高総検レポート No 18

1994年8月31日発行

「特色ある高校づくり」を拡大、推進するための「入試改革(大綱)」

 1994年7月18日、県教委は、「神奈川県公立高等学校入学者選抜制度改正大綱」(以下「大綱」と略す)を発表した。5月19日の「中間報告」と比べると、専門コース以外の普通科への推薦制については「今後検討」とされ、また、選考IIにあった同科への傾斜配点・使用教科数の弾力化などについては撤回されたが、最も批判の集中した複数希望制については、そのまま盛り込まれている。そして、「特色づくり」についてはさらに踏み込んだ形で提起され、「特色ある高校づくり」を拡大、推進するために「特色ある入試」で押し進めようとする入試制度の「多様化・多元化」の最大のねらいが、より一層色濃く現れている。ここでは、大綱にある「高等学校の特色づくりについて」を中心に検討し、「特色づくり」の持つ問題点を述べてみたい。

[1]学校教育法41条と「特色づくり」は相反し、矛盾する理念!

 大綱は「特色ある高校づくりの基本的な考え」の中で、学校教育法41条「中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。」を引き出し、その後で「特色づくり」を奨励している。学校教育法41条の高等学校の目的は、「高等普通教育」と「専門教育」を分断してきた旧制の中等学校を反省・否定し、この両者を施すという二重の目的を持つことに特徴があり、その達成を総合制高校に期待した。この両者が「及ぴ」で結び付けられていることには、このような、新制高校発足時の理念がある。
 しかし、国の教育行政は、1950年代半ばから「社会的要請」「能力・適性」「個性」の名の下に、総合制高校を解体し、普通科と農業科の種別化、新しいタイプの高校、特色づくり、と高校「多様化」政策を展開し、学校教育法41条に定められた高等学校の目的を無視して、高校を制度上も、教育内容上も引き裂いてきた。
 「これまでにも本県では、普通科での専門コースの設置や特色ある教育課程編成、技術革新等に対応した職業科高等学校での学科改編など、教科活動による特色ある高校づくりを進めてきた。」と大綱が述べているように、神奈川県は過去、学校教育法41条を踏みにじって、国の教育行政にひたすら追随してきたのである。
 学校教育法41条と国の教育政策(高校「多様化」政策)は相反し、矛盾するものであるにもかかわらず、この法を引き合いに出して「特色ある高校づくり」を正当化することは大きな間違いであると言わざるを得ない。

[2]入試改革をテコに、すべての公立高校に「特色」を押し付ける!

 大綱は、入学者選抜にあたっては、「専門学科や専門コースについては……その専門性に応じて……、その他の高等学校にあっては、特色ある教科活動に基づく基準により、調査書や学力検査の結果とともに、入学を希望する生徒の能力・適性、興味・関心等を考慮した選考が行われることが望ましい。」としている。入試選抜制度と直接的に結び付く「特色」は、「特色ある教科活動に基づく」ものとし、その具体的内容として、「(1)専門学科、(2)専門コース、(3)総合学科、(4)類型の設置、(5)選択幅の拡大、(6)学校間連携」を例示している。
(この大綱の段階では、教科外活動−特別活動・部活動−による特色づくりは、入試選抜制度との関連が述べられていない。しかし、9月26日に各学校に通知・依頼した「魅力と特色ある高校づくりプラン」の作成マニュアルには教科外活動に基づく選考を例示し、これを認めている。)
 しかし、「(5)選択幅の拡大」によって豊富な選択科目を配置することは、すべての学校に保障され、条件整備が成されなければならないものであり、「特色」の一つに矮小化されるようなものではない。「(3)総合学科」については、臨教審・第14期中教審の答申が示した第3の学科として学科制度の「多様化」を目論むもので、このような所で例示されるような簡単な制度ではない。(4)(6)などの制度に至っては一体どの様に選考に結び付けるというのだろうか。
 そして、これらの制度はすべて、高校「多様化」政策を進める臨教審・第14期中教審の答申が提起してきたものである。国の教育行政に追随しようとする県教委は、各制度が教科活動に関わるものとみて、入試選抜に使われる「特色」を、大綱では「教科活動に基づく」ものとし、入試改革をテコにこれらの制度(「特色」)を強引に押し付けようとしているのである。
 また、「特色」と入試選抜を結び付けることは、高校の「特色」に合わない中学生を排除することにつながるのである。地域の中学生を「特色」によって排除することになれば「地域に根ざす高校」など根底から成り立たなくなるのではないだろうか。
 「ふれあい教育」「子どもを中心に据えて考えることが必要」などの甘い言葉が「大綱の制度にあたって」で述べられているが、県教委の最大の関心事は、「多様化」政策を進め、いかに文部省に認めて(ホメテ)もらうかということであり、子どもや県民の願いには無関心であると言わざるを得ない。

[3]「特色」は自由に出せない!

 さらに、各高等学校のそれぞれの「特色」を、「他の高等学校とは異なる学校独自のものとして」設定するよう述べている。これは、もし各校が検討して「特色」を決め、県教委に届けても、他校との関係から認められないことがあるということである。あげくの果てに「お宅の高校は〇〇を特色にするは無理でしょう」とか、「お宅の高校の特色は〇○などが妥当でしょう」などと、教育課程の編正に県教委が介入してくることになるであろう。過去においても、「個性化推進事業」(1977〜1986)における個性化推進校の「個性」は、同―学区内に同じものがある場合は認められなかった。この「特色」も同じような手段で「推進」されていくことになるではないだろうか。

[4]「特色づくり」は学校間格差を拡大させる!

 大綱は、各学校ごとの特色に合わせた選考を求めているが、評価尺度を「多様化」することで、同一の尺度で高校どうしを比較しにくくさせ、学校間格差の実態を「個性」とか「特色」という言葉にスリカエ、覆い隠そうとすることも入試制度の「多様化・多元化」のねらいである。
 しかし、各学校が「特色」を持ったところで、学校間格差の解消につながらないどころか、「〇〇の特色よりも△△の特色の方が上」というように「特色」間に格差が生じてくることは必至で、特色の数だけ「学校間格差」を拡大させることしかならない。
 さらに、大綱の中で現在「特色ある高校」とされている専門学科・専門コースでは、学区がはずされているように、「特色づくり」は、学区の拡大や学区をはずすことをねらっている。学校間格差を解消するための必要条件となる学区の縮小は、「特色づくり」によって否定されることになるのである。
 高校教育の多くの問題点が、現在の入試制度がもたらした学校間格差にあることは明らかである。この学校間格差の解消は、学区の縮小、希望者全入という抜本的な入試制度改革によってのみなされ得るのであり、「特色づくり」の拡大は、学校間格差の拡大にしかならず、高校教育が抱えるさまざまな問題をより―層、複雑化・肥大化させることになるであろう。

[5]「特色づくり」は不本意入学者の問題を一層深刻化させる!

 今回の入試改革は、複数希望制により第1希望を入学定員の80%に押さえるなど、入りたい学校に入学しにくくさせている以上、現在よりも増して不本意入学者が増大するではないだろうか。
 そして、入学した学校の「特色」が彼等にとって不向きなものであれば、学校の「特色づくりがさらに進む」ことは、同時に不本意入学者を苦しめ、排除する方向に働いてしまう危険性を持っているのである。不本意入学者の問題は、「特色づくり」によって現在よりも増して深刻な問題になっていくであろう。
 十人十色、千差万別の生徒の「個性」を、各学校の定員が定められた「特色」に「選抜」によってあてはめようとすることが、このような問題を引き起こすことになるのである。

[6]「特色づくり」は能力主義に基づく早期選別をねらう!

 たとえ、中学生が自分にあった高校に入学したとしても、高校入学後に、興味・関心が変化することが充分有り得るであろう。興味・関心の変化は、成長過程の中で保障され、尊重されなければならない。
 しかし、「多様な個性を生かす」ための「特色づくり」は、これを否定し、高校入学時に、先々変化し得る個性、興味、関心、進路を、固定された学校の「特色」に閉じ込め、将来の展望を狭く限定しようというものである。つまり「特色づくり」は、「個性」という名の能力差を、能力主義に基づいて早期選別をする役割を担うものなのである。
 子供の発達段階を考えれば、15歳までに自分の個性を判断し進路を決めることが一般的に可能であるはずがない。本来、高校は自分の個性を見つけ出し、開花させる場ではないだろうか。そのために、国民としての共通に必要な基礎教養をしっかりと身につけ、その上でさらに深く学びたいものを見つけ、選択科目(選び直しのきく自由な選択)により個性の開花を目指していくべきではないだろうか。教育行政の仕事は、そのための各学校の自主的な教育課程編成を人的・物的・財政的に援護していく事であり、高校に「特色」を押し付けて、その中に、生徒を送り込んでいくことではないのである。

[7]「特色づくり」は、学校間競争を巻き起こし、"安上がり"教育を促す!

 大綱は、この入試改革によって、すべての公立高校に「特色」を持たせようとしているが、「特色」を持たされた各学校の将来はどの様になっていくのだろうか。たとえば、ある学校が、教育課程の編成に工夫をし、「実践例」にある「選択幅の拡大」を特色として「3年次にすべての教科で、選択科目を計60講座開設」した場合はどうなるだろうか。初年度は、ある程度の人的・物的な条件整備が県教委から支援されたとしても、数年後には、財政難を理由にその支援が低下し、選択科目は十分に開設できなくなるということが、起きてくるのではないだろうか。(現在ある専門コースを持つ学校でも年々条件整備が低下し、校内でのやりくりに苦労している状況が少なくない。"専門コースを返上したい"と言う声さえ聞かれている。)  このとき、初年度に示した「特色」は、もはや中学生を引きつけるだけの魅力を失ってしまうであろう。しかし、このような「特色」の衰弱化を放置することによって定員割れ(不人気高校と呼ばれること)や偏差値輪切りのランクダウンを恐れる学校現場では、この「特色」を維持しようと、懸命な内部努力(授業時間数の増加や専門外の教科担当などの過酷な勤務)に追い込まれるのではないだろうか。
 こうして、他校の「特色」に負けまいために、また「よい子」を集めるために、学校間の競争に巻き込まれてしまうのである。
 県教委は、条件整備を怠っても、このように各学校が努力するハズとして、不十分な条件整備を放置するであろう。
 大綱の「留意点」にある「特色づくりが、将来にわたって継続されるよう配慮すること」とは、一度示した「特色」はたとえ条件整備が不十分になったとしても、各学校が努力して、継続することを求めているのである。
 「特色づくり」によって、学校間の競争をあおることが、最も効率的で安上がりになるわけで、"安上がり"教育が「特色づくり」のねらいにもなっているのである。