II〈地域〉とは何か?
16期中教審答申:第2章教育委員会制度の在り方について 5 地域住民の意向の積極的な把握・反映と教育行政への参画・協力 <具体的改善方策> (地域住民の意向の把握・反映) イ 小・中学校の通学区域の設定や就学する学校の指定等に当たっては、学校選択の機会を拡大していく観点から、保護者や地域住民の意向に十分配慮し、教育の機会均等に留意しつつ地域の実情に即した弾力的運用に努めること。 |
将来構想検答申:W将来構想の推進に当たって 2行政に期待するもの (6) 学区および入学者選抜 学区については、平成5年の「高課検」の第2次報告においても、隣接学区の高校への通学が便利な生徒に対する扱いなどについて、検討していくことが盛り込まれている。今後、県立高校の再編成や統廃合等の進展の中で、学区の在り方について、検討が必要になることも考えられる。 |
16期中教審答申は、学校を「地域コミュニティ形成の拠点として重要な役割を担う」(第4章地域の教育機能の向上と地域コミュニティの育成及び地域振興に教育委員会の果たすべき役割について)と規定し、日教組も、98年9月の文部大臣宛ての要請で、その視点を一定評価している。将来構想検答申でも、「高校・中学校間の連携」などで、高校が学校外へ働かけ、「ボランティア活動等、生徒の体験的活動の積極的な促進」などにより、教育活動を学校外へ展開し、また、「保護者、地域の人々や団体、企業等がボランティアとして学校をサポートするような活動(学校支援ボランティア)」などの、教育活動の地域との連携・交流を図り、さらには、「学習施設と体育施設の開放や各種の講座」により、地域を支援していく視点を持ち、と、〈地域〉に期待するところ大である。
だが、そもそも、この〈地域〉とは一体何だろうか。この〈地域〉という言葉が、住民の顔が見える隣近所の共同体を指すものでなければ、地域の中の学校・地域に根ざした教育活動を目指すこれらの構想は、画餅に過ぎない。
現行学区ではそうした地域を成立させることは不可能に近い。これらの構想が成立するためには、学区縮小が必要不可欠である。しかし、中教審は、右に示したように義務制学区の「規制緩和」を提言している。97年に、文部省が通学区域の弾力化を打ち出して以来、名門指向の弊害や、荒れが目立つ中学校や統廃合の噂の出た小学校の入学者が減り規模の格差が広がる問題が生じている。将来構想検答申は、学区・入選については「本協議会としては課題の認識にとどめ、今後の検討を待ちたいと考える。」(同右記)と別課題としながらも、「生徒がさまざまな観点から高校を選ぶようになることによって、高校間の序列意識の変革が促される」(IIIこれからの県立高校のあり方・1多様で柔軟な高校教育の展開)どころか、学校間格差の拡大につながる、隣接学区規定による学区拡大を示唆している。
98年12月22日に、横浜市教委が、一方的なトップダウンによって発表した市立高校再編整備計画は、市立定時制のリストラを行なうとともに、市立全日制5校全校を単位制高校とし、同時に全県一学区とするとしている。つまり、横浜市教委は、地域という考えを完全に放棄してしまっている。県立高校の再編整備計画が、その影響を受けないと言い得ようか。
ここで言う[地域に開かれた学校]の〈地域〉は、幻想である。幻想を前提としている以上、[地域に開かれた学校]が、そのプラスイメージ通りに機能することは期待できない。
16期中教審答申:第3章学校の自主性・自律制の確立について 6 地域住民の学校運営への参画 学校外の有識者等の参画を得て、校長が行なう学校運営に関し幅広く意見を聞き、必要に応じて助言を求めるため、地域の実情に応じて学校評議員を設けることができるよう法令上の位置付けも含めて検討することが必要である。 |
将来構想検答申:IIIこれからの県立高校のあり方 3地域や社会に「開かれた高校」 6 開かれた高校づくりを促進する仕組みづくり 一定の地域を範囲として、高校教育や県立高校のあり方について、地域の人々や県民の意見を聞く、「学校モニター」のような制度を導入することについても、今後、検討していく意義があると考えられる。 |
16期中教審の「学校評議員」は、「学校内外の有識者、関係機関、青少年団体等の代表者、保護者など、できるだけ幅広い分野から」(同上記<具体的改善方策>)としながらも、「学校評議員は、校長の推薦に基づき教育委員会が委嘱するものとすること。」(同)と明記されている。
将来構想検答申には、「学校モニター」の設置構成に関する記述はない。しかし、都教委「都立高校革推進計画」に謳われている「教育モニター」は、学校のPR活動の推進の枠組みの中に規定されており、16期中教審中間報告に応じて、「都教育委員会が委嘱している」モニターを活用することとしている。県当局が、答申具体化の際に影響を受ける可能性は大きい。
この評議員なり、モニターなりが、地域の民主的代表として、正当に地域の声を学校運営に反映させられるだろうか。
「その1」に記した埼玉県教委の例などを見れば、とてもそうとは思えない。校長権限強化による教育現場への管理統制強化の動向、学区拡大による〈地域〉の実体の虚構化の動向を考える時、むしろ、行政や管理職が、〈地域〉の名によって学校を恣意的にコントロールすることに利用するものと判断する方が自然である。それは、具体的には「経営コンサルタント」としての、県財政状況に沿った県立高校リストラの提言にシフトしていくものではないだろうか。
のみならず、評議員やモニターは、行政に都合のよい、ガス抜きとして機能することとなるのではないだろうか。すなわち、「教育はこうあるべきだ」と県教委に異義申し立てをする人たちを、個別の学校へ向けさせ、そうした意見の公的ファクターを軽くして私的要素を強くし、結局は霧散させていくのである。
とはいえ、学校の様々な活動に対して、傍観的な立場でしかなく、生徒指導に関する苦情を学校に寄せるくらいしか積極的な関わりを持つことのなかった地域の人々が、発言する機会や権利を持つようになることについては、評価されるべきである。発言する機会や権利は、無論の事、保護者・生徒に関してももっと拡充されてしかるべきである。神高教は、この仕組みを学校協議会として提唱している。
放置すれば、将来構想検答申が提起している「学校モニター」は、学校協議会とは似て非なるものにその意義を変転させられてしまう危険が大きい。すなわち、「開かれた学校」のキーワードとしての利用である。「学校モニター」の設置構成及び運営がどのように具体化されるのかは現段階では不明だが、学校を中心とした組織である以上は、その民主的運営を追求することが、我々教職員の責務である。それを通しての、地域の民主化をも構想するべきである。
例えば、隣に誰が住んでいるかも定かではないマンションが多い住宅地などでは、隣近所の共同体といえども、地域が機能しているとは言い難い。地域に開くためには、まず、地域を成立させることが第一の課題である。学校を「地域コミュニティ形成の拠点」とするには、16期中教審答申に示されているような、施設開放やコミュニティスクールの拡大版めいた方法だけでは不十分であり、本義である教育によって臨むべきである。学校とは、生徒をどう育てていくかが教職員と保護者、そして地域の人々の共通課題となる空間である。そこに、学校を中心とした新共同体を成立させるための教育自治を行い、地域を形成する努力をしなくてはならない。
ドイツは、早くも1919年制定のワイマール憲法に父母の教育権を明記した伝統を持つ国であり、保護者・生徒の学校経営参加が根付いている。政府中央に文部省が存在せず、教育を自治体である邦の権限事項としているため、地域によってその内容は異なるが、代表的な二例を紹介したい。旧西ドイツ時代の資料であり、いささか古いのだが、学校協議会のイメージを具体化するのに役立つと思う。共に、ベルリン学校法(1948年制定)、ハンブルグ学校行政法(1956年制定)によって、公法上の地位を獲得している制度である。これらに、地域の人々の参加を追求する態勢が、学校協議会のあるべき姿と考える。
《ベルリンの例》
全ての公立校に以下が設置が保障されている。
邦の文部大臣の諮問機関である邦教育審議会に、必ず、以下を選出。 自由な父母組織から選出される父母代表4名、教員代表4名(教員教育者連合から)労働組合代表4名(労働組合連合から) |
《ハンブルグの例》
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将来構想検答申:IIIこれからの県立高校のあり方 2生徒数の動向を展望した適正規模と適正配置 2 高校の適正規模 学校の小規模化が進んだ場合、学校の活力の低下が懸念されるとともに、教員配置数の減により、多様な教科・科目への対応が困難となったり、校務分掌等の学校運営に支障を生じたりすること、また、部活動等への影響などが考えられるため、一定の学校規模の確保が必要である。 |
将来構想検答申は、「国の動向を踏まえ将来的には、学級定員を少なくしていくことが望ましい」(同:ア学級定員)としながらも、「当面1学級40人を算定基礎とし、学校全体で18学級(720人)から24学級(960人)を標準とし」(同:イ 学校規模)て、定数法における基準値が学級数であるにも関わらず、学校人数を県立高統廃合の基準としようとしている。つまり、30人以下学級が実現したとしても、統廃合は決行するという伏線に読める。上に示したのが、将来構想検答申の県立高統廃合の根拠である。30人以下学級実現の際は、「また」から前の文脈は全く意味を持たなくなる。部活動については、急減期問題が顕著となる以前から課題集中校などでは低迷している学校が多い。先に示したドイツの例を実現することは容易ではない。しかし、現在でも、他校と合同の活動を行なっている部活動は珍しくはない。「始めに統廃合ありき」の根拠を無力化するためにも、それを拡充して、部活動を社会体育活動・社会文化活動とリンクさせ、そこから、学校を保護者を含んだ地域に開いていくことを踏み出すことはできないだろうか。
こうした展望を持つためには、学校は、まず教職員に開かれている必要がある。それに逆行する、主任制の実働化や職員会議の補助機関化は阻止しなくてはならない。また、保護者に開かれている必要がある。そのために、教育情報公開の前進が必要である。さらに、生徒自身に開かれている必要がある。生徒が、真実何を望んでいるかを把握できるシステムがなければ、生徒を通しての地域の形成などできない。子どもの権利条約は、強く意識されるべきである。
そして、何より学区の縮小が必要である。少なくとも、現在以上の拡大は許してはならない。
【高総検レポート「開かれた学校」その1・その2とも、引用文中の下線は、筆者による。】