高総検レポート No 74

2005年7月8日発行

「生徒による授業評価」試行校アンケート集約結果

〜 各校独自の「生徒による授業評価」の確立をめざそう! 〜

 ■「神奈川の教育を推進する県民会議」の解散を悼む■
 

県教委高校教育課は、05年1月27日付けで「『生徒による授業評価』実施について(通知)」を発出して「『生徒による授業評価』実施指針」(以下、「実施指針」)を示し、05年5月6日に教務担当者説明会を開催して「生徒による授業評価てびき」(以下、「てびき」)を配布した。神高教との交渉・協議によって、05年度については全校試行的な位置付けとなり、「教員最低1科目実施」「『学校評価システム』との整合性の整理継続」「『人事評価システム』との制度上の違いの整理継続」が確約されている。
 高総検は、04年度県教研高総検分科会等での討議をもととして、04年度末の18校試行終了時に、試行校18分会19課程の全組合員に対してアンケートを実施し(05年3月31日分代締切り)、12分会12課程126名分を集計した。本アンケートは、県教委高校教育課通知「『生徒による授業評価』の試行に係る実施要領」(04年3月22日、以下「試行要領」)に明示された「授業改善」に試行が実効性をもてたかを「評価」するために、「試行要領」記載の文言をそのまま評価項目としたものである。(評価項目6のみ独自)
 「実施指針」に、「授業評価は原則として年2回以上実施」「第1回は夏季休業前に実施」と記載してあることから、現在多忙の中その準備・実施に追われている分会が多いことと推測する。県教委が示した「生徒による授業評価」の「大項目・評価」「中項目・評価方法」を考える時、1学期ないし前期の成績評価が生徒に示される前の実施はむしろ妥当ではないと思えるが、現在そのとりくみをおこなっている分会に、以下の集計結果・分析及び考察が一助となれば幸いである。
 以下の記述には、本レポート後半部の表・グラフを参照されたい。

1.「生徒による授業評価」への無関心 〜 それは危険ではないのか?

○ 「生徒による授業評価」への信頼性の低さ

 本アンケートの集約数は残念ながら極めて少ない。対象とした試行校18分会19課程の総組合員数をおおざっぱに推定して14%の回収率であり、傾向を把握するには足りず、サンプリング調査としての分析しかなし得なかった。
 この結果は、「生徒による授業評価」に対する試行校の関心度の低さを示すものであり、それは、「生徒による授業評価」の信頼性の低さの反映である。その原因は、@一律一斉に同一の質問項目で実施する方式、A生徒に対する「授業改善への参加」の意識や公平公正な評価の方法を教える実践の欠落、の2点にあることと考える。V(評価Dの理由)の記述欄には、「全教科科目一斉実施の煩雑さが信頼性のない回答を誘導する。」「教科科目同一質問項目が授業改善に結びつかない。」等という記載とともに、「授業に対する取り組みの問題ある生徒ほど、いいかげんな評価が目立った。」「設問を読まず、全てに同じ数字を入れていく生徒が少なからずいる。」「生徒に対する意識づけがなされないままの実施は意味を持たない。」等の記載が目立つ。
 試行では、実施時期の指定はあるものの、「具体的な内容については、各学校の特色や生徒の実態に応じて試行校が定める。」(「試行要領」)とされており、授業評価票の評価項目に指定はなかったのだが、ほとんどの試行校が東京都の先行例を模倣した評価項目を学校統一で実施している。

○ 「生徒による授業評価」の危険性

 しかし、「生徒による授業評価」に無関心であるのは、極めて危険ではないか。
 V(評価Dの理由)の記述欄に、「本校の授業評価は教員の勤務評価のために行われている。」「授業時間内に独自に行ったアンケート(記名)と内容が極端に異なっており、信用できない。集計段階での偽造の可能性もありうる。人事と絡めるので、それもありうる。」という記載があることには注意が必要である。前者は明らかに人事評価における独立評価の原則に抵触するものであり、「てびき」にはその峻別が明記されている。後者の「人事と絡める」というのが異動の強要を意味しているのだとすれば、人事異動要綱に反した背信行為である。
 「生徒による授業評価」が教職員管理のための個人評価に変転することは容易であり、人事評価・人事異動に対して積み上げてきたとりくみをなし崩しにする刃ともなる可能性は否定し切れない。神奈川新聞は社説に2回にわたり「生徒による授業評価」を取り上げている。

 県教委は二〇〇三年度から県立高などで目標管理手法の人事評価システムを導入した。生徒による授業評価を「参考にする」という校長は少なくない。このため教師が生徒にこびたり、委縮することも懸念されるが、教師が授業で勝負する気概を持っていればふらつかない。教師と生徒と双方向の関係を築き、学習意欲をかき立てる「いい授業」が増えることを期待したい。(「生徒による授業評価」05年4月24日)

 横浜市は来年度、外部評価の中心となる授業評価を全市立校で導入する方向で検討している。授業評価とは、授業を受け持つ教師全員が児童生徒、保護者から個々の授業を品定め≠ウれることであり、その評価は教師ごとに数値化される。その結果は人事評価に影響し、給与に反映されていく。外部からのいわば間接的な「勤務評定」にもなる。(「学校評価システム」05年6月8日)

 世間からみれば、「生徒による授業評価」は「人事評価」の一環であることの方が自然である。教育という職務の特殊性に対して客観的な勤務評価が極めて困難であれば、「生徒による授業評価」がその重要な資料として位置付けられ、「生徒による授業評価」が信頼性のないシステムであれば、そこに管理職の恣意が介入するという流れを予測できないだろうか。教育界における権力統制(日教組潰し)政策に抗した、50年代の勤評闘争の意義は、既に「歴史」の中にあり、世間からは忘却されている。
 また、教育研究所『ねざすNo.35』(05年4月号)の「所員レポート/生徒による授業評価レポート」(中山律子)の、以下の記述にも刮目するべきである。

 (保護者への公開に対して)反応が無いのもいささか淋しいが、 進学校で教員個人別の集計など出したら、単に数値だけを見て教師批判をする剣呑な事態を招きかねない。「受験」という明確な目標を持つ塾や予備校の評価は計りやすいが公立高校の授業はそうはいかないし、そうすべきでもないだろう。しかし評価の数字の一人歩きは公立高校の意義を根本から揺るがす危険性がある。

 「実施指針」が通知として示されたことによって、観点別評価規準と一体化したシラバスとその提示が全ての授業に必須となった。観点別評価に対しては、「愛国心評価」のような学習指導要領への盲従をもってとりくむのではなく、基礎・基本の定着とともに「『生きる力』の育成」を育む授業改善、授業改善にもとづいた「ペーパーテスト等による知識や技能のみの評価」からの脱却(教課審答申00年12月4日)の視点をもってとりくむべきであるのは国施策からも明確である。しかし、開始とともに失速している観のある総合学習が象徴的であるように、現場にどれだけその視点が浸透しているだろうか。個別には優れた実践が存在しているものの、その土壌の脆弱さは、「ゆとり教育の見直し」が中山文科大臣の言動が示す競争主義に加速した時、とうてい持ちこたえられるとは考えられない。「生徒による授業評価」には、競争のためのシラバスに拘束された授業内容管理の大義名分となる危険性もある。
 しかし、「生徒による授業評価」にはかつての勤評神奈川方式のような整理は成立していないし、成立させることもできない。「生徒による授業評価」は、「生徒の授業参加」による「授業改善」にのみ機能するシステムとして定着させなくてはならない。本年度全校試行の間にそれを運動として展開する必要がある

2.試行は評価されていない 
          〜 しかし、生徒とコミュニケーションをしている

○ 授業についての生徒とのコミュニケーションツール

 「試行要領」を評価項目とした1〜5は、評価ABが50%を超えた項目は皆無であり、評価CDの最大値は98%(評価項目5)に及ぶ。つまり、「生徒による授業評価」試行は試行校に全く評価されていない。しかし、その一方で、「試行要領」の記載文言ではない「生徒の『評価』は納得のいくものであったか」という評価項目6は、評価ABとも最大値であり合わせて65%を示している。U(評価Aの理由)の記述欄にも最も記載が多く、「工夫したことについては評価してくれている。」「生徒が日頃授業についてどのように考えているのかの傾向がつかめた。」「こちらの狙いや指導について生徒がよく理解していた。」等の意見がある。
 これは、「生徒による授業評価」は、「試行要領」の目的に対しては信頼を持てないものの、授業についての生徒とのコミュニケーションツールとしては機能していることを示すものと考えられる。評価項目1「学校の特色や生徒の実態に応じたものとなっているか」は、評価項目6を除いて、評価Dは最小の12%、評価Aは2%であるものの評価Bは最大の40%の値となっている。これも、生徒の実態把握というコミュニケーション作業において一定の機能を果たしたことを示すと言い得るのではないか。
 言い換えれば、多忙化、選択多様化拡大、新校での単位制導入の中で、それだけ生徒とのコミュニケーションが成立しなくなっていることを示すものである。「生徒による授業評価」不要論は「日常の生徒との関わりの中で授業改善は成されている」を代表意見のひとつとしているが、「日常の生徒との関わり」自体が希薄化しているのではないか。

○ 一律一斉同一質問方式を止めよ

 コミュニケーションの成立は、「生徒の授業参加」による「授業改善」の前提である。前提が一定成立しているにも関わらず、発展せず、「(試行校では)生徒の評価が授業の課題の把握や授業改善に大いに役立つことが分かりました。」という「てびき」の記述と全く異なる結果が本アンケートで示されているのは何故か。
 V(評価Dの理由)の評価項目1「学校の特色や生徒の実態に応じたものとなっているか」についての記述欄には、「授業評価によって何を明らかにしたいかが不明確である。(体育)」「課題研究やハードウェア技術など授業形態がアンケートの内容に合っていない。(職業)」等の記載がある。また、評価項目4「各教科・科目等の課題の把握とその解決に有効であったか」は、ほぼ評価項目1と相似形のグラフとなっているが、そのV(評価Dの理由)の記述欄には、「個人のスキルのレベルにとどまり、教科・科目の改善には資していない。」「それぞれの教科の目標が異なるのに同じ質問項目はおかしい。」「その学校・課程に適した評価方法を追求すべきであると思う。」等の意見が並ぶ。
 結局、前章の繰り返しとなるが、生徒に対する「授業改善への参加」の意識や公平公正な評価の方法を教える実践を放置したまま、一律一斉に同一の質問項目で実施する方式が、「生徒による授業評価」に機能不全を起こさせている。 
 「てびき」では、授業評価票の評価項目について、「実技を伴う教科などに配慮しながら」「一部の教科については教科ごと」としつつも、4つの大項目・9つの中項目を全校統一とし、小項目に関しても「学校として統一」と規定している。また、「原則として」としながらも、「夏季休業前」「冬季休業前」に実施時期を指定している。思い返してみれば、総合学習の失速も県教委が形式的な特別活動との峻別などの網掛けをおこなったことに大きな原因がある。県教委は、「実施指針」に明示した目的をわざと封じて、「生徒による授業評価」を他の目論見の大義名分として利用しようという意図があるのでなければ、評価項目・実施時期ともに各校・各教科・各科目に一切を任せなくてはならない。
 評価項目4についてのV(評価Dの理由)の記述欄に、「授業の評価は各担当が自分で授業改善のためにおこない、アンケートの結果をすぐ次の日の授業に反映していこうと努力して行くことが大切なので、学校全体でまとめてやることはそぐわない。この先やっても今の形では成果は出ない。」という記載に注目するべきである。
 私たちは、「各学校での工夫や弾力的運用を保障する」という神高教の要求実現を確立するべきである。

3.シラバスが授業改善を阻害する 
 〜 「授業改善」がマニュアル授業を推進する本末転倒

○ シラバスの一律的強要を止めよ

 評価項目2「シラバスを提示することによって当該授業のねらいや学習の進め方について生徒の十分な理解を図ることができたか」、評価項目3「学校目標、評価規準・シラバスの内容等についての見直しに有効であったか」のグラフもほぼ相似形であり、評価ABは約20%のみで、評価CDが約80%を占める。
 評価項目2の記述欄U(評価Aの理由)には、「自分で作成した『授業計画』を配布し、生徒ともに進度を考えたから。」という意見がある。
 「実施指針」によれば、「生徒による授業評価」は、「学校目標・評価規準・シラバスの内容等についての改善」に活用することを目的のひとつとする。県教委は、学校目標に従って各教科・科目で十分に討議した上で評価規準と一体化したシラバスが作成されていることを前提としているが、全校の全教科全科目においてその実態があるとはとうてい思えない。持ち時間数増大=時間割内会議設定不能・県教委必置委員会等による会議数増大・授業時間確保のための放課後時間圧縮という現状では、教科会での十分な討議時間は保障されていない。一人が毎年継続して科目を担っているのでなければ、多忙化を押してシラバスが討議されているのは、学校設定教科・科目や積極的な実践にとりくんでいる総合学習・産業社会と人間・課題研究等のみではないのか。教科書会社がその売り込みに必ずシラバス例のFDやCD添付を示すのは、こうした実態の反映である。上記の意見が「自分で作成した『授業計画』」と記載しているのは、「自分が作成に参加していない『授業計画』」が流布していることを意味する。
 県教委は、授業評価票小項目の例として、「授業はシラバスに書いてある授業計画どおりに進められた」を挙げているが、この例示を各校が採用すれば、神奈川の教育は、教科書会社モデルや文科省モデル・県教委モデルの教育内容に統一されることとなる。「授業改善」とは、マニュアル授業がおこなわれたかの点検を意味することとなり、マニュアル授業がおこなえることが「教員の指導力向上」ということとなる。県教委は、そういうことを望んでいるのか?
 前掲の「ねざす」(中山律子)の記載を再度引用する。

 例えば重要な国際問題が起これば、それを題材にすることこそ「現代社会」だろうし、昨年のように生徒と同じ世代が芥川賞をとればそれを授業で取り上げるこそが教員に求められるのではないか。シラバス通りにやることだけが「良い授業」というなら、ネットで画像を送り、全県一斉に授業をおこなえば済む。
 シラバスに持久走の計画があったから生徒の体調が悪いのに敢行したという本末転倒の事態を招きたくはない。

 しかし、その「本末転倒の事態」に現場が傾いていく予兆がある。評価項目2・3の記述欄V(評価Dの理由)には、以下の意見が列挙されている。

「シラバス自体の研究が進んでいない。」「シラバス作成者と授業担当者が全く異なり、シラバスの提示が逆効果になっている。」「シラバスは授業の枠をあまりにも狭くさせる。」他(評価項目2)
「シラバスが学校目標の具現化につながらない。」「シラバスの内容通りには進められないので見直せない。」「建前だけの空虚なものであり、かみ合っていない。」他(評価項目3)

 シラバスの討議・共有が希薄であるならば、その提示には意味がなく、見直しは成立しない。「授業は生き物であり、計画通りにはいかない」(記述欄V・評価項目2)ものであるのは常識である。そもそも「評価者」である生徒がシラバスを理解していないという意見が、評価項目2・3の記述欄V(評価Dの理由)に目立つ。言い換えれば、生徒が理解できるシラバスが作成されていないということであり、シラバスの討議・共有が希薄であることの証左である。

○ 科目統一のシラバスよりも教職員個々の実践の共有を

 この事態の責任は、「シラバスは契約書である」という迷言(常時の内容変更が有効性を持つ契約などがあるものだろうか)によって現場に一律のシラバス作成を強要した県教委高校教育課にある。「シラバスそのものを作成することの法的根拠はない」(「シラバス・観点別評価等に関する、神奈川県高等学校教職員組合への回答」高校教育課教育指導担当、04年6月25日)のであれば、その一律的強要は止めるべきである。
 十分な討議時間の保障がなされていない現状で、科目ごとに統一したシラバスによって演繹的に授業改善を成そうという方法に無理がある。むしろ、教職員個々の実践から帰納的に授業改善を進める方が現状では効果的である。
 一律一斉同一質問方式から脱却できるのであれば、例えば、以下のような個々の実践にもとづいた「生徒による授業評価」が可能となる。授業についての生徒とのコミュニケーションツールとしての機能に重点を置いた方法である。

大項目 中項目 小項目(具体的な評価項目)
授業内容 授業の準備
教材の工夫
1 ○○の単元は××について準備・工夫されており、分かりやすかった。
授業の充実感 2 ○○について、興味・関心がわいた。
授業の進め方 3 ○○の単元は、生徒の反応を見て進めるよく分かる授業だった。
指導方法 生徒主体の授業の工夫 4 ××の方法は、授業に参加しているという実感があった。
説明の分かり易さ 5 ××の方法についての説明・指示は分かり易かった。
生徒への接し方 6 先生は生徒の発言をよく聞いていた。
自分自身の取組状況 学習への取組 7 先生は生徒の発言をよく聞いていた。
態度・姿勢 8 ○○の単元で指示された△△をきちんと準備した。
評価 評価方法 9 ○○の単元に対する評価は自己評価と比較して納得できるものだった。

教職員個々が、特定の単元において、「ペーパーテスト等による知識や技能のみの評価」からの脱却を目的のひとつとして、年2回程度任意の時期に、実験的な授業実践をおこなう、その中で自己評価・相互評価などを通して公平公正な評価の方法も教える、そして、その単元においてのみ「生徒による授業評価」を実施する、という方法である。負担は軽く、生徒に対する「授業改善への参加」の意識も喚起しやすいのではないか。この実践を討議、討議の時間的余裕がなければ回覧するだけでも、授業改善の共有化には大きな効果があると考える。
 「学校の説明責任」のためにシラバスの公開が必要というのであれば、観点別評価と一体化した授業概要(履修ガイド)を作成して公開すればよい。選択多様化拡大にともない科目選択のための授業概要は必須となるし、高総検レポートNo.71「何のためのシラバスか?」で示したように、授業概要とシラバスを混同することが、シラバスの形骸化を招いている。
 しかし、公表に際しては、個人特定となり、教職員管理のための個人評価に結びつくことを警戒しなくてはならない。教科の努力度を示すものとして、評価運営会議等で評価結果の集約を科目、能うならば教科にまとめるべきである。

4.提言

評価項目5「県教委の研究授業の指導・助言、研修会の講師派遣は有効であったか」については、論ずるまでもない。教職員のみの研修と混同した回答も多かったが、いずれにせよ、前提と方法に有効性がないとりくみに対する研修は空虚である。

 以上のアンケート分析及び考察から、高総検は、「生徒による授業評価」全校試行へのとりくみにあたって、「神高教職場討議用資料04−23」(05年2月4日)を補完して、以下を提言する。

  1. 「各学校での工夫や弾力的運用を保障する」という要求を実現・拡張し、評価項 目・実施時期ともに各校・各教科・各科目に一切を任せるようにすること。当面は、 「てびき」の、「実技を伴う教科などに配慮しながら」「一部の教科については教科 ごと」(P8「授業評価の準備」授業評価票)や「原則として」(P9「授業評価の 実施」)という記載を根拠に、一律一斉同一質問方式から可能な限り脱却すること。
  2. 一律のシラバス作成から脱却すること。教科書会社モデルや文科省モデル・県教 委モデルのコピーとなっている教科科目等については、「年間の学習計画」を大枠 化する、その弾力化が授業の前提であることを記載する等の方法により、教職員個 々の授業実践の自由を阻害しない工夫をすること。
  3. 上記が授業改善に有効性を持つことを、05年度全校試行において立証するよう  に努めること。

■高総検「生徒による授業評価」試行校アンケート■

  1. 次のそれぞれの質問項目について、該当すると思う記号を○で囲んで下さい。

    A よくあてはまる
    B ややあてはまる 
    C あまりあてはまらない
    D 全くあてはまらない

    質問項目 評価
    1.貴校の「生徒による授業評価」試行の内容は、学校の特色や生徒の実態に応じたものとなっていた。
    A B C D
    2.貴校の「生徒による授業評価」試行において、シラバスを提示することによって当該授業のねらいや学習の進め方について生徒の十分な理解を図ることができた。 A B C D
    3.貴校の「生徒による授業評価」試行は、学校目標、評価規準・シラバスの内容等についての見直しに有効であった。 A B C D
    4.貴校の「生徒による授業評価」試行は、各教科・科目等の課題の把握とその解決に有効であった。 A B C D
    5.貴校において、高校教育課及び教育センターによる研究授業の指導・助言や研修会の講師の派遣を要請した場合、それは、貴校の試行にもとづく授業の改善に有効であった。 A B C D
    6.ご自身の授業に対するとりくみに対して、生徒の「評価」は納得のいくものであった。 A B C D

  2. Aの場合、その理由と思うことをお書き下さい。評価運営会議等による学校全体の とりくみに限らず、ご自身の授業に対する日常のとりくみなども含めてお書き下さい。
    (各質問項目1〜6)
  3. Dの場合、その理由と思うことをお書き下さい。(各質問項目1〜6)
  4. ご自身が研究授業を行われた場合、または、研修会を主催された場合、それをどの ようにおこなったかをお書き下さい。その際、「生徒による授業評価」試行の「評価結果」とどのように関連させたのかをお教え下さい。



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