高総検レポート No 89
2007年8月10日発行
「生徒による授業評価」アンケート集約結果
「生徒による授業評価」は、04年度、18校で試行が行われ、05年度には、全校で1人1科目の全校試行が行われ、昨06年度には、全教科・全科目実施に至っている。高総検では、04年度末に、試行校全組合員にアンケートを実施し分析を行った。(レポートNO.74参照)
今回のアンケートは、全教科・全科目実施を終えた06年度末に全分会を対象に実施し、前回のアンケート項目に加えてより具体的な授業評価の時期・方法等の項目や、授業改善の方法(研究授業・公開授業等)についても質問した。授業評価そのものが多忙化の一因となっている上に、研究授業が相当の負担になるのではという指摘を受けての実施である。
以下は、75分会の回答を得ての集計である。前のアンケート結果でも指摘されていた「生徒による授業評価」の信頼性の低さ(いいかげんな評価が目立つ)や、人事評価との連動の危険性が多く指摘されており、試行結果が本格実施に生かされていないばかりが、逆に危険性・無意味さが増している感じさえする。また、75分会から回答が得られたことから、この問題に対する関心の高さがうかがえた。
教基法改悪以来、教育への不当な干渉が強まる中、また異常な多忙化が進む中、対抗策を考える上で、以下の集計結果・分析を参考にしていただきたい。
- 具体的企画実施者は?
授業評価(用紙作成・集計等) |
研究授業・公開授業 等 |
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どちらも、企画実施は、校内グループが大半であった。しかし、研究授業等の企画が管理職・企画会議によって行われている分会が14%もあり、目的が本来の「授業改善」から管理強化へ進む危惧を感じる。
一方で、研究授業企画の「その他」の中には、各教科という回答があった。
校内グループの中味は、旧教務・総務にあたるものが大半であった。
また、委員会には、評価運営会議と教育課程検討会議が上がっていた。
- 実施時期は?
評価用紙記入(ほとんどの分会が2回) |
研究授業等(1回および2回) |
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評価用紙への生徒記入は、多くの分会で7月と12月の2回行っており、研究授業等は、1回目の評価を受けて、10、11月に実施するケースが多いようだ。
6月の研究授業等の場合は、前年度の評価をもとにした改善という意味合いのようである。
評価記入およびその処理が3学期制の学期末にあたっており、2期制でも成績処理・テスト等の時期であり、多忙化に拍車をかけている。
- 評価について
評価用紙に生徒の氏名は? |
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「その他」には、出席番号のみ、任意記入等であった。無記名という回答が24%あった。
無記名にすることには、「生徒が言いたいこと(率直な意見)」が書ける、といった肯定的意見もあるが、一方で無責任な意見が多くなることも指摘できる。子どもの意見表明権という点から見ても、自分の意見に責任を持つことが重要と考えられる。
また、後にも示すように「生徒による授業評価の問題点」(以下「問題点」と表記)の回答にも、「誹謗・中傷を書く生徒もおり、教師側の精神的打撃も大きい。」や「好悪で書かれているため、評価になっていない。」といった意見が多く見られた。
本来あってはならないことだが、人事評価に結びつく可能性がある現状では、なおさら「無記名」には問題があるといわざるを得ない。
用紙への記入はいつどのような方法で?
いつ |
どんな方法で |
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用紙の小項目はどうしていますか?
全科目実施をそれぞれの授業時間帯に行っているケースが多いが、「問題点」の回答に「生徒も評価することに飽きてしまうので、まじめに評価していない場合がある。」と示されるような状況も起こっている。 一方、LHR時でのマークシート利用は、簡便ではあるが、評価項目が画一化されてしまいやすい。中項目は県教委が決め、小項目についても県教委の例に沿って行われているケースが多い(45%)現状では、教育内容に対する県教委の介入につながりかねない。マークシートの分析方法等も県教委の例に沿って行われる可能性も残念ながら高い。
特別時間割を作成し、PC教室で生徒が入力するという回答も少数ながらあった。
多忙化等の問題はあるものの、評価項目(小項目を設けるなら)については、是非とも、教科毎に実情にあったものにしていくべきではないだろうか。
集約について
中項目の評価と小項目の評価の関連 |
集約の単位は? |
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レーダーチャートを作成しているか? |
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集約にあたって、小項目を中項目に連動させるケースがかなり見られた(31%)。また、小項目毎に集約したり(31%)、教科単位ではなく科目単位(35%)や個人毎(16%)で集約するケースも、かなりの数に上る。
さらに、レーダーチャートの作成が57%にもおよび、「生徒による授業評価」が本来の目的(授業改善)以外に使われる危険性が高い。
一方、「その他」の中では、「中項目一つにつき小項目一つで対応」、「点数化していない」という回答もあった。
集約単位の設問には「その他」が多く見られたが、その多くは集約単位が異なるのではなく、「平均点集約ではなくパーセント集計」といった回答が多くあった。
分析の単位は?
ここでも個人単位が13%に及んでいる。
また、「問題点」の回答にも、「授業に対する評価ではなく、教職員個人に対する評価となってしまう。」、「明らかに人事評価の材料となっており、しかも、肝心の職員への開示が遅い。」等の意見が見られた。
分析結果は?
記録は? |
報告の方法は? |
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記録の「その他」はレーダーチャートでの保存。
報告の「その他」には、「学校のホームページに掲載」と「評議委員会に報告」という回答があった。
また、「その他」の中には「会議等では報告せず、直接学校評議員への資料とする。」や「職員会議抜きでいきなり生徒、保護者へ配る。」といった全くこの制度の意味(授業改善)を理解していない管理職の対応や「個人にデータを渡し、全体的な数値をまとめて学校評議員・保護者に出す。」といった人事評価的利用状況も見られた。
自由記載欄について
有無について |
集約方法は? |
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有無の「その他」には、「詳しい記述については、担当者ごとのアンケートで。」、「担当者宛自由提出」といった自由記述をより有効なものにする工夫が見られた。また、「自由記述欄のテーマを学校が定めている。」といった授業改善への積極的取り組みと思われる記述もあった。
一方で自由記述欄を設けていない分会も22%に及んでいる。「他の授業改善の工夫」の欄を見ても「個々の教員が授業を通し、個々のアンケートをやり授業改善を行う。」といった回答が多く見られ、さらに「自由記述欄こそ参考になる。」といった意見も多い。この制度が続く以上、自由記述欄は是非必要であり、活用の可能性があるのではないだろうか。
集約に関しては、「全体で閲覧」・「その他」をあわせて55%で、特に集約をせずに、各自で閲覧するケースが多いようだ。
一方で、個人毎に集約しているケースも17%あり、集約後の保存・利用方法によっては、問題といわざるを得ない。(「問題点」の回答にも「外部への公表・人事評価との結びつきへの懸念」が何件か表明されている。)
- 研究授業・公開授業について
授業改善の取り組み方法は? |
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参加体制等
参加対象は? |
参加体制は? |
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実際の参加率は? |
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「すべての教科で研究授業か公開授業」の回答があわせて60%であり、これに対して、研修会・講演会は6%にとどまっている。教科の自主性・特殊性を考えると教科毎に決定出来るシステムが必要であろう。
参加体制は「任意」という回答が多数だが、実質的も含めて「強制」が23%あった。実際の参加率を見ても全体の平均は約30%だが、100%参加の分会が24%あり、一方で40%未満参加が45%もあった。
本来、授業改善のために研究授業等を自主的にすることは意義深いと思うが、一方で、強制的に決まった時期に決められた形式で授業を見ることが、授業改善につながるのかが疑問である。
自管理職の参加は?
「職員会議で全般的な感想という形での講評」という回答もあった。
管理職の講評は、今のところ「不当性無し」(73%)が多数だが、かなり問題点のあるケースも目出つ。
不当と考えられる講評の例
・異動の勧告にあたるような発言があった。
…抗議文を分会で決議し、申し入れをおこなった。
・職員室で大きな声で講評している。
…組合で抗議をしたところやめた。
・一部の授業に対して、教職員のやる気をそぐような痛烈な批判がおこなわれた。
・若い教員に対して非常に高圧的である。
・関係ない話をする。
教職員以外の参加は?
「その他」の回答には「再編対象予定校」、「英語科のみ行政関係者が参加」があった。
また、県教委の講評には「役に立たない」という意見が寄せられた。
多忙化の関連は?
70%以上が「多忙化と関係している」と回答しており、アンケートのきっかけとなった「研究授業等が多忙化の一因」は多くの分会で感じられているようだ。
「別な理由」の回答には、「全体的に事務仕事量が増えており、これもその内の1つ。」、「自分の空き時間に他の仕事をやらなければならない。」、「準備等に負担がかかる。」等があった。
さらに「多忙化の為、逆に研究授業等の実施が困難」という指摘もあった。
研究授業等の問題点
人事評価との関連が
- 人事評価に連動させている可能性あり。全員が指導案を作成した。管理職の授業観察に利用されている。
- 生徒に対する授業でなく、参観する管理職に向けた授業になってしまう傾向がある。
- 授業公開は、管理職の人事評価時の授業見学にあわせ、自由参加で行っている。
-
授業改善に役立たない
- 事前・事後ともそれを次に生かすような余裕が全くない。
- 何のために行うのか、目的が明確でない。(2)
- 生徒指導の一助になるかもしれないが、授業改善に直接結びつくものではない。
- 研究授業を行うための時間がない。
- 次年度は、一回も授業をやったことのない人(民間人)が授業の講評をすることになる。 どういうことか。
- 時間割の中でおこなうため、参加できる人が限られてしまう。
多忙化が一層進む
- 過大な時間や労力をかけてまで実施する必要はない。
- 多忙で準備等の時間がない。
- 実施自体は任意で各教員の向上心がもととなるもので有意義であるが、多忙化により実 質的に研究授業の設定自体が少ない。
- 学校説明会、文化祭、一日入学等行事が多いため実施の時期が難しい。
- 分掌からグループへと仕事の分担が不透明なところもあったので会議が多く、教職員に そのことに時間を割く暇がない。
- 県教委の学校行政色化が現場を混乱させている。
- 何でも報告、何でもミスを防げ、は大切な時もあるが、その多忙さ細かさが本業に支障 をきたしてはいないだろうか。
- 時間割調整が難しく、同教科の教職員が参加できない。
その他
- 積極的に取り組んでいる人が少ない。
- 全員が問題意識をもって取り組まないと効果が上がらない。
- 研修会主体で行っている。
…生徒の実態や授業改善について小グループで話し合ったり、校内の教員を講師に話を してもらったり。
- 生徒による授業評価全体に関して
「やらないよりマシ」を含めれば肯定的回答が62%あったが、「大いに役立つ」は1つもなかった。
「その他」には、「システムとしては別にして、中には参考になるものもある。」「他教科の様子が分かる。」等の肯定的なものもあるが「生徒もマンネリ化している。特に意味があるとは思えない。」「意味がない。今の子は自分のことしか考えず、反省の余地があるのだろうか。」といった否定的なものが多く見られた。
次に示す「授業改善の他の方法」や多忙化の現状とあわせて、授業改善へ向けた策を考えていく必要がある。
日常の活動の中で
- 毎時の授業の中で。
- 授業の手応えやテストの結果等で判断して、改善をやるべきだろう。
- 生徒との直接面談。(生徒の声・生徒の反応・感想)
主体的に改善を
- 各自の自主研修やお互いの研究授業により、授業改善は行われるべき。
- 個々でアンケート(記述式中心)を行い、授業改善を行う。
- 同僚との情報交換。(失敗例や改善した点)
- 他の学校の事例、部会の資料、本校の他の教職員の授業やプリント。
- やり方は各教科から発案されたものにしたい。
労働条件の改善等
- 行うべきことは適切な人員配置である。十分ではないと授業展開に支障がでることは間違いない。
- 教材研究の時間が確保できる勤務条件を取り戻すことが最重要。
- 自由に教材研究ができること。他の教員との余裕のある授業についてのディスカッションなどが保障されるべき。
「行われていない」が、過半数を超えていることは大問題である。
また、「その他」には、「どちらともいえない」といった回答が多数あった。「生徒の学習意欲・学習目的に左右される面がある。」や「回答する生徒による。」・「時期、教材、形態で全く違った評価が出る。」といった制度そのものの問題点に対する指摘も見られた。
また、「授業評価→人事評価という連動をしており、教職員に萎縮効果が現われている。授業改善の面だけを取り出して、評価する制度ではないので、形骸化するべきである。」や「生徒はまじめだが、やはり全科目年2回は飽きる。」「正しく評価する気持ちを生徒も教職員も持っていないと思う。」という指摘もあった。
内規はわずか4%しかないが、現状は職員会議の決定に沿って、運営されているようだ。
「その他」の中には「担当者にゆだねられている。」や「県教委の文書に沿って。」という回答も見られた。
一方で、「管理職の意向で」という回答が10%もある。マークシート化等が県教委の例に沿って行われている現状では、教育内容への介入の危険性も考えられる。人事評価との連動を考え合わせると、分析単位・方法、保存期間等は明確にしておくべきである。
教育への不当な介入を許さないために、状況(職員会議等)が許せば、内規を作っておくことも大切だろう。
評価の客観性等
- 全教科・科目で実施すると、生徒のほうも評価することに飽きてしまうので、まじめに 評価していない。(7)
- 生徒自身も真剣に取り組んでいるようには思えない。(2)
- 生徒にとっては授業そのものよりも教師の好き嫌いの考えの方が強く、教授法の評価に はなっていない。(5)
- クラスの雰囲気に左右される。(2)
- 意欲がなく、成績不振のものが教職員の指導法を悪く評価したり、テストの得点に直結 するか否かで判断する面もある。
- 評価にきちんととりくむ生徒ととりくまない生徒の差がありすぎる。
- 生徒の中には自分のことを棚に上げて都合のよいことを書く者もいる。
- 特定小項目の内容にひきずられた低評価もありうる。
あまり無意がない
- 科目毎に難易度の違いや実施時期における授業内容の難易度に違いがあるので科目毎の 比較や時期による比較はあまり意味がない。
- 全体の傾向をつかめる部分はあるが、あまり改善には役立たない。
- 評価の根拠が示されていないので、改善のための手がかりにはならない。
- すべての教科において、画一化されることの問題がある。
- 生徒の授業参加そのものが問題で、授業を評価するところまでのレベル(態度)に達していない。
- 半数近い生徒がこのシステムにあまり期待していない。
授業改善の目的にあまりあわない
- 県教委の報告については、数字を操作しなくてはならない場合があり、本当の授業改善 のために実施しているのかどうか疑問を持つ。
- 職員は特に意義を感ずることもなくイヤイヤ実施している、というのが実態。
- 全教科、県教委からの要求項目に沿ってのアンケートであるので、授業改善に本当に役 立つか疑問。教師一人一人独自の質問事項が必要
- 抽象的な質問も多く、業改善には参考になりにくい。
制度そのものに問題が
- 評価を気にしすぎると、生徒にとって楽しい楽な授業になりがちな傾向がある思う。
- 個人で、授業中のある時間にアンケートをとった方が(自由記載)有用情報が得られる。・これは、個別、一回性、その場の雰囲気等で微妙なものであり、システム化して数値化 できない。
- 予備校や塾の教師と比較されることも多く、学校とは土台が全然違うので参考にならない。
- 誹謗・中傷を書く生徒もおり、生徒と対立的な立場になる場合もあり、教師側の精神的 打撃も大きい。
- 勉強には、苦痛を伴うトレーニングは不可欠です。高校の勉強は本人の目的意識に関わ らず、強制的にトレーニングせざるを得ない場合がままあり、楽しく勉強できるのはい いことですが、わかりやすさ、取り組みやすさを追求するだけでは、力をつけることは できません。生徒の評価に従うことが、授業改善につながるとは限りません。
- 教員側の努力に反して、正当に評価されないことに対するストレスとショックが大きく、 評価結果を授業改善に結びつけるような精神的余裕が持てない。
- 教員の自信を喪失させ、士気をそぐ方向に作用している。
- 年度の途中での評価なので、1年間が完全に終わってからのものとかなり結果が違って いるのではないか。
- 評価が一人歩きしてしまう可能性がある。
人事評価との関連が
- 明らかに人事評価の材料となっており、しかも、肝心の職員への開示が遅い。(12月に 実施して3月に開示)何のための授業評価なのか。
- 外部への公表・人事評価との結びつきへの懸念により、本当に聞きたい内容が聞きにく い。純粋に授業改善のためだけに利用するようにしなければ、実効性のあるものにならない。
- 管理職は個々の担当の結果を知りたがる。人事評価に使いたがっているのでは。
- 個人の評価にされない工夫が必要である。
- 今の管理職とは授業改善が目的であることが確認されており、信頼関係があるため問題 はないが、管理職が代わった場合にどうなるかは分からない。
多忙化
- 実施・集計を各持ちクラス毎行い、大変である。
- 実施・集計の仕事量が大きい割には、目的がはっきりせず内容がない。
- アンケートの集計のために定期テストの日程を2日くらい前倒ししている。また、入力 にかなり時間を取られている。
- 莫大な数字の処理から資料作り印刷までに時間と労力がかかる。(2)
- [データ処理は、教職員の本務であるのか疑問である。
別な授業改善を
- 観点別も含めて、よりよい授業や生徒への対応ができる時間やゆとりこそを保証すべき。
- 教職員はどうしても独善的になりがちであるので、授業評価を否定はできない。
- まとめにかえて
回答が示すように、現状の「生徒による授業評価」についての率直な感想は「やらないよりマシだけど……」といったところだろうか。ただ、この「生徒による授業評価」が「多忙化」の原因の1つとなっており、「教育内容への介入」につながる可能性が高く、さらに「人事評価」「人事評価をもとにした昇給制度」にもつながるのであれば、座視は出来ない。
回答にあった「教職員はどうしても独善的になりがちであるので、授業評価を否定はできない。」とまではいわないまでも、生徒が教職員の授業を評価すること自体は否定できないし、否定すべきものでもない。
「生徒による授業評価」は、「相互評価」や「子どもの意見表明権」(子どもの権利条約)からも導き出される理論だろうし、多くの教職員が、日頃の教育実践の中で必要性を感じていることであろう。
ただここでの「生徒による授業評価」は授業改善以外には使わない、使えないものでなけばならない。
高総検は、「生徒による授業評価」が教育評価であることを明確にした上で、「子どもの権利条約」にアクセスするべきことを提言し、教育評価は以下を原則とするべきことを提示した。(レポートNO.66参照)
- 教育評価は、教育そのものに対して行われ、教育以外のことにはけっして使用されてはならない。
- 教育評価は、教師の教育に対する自己反省になるものでなければならない。
- 教育評価は、子どもの学習を励ますものでなければならない。
- 教育評価は、教育諸条件の改善に役立つものでなければならない。
- 教育評価は、教師の子どもに対する評価だけではなく、子どもの自己評価、子どもの間の相互、評価、子どもの教師に対する評価、教師間の相互評価など、集団の相互評価を通して行われなけばならない。
(『通信簿と教育評価』国民教育研究所編 1975年刊)
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今春から小・中学校で実施されている全国学力テストは、東京都足立区の醜聞にあらわれているように、教育内容への介入・統制、さらには競争激化、差別化につながるであろう。
自由度がほとんどなく、同じ用紙・同じ形式になりがちなこの授業評価がこのまま続けられ、さらに研究授業への圧力も強まるとなると、全国学力テストの同じ影響があらわれてくるのではなかろうか。さらに人事評価への影響も考え合わせると、この自由度のない「授業評価」には、本来の意義がないどころか、害があるといわざるを得ない。
つまり、県教委の定める中項目が「理想の教師像」としてあらわれ、この評価が悪ければ、自分の賃金や処遇にもはね返るとすれば、おおかたの教職員はその「理想の教師像」を意識的であれ、無意識であれ演じてしまう危険性は非常に高い。
日常の活動の中で、形式にこだわらず、生徒からの評価を得て、授業改善につなげるのが本来の姿であり、学校運営・教育課程編成・授業内容への生徒参加こそが、目指すべき方向であろう。つまり、現状の仕組みが大幅に改正され、各教科単位の授業改善が保障されていくできであろう。
当然のことだが、その前提として、十分な教材研究や自主研修、教職員同士のディスカッションが保障されるための、労働条件の改善が必須である。
- 「自由記述」を出来るだけ積極的に活用し、それをもとにした各教科主催の自主的研 修を追求していこう。
- レーダーチャートなどの「必要とされていない資料作り」・「必要以上の分析」をやめよう。
- 保存期間や方法を決めないままに資料が保存されている状況を、改善しよう。
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