高総検レポート No 87

2007年2月23日発行

教基法改悪から教育再生会議報告へ
〜 何がおこなわれるのか、どうやって対抗するのか 〜

1.06教基法を世論は支持していない。

 教基法が改悪された。政府の改悪法案は、06年12月15日第165臨時国会(参議院本会議)において可決され、12月22日に公布・施行をされた。これは、政府与党の数の暴力以外の何物でもない。
 新聞世論調査では、以下の結果が示されており、慎重審議が国民の声であった。

朝日 06年11月25日)
「教基法『改正』で教育はよくなると思うか」、「よくなる」4%、「悪くなる」28%、「変わらない」46%。

(日本経済 06年11月28日)
「今国会成立にこだわるべきではない」55%、「今国会での成立が必要」19%。自民党支持者「今国会成立にこだわるべきではない」53%、「今国会での成立が必要」25%。

 また、12月6日には、西原博史(早稲田大学教授)・廣田照幸(日本大学教授)・藤田英典(国際基督教大学教授)を呼びかけ人とする、参考人・公述人21人による、国会における徹底審議を求めるアピールが公表され、12月13日に、署名簿が参議院教基法に関する特別委員会委員に提出されたが、その賛同署名は1万8084名を数えた。さらに、12月11日には、日本弁護士連合会の、50弁護士会と2弁護士会連合会が教基法改悪反対を訴える会長声明・意見書・決議等を発表している。
 しかし、野党4党による、いじめ問題・未履修問題・タウンミーティングやらせ問題の追求が審議不十分のまま、衆院内閣不信任案・参院伊吹文科相問責決議案提出を押し切って、強行採決がなされた。
 教育が政治に翻弄される時代となった。
 新聞報道によれば、政府は、教基法改悪後のスケジュールを以下のように立てている。\

・1月24日 教育再生会議第1次報告

・1月25日招集 通常国会
(学校教育法・教員免許法・地方教育行政法改悪案提出)

・5月 教育再生会議第2次報告
(学校週5日制の見直しや「バウチャー制度」導入など)

・6月 「経済財政の基本方針(骨太方針)」〔2次報告内容反映〕

・夏頃 中教審教育振興計画答申・閣議決定・国会報告

・12月 教育再生会議最終報告

・08年1月 通常国会〔最終報告内容反映〕

・07年度中 学習指導要領改訂・告示
*報告実現の行動計画作成、実行状況追跡調査*
(神奈川06年12月16日、毎日07年1月24日、朝日07年1月25日、による)

2.あらためて教基法改悪の意図を確認しよう。

  1. 「国民の権利」を保障する法律から「国家戦略」のための法律に転換

    世論が教基法改悪強行採決を支持しなかったのは、教基法を今なぜ「改正」しなければならないのか、どのような視点に立って「改正」しようとするのかが、明確に説明されていなかったためためである。換言すれば、教育現場にとってのその有効性が説明不能であるからである。
     03年3月20日の中教審答申「新しい時代にふさわしい教基法と教育振興基本計画の在り方について」をその目的とするならば、「21 世紀を切り開くたくましい日本人を育成する」ため、つまり、グローバル化した大競争時代を勝ち抜く国家的人材を育成すると同時に、市場原理が生み出す社会的分裂を回避するために落ちこぼれた人々も含めて国民的な統合を図ることが狙いである。これは、「教育の憲法」が、国民一人一人の学習する権利を保障するものから、国家戦略としての人材教育立国、科学技術立国の手段に下落したことを意味する。
     例えば、06教基法第8条(私立学校)は、47年教基法にはない独自の項目の一つであるが、すでに、私立学校について総合的に規律する私立学校法があり、私学振興についても、私立学校振興助成法をはじめとして実定法上の私学振興の制度があり、実際に私学振興のための助成が行われている。私学振興という点から言えば、教基法を変えてまで新たな規定を盛り込む必要はどこにもない。06教基法が教育を考えていない一例である。
  2. 能力主義 = 切り捨て主義}

    06教基法第4条(教育の機会均等)には、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」と記されている。
     「中間報告」(04年6月)では、「ひとしく」が消去されていたが、広範な批判を受け復活した。しかし、その意図は変わらない。
    第2条(教育の目標)2 号で「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性をはぐくみ」と定め、第5条(義務教育)2項で「前項の普通教育は、個人の能力を伸ばし、社会において自立的に」と説いているように、教育の基本的な目標をまず「個人の能力の伸長」という能力主義に置いている。
    能力主義とは、すなわち切り捨て主義であり、「落ちこぼし」を許容する教育をおこなうことである。
  3. 国家主義 = 国家管理統制強化

     焦点となった「愛国心」、すなわち、「我が国と郷土を愛する」「態度」(第2条 教育の目標5)のみが問題ではない。国家統制強化の意図は、06教基法のあらゆる条文に張り巡らされている。
     前文には、47教基法の文言に、「公共の精神を尊び」、「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育」、「その振興を図るため」という言葉が追加補充されている。また、「この(憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」という憲法理念実現の決意をあらわす文章が削除・改変をされている。「日本国憲法の精神にのっとり」という文言は変わらないが、06教基法に言う「憲法」とは憲法改悪を想定したものであることは言うまでもない。これは、教基法が、あるべき「国のかたち」を法典によって上から国民に教え込もうとする性格に変えられたことを端的に示すものである。 
     第1条(教育の目的)については、47教基法第1条では、真理・正義の教育、個人の価値の尊重、勤労と責任、自主的精神といった教育のあるべき目的が明示されていたが、06教基法第1条では、「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」「国民の育成」となっている。つまり、国家や社会に役立つ資質をもたせる教育を「教育の目的」と規定している。
     また、第1条では、何が「必要な資質」なのかを明示せずに、47教基法にはない第2条(教育の目標)を掲げて、1〜5号で補完をしている。その内容は以下の通りである。
     @個人的資質(知識と教養、真理、豊かな情操と道徳心)、A個人の能力(個人の価値、能力の伸長、創造性、自主的精神、職業・勤労の重視)、B社会性(正義と責任、自他の敬愛と協力、公共の精神)、C自然(生命の尊重、自然・環境の保全)、D国家・国際(伝統と文化、国と郷土への愛、他国の尊重、国際平和)
     47教基法第1条の教育目的として掲げられた「真理と正義」、「個人の価値」、「勤 労と責任」、「自主的精神」などの文言も取り入れられているが、それは拡散し、異なった文脈で述べられているため、意味が違ってきている。これは、国家政策的な教育の要素を多く混在させ、教育に対する国家統制を図ることを狙いとしている。
     第16条(教育行政)は、次のように改変されている。
     「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
     2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。」(以下略)
     「中間報告」に対する広範な批判により、47教基法第10条の「教育は、不当な支配に服することなく」という言葉は残存した。しかし、「(教育は)国民全体に対し直接に責任を負って行われる」と述べる直接責任条項は削除されている。これは、国民による学校教育へのコントロールを位置づけるもの機能してきた条項である。
     この改変は、政府の規制改革会議で検討されている「地方自治体への教育委員会の設置義務撤廃」に作用する危険性がある。

     *規制改革・民間開放推進会議〔前身機関〕最終答申案「教育・研究分野」(06年12月6日)では、教育委員会制度の抜本的改革=地方自治体への教育委員会の設置義務撤廃(中間答申)は、07年度以降の検討課題に持ち越し(読売 06年12月7日)

     また、直接責任条項に変えて挿入された「この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」という文章は、教育行政の教育内容に対する「不当な支配」である介入を指示する法律が制定された場合に、それを保障するものとなる。
     加えて、47教基法第10 条の「教育の目的を遂行するに必要な諸条件」という、教育行政の職責限定を示す言葉を削除し、「教育に関する施策」に関する2項を加えたことは、国の教育内容(教育課程)への関与を保障するものである。
     さらに、新たに起こされた第17 条(教育振興基本計画)がある。
     「政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。
     2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。」
     この条文は、教育行政のあり方を根本から変える。教育政策の定立が立法府による法律制定から行政府による計画策定に移行することを意味する。つまり、教育行政に対する内閣府などの影響力が強化され、予算配分だけでなく、教育計画の機能までが権力中枢に集中し、文科省の主体性や教育行政の自律性が失われることとなる。具体的には、教育バウチャー制などの新自由主義的な政策が、この回路から押しつけられてくる危険性がある。

3.憲法改悪阻止のとりくみと連動して、教基法改悪の意図を無力化しよう

教基法改悪は、言うまでもなく憲法改悪の布石としておこなわれたものであり、現行憲法やその理念と整合しない。憲法改悪阻止のとりくみを通して、教基法改悪の意図を無力化することを展望するべきである。

  1. 06教基法の位置付け自体に違憲性がある

    47年教基法の教育の目的が子どもの発展を基本としているのに対して、06教基法は国家と社会に役立つ資質を持つように子どもを教化することを目的としている。その位置付け自体が、憲法に抵触し、国際法にも違反する。
     憲法26 条「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」は、「教育を受ける権利」の人権保障を謳っている。憲法13 条「全て国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。」が、「個人の尊重」を人権の基本原理に掲げ、国家や共同体優位の思想を否定していることを考え合わせれば、06教基法の違憲性は明白である。判例でも、76年5月21日の旭川学テ事件において、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとの最高裁判決判がなされている。
     国際法との関連で言えば、国際人権社会権規約13 条(教育についての権利)は、教育の目的として「人格の完成と人格の尊厳についての意識」と「人権及び基本的自由の尊重」とを挙げている。また、子どもの権利条約29 条(教育の目的)は、子どもの人格の発展や人権の尊重を基本とする教育目的を掲げている。国家・社会に有益な資質の育成を第一義とした06教基法は、これらの国際法にも抵触する。
     特に、第2条(教育の目標)によって、「愛国心」教育が法律で強制されるようになれば、それは、イデオロギー教育以外の何者でもなく、憲法19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」の人権保障を著しく侵害することとなる。
     しかし、06教基法は、47教基法第6条の「全体の奉仕者」という教員の職責についての規定、第10 条の「(教育は)国民全体に対し直接に責任を負って行われる」という直接責任条項、「教育の目的を遂行するに必要な諸条件」という教育行政の目標限定条項を削除している。第2条(教育の目標)に「学問の自由」という言葉は残ったものの、憲法理念に基づいた「教育の自由」(国家などの独占・干渉を排除した、教育独自の論理に基づく自律的・自主的運営の保障)が阻害されていく危険性は極めて高い。
     学校教育法第28条6項の「教諭は教育を司る」は、戦前の教育法規である「国民学校令」第17条2項の「訓導ハ学校長ノ命ヲ承ケ児童ノ教育ヲ掌ル」の「学校長ノ命ヲ承ケ」の部分を削除して成立している。これは、47教基法第10条に呼応するものであり、「教職員の教育実践の自由」を、学校の外部からの「不当な支配」のみならず、学校の内部に存在する校長を始めとする管理職からの「不当な支配」からも免れる性質を持つものとして規定している。さらに、学校教育法42条(高等学校)3項「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること。」は、そうした「教育の自由」が保障されて、初めて達成できる教育目標である。
     教基法改悪にともなって目論まれている関連法規改悪は30数本に上るという。47教基法に呼応した学校教育法その他の現行法を、憲法理念から、守り活用するとりくみを展開するとともに、66 年のILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」などの国際的共通認識と連動させて、教基法改悪の意図に対峙する基盤を作り上げる必要がある。

    *ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」8.教員の権利と責任・職業上の自由
    61 教育職は専門職としての職務の遂行にあたって学問上の自由を享受すべきである。教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するための格別の資格を認められたものであるから、承認された計画の枠内で、教育当局の援助を受けて教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて不可欠な役割を与えられるべきである。
    62 教員と教員団体は、新しい課程、新しい教科書、新しい教具の開発に参加しなければならない。
    63 一切の視学、あるいは監督制度は、教員がその職業上の任務を果たすのを励まし、援助するように計画されるものでなければならず、教員の自由、創造性、責任感をそこなうようなものであってはならない。
  2. 「開かれた学校」の実践成果をもって教基法改悪の意図と対峙しよう

    「開かれた学校」という言葉が使われて久しいが、その語義が不明確なまま、語感は大きく変転をしている。学校・家庭・地域の連携という従前からのとりくみをイメージの基盤としつつも、学校の説明責任から始まり、地域やNPO・市民団体等と協働した教育実践に、そして現在は学区撤廃や外部評価等による競争原理導入にと、その意味合いが教育政策の変化に伴って都合よく変化させられている。
     高総検は、03年度以来「私たちが求める『開かれた学校づくり』」をテーマとし、統制・競争を排し、協働・参画の学校づくりを追求することを課題として活動を継続してきた。その意味における「開かれた学校」を追求し、実践の成果を拡充させることによって、学校内に教基法改悪の意図に対峙する「治外法権」をつくることが展望できる。
     06教基法には、47教基法の第2条「教育の方針」(「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。」)に該当する条文がない。「あらゆる機会に、あらゆる場所において」の文言は、第3条「生涯学習の理念」に残されているが、これは、常識的一般的なことを述べているだけであり、作成の趣旨が不明瞭である。この文言を削除することへの批判をかわすために立てられた条文ではないかと疑われる。
     また、06教基法第5条(義務教育)には第1条の「教育の目的」が記載され、第6条(学校教育)には第2条の「教育の目標」の達成が謳われているが、大学・私立学校・家庭教育・幼児教育・社会教育・家庭及び地域住民との相互の連携協力、の各条文にはその規定がない。つまり、教育目的を冠するのは、義務教育・学校教育(「法律に定める学校」から大学・私立小中高校・幼稚園等が除かれることとなる)のみと読み取れる奇妙な構成となっている。これは、憲法改悪をまつことなく、家庭や社会に至るまでを対象として「愛国心」を教育目標とするなどは不可能であるという判断があったことが原因と推測される。
     換言すれば、教基法改悪の意図は、憲法改悪までは、その対象として公立小中高校のみを想定しており、政府がコントロールする教育行政が直接監督できる「閉じられた空間」にのみ成立するということである。
     「開かれた学校」のとりくみにより、公立学校の教育実践にアクセスしている大学・私立学校・社会教育機関・地域またNPO・市民団体などは、教基法改悪の意図からは自由な立場である。現在、各学校によってとりくまれている学校外と協働した教育実践を深化追求し、学校をセンターとして新たな教育コミュニティを構想することができないだろうか。それは、教基法改悪の意図に対峙する「治外法権」を学校内に作り出す可能性がある。
     ただし、戦前の文部省の推進した郷土教育が、学校・家庭・地域社会のつながりのなかで「愛郷精神即愛国精神」となっていった歴史的経緯がある。カリキュラムの主導権はあくまで教職員が握り、そうした動向には、十分な注意を払うことが必要である。
  3. 教基法改悪反対運動の成果を活用しよう

     中間報告に対する批判や、与党内の駆け引きによって無修正のまま残された条文・文言が少なからずある。これは、教基法改悪反対運動が影響を及ぼした成果と言い得る。それらの条文・文言が、「日本国憲法の精神にのっとり」定められていることは、06教基法においても同様である。憲法改悪阻止のとりくみと連動して、これらの条文を活用することが必要である。

    ・第14 条(政治教育)

     47教基法第8条の条文には手が加えられていない。これは、1項で、立憲主義の基本価値を自覚した主権者たる国民の育成について述べたものであり、また、2項において、「学校」が、一定の政治教育その他政治的活動をおこなうことを禁止している。
     私たちが、教育の目標を「主権者たる国民の育成」においていることは、言うまでもない。
     また、03年12月の自衛隊イラク派遣に際し、宮崎県の高校生が「武力によらないイラク復興支援を」という請願署名を5,358筆集めて、内閣府に提出したことがある。時の小泉首相は、「自衛隊の平和的責献」について学校で教えるべきとの発言をし、多くの非難を浴びた。もし、小泉元首相が言った通りの「授業」がおこなわれていたならば、それは、06教基法においても違法行為となる。

    ・第15 条(宗教教育)

     47教基法第9条に「宗教に関する一般的な教養」という言葉が追加されただけで大きな変化はない。これは、「宗教に関する知識や宗教の意義が適切に教えられていない」という中教審答申によって盛り込まれた文言である。また、中教審答申にもとづいて、「宗教的情操心」が与党間で検討されたが、公明党の猛反対によって書き入れられなかった。
     2項の、公立学校による宗教教育の禁止は、47教基法においても、そこにいわれる宗教教育には世界の諸宗教に関する知識などの教育は含まれない、と従来から一般的に考えらている。例えば、教基法改悪反対運動には、日本基督教団(信徒数10万人以上で国内最大のキリスト教合同教会)・日本ナザレン教団・日本同盟基督教団・浄土真宗本願寺派など多くの宗教団体が参加をしていた。「宗教に関する一般的な教養」において、宗教界のそうした動向も授業で取り上げることが必要である。

    ・第16条(教育行政)

     既述のように、他の条文の改変とも連動しあって、47教基法第10条の意義は大きく後退した。しかし、「教育は、不当な支配に服することなく」という文言は、中間報告に対する批判が、自民党一部政治家の削除意見を押し返して生き残った。
     76 年の旭川学テ最高裁判決では、国家機関も「不当な支配」の主体になりうるということを認めている。06年9月27日の、国旗・国歌訴訟に対する東京地裁違憲判決等の動向にも注視しつつ、「不当な支配」の主体を問い続けるとりくみが必要である。

    *最高裁判所大法廷(76年5月21日)「教育と文化を世界に開く会」HPより
     …ところで、教基法は、その前文の示すように、憲法の精神にのつとり、民主的で文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献するためには、教育が根本的重要性を有するとの認識の下に、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的で、しかも個性豊かな文化の創造をめざす教育が今後におけるわが国の教育の基本理念であるとしている。これは、戦前のわが国の教育が、国家による強い支配の下で形式的、画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があつたことに対する反省によるものであり、右の理念は、これを更に具体化した同法の各規定を解釈するにあたつても、強く念頭に置かれるべきものであることは、いうまでもない。
  4. 教育の政治利用が現場を急襲する

    「教育基本法改正を踏まえ」「『美しい国づくり』を目指す」とする教育再生会議(内閣)第1次報告が07年1月24日に公表された。その内容は、要するに、詰め込み教育と管理教育、さらには、国の関与権の増大である。つまり、「落ちこぼれ」「落ちこぼし」が流行語となっていた校内暴力全盛の昔に戻れということであり、その状況を克服するために学校外の協力を得ながら重ねてきた様々な現場の実践を全く省みず、国による統制強化を主張している。パワーエリートになれるごくごく一部の層以外に何ら有効性はなく、教育の政治利用のための大義名分に他ならない。
     教育再生会議は、非公開による「枢密院会議」であり、その審議過程が全く分からないが、06年12月21日の「第1次報告骨子案」公表前後より、新聞各紙は、教育再生会議「『いじめ』緊急提言」〔06年11月29日〕での教員評価等に対する文科省幹部批判(毎日06年11月30日)、「規制改革・民間開放推進3カ年計画」(競争原理の導入を文部科学省に義務づける内容)の位置づけをめぐる文科省側と首相側の対立(毎日06年12月21日)、教員免許更新制に対する中教審委員の不快感表明(朝日06年12月26日)など、文科省と首相の泥沼の対立を報じている。また、06年11月29日の全体会議直前出された最終案で、いじめの社会問題化への対処として「社会奉仕」が唐突に浮上したことに対して、運営委員の一人が「議論したこともない」と不満をもらすという報道(毎日06年11月30日)や、野田依治座長が塾の商業主義を批判して繰り返し主張した「塾の禁止」〔規範意識・家族・地域教育再生第2分科会〕が、何ら反映されなかったという報道(朝日06年12月24日)等もあり、収拾のつかない混乱の中で、首相側の一方的主導で報告が作成されたとの感を免れない。
     その結果、政府は、07年1月17日に、「学校現場の反発や、再生会議と距離を置く与党の批判を抑えるために、拘束力を明確にしない考え」(毎日07年1月18日)から、教育再生会議報告の全てを閣議決定しない方針を固めた(各紙報道07年1月18日)。つまり、教育再生会議報告は、全大臣合意のもとで決定される政府全体の合意事項ではないということとなる。現場はおろか教育行政をも顧みない政財優先による机上論への疑義の現れである。
     しかし、07年1月25日に、首相は、教育再生会議第1次報告を受けて、突然の方針表明をおこない、当日召集の通常国会に教員免許法・地方教育行政法・学校教育法の「改正」案の関連3法案を提出することとした。(各紙報道07年1月25日)極めて独裁的な政治手法であり、首相が「教育再生に待ったなしの強い意志を示したい」(朝日07年1月25日)とする「教育再生」が、教育の政治利用であることを如実に示す経緯である。
     教育関連3法「改正」の主なポイントは、以下の通りである。(毎日07年1月25日)

    学校教育法 
    = 教育の目標への「愛国心」などの反映・副校長や主幹ポストの新設
    地方教育行政法 
    = 教育委員会への外部評価の導入・人口5万人以下の市町村教委の統廃合・教員人事権の市町村への委譲
    教員免許法 
    = 更新制の導入・厳格な修了認定の仕組み

     教育の政治利用が現場を急襲する「非常事態」である。中央段階で、県段階で、また、現場で、「教育の自由」を守るとりくみに全力を上げる必要がある。現場においては、教育実践が最大の武器であることをあらためて確認したい。

    本レポートは、「教基法『改正』問題―政府『教基法案』を読む―」戸波江二(早稲田大学教授)・市川昭午(国立大学経営財務センター名誉教授)・内野正幸(中央大学法科大学院教授)・佐藤学(東京大学大学院教授)・嶺井正也(専修大学教授)〔06年5月〕をもととし、新聞各紙報道と、以下のHPを参照して、作成しました。 

    「教育基本法改悪をとめよう!全国連絡会」HP(07年1月21日解散)
    http://www.kyokiren.net/

    「教育基本法『改正』情報センター」HP(活動継続)
    http://www.stop-ner.jp/


    06教育基本法

     教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。

    前文
     我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
     我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育をここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓(ひら) く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

    第一章 教育の目的及び理念

    第一条(教育の目的)
     教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

    第二条(教育の目標)
     教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
    1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
    2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
    3 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
    4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
    5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

    第三条(生涯学習の理念)
     国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。

    第四条(教育の機会均等)
     すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
    2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
    3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

    第二章 教育の実施に関する基本

    第五条(義務教育)
     国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。
    2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基
    礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
    3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。
    4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。

    第六条(学校教育)
     法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
    2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。

    第七条(大学)
     大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
    2 大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならな
    い。

    第八条(私立学校)
     私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。

    第九条(教員)
     法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
    2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

    第十条(家庭教育)
     父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
    2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

    第十一条(幼児期の教育)
     幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。

    第十二条(社会教育)
     個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
    2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。

    第十三条(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)
     学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

    第十四条(政治教育)
     良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
    2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

    第十五条(宗教教育)
     宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。
    2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

    第三章 教育行政

    第十六条(教育行政)
     教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
    2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。
    3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。
    4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。

    第十七条(教育振興基本計画)
     政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。
    2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。

    第四章 法令の制定

    第十八条
     この法律に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が制定されなければならない。



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