎さん(78)から在来種の存在を聞かされ、「復活させて農家に生産してもらうことで、三浦ダイコンのブランド力をもう一度、向上させたい」と思い立ち、2年秋から活動を始めた。
農産物の種子などを管理する茨城県の施設が保管していた約50年前の在来種40粒を譲り受け、人口受粉による交配で増やすことにした。9割以上が発芽、間引いた約20株の苗も植え替えて栽培した結果、計32株が花を咲かせ、受粉した全てに種がついた。米山さんは「かつての育て方を参考に、一つ一つ丁寧に花粉をつけたことでうまくいった」と振り返る。
昨年10月、採取した中から約2500粒を三富さんの畑にまき、今月7日に約500本を収穫した。9日から横浜市内のスーパーで販売される予定。
米山さんは4月、新潟県内の大学で農業を学ぶ。大きさがまだふぞろいで、発芽率も安定しないなどの課題は、後輩の2年池田龍平さん(17)に引き継がれる。
米山さんは「柔らかさが程よく、甘くておいしい。多くの人に食べてほしい」と話し、池田さんは「割れているものや形が悪いものの数を減らし、大きさをできるだけ統一させるなど、改良していきたい」と意気込んだ。
◇三浦ダイコン
首部分が補足、胴体にかけて太くなるのが特徴。大きいもので5〜8キロになる。1925年に正式に命名された。 |