高総検レポート No 46

2000年1月20日発行

県立高校改革推進計画(案)の検証

 高総検は、以下の3点について、県教委「県立高校改革推進計画(案)・活力と魅力ある県立高校をめざして」(以下、計画案)を、批判する。
 再編対象校のみならず、全ての教育現場が、このことについての声をあげることを期待する。また、県教委が、その要求を真摯に受け止めることを熱望する。

  1. 県教委は、計画案の具体的内容を、広く県民の声を聴くことなく、また、関係諸団体・諸機関に諮ることもなく、内部で作り上げ、抜き打ちに発表した。つまり、計画案の内容は、生徒の実態・現場の必要を積み上げたものではない、トップ・ダウン式のものとなっている。
  2. 前期計画正式決定の現在に至っても、計画案の裏付けとなる予算計画が明確に示されていない。計画案が、教育予算削減にのみ機能するのではないかという危惧を禁じ得ない。
  3. 計画案は、全国的な要求運動となっている30人以下学級実現の視点を持っていない。学級定員は、あくまで40人に固定し、学級規模の縮小化を少なくとも10年間計画から排除している。

■   県民の声は本当に反映されたのか?   ■

《「教育課程の自主編成権」は、有名無実か》

 県教委は、さる8月16日に突如として、計画案を発表した。県民は、計画案の内容(特に再編対象校)を、当初8月25日に予定されていた公式発表の10日前に、朝日新聞のすっぱ抜きで、初めて知らされた。そのため、発表が急遽8月16日に繰り上げて行なわれたのである。
 この、再編対象校の実名まで入った計画案の内容は、県議会の文教常任委員会にも公表されていなかったという。
 計画案の公表前に、県教委の担当者以外だれが内容の細部まで知っていたかは、今のところ不明だが、再編対象校の管理職も知らなかったことは、どうやら確からしい。いわんや対象校の一般の職員・在校生・同窓生・地元中学生・保護者をはじめとする地域住民などには、まさに寝耳に水であった。
 当事者にさえも知らされなかったのはそればかりではない。計画案といっしょに、再編対象校に向けて個別に作られた「再編による新しいタイプの高校等の概要」(以下、概要)が初めて配られた。この概要は、学校作りの実施設計図のようなもので、各新設校の基本的骨格が、教育課程の編成に自主的権限を保障されているはずの関係教職員の関与の余地なく、県教委によって事細かに規定されている。
 昨今の情報公開と説明責務(アカウンタビリティ)・住民参加の大きな流れの中で、県教委も、これまでそれに応じた形づくりは行なってきている。しかし、それは表面上のものに過ぎず、全く中身がともなってはいない。『高総検レポートNo44(99・7・21)』でも報告したように、「学区(地域)内での検討・協議を保障」し、「事前に該当する学校との十分な協議と同意を踏まえた」計画にせよという、私達神高教の今年当初(「県立高校の将来構想に関わる要求書」99・1・29)以来再三の要求にもかかわらず、県教委はそれを頑なに拒否し続け、先の公式発表まで密室で作業を行なってきた。

《「地域に開かれた学校づくり」は、有名無実か》

 今回の計画案の作成に関わって県内6箇所で行なった県民対象のフォーラム(「高校フォーラム神奈川’99県立高校改革を考える」)も、参加者に骨子案を示すのみで計画の具体的な内容を提示することなく、会場で意見表明希望者を募るものの、その中から主催者が指名した者だけに一般的な意見や感想を述べさせるに終わっている。しかも、最終回(横浜平沼会場、99・7・18)からわずか1ヵ月足らずで、また、手紙またはFAXによる意見公募の締め切りである7月末日からは半月ほどで、計画案を発表した。
 計画案に、県民の意見を反映する余地がどこにあったのだろうか。すでに再編対象校の基本的骨格である概要までが確定していたことを考えれば、とうてい不可能である。これらの意見公募は、情報公開としても説明責務としても住民参加としても、機能しておらず、単なる形だけのセレモニーにすぎなかったことを、公式発表の繰り上げによって、自ら暴露している。計画案には、「地域・社会との連携・交流の推進、地域の意見を反映した学校づくり」という項目があるが、地域の意見を無視している事実を考えれば、これは、アイロニーとしてしか映らない。

《「地方分権の推進」は、有名無実か》

 11月25日に、計画案から「案」の文字が半ば取れて、前期計画が正式決定となった。県教委は、年内に「県立高校改革推進会議」を立ち上げるそうである。公式発表からの3ヵ月あまりの間に、県教委は、再編対象校をまわっての計画案・概要の説明を行なっているが、その場で示された教職員の意見、またそこに集約されるべき生徒・保護者・卒業生・地域の要望を十分に吸収しているのだろうか。
 『神高教・情報』【99・11・12、No2322、99・10・20本部第4回県教委交渉報告】や新聞報道【99・10・22,11・26朝日新聞】で見るかぎりでは、計画案と前期計画の相違点は、小田原城内高校の、2002年度募集停止を外国語コースのみ2004年度統合時まで募集継続と変更した点のみである。これは、分会要求とともに、同校同窓会「窓梅会」(会員約23,000人)による、同校存続と計画案見直しの、県知事・教育長への陳情書提出に応じたものであろう。しかし、この一事をもって、計画案に生徒の実態・現場の必要が反映されたとは、とても言いがたい。
 元来、県教委には、学校の主人公は学習権の主体である生徒たちであり、公教育は自治体住民とくに保護者たちの共同意思とその信託を受けた教職員の権能に基づくべきであるという認識がきわめて薄い。これは、国旗国歌法案成立後の国家主義的な現場への締め付けに顕著なように、「国家の教育論」を固持する政府の下、「地方分権」とは名ばかりに、文部省を頂点とする中央集権的教育行政が行なわれ、自主的権限をもつべき地方自治体の教育委員会が、依然として、自治省や文部省の下請け機関であるかのように位置付けられている実態の反映であろう。

■   計画案は、高校教育改革であるのか?   ■

《計画案は、高校数削減にのみ機能するのではないか》

「今回の再編整備計画は財政的にきわめて厳しい環境の元でスタートする。直接に再編の対象とはならない学校が教育条件整備の上で置き去りになるようなことがあってはならない。再編整備が神奈川の高校教育改革と呼べるものであるなら、改革が成功するか否かの大きい部分が学校現場にかかっていることを、県教委は深く認識するように求めておきたい。」【99・5・29県立高校再編問題に関わる県教委資料についての神高教見解】

 上に示した「見解」のように、私達神高教は、当然のことながら、再編整備計画が、財政の課題ではなく、教育の課題として機能することを要求してきた。しかし、県教委が、後期計画に至っても、先に記した情報公開と説明責務・住民参加の義務を県民に対して果たさずに、また、前期計画においても、現場との協議と教育条件整備を怠るならば、私達は、計画案を、実質的には高校数削減を目的として機能するに過ぎない計画であると、とらえ直さなくてはならない。
 計画案の中から、高校数削減の部分のみを抜き出してまとめると、次のようになる。

 2005年までに、県立高校を14校削減する。2010年までに、さらに11〜16校減らす。前期は、削減校数の発表と同時に、統廃合対象校を指名。定時制は、2年つづいて入学者が15人以下になった課程の募集を停止し、残りの課程を全日制の再編と合わせて新しい形に編成する。

 高校数の削減は、言うまでもなく、教職員の人件費や光熱費・電話代などの維持管理費の削減につながり、その分が浮く。県教委自身、前期計画の14校を削減すれば、実際に校舎が姿を消し始める2003年度から全部なくなる2005年度までの7年間の累計で、100億円弱が節約できるという見通しを、文教委員会(99・9月県議会)に報告している。【99・10・5朝日新聞】また、廃校の跡地の「活用」も、改革案に考慮されている。【99・6・23,6・24,10・5朝日新聞、99・8・1読売新聞】
 県教委の諮問を受けた将来構想検は、『はじめに統廃合ありき』ではない答申を出したとしている。しかし、その答申を得た県教委が、諮問事項の一つ「県立高校の適正な規模及び配置に関すること」のみに依拠し、高校数削減を第一義に計画を練ったのだとしたら、この計画案は、財政の課題としてだけの顔を持つものとなってしまう。つまり、大型公共事業優先政策と大企業優遇税制、構造的大不況の同時進行による県財政破綻からの教育予算削減の要請を主な動因とし、それと文部省の高校「多様化」路線への追随とが合体した産物と、判断するしかなくなってしまうのである。

《計画案を教育の課題として機能させるには、学校の民主的運営が必要不可欠だ》

 10月14日に、神奈川県議会は、[教育改革推進に関する決議]を行なった。そこで述べられているのは、「教育公務員の資質の向上、学校長の管理体制の確立、秩序ある学校運営など」に対して「大胆に教育改革を推進する。」というものであり、将来構想検の答申にはなく(教職員の資質向上に関しては述べられているが、研修・採用計画・地域や保護者などとの交流、のみ)、計画案に強引に付加された「校長の積極的な学校運営を支える校内組織」「職員会議の位置付けの明確化」、つまり、主任制(=主任会)の実動化と職員会議の校長の補助機関化の部分にのみリンクするものである。これは、中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」に示された民主的学校運営破壊の側面をそのまま引き継いだもので、県議会の教育改革に対する認識はそれだけのものでしかないかと、気力を失う。
 99年9月県議会・総務企画委員会で、県教委は、前期計画の経費と総額の大雑把な推計を450億円と示し、自民党県議から、「財政・行革当局のチェックを受けたか」という質問を受けている。それに対し、県教委は、「高校改革は子どもたちのために進めている。行革のためではない。」と答えている。【99・10・6朝日新聞】
 県教委の答弁が虚言とならないことを切望する。
 この大不況下での巨額の税金を真実生かすためには、県民の声の反映と現場との協議が必要不可欠である。そして、現場との協議が血の通ったものとなるためには、民主的学校運営の保障が必須条件であることを特筆する。これらによってのみ、再編に関わる教育現場の混乱は、回避でき、再編対象校のみならず全ての県立高校の改革が可能となる。

■   人的保障を含めた予算の裏付けはあるのか?   ■

《教育条件整備は、移行期から必要な急務である》

 計画案では、2005年までの前期計画では、28校を統廃合して、14校の「新しいタイプの高校」等をつくり、6つの単独校を「新しいタイプの高校」等に衣替えすることになっている。そして、2010年までの後期計画では、22〜32校を統廃合して、単独校改編も含めて19校程度の「新しいタイプの高校」等をつくり、加えて、2校程度の中高一貫教育校を新設する予定という。
 この高校再編整備計画では、例えば前期の場合、特定の14校を単に廃止するのではなく、募集停止校の3校(除小田原城内高校)以外は、2校をペアにして両校とも新入生の学級数を減らしながら、段階的に学校規模を縮小し、最終的に1校に合併するような形を採っている。県教委がこういう方式を選んだのは、地域的要因は捨象するとして、ある高校を単に廃校にするより、二つの高校を「発展的に統合して一つの新しいタイプの高校等を作る」という方が当事者の心理的抵抗が少ないと考えたからではないか。
 しかし、心理的負担を軽減し得たとしても、結局は旧校28校が廃校となることには変わりはなく、さらには、対象校教職員の肉体的負担は、この上もなく苛酷なものとなる。つまり、移転先の校舎・校地に統合し、「新しいタイプの高校」の新入生を迎えた時点では、一つの校舎・校地に3つの小規模校が同居する状態となるため、それまでにクリアしなければならない問題が山積みとなるのである。以下、高総検内で討議された問題点をランダムに記してみる。
  1. 原級留置等の措置にどう対処するのか。
  2. 企業の求人、指定学校推薦は学校単位である。新校にどうやって引き継ぐのか。
  3. 特別指導のやり方、服装頭髪指導のやり方など生徒指導の体制はそれぞれの学校の実情によって異なる。3校が同居する際に、どうやって調整するのか。
  4. それぞれの学校の実情にあわせて組まれている学校行事の内容・日程をどのように調整するのか。また、小規模化から部活の統合も必要となるであろうが、どうやって調整するのか。
  5. 時間割り編成、曜日ごとの授業終了時間等の3校間の調整をどのようにするのか。
  6. 3校同居状態になった時、県費配分はどうなるのか。また、私費徴収額をどうやって調整するのか。
  7. 移転してくる生徒にしてみれば、1〜2年慣れ親しんだ居場所が白紙になるわけなので、現在の生徒状況を考えると、相当注意を払っていかなければならない。  等
 これらに加えて、旧校での学校五日制・新カリへの対応が必要となる。さらには、新校建ち上げの準備機関として、県教委関係室課・管理職を含んだ10名程度の新校準備委員会が構想されているものの、「実際の仕事の多くは学校現場が担う」【99・9・24本部第3回県教委交渉】こととなるため、統合時点での旧校教職員がそのまま新校教職員にスライドするのであれば、学校五日制・新カリに応じた「新しいタイプの高校」作りという大仕事も背負うこととなる。これでは、「新しいタイプの高校」作りに積極的に取り組むどころか、過労死が生じてもおかしくはない。当然、適切な加配が必要である。
 10月20日の本部第4回県教委交渉において、私達神高教は、3名以上の加配措置を要求したが、県教委は、「何人とは現段階では言えない。」と回答するのみであった。また、交渉では、[再編対象校での学級減にともなう教職員定数急減への手当て][『新しいタイプの高校』でのカリに応じた免許取得研修に対する補充]にも言及されたが、それぞれ、「相当な工夫が必要と考えている。」「考える必要があるだろう。」と回答するのみで、県教委は、具体的な対応を示していない。
 さらに、学校規模が縮小する段階で、県費の配分不足・私費規模の縮小が問題になると予想される。この段階での適切な財政的支援も必要であるが、これに対する県教委の対策を聞かない。
 予算に直接関連することではないが、7に関わる移行期の生徒への配慮の策として、私達神高教は、総合選抜[合同選抜](統合する2校において、学級減が行なわれる2年間の生徒募集を2校合同[あるいは2校連携]して行なう)の検討を提起している。交渉においてもそれを示しているが、「メリットもあるが問題も多いと認識している。」と、県教委は、乗り気ではない。

《教育条件整備が整わなければ、高校教育崩壊さえ生むのではないか》

 計画案は、「新しいタイプの高校」・「特色」づくりにおいて、単位制、大幅な選択制、多部制・全定通併修制、専門コースなどの特殊な教育課程、学校間連携・単位互換・校外学習成果の単位換算など、さらには中高一貫教育制度の導入を挙げているが、それには当然、それぞれに応じた教育条件(教職員・施設・設備・消耗品・他)の整備が必要である。ことに「新しいタイプの高校」は、一般の高校より予算がかかる。校舎の建て替えや新築ともなれば、さらに予算はかさむ。危険校舎の修理・改築、耐震工事さえもが大幅に遅れている状況で、県教委は、この問題をどう解決するつもりなのか。
 本部第4回県教委交渉において、県教委は、先に示した新聞報道による、前期計画予算の必要額の根拠について、次のように述べている。
 350億円は建て替え6校の校舎建設費、その他14校の校舎改修費、それから新たな教科活動に必要な備品費である。100億円は再編にかかわらない既設校の特色づくりのための事業費で、教室改修費・備品費等。それから、耐震対策、老朽化対策等も含む。
 「新しいタイプの高校」には、人的保障が最も必要であるが、考慮されているのだろうか。また、既設校にしても、耐震対策・老朽化対策等も含むのであれば、それだけで予算のほとんどを使い切ってしまわないのだろうか。しかも、450億円という金額は、前期計画正式決定の現在においてもなお、「前期計画に必要な事業費の推計であって、費用の目安を算出したもの」に過ぎず、「(再編対象の)学校ごとに見積もりをしたものではない」のである。要するに、高校教育改革にかかる予算については、その見通しも、具体的な計画もいまだ示されてはいないのだ。
 もし、現場からの要求を満たすだけの予算の裏付けなしに、県教委が、現場の主体性を奪った上意下達の学校づくりをゴリ押しすることになれば、形だけの「改革」が行なわれる再編対象校、また、新設校の現場に、大きな混乱と困難をもたらさずには済まないだろう。そして、高校教育改革のスタート時における混乱の多発は、高校教育の崩壊に直結するとさえ予見できるのではないか。

□   あらゆる機会に30人以下学級の実現を訴えよう!   □

《30人以下学級の実現は、教育改革の第一義である》

 『高総検レポートNo37(98・8・11)』他でたびたび指摘したように、G7を始め先進諸国では、今や1学級20〜30人がほとんどである。クリントン大統領が、1998年11月の一般教書演説で、教育最優先を掲げ、教師10万人を採用増して、低学年を18人学級にすると宣言したのは、単なる選挙対策ではなく、英・仏など先進国に共通の「最優先課題は教育」という流れの一環だった。ユネスコは「教育は21世紀の世界の最優先事項」と明言(1998・10)をし、WHOも以前から「学級規模はできるだけ小さいほうがいい。大きければ、規則・管理など非教育的関係が強化され、教育の本質が破壊される。」と主張している。 しかし、日本政府は、大型公共事業には巨額の予算を優先して確保し、銀行にも湯水のごとく公的予算を注ぎ込みながら、定数法の改善を始め教育条件の整備はサボりつづけている。40人学級は、約20年前に定めた基準である。神奈川県も、政府の政策に追随し、教育・福祉予算の削減に余念がない。
 1999年1月25日には、30人学級実施の県条令制定を求める県民(有効署名約30万人、神高教も協力)の直接請求を受けて開かれた臨時神奈川県議会で、岡崎知事は「条令制定は不要」の意見書を付けて条令案を提出し、与党6会派は、前回の選挙戦では自民党以外のすべての政党が30人以下学級を公約していたのに反し、本議会での条令賛成派の質疑も封じ、それを否決している。その前年の9月21日に、中教審が「今後の地方教育行政の在り方について」を文相に答申し、「学級編成基準の40人にとらわれず、各都道府県の判断で弾力的に運用できるようにし、市町村立小中学校などの学級編成を、都道府県教育委員会の認可制から届出制に改める。」としていたにも関わらず、である。
 ちなみに、1999年2月現在ですでに、30人学級を求める意見書が、全国の地方議会3302の23%強にあたる767以上の県市区町村議会で採択されている。【文部省集計】
 私達神高教は、昨年度の[二つの県民運動]その他を展開する中で、神高教『神奈川の教育改革プログラム』に指針として並記してある、30人以下学級要求の取り組み(指針1)と、高校再編整備にアクセスする他の高校教育改革に関わる取り組み(指針2〜10)とを、直接にリンクさせてはいない。それは、県民に、30人以下学級の運動が単純な既設校の生き残りのためのものと誤解され、その教育課題としての意義を矮小化して受け止められることを避けるためである。しかし、30人以下学級実現を視野に置いた時に、それを阻害する要因が生ずるのであれば、教育条件整備の問題として看過するわけにはいかない。

《一例:平安高校+寛政高校の総合学科高校は、校舎の建て替えが必要である》

 一例を挙げる。
 概要によれば、横浜東部学区では、平安高校と寛政高校を再編対象校として、2002年度から学級減を行ない、平安高校敷地に、2004年度に総合学科高校を開校するとしている。
 その「教育課程の展開」の「基本方針」には、総合選択科目として、「環境科学系列・情報ビジネス系列・社会福祉系列・造形文化系列・国際文化系列」が挙げられ、さらには、自由選択科目として「生徒の特性に応じた科目、教養的科目・発展的科目など」を開講することと記されている。もちろん、この他に、必履修科目があり、総合学科としての原則履修科目「産業社会と人間」と「課題研究」(「総合的な学習の時間」の代替に規定されている)がある。
 しかし、平安高校は、百校計画において、1学年8学級規模で建てられた急増期の小規模校であって、臨時学級定員増・臨時学級増(ヘビタマ)の時には、現場が大変な苦労を強いられた学校である。新校の学校規模は1学年6学級規模とされているが、1学級40人でも、これだけの授業展開のキャパシティを確保するのは、空き教室の全てをかき集めても、相当に困難ではないか。「主な施設設備」には、「共用学習室、選択科目学習室、環境実習室、福祉実習室」などが「改修により対応予定」とされているが、どこにこれだけのものをつめ込むのだろう。ましてや、30人以下学級が実現した際には、1学年8学級以上となる。1学年の学級規模を大胆に下げるのでない限りは、グランドの確保を考えれば、校舎の建て替えによる高層化の対策を講じなければ、「異年齢集団によるホームルーム活動など特別活動の工夫」という規定に則って、30人以下の意義を無視した大人数のホームルームを実施する、教室に間仕切りをした狭い空間に生徒を押し込む、「カウセリングルーム」や「記念コーナー」でホームルームや授業を行なう、などの悪条件がもたらされること必至である。とうてい、30人以下学級実現を視野に入れて教育条件整備を考えた計画とは思えない。

《計画案のままでは、30人以下学級は実現しない》

 計画案は、高校数の削減の理由として、生徒数の減少(2006年に6,300人程度、以降漸増と推計)を挙げる。また、「学校数適正化の基礎条件」として、計画進学率を93.5%以上とし、県内私学への進学者数を調整した上で、「適正な学校規模」を18学級(1学年6学級720人)から24学級(1学年8学級960人)を標準としている。そして、今後10年に及ぶこの計画案の算定基礎は、あくまで1学級40人なのである。
 県教委は、県内6箇所で行なった県民対象のフォーラム(「高校フォーラム神奈川’99県立高校改革を考える」)などで、数値を機械的に用いた統廃合は実施しないと言明しており、確かに、前期計画では、4学級規模の外短付属が対象になっておらず、7学級以上の規模の富岡・東金沢・川崎・小田原・小田原城内・平塚工業・相模台工業が対象になっているという事実はある。また、将来構想検答申「これからの県立高校のあり方について」には、「国の動向を踏まえ、将来的には、学級定員を段階的に少なくしていくことが望ましい」と明記されている。しかし、上に述べた平安高校校舎の事例などをみると、県教委が、30人以下学級要求の全国運動を、どこまで真摯に受け止めているかは、はなはだ疑わしい。
 『高総検レポートNo39(98・10・9)』その他で具体的数字を挙げて示したように、校舎のキャパシティーが現在のままであるならば、35人以下に学級定員を減らしてゆけば、全体としては、県立高校の統廃合はできないのである。建て替えが6校のみでは、不十分この上ない。

《運動は継続中である》

 県は、30人以下学級を退ける理由の一つに、財政上の問題を挙げている。しかし、計画案でも述べられているように、現在は生徒の減少期に当たり、それにともなう教育予算の自然減を考え合わせれば、30人以下学級の実施とそれに対応した教職員の配置にさほどの予算増が必要なわけではない。
 先に記した、条令制定の臨時県議会開催を直接請求したのは、神奈川私教連などの5団体である。一方で神教協(神教組・神高教)でとりくんだ署名・請願は継続審議となっている。つまり、[二つの県民運動]はまだ継続中なのである。
 苦しい町財政の下で、30人以下学級を実質的に実現した、長野県小海町長は、「道路は改修が遅れても通ることはできる。しかし、子どもの教育は先のばしにはできない。」と述べている。また、三輪定宣千葉大教授は、「30人学級をめざす取り組みは、教育の抑圧構造を変える展望をもっている。銀行よりも子どもを救おう。」と主張している。筆者は、薬物乱用防止講座に出張した際に、「治療をし指導をされた生徒を学校は受け入れてほしい。」という県教委職員の言に、「それは当然だが、きめ細かい指導のためには30人以下学級の実現が必要だ。」と答える女性教員の言葉を聞いている。
 運動は継続中である。私達は、あらゆる機会をとらえて、要求を訴えるべきではないか。行政を動かすには、圧倒的多数の声しかない。

□   すべての現場が声をあげよう!   □

《生徒の実情からの学校づくりを!》

 先に、計画案が、財政の課題ではなく、教育の課題として機能することを要求している私達神高教の認識を、県教委が、後期計画に至っても、情報公開と説明責務・住民参加の義務を県民に対して果たさずに、また、前期計画においても、現場との協議と教育条件整備を怠るならば、とらえ直さなくてはならない、と述べた。つまり、この計画案は、県財政破綻からの教育予算削減の要請を主な動因とし、それと文部省の高校「多様化」路線への追随とが合体した産物に他ならない、というとらえ直しである。
 高総検は、文部省の高校「多様化」路線を一貫して批判してきた。しかし、計画案を、教育の課題として機能させるためには、高校「多様化」に取り組まざるを得ないのであれば、再編対象校であれ、それ以外の学校であれ、その意図を読み替え、ずらし、裏返して、生徒の情況に最適の環境に一歩でも近付けて、将来構想検答申にある、「学校間の序列意識の変革が促され」、「学(校)歴」から「学習歴」への転換を図る、という文言が空証文にならないようにしなくてはならない。オカミのもくろみに追随するのではなく、眼前の生徒の情況を第一義に考えた学校づくりを目指すのが、現場の人間である私達の仕事である。

《あらゆる機会に声をあげよう!》

 読み替え、ずらし、裏返すためには、30人以下学級と同様、あらゆる機会をとらえて要求を訴える他に方法はない。それは、再編対象校はもちろんのこと、すべての現場において必要である。
 私達神高教は、99年8月9日に「『県立高校改革推進計画(仮称)』に関わる要求書」を県教委に呈示している。これに抵触するような言動が県教委や管理職にあった場合は、常に声をあげるようにするべきである。(《 》内は、筆者による付記)