〈レポートの内容〉
〜 キャリア教育についての「各校ごとの指導計画」のために 〜
P1 はじめに.キャリア教育に関する教育政策の概要
P7 提言1.高総検からの発信「すべての高校生に職業技術教育を!」
P10 提言2.「普通科における職業教育」を考える
《総合学科「産業社会と人間」の実践から》
P15 提言3.多様化した労働の場で人間らしく生きる力を
《労働基本権学習の実践から》
P21 提言4.まず自立した「人間」であるための教育を
《コミュニケーション教育の実践から》
P23 おわりに.社会と斬り結ぶ「生きる力」を育成するキャリア教育を
はじめに.キャリア教育に関する教育政策の概要
1 国政策
「キャリア教育」は、99年に公表された中教審答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」で初めて提唱されたものである。「学校教育と職業生活の円滑な接続をはかるため、望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身につけさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力・態度を育てる教育(キャリア教育)を発達段階に応じて実施する必要がある」という箇所で、「キャリア教育」が登場する。同答申は、さらに「キャリア教育を小学校段階から発達段階に応じて実施すること、家庭・地域と連携し、体験的な学習を重視するとともに、学校ごとに目標を設定して教育課程に位置づけて計画的に行う必要性」を強調している。
03年6月10日、文部科学大臣・厚生労働大臣・経済産業大臣・経済財政政策担当大
臣で構成される若者自立・挑戦戦略会議が、「若者自立・挑戦プラン」を取りまとめ、キャリア教育の推進を大きな柱のひとつとする。文科省では、関係府省と連携を図りながら、義務教育段階からの組織的・系統的なキャリア教育の推進やインターンシップなどの職業体験の促進、フリーターへの再教育の実施など、教育の面から若年者雇用問題などにとりくむこととしている。さらに、上記の4大臣に新たに内閣官房長官が加わり、「若者自立・挑戦プランの強化の基本的方向」(04年6月18日)、「若者の自立・挑戦のためのアクションプラン」(04年12月24日)を取りまとめる。「アクションプラン」においては、中学校を中心とした5日間以上の職場体験の実施、学校・PTA・各教育委員会・各労働局及びハローワーク・各経済産業局・地方公共団体・地域の経営者協会や商工会議所等による地域レベルでの協議の場の設定、関係機関等の連携・協力による支援システムづくりにとりくむこととしている。
02年11月、文科省・キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議が設置
され、「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書〜児童生徒一人一人の勤労観、職業観を育てるために〜」(04年1月28日)を報告する。同報告では、「キャリア」を「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」と規定し、「キャリア教育」を、「児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し、それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育」、すなわち、「児童生徒一人一人の勤労観、職業観を育てる教育」と定義する。その上で、「各学校が、キャリア発達の支援という視点から自校の教育課程の在り方を点検し改善していくことが極めて重要である」とし、「小学校の低・中・高学年、中学校、高等学校のそれぞれの段階において身に付けることが期待される能力・態度」として、「人間関係形成能力」・「情報活用能力」・「将来設計能力」・「意思決定能力」の4つの能力領域(国立教育政策研究所生徒指導研究センター「職業観・勤労観を育む学習プログラムの枠組み(例)」)を示している。
2 県政策
神奈川においては、05年4月に、県教委が「かながわキャリア教育実践推進プラン
〜県立高校におけるキャリア教育の取組〜」を公表している。「キャリア教育の展開にあたっては、各校が取り組んでいる『県立高校改革推進計画』に基づく取組との関連を図りながら進めることが重要である」と位置付けて、前掲「報告書」の具体的展開を示したものであり、「全県立高等学校における各校ごとの指導計画に基づくキャリア教育の展開」を08年度までに完成させることとしている。その基本方針を以下のように示している。
◆キャリア教育の推進には各学校で幅広い視点に立って関連する取組を総合的に見直し、入学時から卒業時まで、学校を挙げて生徒一人ひとりを支援する。 ◆高等学校ごとに、それぞれの高校が推進している特色ある高校づくりの取組と 関連をもたせながら、平成17年度からの3年間を見通したキャリア教育を展開する。 ◆展開にあたっては、キャリア教育という新たな視点から、これまでの教育のあ り方を問い直し、学校全体の教育活動により展開する。 ◆各年次の目標設定によるキャリアに関する「能力・態度」の育成を図ることと し、教育課程に適切に位置づけ、指導の工夫、改善を実施する。 |
また、行政においては、県立高校におけるキャリア教育を推進するために、以下の
「キャリア教育実践推進事業」を05年度から07年度の間展開するとしている。
@ キャリア教育カリキュラム開発 ◆キャリア教育実践推進モデル校の指定 ◆キャリア教育実践指導資料の作成 A 教員の資質向上と専門的能力の養成 ◆県立高校キャリア教育研究協議会の開催 ◆県立総合教育センターと連携した研修の設定 B 各校におけるキャリア教育の展開 ◆各校別キャリア教育指導計画(キャリア教育プラン)の策定 ◆各校プランに基づくキャリア教育展開 ◆ジョブサポーターの活用 *直接生徒にかかわって将来の進路やキャリアデザインについて助言を行うことや進路相談、求人開拓、インターンシップの受け入れ先確保などの業務を行う支援員。05年度においては20校に配置し、06年度以降配置の拡大を図る。 C キャリア教育展開の環境づくり ◆関係機関等との連携と理解促進 ◆学校外の教育資源活用にかかるシステムづくり ◆キャリア教育についての広報・周知 D キャリア教育に資する体験活動の充実 ◆ボランティア活動の推進 ◆インターンシップの推進 |
キャリア教育実践推進モデル校については、次の13校が指定されている。
和泉・光陵・湘南台・寒川・大原・大秦野・大井・相模大野・横浜桜陽・金沢総合・相模原総合・商工・平塚工科 |
なお、県立総合教育センターは、「キャリア教育は、各学校に新たな教育の領域の導入を求めているものではなく、キャリア教育の観点で従前のカリキュラムやそれに基づく教育活動のり在り方を幅広く見直し、よりよく学校を改善していく上で、その理念や発達課題を意識して取り組むべきものである。」とし、国立教育政策研究所が例示した4つの能力領域に「自己教育能力」を加えてそれぞれを2つに展開した10の「キャリア諸能力」をキャリア教育の観点として示している。
キャリア諸能力 | ||
領域 | 領域説明 | 能力説明 |
自己教育能力 | 自己分析と自己理解によって内的な深化を図るとともに、適切な自己表現を通して自己を教育し、成長させていく |
【自己理解能力】 自己の適性に目を向けながら、自己分析と自己理解を通して内的な深化を図る能力 【自己表現能力】 適切な自己表現を通して自己実現を図る能力 |
人間関係能力 | 他者の個性を尊重し、自己の個性を発揮しながら、様々な人々とコミュニケーションを図り、協力・共同してものごとに取り組む |
【他者理解能力】 他者の多様な個性を理解し互いに認め合うことを大切にして行動していく能力 【コミュニケーション能力】 多様な集団・組織の中で、コミュニケーションや豊かな人間関係を築きながら、自己の成長を果たしていく能力 |
情報活用能力 | 学ぶこと・働くことの意義や役割及びその多様性を理解し、幅広く情報を活用して、自己の進路や生き方の選択にいかす |
【情報収集・活用能力】 進路や職業等に関する様々な情報を収集・探索するとともに、必要な情報を選択・活用し、自己の進路や生き方を考えていく能力 【職業理解能力】 様々な体験等への取組を通して、学校で学ぶことと社会・職業生活との関連や、今しなければならないことなどを理解していく能力 |
将来設計能力 | 夢や希望を持って将来の生き方や生活を考え、社会の現実を踏まえながら、前向きに自己の将来を設計する |
【役割把握・認識能力】 生活・仕事上の多様な役割や意義及びその関連等を理解し、自己の果たすべき役割等についての認識を深めていく能力 【計画実行能力】 目標とすべき自己の生き方や進路を考え、それを実現するための進路計画を立て、実際の行動等で実行していく能力 |
意思決定能力 | 自らの意思と責任でよりよい選択・決定を行うとともに、その過程での課題や葛藤に積極的に取り組み克服する |
【選択・決定能力】 様々な場面で主体的に考えた上で自らにふさわしい選択・決定をし、その結果を責任を持って受け入れ、適応・対処できる能力 【課題解決能力】 希望する進路の実現に向けて自ら課題を設定し、問題や葛藤を克服しながらその解決に取り組む能力 |
3 県行政に欠落している視点
「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書」(前掲)は、「キャリア教育が求められる背景」として、現状を以下のように分析している。
T.学校から社会への移行をめぐる様々な課題
@経済のグローバル化が進展し、コスト削減や経営の合理化が進む中、雇用形態等も変化し、求人の著しい減少、求職と求人の不適合が拡大している。
A若者の勤労観、職業観の未熟さ、職業人としての基礎的資質・能力の低下等が指摘されている。
U.子どもたちの生活・意識の変容
B精神的・社会的自立が遅れ、人間関係を築くことができない、進路を選ぼうとしないなどの子どもたちが増えつつあることが指摘されている。
C高等教育機関への進学割合の上昇等に伴い、いわゆるモラトリアム傾向が強く
なり進学も就職もしようとしなかったり、進路意識や目的意識が希薄なままとりあえず進学したりする若者の増加が指摘されている。
ABCは確かにとりくむべき課題であるが、いわゆる「フリーター・ニート問題」
は、@に重大な原因がある(教育研究所「ねざす」No.35「特集/シンポジウム『フリーターに何を見るか』」参照、05年4月)。同報告は、この問題に対して次のような提言を示している。
キャリアを積み上げていく上で最低限持っていなければならない知識、例えば、労働者(アルバイター、パートタイマー等を含む)としての権利や義務、雇用契約の法的意味、求人情報の獲得方法、権利侵害等への対処方法、相談機関等に関する情報や知識等を、子どもたちがしっかり習得できるようにすることが大切である。その際、現実の具体的な問題に即して学んでいくことが大切であることに留意し、事例等に詳しい関係機関の職員等を講師として招聘し実施できるようにすることが望まれる。また、こうした取組は、中学校卒業後すぐに就職する者や、高等学校を中途退学する者が少なからず存在する現状を踏まえ、それらの者がキャリアを形成していく上で極めて重要であることから、中学生あるいは高等学校1年生等の早い段階に実施する必要がある。 (第3章「キャリア教育の基本方向と推進方策」より) |
しかし、「かながわキャリア教育実践推進プラン」(前掲)は、そのほとんどが同報
告の引き写しでありながら、この視点が欠落をしている。以下に示す「キャリア教育に資する体験活動の充実」に、「生徒の自発的な活動を引き出すためのきっかけとなる活動の提供」と位置付けながらも、「地域貢献活動」を組み込むなど、キャリア教育を「社会奉仕」「規範意識」といった観点からのみとらえる色彩が濃い。これは、主体的に社会にアプローチして生活を確立する「生きる力」を育むことを阻害し、雇用形態の変化に従順に迎合する「能力・態度」を注入することを意味するものではないかと危惧する。端的に言えば、高校生に「新入社員教育」を施すことをもってキャリア教育とすることとなるのではないかという疑念を抱く。
キャリア教育に資する体験活動の充実 ア インターンシップの推進 <ねらい> 働くことへの意欲や態度、職業観、勤労観を育むインターンシップ の取組を進める。 平成20年度までには、すべての高校でインターンシップを実施することができるよう、体験した生徒による発表会の開催など、インターンシップへの理解を進めるとともに、インターンシップ推進協議会において実施環境の充実(特に普通科高校への拡大)のための具体的方策について協議を進める。 また、インターンシップによる単位認定のしくみをすべての高校に整備することとし、インターンシップへの意欲を高める。 イ 地域貢献活動の充実 <ねらい> 社会に奉仕する意義を理解させ、社会奉仕の精神の涵養を図り、生 徒の自発的なボランティア活動への意欲を高める。平成18年度にはすべての高校において、学校の教育活動の中で、すべての生徒に対して、学校が計画する<地域貢献活動>の場(学習指導要領に位置づけられた特別活動における学校行事として展開)を計画的に提供できるよう地域貢献活動推進のための取組を進める。 ウ ボランティア活動の推進 <ねらい> ボランティアの精神を育成し、社会の構成員としての規範意識など、 豊かな人間性を身につけることができるよう、ボランティア活動への意欲を高める。すべての高校生が高校在学中にボランティア活動を体験できるよう、教育委員会としての意識啓発の取組やボランティア活動活性化のための環境づくりを進める。また、地域貢献活動の展開によってボランティアの活動を行うことの意義を理解させるとともに、すべての高校がボランティア活動の単位認定制度を整備することにより、生徒のボランティア意欲を高める。 |
高総検は、第T期から、現場からの教育改革として「キャリア教育」(提言1参照)
を提唱してきた。その発信の再録とともに、専門高校勤務、総合学科勤務また退職後も市民運動にとりくんでいる高総検委員およびオブザーバーからの実践を踏まえた提言を編集して、本レポートとした。
キャリア教育の構築に際して、「各校ごとの指導計画」に、本レポートが参考となれば幸いである。
<参考資料>
・文部科学省「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究者会議報告書」(04)
・文部科学省「キャリア教育の推進に向けて」(05)
・神奈川県教委「かながわキャリア教育実践推進プラン」(05)
・神奈川県立総合教育センター「キャリア教育ハンドブック」(05)
提言1.高総検からの発信「すべての高校生に職業技術教育を!」
1 はじめに
労働が職業資格を前提とする国では、就職前にある程度完成した職業教育・訓練が求められる。それをフランスのように学校形態で行うか、ドイツのように現場での実習を重視したデュアルシステムで行うかの違いはあるものの、職業につく者は、職業資格に向けての教育・訓練を受けることが必要とされる。職業資格は、基本的に各職種ごとに定められているので、かなり専門的な知識と技能の修得が必要である。
これに対し、日本の労働社会では、一部の専門職や技能職以外には職業資格は就職・就労にさしたる影響を及ぼさない。大多数の人にとって職業資格は必要条件でも十分条件でもない。学校卒業者の就職は、就職ではなく「就社」であり、入社後の職務内容は未定であることが多い。雇用慣行は近年徐々に変化しつつあるものの、新規学卒者に関しては、業務を特定せず採用し、入社後に様々な職務を経験させるキャリア形成が一般的である。それゆえ採用側は雇用に際し、職務に直結する専門的知識・技能をさほど重視せず、学力や協調性等の一般的資質を重視してきた。
日本では、職業準備教育は高校段階では、とりわけ普通高校では全く行われていない。専門高校でのそれもそれほど細分化されておらず、国際的に見た場合、職業教育といえないほど一般的で幅広い内容となっている。
そのため、多くの高校の卒業生は、進路選択に当たって十分な職業に関する知識と教養を持たないまま選択を迫られている。最近のフリーター志望の増加は就職難の厳しい状況があるものの、根底には彼らに職業的な見通しを与えられるだけの学習や経験がなされていないことがあると思われる。試行錯誤を含めた職業探索期間を青少年に保障し、それに必要な援助体制を整備する事が必要である。
一方、専門高校は普通高校と違って、高等普通教育と各分野の専門教育を用意する新制高校の理念としての体制を備えている。現在の大学受験競争の下で大学進学のための準備教育という伝統的・エリート的な中等教育感を払拭できない普通科においては、受験技術を身に付ける教育が支配的であり、高校教育の本来の目的がゆがめられている。
しかし、現在、専門高校のように普通科目が少ないと、そこから大学へ進学するのが非常に難しくなっているのが現状である。そして、高まる大学受験の波の中で、専門高校に入学してくる生徒の学力や生活態度などが厳しい状況におかれ、社会的な評価が低下してきたことも否定できない。
このような中、専門高校で学んだことを基礎に、卒業後も職場や大学等の教育機関において継続して教育を受ける必要性を述べた報告がある。
2 高等普通教育及び専門教育
47年に制定された学校教育法の41条には「高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施す。」ことが高等学校の目的だとされている。この規定を受けて「新制高等学校教育課程の解説(49年文部省発行)」には「ある意味においては、新制高等学校の生徒は全て職業科の生徒である。」「新制高等学校の教育課程が、第一に大学準備を目指して作られるということがあってはならない。それは、個々の青年が個性的に、社会的・公民的に、そして職業的に、最大の発達を遂げることを目標とすべきであって、この目標が達成されたならば、そのまま大学の入学準備になっているのである。教育課程は、本来、個人の全体としての人間性の発達をめざすものである。」と述べ、職業(専門)教育の重要性を強調している。
さらに、「新制中学校、新制高等学校の望ましい運営の指針(49年文部省発行)」には「新制高等学校は、(1)普通教育を主とする学校か、(2)専門教育を主とする学校か、(3)主として普通教育を希望する生徒と、主として専門教育を希望する生徒との両者を卒業させるだけの教科を準備し、一地域社会のすべての必要を一つの学校組織で満たそうとする総合型の学校から三つの種類のうちそのどれであってもよい」と総合制高校を定義している。
この総合制高校は、普通教育を希望する生徒と専門教育を希望する生徒の両者を同じ学校で教育し、国語9、一般社会5、体育9必修、選択必修として社会及び数学・理科のうちの1科目を5単位までの計15単位、合計6教科38単位を共通必修とし、他は自由選択制とした。この制度では、教科科目の自由選択によって卒業資格(普通教育を主とするか、専門教育を主とするか)の選択も可能であった。
しかし、施設・設備の問題や、政府に設置された「政令改正諮問委員会」の「教育制度改革に関する答申」(52年11月)に「高校では、総合制高校を分解し、普通課程と職業課程を分離して、学区制を廃止する」などが盛り込まれ、総合制高校は急速に崩壊していくことになった。
ここで、総合制高校は崩壊したが「高等普通教育及び専門教育」を併せ施す高校は職業高校のみが担うことになった。
3 総合学科高校へ
私たち高総検は第I期より「すべての高校生に、生産労働と教育の結合を目指す技術教育と、生産と労働及び流通機構に対する『健全な批判力』(学校教育法42条)と想像力の形成をめざす職業教育を共通の基礎として置き、更に青年期の発達に対応した個性化と、分化していくための専門教育の一分野としての職業教育を、教育課程の中に構成していくべきであると考え、これを総合制の理念の中でとらえている」と主張し、職業高校と普通高校の改革を提言してきた。現実には、神奈川において職業科高校は学科を基幹学科に統合し、高校生としての必要な「公民的資質の向上」にかかわる教科、専門教科の基礎となる普通教科の増加などがなされ改革は進んだが、上記の視点に立った普通科高校の改革はほとんど進まなかった。
普通教育と職業教育をともに行う教育は学校教育法の規程にある通り、戦後教育発足時の理念であったが(正確には普通教育と専門教育)、実現性を視野に入れたかたちでそれを提起したのは14期中教審答申(91年4月)であり、それを受けた「高等学校教育の改革の推進に関する会議」(文部省委嘱)(以下「推進会議」と略記)1次(92年6月)と4次(93年1月)の各報告が総合学科の骨格を示し、93年3月文部省は省令を改正して94年4月より制度として発足した。
総合学科の最も大きな特色は、普通教育と専門教育を選択により履修できるとした点であり、そのかぎりでは高校教育本来の理念を実現したかのような形式を備えており、日教組もすべての高校を総合化する「先導的試行」との評価を与えている。
しかし、履修形態をはじめ特徴とされるいくつかの点には、行政側の唄い文句とは別に後期中等教育の根幹に係わる重大な問題が含まれていることは留意されなければならない。文部省は93年3月22日付け初中局長通達で総合学科の設置を通知したのにともない、全国の関係機関に対しそれへの積極的取り組みを要請する通知を出したが、その中で総合学科の特色を発揮させるために制度の活用や教科目の開設を行うように求めた。これらはそのまま総合学科の特徴と考えられるので、以下職業教育の観点から問題点を整理してみたい。
第14期中教審答申は、「総合学科」は「職業学科を転換したり、普通科における職業教育の充実をよりいっそう押し進める形で設置していく」としている。
確かに従来の普通高校を改善したものになってはいるが、普通科を残したままその役割を総合学科に求めている以上、すべての高校生に職業教育を施すという従来からの高総検の視点はここでは見いだすことはできない。
その多くが職業高校ないし普職併置校からの転換であり、充分に専門教育を行わない総合学科への転換はいわば職業教育の切り捨てである。
さらに、科学技術の高度化、日本社会高学歴化さらには生涯教育への移行といった脈絡の中で、職業教育は高校卒業後の段階で実施すればよく、高校職業教育は普通教育と統合し、職業高校は総合学科に改編するべきとする論調(日教組「教育再生へのステップ」97年9月)がある。
専門高校の問題点は、第IV期高総検報告が述べているように「職業高校がなぜこれほどまでに魅力がないものになり、底辺に位置づけられてしまい、困難な状況になってきたのだろうか。その最大の理由は“能力と適正”名の下に子供を種別化(選別)したためではなかったのか。言い換えるならば、企業の労働力対策としての種別化(選別)の延長線上に職業高校が考えられ、そして職業高校が位置づけられたからではなかったか」と言える。 専門学科高校の総合学科高校への転換は、これらの職業学科が抱える問題の解決にはならず、高校改革の視点を歪めることになる。
高校を卒業して就職を希望している生徒が29万7千人(98年度21.8%)いるという現実を直視する必要がある。少なくとも現在及び近い将来において、高校を卒業して就職しようとする生徒に対して職業教育を系統的に学ぶことのできる機関は専門学科高校以外には考えられない。もちろん、専門学科高校の改革の必要性があることは当然である。
この項は高総検報告「職業教育を考える」(00年5月)、「これからの職業教育について」(02年12月)から抜粋したものです。
提言2.「普通科における職業教育」を考える
〜再編前からとりくまれた総合学科での「産業社会と人間」の実践を通して〜
1 新制高校の理念としての役割の実現
勤務校総合学科の「産業社会と人間」の構築は、94年の「魅力と特色ある学校づくりプラン」構想にさかのぼる。「魅力と特色ある学校づくりプラン」の作成にあたっては生徒の現状分析から始められた。再編前の全日制普通科校では、学習に対する動機や目的意識を持てず、進路未決定のまま卒業していくものが多かった。教育課程上も3年次の選択科目は生徒の希望にそったものではなく、学校として生徒の選びたい科目が用意できていない状態であった。生徒の多くは学校に対しての期待もさほどないように思えた。放課後の学校に生徒の声が響くことはあまりなかったといえる。そのような状態から、必修をできるだけ少なくし、選択を多くする教育課程を編成することになった。
県教委との様々なやりとりを経て、教育目標を「自分探し」と表現することにした。
普通科目、専門科目の他、「その他特に必要な教科」・「その他の科目」を設定した「総合選択制高校」としての道を歩むことになった。
「多様な選択科目」を設置し、生徒の将来の進路を見据えた履修・進路指導を行うた
めの中心的な科目として、1年次に「社会・職業・進路」(通称)「ガイダンス」を設置した。また、1年次には2年次以降の学習の基礎となるガイダンス的役割を担う必修科目を設置した。
その後、「社会・職業・進路」は、「産業社会と人間」に名称を変えた。これはすでに
総合学科になることが決定していたこともあり、校内的には専門科目を担当する非常勤講師時間数をできるだけ多く確保したいという思惑もあったからである。
2 職業準備教育としての「普通科」の役割
現行の学習指導要領においては、「普通科における職業科目の履修については、(中略)
自己の進路や職業についての理解を含め、将来の進路を主体的に選択決定できる能力の育成に主眼を置くことが大切である。この点に関し、(中略)「産業社会と人間」を設けることができる・・・。(中略)普通科においても、積極的に取り組むことが望まれる。」や、「自己の在り方生き方や進路について考察するとともにそれらを通して自らの進路等に応じて適切な教科・科目を選択する能力を育成する学習は、これからの高等学校において、どの学科でも重要な意義を有することから、学校設定教科に関する科目として「産業社会と人間」を設けることができる・・・。」と「産業社会と人間」の重要性が明示されている。
(学習指導要領解説 総則編 第3章 第6節4(1)、第3章 第2節4(4))
ただし、卒業までに修得しなければならない74単位の中で「普通科においては、学校設定科目及び学校設定教科に関する科目を履修し、習得した場合、(中略)その単位数を合わせて20単位まで(「中等教育学校、併設型高等学校は30単位まで」)卒業に必要な単位数に含めることができる。専門学科及び総合学科についてはこのような制限は設けられていない。」(「学習指導要領解説 総則編 第3章第7節2(1)」)とあるので、教育課程編成をする上で必要な「学校設定教科・科目」の取捨選択が必要になってくる。再編前の全日制普通科校においても初めのうちは「社会・職業・進路」(「産業社会と人間」)を含め、とにかく新たな魅力ある科目を作ろうということで20単位の件は後回しになった。
また、「産業社会と人間」の他に、普通科における職業科目の履修については、例として次のように示されている。
農業 「農業科学基礎」,「環境科学基礎」,「草花」,「食品製造」,「生物活用」
工業 「工業技術基礎」,「製図」,「情報技術基礎」
商業 「ビジネス基礎」,「商業技術」,「簿記」,「情報処理」
水産 「水産基礎」
家庭 「消費生活」,「発達と保育」,「児童文化」,「家庭看護・福祉」,「リビングデザイン」,「フードデザイン」
看護 「基礎看護」
情報 「情報産業と社会」,「情報と表現」
福祉 「社会福祉基礎」
(学習指導要領解説 総則編 第3章 第6節4(1))
再編前の全日制普通科校が総合学科となることを職員会議で決定したのは県教委から「普通科のままでは人的・物的両面で大幅な支援が行なえない。」と言明されたのが最大の理由であった。しかし、ここまで見てきたように学習指導要領に書かれていることを眺めると、普通科の枠の中でも県教委としては最大限の支援をするべきだったのではないかと今更ながら感じることが大きい。
ところで、「産業社会と人間」の指導事項は、主に次のようなものである。
@職業と生活
(職業の種類とその特徴に関すること、職業生活と法律等に関すること、勤労・職業の意義と望ましい勤労観、職業観を養うための学習に関すること)
A我が国の産業の発展と社会の変化
(科学技術の発達に伴う産業の発展と社会の変化に関すること、産業の発展と日常生活への影響についての考察に関すること)
B進路と自己実現
(職業と自己の適性をふまえて、自己の将来の生き方や進路について考察すること)
「高等学校教育の改革の推進に関する会議 第四次報告」(1993年)
「学習指導要領解説 総則編 第2章 第2節 4(4)」
文部科学省が「産業社会と人間」において構想したことは、現在まさに様々言われて
いる「キャリア教育」そのものであると言える。再編前の全日制普通科校では「社会・職業・進路」(「産業社会と人間」)においてキャリア教育が構想され、実践されてきたといえる。つまり中央教育審議会の答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」(99年)の中に行政文書として初めて「キャリア教育」という言葉が登場する以前から行われていたことになる。わずか2単位の科目のため「工業」「商業」「農業」「福祉」等のガイダンスの授業時間は各々年間わずか2?4hではあるが、職業教育の内容を含んおり、キャリア教育として考えることができる。
また、後に年間授業実施内容の中で示すように、職業やフリーター問題について考えながら各自の様々な進路実現や将来の生き方を考えていくことは @職業と生活 A我が国の産業の発展と社会の変化 B進路と自己実現 を総合的に学習することにもなる。
最近の傾向として、就業体験(インターンシップ)や社会人講師による授業を「総合的な学習の時間」やLHRの一部としてイベント的に実施し、これを「キャリア教育」と捉える傾向が中学校や高等学校において多くみられる。しかし、本来の「高等学校教育の目的」に照らして(職業教育の側面からも)議論されるべきことは、単発的なものではない継続的なガイダンスであるということである。科目として年間を通しての授業計画を立てることは教職員側にとって相当のエネルギーが必要とする。何よりも生徒の興味を引くようなことがらを教材化していくことで、学校としてのガイダンス体制のあり方がみえてくる。
3 総合学科高校として
次に示すのは再編前の全日制普通科校から現在の総合学科「産業社会と人間」の学習内容を抜粋したものである。
(1) 総合学科における「産業社会と人間」(2単位)の位置づけ(イメージ図)
(2) 年間授業実施内容(例示)
a.オリエンテーション
高校進学と学ぶことの意味など、この科目についての説明と動機付け
b.職業について
学校と会社との違いやフリーターについて考え、業種・職種にはどのようなものが あるかを提示した。また、目標とする職業についてPC室と図書室を使って調査・研 究を行った。
c.科目選択登録
2年次以降における選択科目の内容や進路との関連について説明をし、希望調査と登録の相談を実施した。現実には「進路に合わせて」という選択が難しい生徒も多いことが毎年の課題である。
d.専門教育(専門科目ガイダンス)
農業・工業・商業・福祉の各分野について、簡単な実習を含んだ授業を行った。
e.農園見学
近隣の農家に協力していただき、野菜や花、果樹などが栽培されている様子などを見学した後、この仕事に就いたきっかけや、苦労したこと、嬉しかったこと、消費者に望むことなどを語っていただいた。
f.@社会人講師による授業 T:自分で選択した講師の話を聞く(10月)
様々な話を聞き、将来の職業選択の参考とすることがねらいである。
A社会人講師による授業 U:ライフ・プラン作成のための講演会(2月)
生徒全員がすべての講師の話を聞き、様々な生き方にふれることによって、将来の自分の生き方を考える
g.職場等の体験学習
受け入れを了承していただいた事業所や施設の中から、生徒が希望にそって1日〜半日かけて実施する
h.自分を知る
客観的に自分の長所や短所を眺めて自分自身を深く知り、生き方を考えていく上での参考にする。
i.自立について
自分らしく生きることや、自分の力で生きるということについて考えさせる。
j.ライフプランを書く
この授業の最終的な目標(集大成)である。自分の一生をどう生きるかといことを文章化するのは生徒にとっては難しい課題である。
4 まとめ
高等学校の大多数が普通科であることを考えると、「すべての普通科に職業教育を」という高総検の従前からの提起を実現するために、普通科の各学校においても筆者勤務の再編前の全日制普通科校が実施してきた「産業社会と人間」の内容を取り入れる実践ができないだろうか。各校のカリキュラム編成上の課題をクリアすることはもちろん、行政側の条件整備の問題が一番大きいと言えるが、学習指導要領上は「産業社会と人間」は普通科においても実施可能であるから。むしろ、総合学科では「原則として入学年度に履修させること」となっているが、普通科ではこのことには触れていないし、1単位づつ複数年に渡って分割履修することも可能であろう。(「学習指導要領解説 総則編 第3章 第2節 1(3)」)
ただし、ここでいう「キャリア教育」とは決して労働政策側のための「望ましい勤労観、職業観」を養う教育としてあるのではなく、将来の自分の生き方を考えるきっかけづくりの場としての教育なのである。そのために、教育が安価な労働力の提供の場となってはならないことは言うまでもない。
<参考資料、引用文献>
・文部省中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」(99)
・文部科学省「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究者会議報告書」)(04)
・学習指導要領解説 総則編
・神奈川県立総合教育センター長期研修員研究報告「高等学校普通科における キャリア教育カリキュラムの開発」(04)
・神奈川県立総合教育センター(キャリア教育研究協議会資料)「キャリア教育単元開発に向けて」
提言3.多様化した労働の場で人間らしく生きる力を
1 内職で働いてきたA君の就職
この2月中旬、横浜文化体育館で「かながわ障害者就職面接会」が開催された。雨模様の寒い日の午後だった。ちょうど1週間前には、同じ会場で今年度最後になるハローワーク主催の高卒対象合同面接会が開催され、B君の「選択」に立ち会ったばかりだった。全日制高卒の一般求人は、7月1日の「解禁日」以後、求人企業から郵送または来校によって求人票が進路指導部に届けられ、就職希望の生徒諸君に公開されるのが一般的だ。今年度初めて定時制の進路担当になって「勝手が違う」ということを実感してきた。求人票が届くのを待っていては求人票は集まらず、2学期になっても生徒(4年生)は進路選択に動こうとしない。「先のことなど考えられない」という(素振りを見せる)生徒を追いかけ個別に進路相談をしつつ、職安高卒支援担当のKさんと連絡を取り合って就職先を紹介してきた。「障害者就職面接会」の紹介を得たのもKさんからだった。A君は、両親の離婚後母を亡くし、高齢で介護を要する祖母と3歳上の兄の3人暮らし。兄は高校中退後、就職した会社が昨年担当していた業務が閉鎖になり解雇。目下、失業保険を受けつつ求職中だった。近所に住む叔母さんが、実質的な親権者として経済的にも支援してきたが、その叔母さんにも限界がある。A君は、叔母さんの薦めもあって、保健福祉センターのケースワーカーと相談の上、年末にT病院で受診し、広汎性発達障害(PDD)・アスペルガー症候群と診断された。障害者厚生相談所で諸検査を受け、第2種知的障害と認定され、この1月に「療育手帳」を支給されたばかりだった。
「高校卒業・・・自立」を目の前にして、「親代わり」として無理を重ねてきた叔母さんにしてみてば、A君の生活基盤作りのために苦渋の末「認定が必要」と判断したのだろう。「手帳」があれば、様々な福祉のサービスや作業所・授産所の紹介を得ることができるからだ。A君の障害特性は、語彙も豊富でコミュニケーション能力も高く、一見して障害は見えにくいが社会的な経験・接触に乏しく表情や雰囲気を読みとるような非言語的なコミュニケーションが乏しいとのことだった。A君は高校2年の時から「内職」をしてきた、という。最初は信じられなかったが、一人で作業ができる「半田付け」の手作業である。卸業者から届けられる大きさ数ミリの端子に、細いリード線を2〜3ヶ所半田付けをする手作業である。1カ所半田付けして1円だという。1個の端子を仕上げて、2円〜3円。1日4〜5時間働いて700円〜800円、1ヶ月で2万円前後の収入だという。こんな「内職」があるとは、はじめて知った。A君は、自分が作った沢山の「製品」が何に使われる部品か知らないが、多分電子機器に使われる部品の一部であろう。この「内職」では、自立した生活など及びもつかない。また、市の保健福祉サービス課から紹介された小規模作業所を見学、説明を聞いてきたが、仕事量が一定せず収入も5〜6万程度しか望めないと言う。
この「障害者就職面接会」は、A君にとって初めての社会的挑戦であり、生活基盤を作れるか否かの試金石であった。参加企業153社、求人件数241件、求人数424名という大規模なものである。しかし、求人は、障害の部位によって肢体・車椅子・内部・視覚・聴覚・知的・精神の7部門に別れている。A君が対象になる「知的障害」の求人企業は33社。A君は、電気科卒業と言うこともあって情報処理関係の職種で2社と清掃業務で1社を選び面接・説明を受けた。午後1時から始まり4時まで、大勢の人混みと緊張の連続で、最後の面接が終わったときは全く疲れ切った様子だった。この面接会で、マッチングが合えば、1週間以内に求人企業から改めて面接の日時が設定される。予想できたことであるが、A君にはオファーはなかった。
2 学校から労働の場への関門
今年度の高卒就職状況は、近年の景気回復状況を反映して、求人数も増加し、内定率も大幅に向上している。07年問題(団塊世代の定年退職)も背景にあり、技能・技術の継承のためにも高卒採用を増加させていることも一因と思われる。高卒だけでなく、最近の労働統計によれば、「34歳以下、失業者3年で30万人減」「24歳以下、失業率7年ぶり低水準」と若年層の雇用改善を示している。(3月25日、日本経済新聞)しかし、こうした新規雇用を中心とした雇用改善の反面、「超就職氷河期」世代と言われた90年代後半に学校を卒業した30歳前後の若者は、フリーターや派遣労働など非正規雇用者が多く、「取り残された」世代と言う状況だ。(「週刊エコノミスト」3月28日号。特集「娘・息子の悲惨な職場、part4」)
こうしたマクロな雇用情勢とは別に、高校定時制生徒の「労働の場への関門」は、依然として厳しく大きな壁になって生徒の前にあり、生徒諸君はその壁を前に「立ちすくんでいる」ように思われる。それは、定時制生徒だけでなく、多くの高校生に共通する姿のように思われる。既に、高校生は「どの高校のどの課程に入学したか(出来たか)」によって自分の人生の漠然としてはいても「行方」を感じ取っている。定時制の生徒で「六本木ヒルズ」に象徴される「勝ち組」を目指すものは皆無に等しい。 「若者には無限の可能性がある」と言っても、それは他人事であって自分とは無縁のことなのである。「勝ち組か、負け組か」や「上流社会か下流社会か」という2項対立の設定そのものが現実的でないのである。自分の努力やがんばりによって変わり様のない生活、なるようにしかならない現実が色濃くある。生育史の中で刻まれてきた環境の「経済的・文化的貧困」の結果が、生徒の現実生活を規定している。親の生活(経済的・文化的)がどうであれ、まじめにこつこつ努力し、学校で良い成績を取って良い大学を出れば良い会社に就職でき、豊かな生活が出来る、という「学校教育を通した夢の実現」は、全く他人事なのである。生徒はもっと違った、厳しい現実の中にあり、浮ついた「希望や夢」を信じようとしない。「学びからの逃走」であり「学校教育への無期待」である。それでも学校に来るのは、「友達がいる」からであり、「高卒の資格」が必要と思っているからである。
経済的・文化的に余裕のない家庭状況に置かれている生徒は、保護者の過干渉又は過放任のもとにおかれ、同世代の「友達」と傷口を慰め合う閉じられた世界に置かれているように思われる。学校から労働の場・社会人になる過程で必要な社会性、先輩や同僚との人間関係構築や挨拶などコミュニケーションを訓練する機会と場を持ち得て来なかった。かつて、家庭や地域社会、又は企業社会が果たしてきたこうした教育機能は、喪失されて久しい年月がたっている。
新規学卒採用で行っている企業の採用基準は、人物本位であり、面接重視である。(3月20日朝日新聞「主要100社採用計画調査」)深い愛情からも厳しい試練からも関わりの薄く(それ故に、厳しい環境で育った)、自分自身を深く問う機会を持てず(あるいは、意識的に避け)、結果的に自分に自信を持てない生徒は、就職試験は大きな壁であり、そこで「立ちすくんでいる」ように思われる。自分の身の回りにいる大人の姿(親であり学校の教師である)を見て、「魅力的に働いている」姿を見たことがない生徒にとって、「働くことの大切さ」や「労働を通しての自己実現」と言われても別世界のことであり、「社会人になること、大人の仲間になること」自体に希望も魅力も感じていないように思われる。
3 キャリア教育に求められることについて
キャリア教育は、「学校と社会及び学校間の円滑な接続」を図ることを目的に、小学校段階から発達段階に応じて、家庭・地域と連携し、体験的な学習を重視して教育課程に位置づけて計画的に実施するものとされている。生徒自らが人生を歩む上で働くことの意義など望ましい勤労観や職業観を育み、職業に関する知識や技能を身につけ、主体的に進路を選択する能力・態度を育成する教育、と定義している。(「キャリア教育推進ハンドブック」P2、県立総合教育センター発行、05年3月)従来の進路指導の内容を含みながらも、学校教育全てに渡り、キャリア教育で育みたい力を5領域・10能力に整理し、能力目標を明確にした上で、関連のある教科など領域での学習を推進するとしている。(同,P10)以下、キャリア教育を推進するに当たって、気になる点について触れたい。
キャリア教育について様々なとりくみが行われはじめている。学校教育と関連しながら、文科省・労厚省・経産省などのとりくみとして、若年者就労支援の施設開設や施策も展開されている。関連するNPO法人や民間機関のとりくみも多様な広がりを見せている。産業構造の転換やグローバル化した経済体制の労働政策が背景にあるが、同時に若年者の職業意識の希薄化として、フリーターやニートの増加が指摘されている。「フリーター」と呼ばれる就業形態の若者と「ニート」と呼ばれる若者は、全く異なる概念であるにもかかわらず、「職業意識の希薄さ」という筋違いの等号でくくられていることに疑問がある。キャリア教育の意義・目的とフリーターやニートの問題は切り離して論じられるべき別個の問題だと思う。(詳細は、「『ニート』って言うな!」本田由紀ら3人の共著、光文社新書。中央公論06年4月号特集「若者を蝕む格差社会」参照)
詳細は別の機会に譲るが、現在のフリーターや派遣労働・請負など非正規雇用者は、量的にも質的にも基幹産業の労働力として構造化されており、労働政策・労働問題として捉える必要がある。非正規雇用者の賃金が正規労働者の50%程度というと不当に低い賃金(欧米では70〜80%と言われている)や労働条件・社会保険(雇用・健保・年金)格差が問題であり、非正規雇用から正規雇用へ雇用転換する労働政策がなされず、非正規雇用者の労働組合への組織化が進まず、労働条件改善の要求すら出されていないことが問題なのである。「規制緩和」の名の下で、労働条件の切り下げになる「多様な労働形態」を推進する労働政策が行われ、正規労働者においてもサービス残業の日常化や長時間労働の蔓延、厳しい人事評価システムによる無味乾燥とした「悲惨な職場」状況になっていることが問題なのである。フリーター・派遣・請負などの雇用形態に置かれた若者の意識や職業観の責にするのは一面的である。(「ニート」と言われる存在は、又別の側面から考察されるべきだ。)
学校から労働の場への接続は、何よりも雇用した企業が新入社員教育として行ってきた長い歴史がある。学卒の新入社員は、職業や労働に対して余計な知識を持っていることより、素直に何でも受け入れることが求められてきた。職場の先輩や人間関係の中で、技能・技術に関する訓練やOJT(現任訓練)で、「企業文化や風土」に染め上げることが会社への帰属意識や忠誠心を育てることに必要だったからである。
キャリア教育では、「望ましい職業観・勤労観の育成」が小学生段階から一貫して強調されている。「職業観・勤労観」は、「職業や勤労についての知識・理解及びそれらが人生で果たす意義や役割についての認識であり、職業・勤労に対する見方・考え方・態度などを内容とする価値観である」としている。(前掲書P162)ここで問題なのは、誰にとって「望ましい」のか、であり、その内容は何か、である。耐震偽造事件や欠陥自動車の隠蔽、高級官僚の天下りや財界の政治家へのヤミ献金や贈収賄など政財官のモラル崩壊状況が連日報道されている環境の中で、「望ましい職業観・勤労観」が求められているのは、「大人社会」であり、子どもたちには、どのように説明してもリアリティを持って明示的に示すことは難しい。
こうした「人生論」「生き方」にかかわることは、全ての人にとってあらかじめ「答え」が明示的にある分けではなく、伝統的な学校教育の方法論(教科書・黒板・ノートなど)とは異なる方法論と対生徒との関係(教授から援助へ)、教職員自らが「望ましい職業観・勤労観」を求め格闘しながら生きている姿(生き様・哲学)をさらすことが必要になるだろう。その意味では、教育の原点が問われることだと思う。
4 労働基本権学習と実技・技能教育を
昨年の10月、県立某高校の総合的な学習の時間(2年生)で、「労働基本権について」話をする機会を与えられた。真新しい視聴覚教室で多数の生徒を前にした久しぶりの授業と言うこともあって張り切っていた。初対面で様子の掴めぬ生徒諸君に、私なりのメッセージを届けたいと思って、労基法の解説ではなく私自身の若き日の中小企業での労働体験を語り、生徒諸君のアルバイトなどの労働体験を聞きながら労働の場と法規範との関係を語りたいと思った。一方的な講演・語りではなく、参加型の展開をしようと思った。結果的には、時間配分など全く意図したように展開できず、90分の貴重な時間を生かし切れなかった悔いの残るものとなってしまった。伝えたかったことは、
@労働の場にはいること、雇用関係を結ぶ(アルバイトも同じ)ことは、近代社会の市民として自立した個人が「契約関係」を他者(雇用主)と結ぶことであること。
A市民として「対等平等の関係」が、雇用関係(労働契約)においては成り立たず(力関係)、「労働者保護法」の法理がつくられていること。
B労働基準法は最低条件であって、その遵守と維持は労働する側の意見表明・意思表示、労働者の団結が必要不可決であること。
などであった。
ワークショップとして、アルバイト体験や求人票、残業賃金や変形労働時間制などについて、ゲーム形式でQ&Aを行ったが、みんな良く乗ってくれた。中にはメモを取る生徒もいて感動した。日常学習での先生方の関わりの良さを感じた。後日生徒諸君の感想文が送られてきたが、「労働基準法は難しそうだけど、講演を聴いて少しわかりました。自分のバイト先を訴えようかな。」「アルバイトのことなど、知らないことばかりだった」「自分もバイトしているからいろいろ勉強になった」「1日8時間と決まっていても、お父さんなどは8時間以上働いています」「パートで有給休暇が取れることを初めて知った」など、話しをさせてもらった者としてうれしい内容であった。私の自己紹介に多くの時間をとり、時間配分を間違えて「語り」が多くなったことやもっと「ツール」を工夫して「参加型の展開」をするべきだった、など反省点の多い「講演」であったのに、生徒諸君の「やさしさ」に救われた思いだった。
キャリア教育とは、自らが生涯にわたってとりくむ課題であって、自らの体験をベースにそれを自覚化し、勇気と自信を与えるものにならなければならないと思う。その意味では、人権教育や環境教育の目指すことや方法論と共通するものがある。何よりも、生徒の生きている現実を理解し、生徒の目線にたったものでなければ、学ぶことの喜びや「勇気と自信」を与えることが出来ない。
冒頭に紹介したA君は、2月下旬になって金型製造メーカーに就職することが決まった。事業者が私と同郷の出身であったことも幸いだったが、障害者雇用に理解を示してくれたことが大きかった。A君の履歴書の備考欄に「給料は、10万は欲しい」と書いてあったことを後から聞かされた。A君にとって、月収「10万」が生きていくためにぎりぎりの要求だったのだろう。この半年間,A君をサポートしながらも知ることが出来なかったA君の「思いの深さ」を感じて、言葉がなかった。
「学校から労働の場への接続」を考えるとき、是非ともキャリア教育の一環として職場体験やインターンシップだけでなく、「技能・技術の実技」体験、出来れば「資格取得」に繋がるものが必要だと思う。高校卒業後進学希望の生徒にとっても、「労働体験」に止まらない「実技体験・資格取得」は、それ自体として社会的に通用するものでなくても大きな「自信」を与えるものとなるように思う。
今、フランスで「若者向け雇用制度」(CPE)を巡って、高校生・学生と労働者(当然ながら教職員も含め)の連帯と共同闘争・ゼネストが展開されている。(06年3月28日、新聞各紙)雇用慣行は日本と異なるが、労働基本権の制限や有期雇用の拡大、資本の解雇権の拡大などその改悪内容や政治手法は共通している。「キャリア教育」は、学校・教室の内側だけでなく、生き生きした現実社会との関わりの中で「深く学ぶ」ことができるものだ。目の前にいる高校生が、同じ時代に生きている「フランスの高校生」の闘いから、そして日本の労働者・私たちが「フランスの労働者」の闘いから、何を学ぶのか・どう生かすのか、問われている、と思う。(*)
*「若者向け雇用制度」(CPE)
26歳未満の若者を雇用する際、2年間は試用期間として理由なく解雇できる制度。「解雇しやすくすることで雇用を創出する」ことを目的とする。06年4月10日、フランスのドビルパン首相は、同制度の事実上の撤回(機会平等法からの削除)を表明した。
(06年4月11日、新聞各紙)
提言4.まず自立した「人間」であるための教育を
〜コミュニケーション教育の実践を通して〜
現在、学校生活から職業生活への円滑な移行・接続のために、キャリア教育の導入が提唱されている。キャリア教育で育成するべき能力の中に、「自己理解力」「自己表現能力」「他者理解力」「コミュニケーション能力」が設定されている。演劇ワークショップは、これらに直結するツールであり、また、キャリア諸能力のほぼ全ての領域に有効性がある。(前掲、県総合教育センター「キャリア教育推進ハンドブック」『キャリア諸能力』参照)のみならず、演劇ワークショップには、生活や社会を相対化して認識する能力を育成する効果が期待でき、経済状況や雇用形態の構造的な変化による社会の厳しさに立ち向かう「生きる力」の基盤を育むことができるものと考える。コミュニケーション教育を、ディベート・プレゼンテーション・インタビューマナー等の技術習得のみに陥らせることなく、自己認識・他者理解・共有という人間関係の本質において展開することが教育課題の要と判断する。文科政策が競争主義や能力主義に転換していくならば、それに対抗する軸を現場実践から構築していく一助となるものと考えている。
総合学科の系列科目で「パフォーマンス」と「演劇」を担当している。初めに、私の実践は、「キャリア教育」を意識したものではなかったことをお断りしておきたい。「パフォーマンス」も「演劇」も、芸術的な「表現」を目指したものであり、実用性とはむしろ対極の方向性をもつものであった。現在もその方向性を転換しようとは考えていない。しかし、勤務校の地域性の中で、言葉と身体を使った表現を行おうとした場合生じてくる問題点に対処しているうちに、自然と社会や世界と向き合わざるを得なくなったという状況なのである。
04年度、「パフォーマンス」という授業を立ち上げた。この授業はもともと芸術科の教職員の提案で始まったもので、身体を一つの素材として作品化する、というような内容となるはずであった。本来ならば、芸術とは何か、というような理屈を理解してからでないとなかなかできるものではない。この点についての危惧は私に元からあった。ところが、授業が始まってみると、そんな危惧を持っていたことさえしばし忘れてしまった。杞憂だったからではない。そんなことよりはるか以前の問題が山積していたからだ。再編対象校が統合したばかりの学年(2年)で、パフォーマンスについて正しく説明を受けている生徒はいなかった。さらに、クラスの半数近くが南米・フィリピンから来た、日本語を母語としない生徒達であった。ほとんどの生徒はただ、ダンスができそうだという理由で受講していた。最初、私も一応「シラバス通り」の授業を進めようとしたが、ほどなく挫折した。そもそも、「パフォーマンスとは何か」という講義をしても、言葉が通じない。しかも、半分いる日本人の生徒にも、どうも通じているようには思えない。テーマを決めて表現するなど、全くできそうもない。彼らは、抽象的な概念から何かを得ようとする習慣があまり無いのだ。しかし、身体表現の善し悪しを見抜く力はある。そして、身体表現は万国共通語である。こんな当然のことに、今更ながら気づかされた。そこで、悪あがきをやめて、シラバスをどんどん拡大解釈し、身体表現中心の授業に切り替えていった。
さいわい、NPO法人STスポット横浜(*)が行っている「アート教育プログラム」によって、講師を派遣していただけることになった。演出家・俳優・ダンサーという表現のプロによる授業が始まり、生徒達は生き生きと動き始めた。しかし、そういう生徒達を客観的に見てみると、新たな問題が浮上してきた。彼らはほとんど自分の表現を完結させようとしない。ちゃんと踊っても「終わり」がはっきりしない。このことについて、講師の柏木陽さん(演出家・俳優)に話したところ、「自分に自信がないから、ここまでが自分の表現です、と提示したくないんじゃないかな。逆に言えば、これで終わり、という限界をつきつけられるのを恐れているとも思われる。」と言われた。納得できる解釈であった。自信のなさと表裏一体の頑なさは、再編統合前の学校で教えていた時期にいつも感じていた生徒の特徴である。しかし、どうすればその壁を突破できるのか。わからないまま新校総合学科高校の初年度は過ぎていった。
05年度は、「パフォーマンス」とともに「演劇」の授業も担当した。「パフォーマンス」の講師に来て頂いた香川亮さん(ダンサー)の動きの素晴らしさも忘れがたいが、ここでは「演劇」の講師であった明神滋さん(演出家)の実践について述べておきたい。明神さんは何度も、「このまま人と触れあう方法を身につけないでいると、世界がやばいことになるよ。」とおっしゃった。そして、せっぱ詰まった状況でのコミュニケーションの取り方を、演劇的な手法で教えてくださった。実は、この授業には外国籍の生徒はいなかったのだが、私はあいかわらず「日本語が通じない」と思い続けていた。それは私が生徒を引き上げていなかったのだなと反省した。そして明神さんは、他者を受け入れることのできる柔軟な身体づくりも教えてくださった。授業の最後にグループ別の発表があったのだが、どのグループもすべて「命のやりとり」のような演技を身体全体使って見せてくれた。彼らの表現はちゃんと完結していた。明神さんが「見事にやりとりして、見事に死んでたのがよかったね。」と言って下さった時、私も思った。「演劇のいい点は、死を疑似体験できるところだな。」映像ではなく、身体を使って自分の「生」を表現し、そして、死んでみる。こんな経験をしておけば、自殺衝動は減っていくのではないか。人も自分も生きている。こんな当たり前のことがわからない人間が、殺人を犯すようになるのではないか。「コミュニケーション」は、人の命に関わる問題なのだと、今は実感している。
*NPO法人STスポット横浜
87年11月に横浜市が開設した小空間「STスポット」の運営団体として、ボランティア
市民により組織される。00年4月に理事会を組織し、STスポットを公設民営劇場の新たな運営モデルとして位置づけ、広い意味での芸術振興を担う非営利機関として活動を続けている。
神奈川県民活動サポートセンター事業「かながわボランタリー活動推進基金21」の協働負担金事業として採択され、04年4月より、神奈川県(教育庁、県民部文化課)との協働事業「アートを活用した新しい教育活動の構築事業」のために、アート教育事業部を立ち上げる。問題解決能力、コミュニケーション能力の育成を目的として、県下の小・中学校及び高等学校等に、アーティストを講師として派遣し、総合的な学習の時間やその他の芸術・人文系科目等で、演劇やダンス、現代美術等の広範なアートを活用した授業を展開している。県立高校については、県教委高校教育課への申し込みを介して、アーティストの派遣がおこなわれている。(STスポット横浜HPより編集)
おわりに.社会と斬り結ぶ「生きる力」を育成するキャリア教育を
高総検は、本レポートの討議に際して、高総検委員およびオブザーバーからの実践報告・提言とともに、本田由紀著「若者と仕事〜『学校経由の就職』を超えて〜」(東京大学出版、05年)をテキストとして取り上げた。後述のように、高総検は、同書の主張の全てには賛同できない(*)のだが、キャリア教育についての教育政策の欠陥点を明確にし、現場でのとりくみの観点を明示する目的から、同書記述からそのために有効な部分を引用しながら、本レポートのまとめをおこないたい。
同書は、現状を次のように分析する。「日本の若年労働市場においては、従来の『学校経由の就職』を特徴づけていた組織の力強い関与が後退すると同時に、アメリカ的な『自由市場』化が政策的に推進され始めている。そしてそれを補完する施策として、やはりアメリカを見習って職場体験学習やプロフェショナル・スクール、キャリア教育の普及が推進されている。こうした方向性は、日本の若者が自由で力強い個人として労働市場で企業と渡り合うようになることを目指すものであるといえる。(中略)しかし現状の諸施策の導入過程に対しては、2つの重要な疑問を抱かざるをえない。第1に、これらの諸施策によって日本は実際にアメリカ的なシステムを構築できるのか。また、第2に、アメリカ的なシステムを目指すことが選択として妥当であるのか。」 その上で、教育政策を以下のように批判する。
「キャリア教育」の定義は、上記の中教審答申(既出、「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」)においては、「望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身につけさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する教育」とされていたが、「会議報告書」(既出、「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書」)においては「児童生徒一人一人の勤労観,職業観を育てる教育」とされ、中教審答申と比較して「職業に関する知識や技能」を身につけるという側面が後退している。 |
初等・中等教育において包括的に推進されようとしている「キャリア教育」については、職業意識の啓発に重点が偏り、職業形成能力が重視されていない。上述の「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議」報告書では、職業形成能力については「キャリア教育は、将来の職業人としての資質や能力を高めていくための教育活動でもある。このため、学校教育では基礎・基本の学習を充実・徹底するとともに、職業教育の素地を培い、専門性の向上に努めるなど,高等学校段階までの学習を,それ以降のより高度な専門的な知識・技能を習得する学習につなげていくことが求められる」と述べるに留めている。それに対して、意識・態度・関心・意欲などの涵養については極めて強調されている。(中略)昨今提唱されている「キャリア教育」は「一種の精神教育、道徳教育」に近いものであり、若者にとって具体的な武器となるべき職業的な知識や技術を与えるという観点が弱すぎるといえる。 ( )内は筆者注 |
本レポート序章において指摘した、県教委「かながわキャリア教育実践推進プラン」の欠陥点、「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書」にさえ指摘されている「キャリアを積み上げていく上で最低限持っていなければならない知識」(労働者としての生活を守る知識)を削除し、「社会奉仕」「規範意識」を強調する姿勢は、こうした教育政策の方向性を文科省よりもさらに徹底したものといえる。 また、同プランには、「職業に関する知識や技能を身につけさせる」ことに対する具体的なとりくみの指摘がなく、「キャリア教育に資する体験活動の充実」(ボランティア活動の推進、インターンシップの推進)にのみその責務を負わせて、「望ましい勤労観、職業観の育成や社会奉仕の精神の涵養」(「学習指導要領」 第1章 総則 第1款 教育課程編成の一般方針、「就業やボランティアにかかわる体験的な学習の指導」)の中に埋没させ、形骸化をしている。 労働政策におけるアメリカ的な「自由市場化」の是非はさておき、「日本の若者が自由で力強い個人として労働市場で企業と渡り合うようになること」はとうてい展望できない。
同書は、厚生労働省調査や他者論文引用(熊沢、98年)を通して、教育施策に対する対案を提示している。
厚生労働省が2003年に実施した「若年者のキャリア支援に関する実態調査」の結果をみても、正社員・「フリーター」・無業者のいずれもが「学校生活を通して教えてもらいたかったこと」として「職業に必要な専門知識・技能など」を挙げる比率が6割前後で、他の諸項目を大きく引き離してトップになっている。職業意識よりも具体的な職業能力を学校で身につけられることを若者は切望しているのである。(中略)若者の「心」への過剰な関心や介入は近年の日本社会において広く観察される傾向であるが、そうした内面への管理の強まりは危険な趨勢であり、かつ若者に対して実行ある変化を与えるものとは考えられない。 |
「『内容ゆたかな職業教育』は、まずノンエリートの青年男女が卒業後に就く可能性の高い様々な仕事の確かな意義と尊厳、それぞれの職業の歴史と文化、そして日本的経営のフレキシブルな職務割り当てに則した幅広い技能を教えなければならない。(本田による中略)内容ゆたかな職業教育は、しかし次には、そうした様々な職業に関する現実、労働者の仕事に許される裁量権の程度、労働条件や労働環境のようすなどを、『暗い』側面も含めて欺瞞なく語らねばならない。臨時には実際の職業人を教師とし、労働現場を教室とすることも必要であろう。そして、こうして職業生活の現実が生徒たち、学生たちにひきあわされた上で、内容ゆたかな職業教育は、その現実の中でもノンエリートの若者たちがゆとり、仕事のやりがい、よりましな労働条件など、継続的な職業生活に不可欠なものを獲得できるようなすべてを示唆しなければならない。その職業の人々が生活を守るために展開してきた運動の歴史や実例、今の若者たちには疎遠になっている労働基準法、労働三権、労働の安全と衛生に関する現行の、またあるべき規制などがカリキュラムの必須の要素となるべきことはここにいうまでもない。」(熊沢) |
(引用にあたって、本田は、以下を注釈) 職業教育を「ノンエリート」のためのものとする発想そのものが重大な欠陥を含んでいるのであり、そうした発想を変えて職業教育をあくまですべての若者にとっての権利と見なすことが必要である。 |
高総検は、キャリア教育における「生きる力」を、「社会と斬り結ぶ力」と再定義したい。本レポートは、極めて劣悪な教育条件の下ながら「産業社会と人間」においてとりくまれている「職業に関する知識や技能」についての実践、総合学習における労働基本権学習の実践、また、「社会と斬り結ぶ力」の前提となる「自己認識・他者理解・共有という人間関係の本質」にアプローチするコミュニケーション教育の実践、を紹介することを主体に編集した。
「高総検レポートNo.80『観点別評価』についての批判的論点」において、三浦朱門(作家、第7代文化庁長官、教育課程審議会会長歴任)の「ゆとり教育」に関する暴言を紹介した。いわく、「『ゆとり教育』の本旨は“100人に2〜3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばす為の『選民教育』である」「限りなく出来ない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」(斉藤貴男著「機会不平等」、文春文庫、04年)。キャリア教育についての教育政策は、この「暴言」にそのまま重なるのではないだろうか。
「『キャリア教育』とは決して労働政策側のための『望ましい勤労観、職業観』を養う教育としてあるのではなく、将来の自分の生き方を考えるきっかけづくりの場としての教育なのである。そのために、教育が安価な労働力の提供の場となってはならないことは言うまでもない。」(「提言2」より)というスタンスを確立し、現場のとりくみにおいて、キャリア教育を再定義していくことが必要である。その実践は、すでに萌芽している。
*「若者と仕事〜『学校経由の就職』を超えて〜」について
同書は、「現在の教育にとって最大の課題は、その『意義(レリバンス)』殊に『職業的意義』をいかにして回復するかという点にある」とする。「学校と企業との組織的連携関係に基づく『学校経由の就職』の遺制を取り払った上で、個々の若者を単位として包括的な支援の網をかけるという戦略が、〈教育から仕事への移行〉の再編のためには必要となる」ことを構想し、高校教育改革の方策として、「すべての高校を長期的には何らかの基礎専門に特化した高校へと再編すること」「すべての高校を水平に分化させた上で、各基礎専門分野について、教育内容の『意義』、特に『職業的意義』を高めていくための恒常的なしくみを構築することが必要である」と提言している。いわば特色多様化の専門教育の視点からの推進である。同書には「進路変更を可能にする柔構造」などの措置についても指摘されているが、「県立高校改革推進計画」が、その基礎となった「県立高校将来構想検答申」(98年9月)に構想された「生徒がさまざまな観点から高校を選ぶようになることによって、高校間の序列意識の変革が促される」という観点が実現されていない現実から、特色多様化によって「すべての高校を水平に分化させ」ることは不可能と考える。
高総検は、同書のキャリア教育についての指摘を討議のテキストとしたが、高校教育改革についての提言には賛同しない。