高総検レポート No 84

2006年9月19日発行

「観点別評価」についての批判的論点3

教育課程の編成権を侵害する県教委の姿勢を改めさせよう

 
文科省は、教育課程審議会答申「児童生徒の学習と教育課程の実施状況の評価のあり方について」(2000年12月)を受け、2001年4月「児童生徒指導要録の改善について」(通知)を発した(以下「通知」とする)。
 それによると、小中学校においては指導要録の記載を    

(1)各教科の評定について、学習指導要領に示す基礎的・基本的な内容の確実な習得を  図るなどの観点から、学習指導要領に示す目標に照らしてその実現状況を評価することに改める。
(2)「総合的学習の時間」・・・評価を文章記述する欄を新たに設ける。
(3)「生きる力」の育成を目指し、・・・「行動の記録」の項目を見直す。
(4)「生きる力」は全人的な力であることを踏まえて、・・・・所見欄等を統合する。

 としているのに対して、高等学校においては、
 『各科目の評定については、「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識 ・理解」の四つの観点による評価を十分踏まえるとともに、「総合的学習の時間」につ いて、・・・』として小中学校とは異なる評定の記載を通知している。
 そして、参考様式としての指導要録の様式については、別紙に見られるように小中学校が観点別学習状況を踏まえての評価を記載し、それに基づいた評定記載を行うこととしているのに対し、高等学校では従前通りの(総合的な学習の時間のみ変更された)評定のみの記載となっているのである。しかも、この「通知」は指導要録の変更のための通知であり、高等学校における内容は「四つの観点による評価を十分踏まえ」ることを求めているにすぎない。「通知」の目的は、各学校において「文科省の示した」参考様式に沿って、「適切に指導要録が作成されること」なのである。
 また、同時に示された「高等学校生徒指導要録に記載する事項等」においては、「1.各教科・科目の学習の記録 (1)評定 イ 評定に当たっては・・・」で、「知識や技能のみの評価など一部の観点に偏した評定が行われることのないように、・・の四つの観点による評価を十分に踏まえながら評定を行っていくとともに、5段階の各段階の評定が個々の教師の主観に流れて客観性や信頼性を欠くことのないよう学校として留意する。その際・・・それぞれの科目のねらいや特性を勘案して具体的な評価規準を設定するなど、評価のあり方等について工夫・改善を図ることが望まれる。」としている。長い引用となったが、この部分は県教委が高等学校における観点別評価を導入する大きな根拠としている部分だからである。


1.評価と評定

 学校教育法では、教諭は児童の教育をつかさどる(第28条)としており、高等学校はその第3項以降を準用するものとしている。学校教育には、教育の結果として「評価」が行われており、それは教育をつかさどる教諭のみに与えられている。「評価権」が教諭に付与されている所以だが、当然この「権」は権能としての「権」であり、客観性・平等性に加えて、さらに納得性が必要であろう。一方評定は、科目毎に担当教諭の評価に基づいて学校が行うものであり、「通知」においても「評定が個々の教師の主観に流れて・・・ないよう学校として留意する」としているように、評価は教員が行い、評定は学校が科目毎に定めた規準に基づいて行うとしているのである。これまで高等学校では、評価と評定の分離は明確ではなかったが、観点別評価によってそれを明確にしたのである。


2.変更されていない高等学校指導要録

 「通知」における「小中学校指導要録の改善」では、指導要領に定めた目標への到達度評価へと変えられた。それが相対評価から絶対評価へと言われるものであり、同時にこれまでも行われてきた観点別評価を、「学習の記録」に記載するように変更したのである。小中学校の「児童・生徒指導要録に記載する事項」において、「各教科学習の記録」に「観点別学習状況および評定について記入する」としている。このことから見ても、小中学校においては観点別評価を指導要録に記載しなければならず、そのことが観点別評価を行わなければならない理由となっている。一方、高等学校はもともと到達度評価=絶対評価であり、「・・要録に記載する事項等」では、「評定は5段階で表し」のみとし、観点別評価を踏まえた評定を行うことを述べてはいるが、評定に関する指導要録の記載については何らの変更も行われていないのである。


3.科目毎に設定される「評価規準」

 小中学校における観点別評価は、その評定への総括化において「観点別学習状況の評価を、どのように評定に総括するかの具体的な方法については、各学校において工夫することが望まれる」として、学校の主体性にゆだねている。高等学校においては、前述したように「科目のねらいや特性を勘案して評価規準を設定するなど、評価のあり方に工夫・改善を図ることが望まれる」として、科目毎に規準を設定し、その評定は科目毎の主体性にゆだねているのである。では、ここで言うところの「望まれる」をどう考えればよいのであろうか。指導要領での「日の丸・君が代」についての記載が、「望ましい」から「するものとする」と変えられたことによって指導要領を前提とする強制が始まったことを考えれば、高等学校においては一律的に観点別評価を導入するべきことでないことは明らかであろう。
 また、中学校指導要録の「観点別学習状況」においては、「中学校学習指導要領に示す各教科の目標に照らして、その実現状況を観点毎に評価し、・・・」、それを総括的に評価したものを評定とするとしている。それに対し、高等学校では、「高等学校指導要領に示す各教科・科目の目標に基づき、学校が地域や生徒の実態に即して設定した当該教科・科目の目標や内容に照らし、その実現状況を総括的に評価して・・・」としているように、教科・科目の目標が学校毎・科目毎に異なることを前提として評価・評定を行うこととしている。このことから見ても、観点別評価の規準を一律的に押しつけることは、「通知」にすら即していないと言わざるを得ない。


4.評価規準と評価基準
 県教委がしばしば強調することに、評価基準と評価規準の違いがある。評価規準(criterion)とは、質的に設定された目標であり、 評価基準(standard)の数量的到達目標とは異なるものである。しかし、県当局は、この違いを「規準」の規は「規則」の規であり、従わねばならぬものと説明している。これは全くの誤謬であり、もし承知してそのようにごまかしているならば大変な問題である。
 このように、言葉をきちんと把握せずに間違えて説明したり、意図的すり替えが行われたりしている例は他にもある。「関心・意欲・態度」は、2005年10月の県教委の「手引き」によっても、学習内容に対するものであるとしているように、授業態度など外に現れた「態度」ではないことは明らかである。しかし、その手引きでも「授業観察やワークシート、ペーパーテストなどを資料とし」とするなど、内面の評価を外に表されたものだけで行うとしている。このように、規準が質的に設定されたものでありながら、実は量的に表された基準にシフトしているという矛盾を自ら犯しているのである。また「通知」で、「ペーパーテスト等による知識や技能のみの評価など一部の観点に偏した評定が行われることのないように」(通知)するために観点別評価を導入させるのに、「手引き」では「『関心・意欲・態度』を評価する定期試験などの問題の研究は必要である」とし、ペーパーテストでその評価を行うように説明するような自己矛盾に陥っているのである。


5.観点別評価の目的「生きる力」とは?
今回の観点別評価の導入の目的は、「学力」を知識の量でとらえるのではなく、「生きる力」が育まれているかどうかによってとらえるためとしている。では、「生きる力」とは何であろうか。基礎的・基本的な内容の習得と観点別評価の導入によって、自ら学び考える力が育成され、生徒の主体的な学習を促すことによって「生きる力」が育まれるというのである。観点別評価の方向性は、「目標に準拠した評価」・「個人内評価」・「評価と指導の一体化」・「評価に対する説明責任」・「評価方法の工夫・改善」にあり、このことによって生きる力が育まれる説明するが、これは、はなはだ疑問と言わざるを得ない。観点別評価の高等学校への導入の目的が、このような漠然としたものではなく、本当の目的が指導要領と評価による教育支配の貫徹にあるとすれば、非常に理解しやすいと言える。現在「説明責任」と言う口実で多忙化が進行し、職場では教員と生徒の関係性の希薄さが進んでいる。もし、次に示すような観点別評価の「具体的評価の手順」を、行うとすればその評価の対象者(生徒)が小中学校に比べて非常に多い高等学校においては、膨大な作業量となり、結果としていっそう生徒との関係が希薄となることは間違いないであろう。

《具体的評価の手順》
@ 評価に関する共通理解
A 教科の目標と評価の観点の共通理解
B 学年・単元毎の評価規準の設定   
C 指導・評価計画の作成。評価方法の決定
D 観点別学習状況の評価
E 評定
*Dの作業
 「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」の観点に沿って、ABCで評価。単元毎の評価を積み上げ、年間を通しての観点毎の評価をまとめる。5段階の評定を付ける。


6.カリキュラムの編成権は各学校にある
 文科省も、県教委も否定できないものとして「教育課程の編成権の所在」がある。各学校の責任で編成された教育課程によって設定された各教科・科目を、どのように評価するかは各教諭の責務であり権能である。そして、それに基づいて学校が評定を行うのである。
 一方、通知表は、評定を本人や保護者に対して通知するものであり、学校の責任で発行される。各学期の通知表は、あくまでも中間段階のものであり、どのように通知するかはこれまでも各学校で様々な独自の方法がとられてきた。そのため、10段階、5段階、素点通知、通知しない場合すらあった。また、通知表はあくまでも連絡表であり、正式な評定簿は指導要録である。このことから通知表は、最終的には指導要録通りでなければならないこととなる。しかし、高等学校の指導要録には観点別評価の記載は無いのである。この意味で観点別評価についても高等学校では評定を出すための内部資料にすぎないはずで、指導要録に観点別評価を記載しなければならない小中学校とは明らかに異なるのである。「手引き」において、「方法の一つとして観点別評価の欄を加えた通知票」「定期テスト毎や、学期末に(評価表を)配布する方法なども考えられる」「通知票の様式は特に定められていない」などとしているにもかかわらず、コンピュータを使って成績処理を行っている学校ではシステムを改めろと「命令」している。これは、明らかに教育課程の編成権の侵害と言わざるを得ない。そうでないとすれば、「コンピュータの成績処理」とは、「県のシステム」を用いて成績処理を行っている学校に限定されるはずである。
 さらに、各学期の成績会議における審議をどのように行わせようというのであろうか。
「手引き」では、個表、一覧表の変更は「コンピュータ」を使っている学校に限定しているはずなのに、すべての学校で変更させようとしているのはなぜであろうか。また、中学校で観点別評価の導入によって「絶対評価」を導入し、成績平均値の目安をなくしたように、これまた「命令」で各学校の教務内規まで変えさせるのであろうか。
 また、調査書と観点別評価の関係も重要である。入試等で中学校から高等学校に送られてくる調査書には、観点別評価の記載があり、評価と評定の関係を見て取ることができる。しかし、高等学校が作成する調査書は、当然指導要録の記載にはないために、評定だけの記載となり、評価と評定との関係は不明となる。このことからも、小中学校で導入された観点別評価を、高等学校においても同じように導入させる必要はないことは当然である。


7.拙速な観点別評価の導入を阻止しよう
以上見てきたように、小中学校での観点別評価を同様の方法でもって高等学校でも行わなければならない理由は極めて希薄である。だからこそ、神奈川以外の都道府県は高等学校での導入をためらっているのに、なぜ神奈川だけが実施しようとしているのであろうか。しかも、2006年度実施としていながら、県教委が「手引き」を出したのが年度も押し迫った2005年10月で、実質的に現場で流布されたのは2006年に入ってからである。しかも、評価と教科指導の一体化を言い、「教務内規の変更まで指示」するなど教育課程の編成権を侵害しかねない内容となっているのである。
 このように見てくると、観点別評価の導入は、高等学校の運営上大きな問題点をはらんでいると言わざるを得ない。本来、評価方法を含め教育内容を変えるためには、学級規模の縮小(25人程度の学級編成)、教員の業務の縮小、教職員定数の改善など教育条件の整備が必要である。しかし、それどころか逆に業務量の膨大化、教職員定数の削減、定時制学級編成の拡大などが進められているのである。このような状況で観点別評価を行うのに必要な、生徒と教員、教員同士の意志疎通を十分に図ることが出来るのかははなはだ疑問であり、今観点別評価を高等学校において強行導入を図れば、形式的評価もしくは評価のための評価となり、生徒の「生きる力」の育成とはならないばかりか、生徒と教員との信頼関係すら破壊されかねない。今、必要なのは、高等学校教育に不要な混乱をもたらしている「観点別評価」を「一律的に導入させる」のではなく、観点別評価を行う主体である生徒・教員の十分な理解と納得の上で導入するべきであり、拙速な導入を図ろうとする県教委の姿勢は改められなければならない。



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