高総検レポート No 40

1999年2月5日発行
中高一貫教育を考える
[1] なぜ今、中高一貫教育なのか

 「中高一貫教育」の構想が文部省サイドから初めて提案されたのは、今からすでに27年前の1971年のことである。提起したのは中教審で、「漸進的な6・3・3制の学校体系の改革を推進する」ための「先導的試行」という位置づけであったが、実現しなかった。それから24年後の1985年に、今度は臨教審が、その第1次答申で、現行の中学・高校と併置の、6年間一貫教育を行う中等学校を提案した。そこには、中学教育が高校へ入るための受験準備教育と化し、子どもたちの成長・発達を大きく歪めているという社会的批判も背景にあった。しかし、このときも「受験戦争の低年齢化」の恐れなどが指摘されて、6年制中等学校構想は具体化には至らなかった。
 それが今回、「中高一貫教育」として実施に移されることになったのには、いくつかの理由がある。
 (1)政治的な背景。橋本首相(当時)は、1997年=「財政構造改革」、「金融システム改革」、「行政改革」など「5つの改革」に急きょ「教育改革」を加え、文部省に「教育改革プログラム」をつくらせた。その裏には、1980年代に「臨調行革」と「臨教審教育改革」を同時進行させ未完に終わった中曾根元首相の進言があったと言われる。橋本「教育改革」の目玉は、「中高一貫教育」と「跳び入学」、「学校5日制完全実施」などであった。
 (2)文部省の思惑。戦後教育改革により教育機会均等の実現を目指して下から小・中・高・大と順に階段のように積み上げられた単線型学校体系を、能力に応じてそれぞれ異なる系統へ接続してゆく複線型・分岐型へと制度的に改編することは、歴代保守政府・文部省の積年の懸案であった。従って、学校教育法を改正して、現行の6・3・3制の中へ、新たに6年制の中等教育学校を組み込むことは、文部省の多年の懸案の解決へ向けて大きく前進する第一歩となる。文部省にとって、首相の指示は、まさに渡りに舟であっただろう。
 (3)私学との関係。国立・私立は、事実上の中高一貫教育を既に推進し、有名大学への進学で公立を上回る実績を積み上げている。それが、「公立離れ・地盤沈下」現象を生む要因のひとつにも数えられていることから、国民の一部に公立学校の「復権」を望む声が出ている。この声も、公立中高一貫教育の導入への下地をつくった。

[2] 中高一貫教育の「利点」

 中教審第2次答申(1997年6月)は、中高一貫教育の特色と利点として、次のような点を並べている。
  1. 高校入試の影響を受けずに、ゆとりのある安定的な学校生活が送れる。子どもたちが様々な試行錯誤をしたり、体験を積み重ねること等を通じて、豊かな学習をし、個性や創造性を存分に伸ばしていくこと、その中で、じっくり学ぶことを希望する子どもたちに対して充分な指導をしてゆくことを、より可能にする。
  2. 6年間の計画的・継続的に教育指導の展開や生徒の個性の把握ができ、効果的な一貫した教育が可能になる。それによって、生徒の個性の身長や優れた才能の発見もより可能になる。
  3. 中学1年生から高校3年生までの異年齢集団による活動が行えることにより、社会性や豊かな人間性を、より育成できる。
  4. ハードルを低くするという高校入試の改善の方向にも沿う。など。
 これらが、はたして中高一貫教育固有の利点であるかどうかは、あらためて吟味する必要があるが、それはともかく、最大の問題は、それら利点とされる項目の当否ではなく、中高一貫教育を一部に限って導入するという点である。(「6・3・3制を一律に6・6制に改める……のではなく、子ども達や保護者などの選択の幅を広げ、学校制度の複線化構造を進める観点から、中高一貫教育の選択的導入を行う…」[第3章(1)(2)中高一貫教育の選択的導入])

[3] 中高一貫教育の問題点

ちなみに、答申は、中高一貫教育の導入の問題点も挙げている。(第3章(1)(1))
  1. 受験競争の低年齢化につながるおそれがある。
  2. 受験準備に偏した教育が行われるおそれがある。
  3. 小学校の卒業段階での進路選択は困難。
  4. 心身発達の差異の大きい生徒を対象とするため、学校運営に困難が生じる場合がある。
  5. 生徒集団が長期間同一メンバーで固定されることにより学習環境になじめない生徒が生じるおそれがある。など。
問題点の指摘の方が「利点」よりずっと具体的で的確である。しかし、これらの問題をどう克服・解決するかについては、答申はきわめて楽観的・空論的であり、現実に有効な具体的対策は示していない。たとえば、(a)に対しては、「公立では学力試験は行わない。」(第3章(2)中高一貫教育の導入の具体的な在り方(4)入学者を定める方法)、(b)に対しては、「受験エリート教育を行わないよう関係者に強く求める。」(同(2)教育内容)、(c)については対策なし、(d)に対しては、「日常の指導に当たっても、教員が緊密に連携し、きめ細かな配慮をする。その際とくに、生徒の差異に応じた指導、異年齢集団による活動の展開に当たっての様々な工夫など。」(同(5)高校段階に進む時点での入退学等についての配慮)、(e)に対しては「退学・転学希望者に充分配慮する。」(同(5))
 上に挙げた中高一貫教育の利点を備えつつ、同時に問題点のほとんどを抜本的に解決する方策が、実は、ないわけではない。それは、高校進学希望者すベてを受け入れることができる教育条件(施設・設備・教材・教具・教職員・学級編成・教育予算など)を、各地域で整備し、高校入試を全廃して中高連携の一貫性のある教育課程を編成することである。これは、単なる理想論ではない。少子化のすすむ時代、やる気になりさえすれば、現実的に可能である。しかし、この方向を中教審は採らない。中高一貫教育の選択的導入に問題があることは充分分かっていても、あくまでも、学校・教育課程を差別化(特色化)し、子ども達を選別することに固執している。

[4] 中高一貫教育導入のホントウの目的

 言うまでもないが、一部の子どもに限って中高一貫教育を「享受する機会を提供する」ということは、その他の生徒は、その「恩恵」に浴することはできないということである。
 上掲の中高一貫教育の「利点」は、現行の学校体系の下では、実現の可能性が低いと中教審が判断しているように読み取れるし、そうであればこそ、中高一貫教育というものを新たに提起しているのであろうが、仮にそれが曲解であるにしても、中高一貫教育から除外された子どもは、その「利点」からも排除されることは確かである。このことは何を意味するか。
 たとえどのような「良いもの」であろうと、一部の者のみに与えられる場合は、そのものの内容(質)が良ければ良いほど、そして量が多ければ多いほど、与えられない者を差別する道具に転化してしまうのである。中高一貫教育校の最大の特色は、何と言っても、高校入試がないことである。高校入試の重圧に日夜苦悶しているすべての中学生にとって、それは何と「良いもの」だろうか!その「特典」を、制度的に、与えられる者と与えられない者の差を、中教審は「子どもと保護者の単なる選択の問題」とあくまで言いはるつもりだろうか?それは、実際の入試競争をそれぞれの子どもと保護者の選択の問題にずぎないと断定するのと同じくらい非現実的でナンセンスである。
 客観的にみれば、「中等教育全体の多様化・複線化、さらには学校制度の複線化構造を進める一貫として、極めて重要な意義をもつ」(第3章(1)(2))Dとする、中高一貫教育の選択的導入の機能への文部省の期待の方が、はるかに色濃く答申から浮かび上がってくる。
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