■「神奈川の教育を推進する県民会議」の解散を悼む■
○ 「神奈川の教育を推進する県民会議」の解散
毎年度、高校教育会館が主催し、支部の教職員が担って開催している「教育文化フォーラム」は、「神奈川の教育を推進する県民会議」(略称:教育推進県民会議)が後援となっていた。その構成団体に県高P連が加わっていることから、各校のPTA会合また生徒を通して「教育文化フォーラム」のチラシ配布をおこなった学校も多いことと思う。
教育推進県民会議は、81年6月9日に、長洲県知事が発した「騒然たる教育論議」の提唱(知事第1アピール「『豊かな社会』の人間と教育−今こそ教育に県民の英知を−」)を契機として、県教委の支援を受け、翌82年4月16日に54団体で発足をした。当時の校内暴力が席巻する学校状況がもはや教育行政・学校現場だけでは解決不能との知事判断から、教育課題への逆ピラミッド型のとりくみ、つまり、県民運動としてのとりくみの必要性が強く認識され、「騒然たる教育論議」の具体化として構成された団体である。いわば、「開かれた学校(教育行政)」の先駆けであり、その意味合いから、県校長会・県小・中学校長会とともに神高教・高校教育会館・神教組も参加をした。
「ふれあい教育県民のつどい」の毎年開催から活動を開始した教育推進県民会議は、「ふれあい教育」運動の提唱(知事第2アピール「“ふれあい教育”運動−教育論議を第二段階へ−」83年11月15日)、知事第3アピール「個性・共生・共育−ふれあい教育を前進させよう−」(90年9月4日)と共働しながら、22年間に渡って「草の根教育県民運動」を継続してきた。「ふれあい教育」運動・教育推進県民会議構成団体「一団体一活動」(84年4月1日〜)、「ふれあいの日」(第2土曜日)の提唱(学校週5日制フォーラム92年8月25日)、県民アピール「今こそ!『ふれあい教育』運動をとおして『いじめ』問題の根絶を」(94年12月12日)、「『いじめ』への挑戦!21世紀に向けた21の提言」発行(96年3月31日)、「神奈川ふれあい子どもサミット」開催(96年11月10日〜)、県内各地における地域ミニ子ども会議の展開(98年7月〜)など、その活動は「草の根運動」であるために、効率的とは言い難い。しかし、それゆえにこそ、足が地に着いたとりくみ方となり、「ふれあい教育」を神奈川の教育のキーワードとして定着させてきた。県教委が「県立高校改革推進計画」等の教育施策に関わるフォーラムに生徒を参加させるスタイルは「子どもサミット」などの模倣をしたものである。
その教育推進県民会議が、05年3月31日に解散をした。
○ 政治圧力によってなされた解散
教育推進県民会議解散は、県教委が05年度から支援を中断したためである。教育推進県民会議のHPに掲載されていた「神奈川県教育委員会の見解」によれば、その理由は以下の2点である。
1)教育推進県民会議発足時以上に教育課題が複雑化、多様化してきており、また、NPOなどとの協働・連携を進めることが県に求められていることから、いま解決すべき教育課題や県民の主体的な教育論議のあり方等について、幅広い分野の団体等の参加を得ながら、議論を行っていく必要がある。
2)06年度からの公の施設に対する指定管理者制度の導入に伴い、第3セクターをはじめとした県支援団体についても、活動の成果や県との役割分担等を検証し、人的・財政的支援を見直していくことが求められており、また、市町村や関係団体等で勤務している非常勤職員を県が雇用していることに対する指摘も受けていることから、教育推進県民会議に対する人的・財政的支援を是正する必要がある。
しかし、1)の内容の矛盾から既に明らかであるが、県教委見解は、大義名分に過ぎない。教育推進県民会議解散は、04年9月28日の県議会本会議での小島健一県議(自民)の一般質問が因である。その内容は、刮目するべきであり、以下に要約する。
1)県は、教育推進県民会議に多額の補助金を交付しており、特定のイデオロギーのもとに、教育推進県民会議自体が活動・研究、さらには別の団体の後援をすることはあってはならない。しかし、神奈川県教職員組合が主催する神奈川県教育研究集会の後援を今まで積極的に行ってきている事実があり、また、主要ポストの人選などを見れば、神奈川県教職員組合が県民会議の主導的役割を担っていることは明らかである。県教委と教職員組合の癒着であると指摘されかねない状態である。
2)学力向上・道徳教育・暴力・不登校などの問題行動の撲滅こそが県民の最大の関心事であり、これまで教育推進県民会議がこれらの問題解決の先頭に立って功績を上げてきたようには到底思えない。神奈川の教育を変な方向に推進する県民会議よりも、神奈川の教育をいまこそ改革する県民会議こそが必要である。
これに対し、松沢知事は、「特定の団体のみが活動しているとの誤解があってはならない」「幅広い分野の団体や県民の方々が参加し、教育課題について論議を行い、主体的に取り組んでいただくことが是非とも必要である」と答弁している。
神高教・高校教育会館・神教組は、教育推進県民会議において構成団体の一員として主要な役割を果たしてきたが、「特定の団体のみが活動している」というような状況をつくってきてはいない。例えば、学区撤廃問題について、教職員組合は教育推進県民会議でもその反対を発言してきたが、神高教・神教組が主導した県民フォーラム「神奈川の高校入試を考えるシンポジウム」(03年9月13日:地球市民かながわプラザ)においてさえ、教育推進県民会議代表の三上欣也氏は、「平等システムは義務教育まで。競争社会の不平等システムに置かなければ、子供は精神的に弱くなる。」との主張から、県教委高校教育教育課主幹の田中時義氏とともに撤廃推進の立場からパネリストとして参加をしている。(神奈川新聞03/9/22)
県教委は、先の「見解」に、「平成18年度以降、県民の主体的な教育論議を推進するための新たな施策等を実施していきたい」と記しているが、教職員組合やその関連する団体を構成から外した、「神奈川の教育を変な方向に推進」しない別途の県民会議が立ち上げられることは必至と考える。
周知の通り、小島県議は同一般質問で、「日本においてはまだまだ愛国教育が足りない」との認識から、「私の尊敬する石原東京都知事の下で、これもまた私が現在全国の教育長の中で最も尊敬する横山洋吉教育長が、入学式・卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施についてという通達を出した」ことに触れ、「国旗掲揚・国歌斉唱については東京都と同様の毅然とした対応と式後の実態調査、そして職務命令に従わなかった場合の教職員の処分等の必要性を感じている」と述べている。それに対して、曽根教育長は、「今後、各学校に対し、国歌斉唱時に起立することなども含めて厳粛に式を実施するよう改めて通知し、指導する」と答弁している。結果、04年度卒業式・05年度入学式において、県教委通知と校長の「指導」、さらには、地元選出県会議員への「招待」によって、教職員に対する国歌斉唱時起立が強制され、また、校長会への波及効果として式前配慮発言の阻害などが生じて、実質的に生徒の思想信条の自由が保障されかねない状況となった。
要するに、「国旗掲揚・国歌斉唱」と同様に、教育推進県民会議解散においても、教育行政が議会政治勢力に屈したのであり、今後、「神奈川の教育を変な方向に推進」しない別途の県民会議が、いかなる構成いかなる影響力を持つものとなるのかを注視しなくてはならない。
(参考/教育推進県民会議HP〔現在削除〕、教育基本法改悪反対!1・22神奈川大集会HP〔県議会内容〕、県教委HP「ふれあい教育」)
■文科省・県教委の方針転換を懸念する■
○ 競争主義への転換
県教委は、「ふれあい教育」の基本理念を以下のように規定している。(県教委HP)
◎「ふれあい教育」は、競争の原理や能力本位の価値観から、相互扶助的な共存・共生の原理や人間本位の価値観への転換を図る教育です。言いかえると、人間の心の痛み、苦しみ、弱さを自覚し、思いやりや助け合いを重視した教育といえます。
◎「ふれあい教育」は、学校だけでなく家庭や地域にも共通する教育理念で、人間が人間らしく個性的に生きることができる社会を求めていくものです。
◎「ふれあい教育」は、これまでの教育活動に新たに付け加えるものではなく、すべての教育活動の基盤であり、最も本質的な柱として位置付けられるものです。
しかし、昨今の中山成彬文科大臣の発言・動向は、文科省の方向転換を明示しており、共生・協働を基盤とする神奈川の教育が危機にさらされることを案じる。
05年2月15日、中山文科大臣は、第3期中央教育審議会の初総会で、「世界トップレベルの学力の復活」を掲げて、学習指導要領全体の見直しに向けた検討課題を示した。国語力育成や理数教育の充実、総合学習の削減、土曜日・長期休業日の活用など授業時間数の検討を求めている。中山文科大臣は、「自ら学び考える力などの『生きる力』をはぐくむ現行指導要領の理念や目標に誤りはない」としているが、この検討要請の根底は、競争主義への希求がある。
中山文科大臣の「学力低下批判」は、04年12月7日、経済協力開発機構(OECD)学習到達度調査(PISA/高1対象)の03年実施結果公表において、日本が14位(498点)と、前回の8位(522点)から順位も平均点も下がり、加盟41ヶ国の平均(500点)水準に落ち込んだことに端を発する。04年12月15日の、国際教育到達度評価学会(IEA)国際数学・理科教育調査(TIMSS)の03年実施結果公表において、日本が、参加46カ国中で、小4理科が前回95年の2位(553点)から3位(543点)へ、中2数学が前回99年の5位(579点)から同位(570点)へと下がったことで、文科省政策転換の方向性が決定的となった。
しかし、両調査結果公表以前の04年11月2日に、中山文科大臣は、全国学力テストを実施する考えを「甦れ、日本!」と題した改革私案を手渡して小泉首相に伝えている。私案では、子どもや学校、自治体が自らの「位置」を見極めて、競争していく環境づくりが必要だとしている。両調査結果は、学テ復活の口実とされているに過ぎないのではないか。
TIMSSとPISAとは、その調査目的を全く異にする。TIMSSが知識量や計算力の調査であるのに対し、PISAは読解力・数学的活用力の実生活への応用力の調査である。いわば、TIMSSがテスト学力の測定であるのに対し、PISAは「生きる力・考える力」の測定である。「自ら学び考える力などの『生きる力』をはぐくむ現行指導要領の理念や目標に誤りはない」のであれば、PISAの転落幅の大きさを最も問題にするべきであり、総合学習の削減検討は極めておかしい。
今回のPISAで、総体でトップだったのは、フィンランドである。中嶋博早稲田大学名誉教授(フィンランド科学アカデミー外国会員)によれば、フィンランドは、94年に学習指導要領を改訂し従来の10分の1の厚さにしたという。各学校の自主性が保障され、ある実験学校では、週26時間のうち11時間を総合学習に当てて、「文化的同一性と国際化」「環境への配慮・福祉と持続的未来(平和)」などの7つの大きなテーマにとりくんでいる。こうしたフィンランドの教育観の根底には、「子供中心」「社会共同」「1人で学習することで人間の発達はありえない」「個人の成長は社会の成長」という認識がある。「ふれあい教育」と近しい考え方ではないか。
日本でPISAと同時に実施した生徒へのアンケートでは、学校以外での勉強時間は週平均6・5時間と加盟国平均の8・9時間より短かく、数学の学習内容に興味があったり得意と感じる割合も平均より低かったという。学習意欲は、「競争の原理や能力本位の価値観」、つまり「落ちこぼし」を必然とする原理や価値観によって育まれるものではない。
(参考/朝日新聞04/11/3・毎日新聞04/12/7、12/15、05/2/16・毎日教育メール04/11/5、05/2/2)
○ 国家主義への転換
日中・日韓関係がかつてないほどに悪化をしている。本稿記載現在の05年4月、中国では大規模な反日デモが続発し、温家宝(ウェン・チアパオ)中国首相は、その原因を、国連安保理常任理事国入りを目指す日本の歴史認識にあるとしている。05年3月17日、盧武鉉(ノ・ムヒョン)韓国大統領は、対日政策の新原則を発表し、「真の謝罪と反省」に基づく歴史問題の解決を日本に迫っている。86年に「つくる会」教科書『新編日本史』が検定合格した際にも厳しい批判があったが、今回の中韓の抗議はその比ではない。この因をつくったのが、中山文科大臣であるといって過言ではない。
04年11月27日、中山文科大臣は、大分県別府市で行われたタウンミーティングで、歴史教科書について、「極めて自虐的で、やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった。」と述べ、04年12月1日の第161回国会文部科学委員会で追求を受けている。その際、「いわゆる大臣になる前まで『日本の前途と歴史教育を考える会』のメンバーだったという立場からはあのような発言をした」との答弁をしている。「日本の前途と歴史教育を考える会」は、歴史教科書から強制連行などの記述の削除を求める運動をしている自民党有志の団体である。
また、中山文科大臣は、05年3月31日の第162回国会参院文教科学委員会で、現行学習指導要領において、北方領土が日本国固有領土であることなど日本の領域をめぐる問題にも着目するように記載してあることに触れて、「我が国の領域をめぐる問題の中には竹島とか尖閣列島も入る」と述べている。05年4月5日発表の中学校用教科書の検定結果では、竹島について4社が取り上げている。「つくる会」教科書の扶桑社「歴史」「公民」が合格したが、「公民」では、グラビアページの「領有権をめぐって対立している」と記述した竹島の説明文に検定意見が付き、「韓国が不法占拠している」と修正されている。
先に記した県議会での「愛国教育が足りない」という政治の希求は、卒入学式だけではなく、教室の中にも浸透してくるのではないだろうか。
(参考/朝日新聞04/11/27・05/3/17・4/5、4/12、読売新聞05/4/5、国立国会図書館HP国会会議録検索)
○ 教基法改悪
「競争主義」と「国家主義」は、教基法改悪の基本コンセプトである。
中山文科大臣は、清和政策研究会(自民党森派)の事務次長・政策委員長であるが、同会が02年に発刊した提言集『人づくりは国の根幹です!〜教育基本法改正へ五つの提言〜』(中経出版)は、その序文に次のように記している。
「今、学校生括では競争することを罪悪視する風潮がありますが、社会に出ると激しい競争にさらされます。子供たちがその格差に戸惑い、新卒者に出勤拒否や離職者が急増しています。小さい頃から努力して自分を磨くことのすばらしさ、秀でることへの憧憬の念を持つように教えることが必要です。」
「人間は他の動物と異なり、伝統や文化を継承し、そこに民族としての同一性や団結心も生まれます。その歴史を失った日本人は、日本人としての自信と衿持、民族の誇りを失った国民になってしまっています。また、宗教教育がおろそかにされてきたために、日本人には、世界において、個人の人生において、宗教がどういう重みを持つかが理解できにくくなっています。」
教基法改悪に対して「最後の砦」となるのは現場の実践である。現場の実践に対する教職員の主体性が奪われるような状況は断じて許してはならない。
■職場から「騒然たる教育論議」を!■
○ 今こそ、職員会議での「騒然たる教育論議」を!
職員会議は元気だろうか。管理運営規則に校長の補助機関と規定されて以来、多忙化とあいまってその不活性化が蔓延していると聞く。
神奈川県では、05年度より主任手当が凍結されることとなった。05年3月30日付け教職員課事務連絡によれば、「現在、本県教育委員会では、学校に求められる機能に応えられる運営組織・教員の職のあり方について検討をおこなっている」ことを鑑みての「暫定措置」であるという。
県教委の考える「新たな職」(グループリーダー)の職務は、@校長・教頭の学校運営の補佐、A所掌グループの職務管理、B教職員の人材育成であり、「学校運営の補佐」とは、校長・教頭とともに「企画運営会議」を構成して、管理職への連絡・報告・意見交換をおこない、管轄するグループに学校としての方針を徹底にすることにある。県教委は、ピラミッド型に指示命令する学校運営組織を構想しており、組織イメージ図の中に職員会議をおいているものの、その機能は不明確である。(神高教職場討議用資料04-25)
既に校長独裁体制とともに主任会・校務連絡会が復活している学校の例を少なからず聞く。某分会では、分会のとりくみによってその完全導入は阻止されたが、校長が、「業務の効率化・簡略化」のために、分掌業務等の再編とともに「連絡会」と「起案システム」の導入を図ったという。「連絡会」とは、教頭と一部教職員によって職員会議報告・協議事項の「調整」をおこなう機関であり、「起案システム」とは、下記の4レベルにおける職員会議報告・協議事項の「調整」をおこなうシステムである。
レベル1「内部連絡」分掌内確認 レベル2「内部連絡」分掌内確認・要校印 レベル3「報告事項」 レベル4「協議事項」 |
分掌主任確認 分掌主任確認→教頭承認→校長承認 分掌主任確認→教頭承認 分掌主任確認→教頭承認→校長承認 |
こうした体制が完全に機能すれば、自由な教育論議の場としての職員会議は形骸化する。
さらには、「生徒による授業評価」とともに必須となるシラバスなどまでもがこうした体制の中に取り込まれるとしたら、教職員は教育実践に対する主体性を失う。「強制」される教育がどういう内容のものかは、前述した中央・県の情勢から明白ではないだろうか。
しかし、職員会議には、「校長の職務の円滑な執行を補助するため職員会議を置く」(管理運営規則第22の2)との規定があるものの、以下の諸規定も現存しており、公的には自由な論議は阻害されてはいない。
○ 「神奈川県立高等学校の管理運営に関する規則の運用について」 第1管理運営の基本方針 2学校における管理運営 (2)教職員の協力による運営 「学校運営には各教職員の自発性・創造性を尊重し、その特質を生かしてこれに反映させることが大切である。また教育活動の場においては、個々の教職員がそれぞれの教育に責任をもつことを基本とするとともに学校の教育目標の達成に向けて全体としての調和が図られるよう、その協調体制の整備も重要である。これら協業のシステムを推進し、発展させていくことは今後の学校運営にはますます重要である。」 第2各条項の運用基準 19の2職員会議(第22条の2) (1) より 「(校長は)日頃から職員との円滑なコミュニケーションを保つとともに、職員会議における職員の建設的な意見を参考に、学校運営の円滑化・活性化が図られるように努めるものであること」 ○ 県教委「学校評価システムの手引き」 学校目標 「(校長は)課題や改善策について、教職員間で十分に共通理解を図ります」(P17) 校内学校評価案 「学校全体で活発に協議を行い、教職員が共通理解した校内評価案となるように努めることが大切です」(P14) ○ 「人事評価」行動例(校長)/学校運営・実績 「職員会議などを通して職員との共通理解や信頼関係を深め、学校目標の達成に向けて教職員が一丸となった取組を進めた。」 |