高総検レポート No.40 1999年2月5日発行 中高一貫教育を考える [1] なぜ今、中高一貫教育なのか 「中高一貫教育」の構想が文部省サイドから初めて提案されたのは、今からすでに27年前の1971年のことである。提起したのは中教審で、「漸進的な6・3・3制の学校体系の改革を推進する」ための「先導的試行」という位置づけであったが、実現しなかった。それから24年後の1985年に、今度は臨教審が、その第1次答申で、現行の中学・高校と併置の、6年間一貫教育を行う中等学校を提案した。そこには、中学教育が高校へ入るための受験準備教育と化し、子どもたちの成長・発達を大きく歪めているという社会的批判も背景にあった。しかし、このときも「受験戦争の低年齢化」の恐れなどが指摘されて、6年制中等学校構想は具体化には至らなかった。 それが今回、「中高一貫教育」として実施に移されることになったのには、いくつかの理由がある。 (1)政治的な背景。橋本首相(当時)は、1997年=「財政構造改革」、「金融システム改革」、「行政改革」など「5つの改革」に急遽「教育改革」を加え、文部省に「教育改革プログラム」をつくらせた。その裏には、1980年代に「臨調行革」と「臨教審教育改革」を同時進行させ未完に終わった中曾根元首相の進言があったと言われる。橋本「教育改革」の目玉は、「中高一貫教育」と「跳び入学」、「学校5日制完全実施」などであった。 (2)文部省の思惑。戦後教育改革により教育機会均等の実現を目指して下から小・中・高・大と順に階段のように積み上げられた単線型学校体系を、能力に応じてそれぞれ異なる系統へ接続してゆく複線型・分岐型へと制度的に改編することは、歴代保守政府・文部省の積年の懸案であった。従って、学校教育法を改正して、現行の6・3・3制の中へ、新たに6年制の中等教育学校を組み込むことは、文部省の多年の懸案の解決へ向けて大きく前進する第一歩となる。文部省にとって、首相の指示は、まさに渡りに舟であっただろう。 (3)私学との関係。国立・私立は、事実上の中高一貫教育を既に推進し、有名大学への進学で公立を上回る実績を積み上げている。それが、「公立離れ・地盤沈下」現象を生む要因のひとつにも数えられていることから、国民の一部に公立学校の「復権」を望む声が出ている。この声も、公立中高一貫教育の導入への下地をつくった。 [2] 中高一貫教育の「利点」 中教審第2次答申(1997年6月)は、中高一貫教育の特色と利点として、次のような点を並べている。
[3] 中高一貫教育の問題点 ちなみに、答申は、中高一貫教育の導入の問題点も挙げている。(第3章(1)の(1))
上に挙げた中高一貫教育の利点を備えつつ、同時に問題点のほとんどを抜本的に解決する方策が、実は、ないわけではない。それは、高校進学希望者すベてを受け入れることができる教育条件(施設・設備・教材・教具・教職員・学級編成・教育予算など)を、各地域で整備し、高校入試を全廃して中高連携の一貫性のある教育課程を編成することである。これは、単なる理想論ではない。少子化のすすむ時代、やる気になりさえすれば、現実的に可能である。しかし、この方向を中教審は採らない。中高一貫教育の選択的導入に問題があることは充分分かっていても、あくまでも、学校・教育課程を差別化(特色化)し、子ども達を選別することに固執している。 [4] 中高一貫教育導入のホントウの目的 言うまでもないが、一部の子どもに限って中高一貫教育を「享受する機会を提供する」ということは、その他の生徒は、その「恩恵」に浴することはできないということである。 上掲の中高一貫教育の「利点」は、現行の学校体系の下では、実現の可能性が低いと中教審が判断しているように読み取れるし、そうであればこそ、中高一貫教育というものを新たに提起しているのであろうが、仮にそれが曲解であるにしても、中高一貫教育から除外された子どもは、その「利点」からも排除されることは確かである。このことは何を意味するか。 たとえどのような「良いもの」であろうと、一部の者のみに与えられる場合は、そのものの内容(質)が良ければ良いほど、そして量が多ければ多いほど、与えられない者を差別する道具に転化してしまうのである。中高一貫教育校の最大の特色は、何と言っても、高校入試がないことである。高校入試の重圧に日夜苦悶しているすべての中学生にとって、それは何と「良いもの」だろうか! その「特典」を、制度的に、与えられる者と与えられない者の差を、中教審は「子どもと保護者の単なる選択の問題」とあくまで言いはるつもりだろうか? それは、実際の入試競争をそれぞれの子どもと保護者の選択の問題にずぎないと断定するのと同じくらい非現実的でナンセンスである。 客観的にみれば、「中等教育全体の多様化・複線化、さらには学校制度の複線化構造を進める一貫として、極めて重要な意義をもつ」(第3章(1)の(2))とする、中高一貫教育の選択的導入の機能への文部省の期待の方が、はるかに色濃く答申から浮かび上がってくる。 |
高総検レポート No.43 1999年6月22日発行 中高一貫教育を考える PART2 中高一貫教育の提案者である中教審自身が『第2次答申』で指摘しているように、中高一貫教育を一部に限って導入することには、多くの問題点がある。そのうち最も重要なのはつぎの3点である。
私学は中高一貫の「先進校」 I
ところで、国立大学の付属学校や私学の多くでは、周知のように、かなり以前から事実上の「中高一貫教育」が実施されている。そして、そのうちのいくつかは、有名大学の入試で相当数の合格者を出しているのも周知のことであるが、それらの実績が、それぞれの学校の「中高一貫教育」システムと密接に係わっていることを否定する者は恐らく多くないだろう。 しかし、言うまでもなく、中高一貫教育はつねに必然的に無条件に大学受験教育と結びつくわけではない。一方に受験体制とその下での激しい競争があり、他方に6年間一貫した教育課程を編成できるシステムが事実上存在するとき、両者は容易に結合するということだ。それは、中高一貫教育の方が、高校受験という壁によって中学と高校の教育課程が分断されている現在の公立学校などの教育制度よりも、合理的であり効果的であるという、ごく単純な事実の上にしぱしば「自然に」現れる現実的結果である。 言い換えれば、中高一貫教育は、自動車のようなもので、使い方によって利器にも凶器にもなる。中教審自身が言うように、その導入によって、「ゆとりのある安定的な学校生活が送れ、計画的・継続的な教育指導を展開でき、個性を伸長し、優れた才能を発見でき、社会性や豊かな人間性を育成できる」学校ができるか、「受験準備に偏した」学校ができるかは、状況(条件)次第ということである。そして、上記のような国立大付属校や私学の一部に見られる現状は、その実際上の帰趨を示していると言えよう。 II 関東地方や近畿地方などの大都市圏で、私立・国立中学受験が急増し競争が過熱状態にある。 私立・国立の中高一貫教育校に子どもを入れようとする保護者の動機は、大雑把に分類するとつぎの3項になるようだ。
私立・国立中学受験の盛行は、公立中学校に深刻な危機をもたらしている。「地域の公立中学校がセカンド・チョイスの学校となり、他に行きたかったが行けなかった生徒の集まるところとなるということが、その学校から、多様で多彩な経験と資質を持つ生徒が共同の学習・生活経験を共有することによって多様な文化の価値を知り寛容さを学ぶという民主的な社会、なかんずく地域コミュニティを形成する機能を失わせることになる恐れ」(公立大学協会「中教審審議のまとめ(その2)」に対する意見について」)を現実のものにしつつある。それは、地域を分断し社会階層を一層深く分解させる要因の一つになるだろう。 III 以上のような状況の中に、どのような設置形態であれ、ごく限られた数の公立中高一貫教育課程を設けるとなれば、それらは、遅かれ早かれ「受験エリート」教育にならざるをえず、中学受験競争全体がさらに激化してゆくのは、火を見るよりも明らかである。 五ヶ瀬中学・高校の入試 宮崎県は、全国に先駆けて、中高―貫の県立五ケ瀬中学・高校を開設した。この学校の入試はどうなっているのだろうか。 中教審は、「中高一貫教育の(選択的)導入に伴って最も懸念されることは、入学者を定める方法の在り方によっては、受験競争の低年齢化を招くのではないかということ」と言い、その「解決策」として、「学力試験を行わないこととし」「抽選や面接、小学校からの推薦、調査書、実技検査など多様な方法を適切に組み合わせて入学者を決める」やり方を示しているが、五ケ瀬中学・高校は、この方式をそのまま採用している。その内実を覗いてみよう。 五ヶ瀬中学は全県学区。開設後の5年間、入学希望者は定員の9〜10倍。先ず、受験には在籍する小学校の校長の推薦が必要。(これが、第1段階の事実上の校内選抜。)つぎに、中学校での、調査書・推薦調書・集団活動・作文・制作・面接などによる第1次選考がある。調査書の大項目は、「学習」「特別活動」「行動」。それぞれに小項目があり、3段階で評定。その他、自由記述の「指導上参考になる諸事項」など。 「調査書」の「学習」欄は、各教科の評定と観点別評価を表示。「行動」欄は、性格・行いなど11項目の評価を記入。「特別活動」は、クラブ活動など4分野の活動状況や成績の評価。「指導上参考になる諸事項」は、特技やボランティア活動などを特記。 「推薦調書」は、各教科学習・教科外活動・生活習慣・他の児童との関わり・本校の教育理念との関連・知的分野と連動分野と芸術分野の特筆事項・6年間の学校と寮生活への適応、将来展望、など11項目についての自由記述と評価。 「集団活動」は、例えばグループで絵本づくりをさせ、発言や参加の度合い等を評価。 「面接」は、生徒10人につき県教委の指導主事を含む3人の面接官の集団面接で、志望動機・将来の進路希望などを聞き、答えの内容や態度を評価。 以上のような項目「すべてを点数化し、総合的に評価」(学校関係者)して、この段階で、定員の約1.5倍(定員 40人に対して上位60人)にしぼる。ここで300人以上が振るい落とされる。 そして「抽選」が行われるのであるが、抽選といっても、第1次選考に残った60人の中から最終合格の40人を決定するのに使われるのみである。 これが、「受験競争の低年齢化を招」くことのないように、「学力試験を行」わず「多様な方法を組み合わせて入学者を決める」中高一貫教育モデル校の選抜の実態である。宮崎県内では、小学校の受験指導と児童・保護者の受験志望が過熱し、見事に「受験競争の低年齢化」が進行している。そして、同校は、早くも県内トップクラスの進学校になっているのである。 12の春の進路選択 I 中学校受験の拡大は、否応なく小学校を激しい受験競争に巻き込んでいる。とりわけ大都市とその周辺では、私立中学受験がメイン・ストリームとなり、その流れに乗っている者も疎外されている者も共に、しばしば学習疎外を起こしている。国連子どもの権利委員会から、98年6月に、「過度に競争的で、心身に否定的な影響を及ぼしている」と異例の改善勧告を受けた我が国の学校教育と、この競争に勝たせようとする家庭の熱く過剰な期待の下で、児童たちの中に強度のストレスが蓄積している。それは、イジメ・非行などの問題行動、不登校、近ごろ程度の差はあれほとんどすべての小学校に蔓延している「新しい荒れ」、「学級崩壊」などの基本的な要因の一つになっている。 II 中教審第2次答申は次のように言う。「総合学科や単位制高校の拡充、選択幅の広い教育課程の編成、自校以外の学習成果の単位認定の導入、中学校については、選択履修の幅の拡大など…言わば『横の多様化・複線化』」(の推進とともに)、「中高一貫教育の選択的導入は、言わば『縦の多様化・複線化』(既設6・3・3制にそれ以外の制度を新設する)を実現するものであり、中等教育全体の多様化・複線化、さらには学校制度の複線化構造を進める一環として、極めて重要な意味をもつ。」そして、そのような二重の「多様化・複線化」によって「子どもたちや保護者の選択の幅が広がっていく」と言うのだが、
III もとより中高一貫教育そのものをここで問題にしているわけではない。問題は、中高一貫教育をすべての生徒に公的に保障するのではなく、『中等教育全体の多様化・複線化、さらには学校制度の複線化を進める」ために一部の公立学校へ導入するという点にある。そして、それによって、小学生を過酷な受験競争に引きずりこむところにある。 そもそも、「小学校の卒業段階での進路選択」は適切なのか? 中教審第2次答申は、中高一貫教育の「教育内容」の類型として、(a)普通科タイプの他に、(b)総合学科、(c)専門学科の2タイプを挙げている。(a)は従来よりもさらに内容を「多様化」すると言う。(b)と(c)は、その順で教育内容の専門性(特殊性)が高くなってゆくと考えられるが、12歳という発達段階で、はたして何人の児童が、みずからの資質・適性を見きわめ、5年10年先を見通して、主体的に進路を選ぶことができるだろうか?また、入学後、何人の中学生が、専門的教科・科目を自主的な判断で選択できるだろうか? いや、一体、小・中学生にそういう選択をさせること自体、教育的に問題はないのか? 社会が発展し高度化するにしたがって、教育制度も拡充され、義務教育年限も長くなり、中等・高等教育を受ける者の比率も高くなってゆく。これは、世界共通の法則的現象である。つまり、社会はその維持・発展に必要な質と量の教養と能力を人々に要求し、それに相応した教育の機会と条件を保障するということであるが、その真の発展の基礎は、将来を担う一人一人の子どものそれぞれ異なる潜在能力を自由に可能なかぎり発達させることにあり、けっして早期に型にはめて部分的能力のみを育成することにあるのではない。子ども達が各々の可能性を実現し独自の人格を形づくってゆく過程とそこでの試行錯誤をじっくり見守ることのできる余裕こそ、その社会の文化的成熟度を測る最も有効な物差しの一つと言えよう。 |
《臨時教育審議会『教育改革に関する第二次答申』1986年4月23日》 第4部 教育行財政改革の基本的方向 第3節 学校の管理・運営の改善 ウ.一部に見られる過度に形式主義的・瑣末主義的な管理教育や体罰等を改め、学校に自由と規律の毅然とした気風を回復する努力が必要である。 教育は人なりといわれる。児童・生徒と直接に接する教師が常に自己自身を人格的に磨き、教育者としての能力を向上させていくことができるための職場の基本的条件は、教師相互間に深い信頼と尊敬の気持ちが通い合っていることである。また、このような信頼関係の確立は、教職員と児童・生徒・父母、学校と地域社会の間でも極めて重要である。 各学校の教職員がよくまとまり、切磋琢磨の精神で一致協力して児童・生徒の指導に当たることができるためには、また、各学校がそれぞれの地域や学校の特性を配慮した個性豊かな学校であるためには、このような関係者の相互信頼の基盤の上に、各学校に責任体制と校長の指導力の確立がされていることが重要である。 《全日本中学校長会・全国高等学校校長会『日常の生徒指導の在り方に関する調査研究報告』1999年3月20日(文部省通知『校則見直し状況等の調査結果について』同年4月10日の別添報告) 第4 日常の生徒指導の在り方について(総合的な考察) (4)学校は家庭や地域との信頼関係を作るとともに、開かれた学校づくりをめざすことが大切である。 調査に見られるところでは、学校は、校則見直しに当たって、PTAにアンケートをしたり、話し合いの場をもったりしているほか、生徒指導方針についても様々な場を通じ保護者への周知を図り、理解を得る努力を一生懸命に行なっている。その努力は評価したいが、しかし、果たして学校の働きかけは十分なものかどうか、また、その働きかけは学校に都合のよい一方的な働きかけになっていないかどうか改めて見直す必要があるのではないか。 このように述べると、今回の調査の中の校長の意見にあるように、「家庭や地域の教育力の低下が見られる」状況の中で対応に苦慮する学校とすれば、保護者の理解や協力を得ることは容易なことではないという反論がでよう。教育力の低下をいうことはたやすい。しかし、保護者にとって様々な教育上の問題について相談し、悩みを受け止めてくれる身近な場はやはり学校ではないか。そのためにも学校は、家庭や地域との信頼関係の確立に努め、開かれた学校づくりをめざすことが大切である。 (下線・太字体、引用者) |
●文部省教育職員養成審議会答申案[教員採用社会人枠]● 「教員の不祥事が相次ぎ、『必ずしも適性ある人を採用できる制度になっていない』という批判 が出ているのを踏まえた答申案で、新卒者とは別に社会人採用枠を設けることを提言している。閉鎖的になりがちな学校現場に多様な人材を迎え入れようという考えだ。」【『朝日』'99.11.22】 ●文部省教育職員養成審議会答申[教員企業研修]● 「答申は、とかく『世間知らず』と言われがちな教員について、民間企業で社会体験研修を積んで視野を広げるよう求めている。また、教育委員会に対し、教職にふさわしくないと判断された教員については、免職を視野に入れて人事を考えることも提言した。答申は、公立校の教員の不祥事が相次いでいることなどを踏まえ、現時点で各教育委員会がとり得る『処方せん』を示したものだ。」 「教員の社会体験研修は、学校という、一般社会から離れた世界にいる教員たちに『普通の感覚』 を失わないようにしてもらおう、という考えから盛り込まれた。」【『朝日』'99.12.10夕】 ●文部省学校教育法施行規則改正[学校評議員制]● 「学級崩壊や不登校など、学校現場には問題が山積みになっている上、最近は教員の不祥事が後を絶たない。」 「文部省は、学校運営に一般の人たちが加わることで、学校の閉鎖制に風穴があき、教員らに一般社会の『普通の感覚』をもってもらうきっかけになる、と考えている。」【『朝日』'99.12.18夕】 ●文部省制度改正法案[社会人教師教員免許取得簡易化・身分保障]● 「(社会人)特別免許は、「とかく閉鎖的で、視野が狭くなりがちな学校に外部の血を導入しよう」 と1989年に鳴り物入りで始まった。」【『朝日』'00.2.8】 東京都教育庁、'00年度募集小学校教員450名中30名程度社会人枠採用決定。 【『朝日』'00.4.3】 (下線・太字体、引用者) |
高総検レポートNo.41 1999年5月15日発行 16期中教審答申と将来構想検答申 「開かれた学校」その1 ■ 「開かれた学校」とは何か? ■ 昨今とみに目にするようになった[開かれた学校]という言葉、これは、一体何を意味するものだろうか。ある人は子どもの権利条約の観点から生徒の学校運営への参加として論じ、また、ある人は不登校問題の視点から学校の〈居場所〉化・非学校化として論じている。さらに、保護者に対して開くための教育情報の公開、地域に対して開くための生徒の地域参加や地域の教育力の導入など、様々な観念が[開かれた学校]という言葉で繰られている。最近の新聞報道から拾ってみても、所沢高校卒入学式問題をはじめ、フリースクールの拡充、小田原市個人情報保護審査会の指導要録所見欄訂正の答申など、98年度に入ってからだけでも、[開かれた学校]という言葉を思い起させる動きが著しい。 しかし、この語義は何なのだろう。プラスイメージのみが先行して、その意味するところは玉虫色である。そこに、危険性を感ずる。 80年代に臨教審は、[生涯学習]をキーワードとして利用した。キーワードとしての利用とは、「教育臨調」である臨教審が、[生涯学習]という言葉のプラスイメージのみを喧伝し、その語義は玉虫色にして、結局は、合理化・内需拡大の政財界の要請に応じた内容にすり替えてしまったということである。結果、[生涯学習]は、人権としての学習権という本義から遠く隔たったものとなる。つまり、ハイテク化などに即戦力となる労働者の育成、公教育の市場開放、複線型教育制度による学校階層化という理念を統合する言葉が臨教審のいう[生涯学習]であり、これは、現在進行している「教育改革」の全てを含んでいる。 ■ これが「開かれた学校」なのか?? ■ 都立高校長期構想懇談会の答申を受け、97年9月に東京都教委が策定・発表した「都高校改革推進計画」は、募集停止をする33校(含定時制)の具体的校名を挙げ、それらの統合・改編による新しいタイプの高校を99年までに設計・工事することを明記して瞠目されたが、「第4章 開かれた学校づくりの推進」の中に、「2 生徒に開かれた学校づくりの推進」を章立てしている。[生徒に開かれた学校づくり]という言葉を聞いてイメージするのは、誰もが子どもの権利条約に基づいた生徒の学校運営への参加であるはずだ。しかし、その章に「学校の教育活動について生徒の声を十分に聞く」と明記しながらも、家庭や地域との連携の枠組みの中で、「学校評価の実施にあたっては、教職員による内部評価に加えて、生徒、保護者、地域住民等による外部評価をも取り入れ」(「1 地域・社会に開かれた学校づくりの推進」)と記されているだけで、「生徒の声を十分に聞く」ための具体的方策にはまったく触れていない。98年7月に、都教委は、同年3月の16期中教審中間報告に応じて、職員会議は校長の補助機関にすぎないとする管理運営規則の改変を定めた。教職員に対してさえ学校運営が開かれない状況の下で、「生徒に開かれた学校づくりの推進」が実現するとはとうてい思えない。事実、この章で述べられているのは、既設校の整理を背景とした特色・多様化路線のための「(1)多様で弾力的な教育課程編成の推進」であり、寄せ集め単位制や施設をけちった安上がりの公教育を目論んだ「(2)学校間の連携の推進」であり、また、校種間格差による落ちこぼしへの対処療法でしかない「中途退学を防止するための」「(3)学校・学科間の移動の容易化」、チャレンジスクールなどへの「(4)再入学制度の改善」である。 また、新聞報道によれば、98年8月に、埼玉県教委は、県立高校155校に対して卒業式や入学式に地元選出の県議を招待するように通知を出している。「所沢高校問題をきっかけに地域の人を式に呼ぶべきだという意見を市町村長らからいただいた。中央教育審議会が地域に根ざした学校づくりを打ち出したこともあって通知を出した」(桐川卓雄県教育長)とのことだが、この背景には、県議会文教委員会の自民党議員の「(卒入学式の)正常化のために県議を招くべきだ」という発言がある。【朝日98.11.15夕刊】 この原稿の校正をしているのは、99年3月下旬である。広島県教委の職務命令と現場の強制反対の声との板ばさみとなった、広島県立世羅高校校長自殺を契機とした、政府中央での「日の丸」「君が代」法制化論議の最中である。現在、世論は法制化に追い風とならず、政府中央でさえ、法制化にともなっての学校現場への義務規定には慎重な態度を取っている中で、わが神奈川県教委は、98年度卒業式後に全県立高校校長を召集して、99年度入学式をにらんだ「限りなく職務命令に近い」圧迫をかけている。埼玉県教委の通知は、こうした「日の丸」「君が代」強制強化の嚆矢であった。そして、それは、中教審の「開かれた学校」の構想ををその根拠としている。 中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」における[開かれた学校]は、〈地域〉に開くことを想定している。本県においては、それは、県立高校将来構想検討協議会答申「これからの県立高校のあり方について」に「地域や社会に『開かれた学校』」(III.これからの県立高校のあり方・3)として表現されている。東京都や埼玉県の実例をみれば、[生涯学習]と同じように、県当局が、[開かれた学校]という言葉のプラスイメージと語義の曖昧さに乗じて、その意味を変転させて利用する危惧を禁じ得ない。 ■ 「開かれた学校」は管理強化の道具!? ■ I.〈地域〉に開くために、校長権限を強化する?
さらには、「特に必要がある場合には、都道府県教育委員会等がこれ(教諭の免許状がなくとも10年以上教育に関する職に就いた経験がある者)と同等の資質・経験を有すると認める者についても校長に任用できる」、「(教頭の)教諭の免許状の所有用件の取り扱いについて検討する」(同3.校長・教頭への適材の確保と教職員の資質向上<具体的改善方策>)として、管理職の登用に民間活力の導入を策定している。つまり、学校に、「社長」が生まれるということである。「社長」の管理統制の下に、企画会議を開き、営業実績を上げるように教育活動を行なうことが、[地域に開かれた学校]を成立させるために必要な要件なのだろうか。 本県の将来構想検答申には、これに応じた記述はない。また、中央段階の交渉によって、校長の人事・予算における権限強化は、「意見具申」「ヒヤリング」といった「改善」にとどまっている。(「神高教見解」98.11より)しかし、県当局が、答申をどのように具体化して発表するかは、まだ分からない。主任制や職員会議の改変を通して、校長の管理統制強化を行なうために、[地域に開かれた学校]を利用しないとは言い切れない。 先に触れた、「日の丸」「君が代」強制の動向は、生徒・保護者の人権や思想信条の自由を侵す問題であると同時に、教職員にとっては、職員会議決定がないがしろにされることであり、教育課程自主編成権が教職員の総意によってはなされなくなる問題である。これを一点突破の好機として、卒業式入学式のみならず、学校運営の全てが、県教委の上意下達機関と化した校長によって、ワンマン経営されていく懸念がある。 しかし、懸念があるとしても、[開かれた学校]を全面否定してしまうのは正しくない。 例えば、福島県立石川高校の日本史での社会人講師の導入、在日大韓民国民団福島地方本部団長ソン・ジョンテ氏による「日韓の歴史のはざまに生きて」という授業のような実践【朝日横浜版98.6.29】は、もっと積み重ねられるべきである。キーワードとして利用されないためには、[開かれた学校]の語義を明確にし、意味の変転を許さない取り組みが必要である。「職場から教育改革を!」という視点に立つ時、それは、具体的にどういう取り組みであるべきだろうか。 |
高総検レポート No.42 1999年5月24日発行 16期中教審答申と将来構想検答申 「開かれた学校」その2 ■ 「開かれた学校」は管理強化の道具!? ■ II.〈地域〉とは何か?
だが、そもそも、この〈地域〉とは一体何だろうか。この〈地域〉という言葉が、住民の顔が見える隣近所の共同体を指すものでなければ、地域の中の学校・地域に根ざした教育活動を目指すこれらの構想は、画餅に過ぎない。 現行学区ではそうした地域を成立させることは不可能に近い。これらの構想が成立するためには、学区縮小が必要不可欠である。しかし、中教審は、右に示したように義務制学区の「規制緩和」を提言している。97年に、文部省が通学区域の弾力化を打ち出して以来、名門指向の弊害や、荒れが目立つ中学校や統廃合の噂の出た小学校の入学者が減り規模の格差が広がる問題が生じている。将来構想検答申は、学区・入選については「本協議会としては課題の認識にとどめ、今後の検討を待ちたいと考える。」(同右記)と別課題としながらも、「生徒がさまざまな観点から高校を選ぶようになることによって、高校間の序列意識の変革が促される」(III.これからの県立高校のあり方 1.多様で柔軟な高校教育の展開)どころか、学校間格差の拡大につながる、隣接学区規定による学区拡大を示唆している。 98年12月22日に、横浜市教委が、一方的なトップダウンによって発表した市立高校再編整備計画は、市立定時制のリストラを行なうとともに、市立全日制5校全校を単位制高校とし、同時に全県一学区とするとしている。つまり、横浜市教委は、地域という考えを完全に放棄してしまっている。県立高校の再編整備計画が、その影響を受けないと言い得ようか。 ここで言う[地域に開かれた学校]の〈地域〉は、幻想である。幻想を前提としている以上、[地域に開かれた学校]が、そのプラスイメージ通りに機能することは期待できない。 III.〈地域〉の民主的代表として機能するのか?
16期中教審の「学校評議員」は、「学校内外の有識者、関係機関、青少年団体等の代表者、保護者など、できるだけ幅広い分野から」(同上記<具体的改善方策>)としながらも、「学校評議員は、校長の推薦に基づき教育委員会が委嘱するものとすること。」(同)と明記されている。
こうした展望を持つためには、学校は、まず教職員に開かれている必要がある。それに逆行する、主任制の実働化や職員会議の補助機関化は阻止しなくてはならない。また、保護者に開かれている必要がある。そのために、教育情報公開の前進が必要である。さらに、生徒自身に開かれている必要がある。生徒が真実何を望んでいるかを把握できるシステムがなければ、生徒を通しての地域の形成などできない。子どもの権利条約は強く意識されるべきである。 そして、何より学区の縮小が必要である。少なくとも、現在以上の拡大は許してはならない。 【高総検レポート「開かれた学校」その1・その2とも、本文・引用文中の下線は、筆者による。】
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《学校教育法施行規則(職員会議に関する事項を抜粋)》 「校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議.を置くことができる。」 「職員会議は、校長が主宰する。」 《文部省事務次官通知(職員会議に関する事柄を抜粋)》 「学校の管理運営に関する校長の権限と責任を前提として、校長の職務の円滑な執行を補助するもの」 「職員会議は校長が主宰するものであり、これは、校長には、職員会議について、必要な一切処置をとる権限があり、校長自らが職員会議を管理し運営するという意味であること。」 |
《県教委「高等学校の管理運営に関する規則改訂」(職員会議に関する項目を抜粋)》 1 高等学校に校長の職務の円滑な執行を補助資するため職員会議を置く。 2 職員会議は、校長が招集し主宰する 3 職員会議においては、学校の運営方針、教育活動、その他の校務に関する事項のうち校長が必要と認めるものについて校長の指示・伝達、所属職員からの意見の聴取、所属職員相互の意見交換等を行なう。 4 前3項に規定するものの他、職員会議について必要な事項は校長が定める。 |
将来構想検答申:IV.将来構想の推進に当たって 2.行政に期待するもの F 学区および入学者選抜 学区については、平成5年の「高課検」の第2次報告においても、隣接学区の高校への通学が便利な生徒に対する扱いなどについて、検討していくことが盛り込まれている。今後、県立高校の再編成や統廃合等の進展の中で、学区の在り方について検討が必要になることも考えられる。 |
中教審答申:第2章 教育委員会制度の在り方について 5 地域住民の意向の積極的な把握・反映と教育行政への参画・協力<具体的改善方策> (地域住民の意向の把握・反映) イ 小・中学校の通学区域の設定や就学する学校の指定等に当たっては、学校選択の機会を拡大していく観点から、保護者や地域住民の意向に十分配慮し、教育の機会均等に留意しつつ地域の実情に即した弾力的運用に努めること。 |
県立高校改革推進計画:第7章 改革推進のための条件整備等 4 入学者選抜制度の改善の推進と通学区域の検討 B 通学区域(学区)についての検討 [学区の弾力的な扱い] 学区間の受験機会や条件整備の均等を図る観点から、交通機関や交通網の整備状況等に配慮して、隣接する学区の高校への通学を可能にする扱いなど弾力的な対応を進めます。 [学区のあり方の検討] また、学区全体のあり方については、平成17年度から実施予定の「後期計画」の進展も踏まえ、教育関係者や県民の皆様のご意見も広くいただきながら検討していきます。 |
将来構想検答申:IV.将来構想の推進に当たって 2.行政に期待するもの (4) 教職員の資質向上 教職員の研修の充実については、教科や職務に関する研修などのほか、民間企業や社会福祉施設への派遣体験研修が実施されており、このような体験的な研修は、教職員の職務に対する自覚を深め、教職員自身の自己啓発や指導力の向上などに資するとともに、高校教育の充実・発展にも寄与するものと考えられるため、一層の充実が必要である。 |
中教審答申:第3章 学校の自主性・自律性の確立について 3 校長・教頭への適材の確保と教職員の資質向上<具体的改善方策> (校長・教頭の選考と人事の在り方等の見直し) ク.校長、教頭の学校運営に関する資質能力を養成する観点から、例えば、企業経営や組織体における経営者に求められる専門知識や教養を身に付けるとともに、学校事務を含め総合的 なマネジメント能力を高めることができるよう、研修の内容・方法を見直すこと。 (教職員の研修の見直しと研修休業制度の創設) サ.中堅教員の研修について、将来の校長、教頭としての人材を育成する観点から上記クと同様に研修の見直しを行なうとともに、教職以外の経験を豊富にするため、社会教育施設等で の勤務体験や長期社会体験研修の充実を図ること。 |
県立高校改革推進計画:第7章 改革推進のための条件整備等 1 教職員の資質向上及び計画的配置 (1) 教職員の資質向上 今日的課題に対応した研修の充実: 特に、今日的課題に対応するための研修として、民間企業への派遣体験研修、ボランティア体験を含む社会体験研修、教育相談やカウンセリング能力を高めるための研修など、社会性や専門制を高める各種の研修を充実します。 また、開かれた学校づくりや特色ある学校づくりなど、主体的な学校づくりに資する研修の充実を図ります。 |
将来構想検答申:II.今後の高校教育に求められるもの 1.個が生きる教育 (3) さまざまな個性への着目 個人がどこで学んだかという、いわゆる『学(校)歴』ではなく、生涯にわたってどのような技術や知識を身につけ、どのようにして豊かな人間性を養ってきたかという『学習歴』が認められることが必要である。 同:III.これからの県立高校のあり方 1.多様で柔軟な高校教育の展開 各高校の特色が明確なものになり、生徒がさまざまな観点から高校を選ぶようになることによって、高校間の序列意識の変革が促される |
将来構想検答申:職員会議に関する記載は、特にない。 |
中教審答申:第3章 学校の自主性・自律性の確立について 4.学校運営組織の見直し 学校運営における職員会議の位置付け及び運営の在り方等については、法令上の根拠が明確でなく、学校管理規則による位置付けも都道府県、市町村によって異なるほか、次のような指摘がなされている。すなわち、(1)その運営等をめぐる校長と教職員との間の意見や考え方の相違から、職員会議の本来の機能が発揮されていない場合もあること、(2)職員会議があたかも学校の意思決定権を有するような運営がなされ、校長がその職責を十分に果たせない場合もあること、(3)校長のリーダーシップが乏しい、職員会議が形式化して学校全体で他の学年や学級、教科などに係る問題を話し合うような雰囲気が乏しい、あるいは、運営が非効率的であるなどの運営上の問題が指摘されている。このため、職員会議の法令上の位置付けも含めて、その意義・役割を明確にし、その運営の適正化を図る必要がある。 〈具体的改善方策〉(職員会議のあり方) ウ.職員会議は、校長の職務の円滑な執行に資するため、学校の教育方針、教育目標、教育計画、教育課題への対応方策等に関する教職員間の意志疎通、共通理解の促進、教職員の意見交換などを行なうものとすること。 |
県立高校改革推進計画:第7章 改革推進のための条件整備等 2.学校運営等の改善・充実画的配置 校長がリーダーシップを発揮し、教育活動が円滑かつ効果的に実施できるよう、職員会議の位置付けの明確化や校長を支える校内組織の整備など、管理運営規則の見直しを含め、学校運営組織の改善に取り組みます。 |
神奈川県教委は昨年(99年)4月と6月に、入学式で「君が代」を実施しなかった県立高校の十数人の校長を呼び出した。「伴奏でなくテープでやれば教職員に対して強制にならない。『ご唱和ください』と言えば親や生徒に強制することにはならないだろう」などと具体的な指示をしたという。 これを皮切りに、同県教委は卒業式や入学式での「日の丸・君が代」の取り組みを強く「指導」し始めた。校長を対象にした学校経営研修や教頭研修の席では、専任主幹が「できないようだったら管理職を辞めなさい」とまで言い切る力の入れようで、法制化後はさらに加速度がついた。 昨年11月には、校長の「取り組み状況」を報告させる調査用紙を配った。卒業式と入学式に向け、校長は実施方針について教職員に明確な意思表示をしたか、職員会議で議論はあったか、教職員の反対・妨害行動はあったか、教職員の反応はどうか、など6項目について具体的に記入させる内容になっている。翌月の回答期限には、校長全員から調査用紙が提出されたという。 【池添徳明「『日の丸・君が代』最前線・教育 (4)[揺さぶられる学校現場]」(『週刊金曜日』'00.3.31)より】 |
中教審答申:第3章 学校の自主性・自律性の確立について 4.学校運営組織の見直し 主任制は、現在ではおおむね定着し、多くの学校において本来の役割を果たしているが、(1)依然として一部の地域においては適切な運用が行なわれず、主任制が形骸化している例もみられる、(2)「学校教育法施行規則」に規定する主任の種類やその設置の在り方が一律のものとなっており、高等学校における総合学科の導入や中等教育学校の創設、中・高等学校の選択履修の幅の拡大など学校教育の個性化・多様化の進展や、いじめや不登校の深刻化、子どもの数の現象に伴う学校の小規模化など学校教育をめぐる状況の変化に十分対応することができなくなってきている、等の問題点が指摘されている。 このような問題点や指摘を踏まえ、主任制については、地域に開かれた特色ある学校づくりの推進など教育上の課題に対応し、校長の学校運営を支えることができるよう、法令上の位置付けを含めて、その在り方を見直す必要がある。 (中略)学校には、校長、教頭、教務主任など各校務分掌の代表等から構成される企画委員会や運営委員会などが置かれているが、学校によってはそれらが活用されていないなどの問題点が指揮されている。 〈具体的改善方策〉 (主任制のあり方) ア 主任制については、学校の裁量権の拡大に対応し、その責任体制を明確にするとともに、学校がより自主的・自律的に教育活動を展開し、組織的、機動的な学校運営が行なわれるようにする観点から、校長を支えるスタッフとして全国共通に置くことが適切なものと、学校の種類や規模、地域の状況に応じて各学校ごとに置くことが適当なものとを改めて整理し、その在り方を抜本的に検討すること。 (企画委員会等の活用) オ 各学校の実態に応じて企画委員会や運営委員会等を積極的に活用するなど組織的、機動的な学校運営に努めること。 |
県立高校改革推進計画:第7章 改革推進のための条件整備等 2.学校運営等の改善・充実画的配置 校長がリーダーシップを発揮し、教育活動が円滑かつ効果的に実施できるよう、職員会議の位置付けの明確化や校長を支える校内組織の整備など、管理運営規則の見直しを含め、学校運営組織の改善に取り組みます。 |
中教審答申:第3章 学校の自主性・自律性の確立について 3 校長・教頭への適材の確保と教職員の資質向上<具体的改善方策> (適格性を欠く教員等への対応) セ 子どもとの信頼関係を築くことができないなど教員として適格性を欠く者や精神上の疾患 等により教壇に立つことがふさわしくない者が子どもの指導に当たることのないよう適切な 人事上の措置をとるとともに、他の教員に過重な負担がかかることのないよう非常勤講師を 任用するなど学校に対する支援措置を講じるよう努めること。 |
県立高校改革推進計画:第7章 改革推進のための条件整備等 1.教職員の資質向上及び計画的配置 教職員の職務に対する評価: 今後も、高い意欲と教育力をもつ人材を育成するため、教職員の職務に対する評価のあり方等について検討し、なお一層の効果的な活用を推進します。 |
Q.日本で、今になって教員評価のシステムが見直されようとしているのはなぜか? A.教育界はこれまで「護送船団方式」で守られ、不適格と思われる教員も排除されなかった。 (略)今後は納税者への責任という意味でも財政面でも、適性を欠く教員はそれなりに処置 し、有能な教員を処遇することで、教員の能力開発とモラールの向上を図るのがねらいだ。 Q.教員の間に競争が生じ、協力関係が損なわれるのでは? A.評価が気になって上司に相談できなくなるとか、チームワークが乱れるといったマイナス面ばかりが強調されているが、(そんな教員は)そもそも不適格だと思う。(略) |
将来構想検答申:III.これからの県立高校のあり方 3.地域や社会に「開かれた高校」 (6)開かれた高校づくりを促進する仕組みづくり 家庭や地域の人々の意見を学校づくりに取り入れることや、学校のさまざまな活動に参加する仕組みづくりを工夫することによって、閉鎖的といわれることもある学校の意識が変わり、学校が活性化され、開かれた学校づくりの一層の推進が期待できる。 そのため、PTA活動の一層の充実や活性化を期待するとともに、地域の人々、自治体、企業等の代表と、学校の情報の提供や意見の交換、教育活動への協力依頼等を行なう場や仕組みづくりを工夫することが考えられる。 一定の地域を範囲として、高校教育や県立高校のあり方について、地域の人々や県民の意見を聞く、「学校モニター」のような制度を導入することについても、今後、検討していく意義があると考えられる。 |
中教審答申:第3章 学校の自主性・自律性の確立について 6.地域住民の学校運営への参画〈具体的改善方策〉 (教育計画等の保護者、地域住民に対する説明) ア 各学校においては、教育目標や教育計画等を年度当初に保護者や地域住民に説明するとともに、その達成状況等に関する自己評価を実施し、保護者や地域住民に説明するよう努めること。また、自己評価が適切に行なわれるよう、その方法等について研究を進めること。 (学校評議員の設置) イ 学校に、設置者の定めるところにより、学校評議員を置くことができることとすること。 ウ 学校評議員は、校長の推薦に基づき教育委員会が委嘱するものとすること。 エ 学校評議員は、校長の求めに応じて、教育活動の実施、学校と地域社会の連携の進め方など、校長の行なう学校運営に関して、意見を述べ、助言を行なうものとすること。 (学校評議員の構成) オ 学校評議員については、学校の種類、目的等に応じて、学校内外の有識者、関係機関、青少年団体等の代表者、保護者など、できるだけ幅広い分野から委嘱することが望ましいこと。 (意見交換の機会の設定) カ 校長は、必要に応じ、学校評議員が一同に会して意見を述べ、助言を行ない、意見交換をする機会を設けるなど運営上の工夫を講じること。 |
県立高校改革推進計画:第5章 地域や社会に開かれた高校づくりの推進 2.地域の意見を反映した学校づくり (2) 地域の意見を反映する仕組みづくり 学校評議員制度の導入: 保護者や地域の代表、学校外の有識者などの参加を得て、学校の教育目標や教育活動、教育環境などについて意見や助言をいただく「学校評議員」を設置します。 学校評価システムの導入: 各学校が、教育活動や教育環境などについて、地域の意見を生かしながら改善を図ることができるよう、学校が自ら、客観的な評価基準を設け、学校評議員などにより、総合的に学校を評価していただくシステムの導入を検討します。 [学校モニター制度(地域の学校に対する意見を幅広くいただく)に関する記述もあり。] |
《教育総研「参考になる『学校運営規則要綱』」より(教育総研ニュース99.11.1)》 第4章 学校と児童・生徒、保護者、地域住民 3 学校協議会 学校に学校協議会を置く。学校協議会は、学校評議員・校長・関係教職員・保護者代表・地域の有識者、その他必要により子どもを含めた関係者によって構成する。学校協議会は学校運営の基本方針・重要事項及び地域や家庭の教育課題について話し合う。校長は年間の学校活動、徴収金を含む学校予算、その他必要な事項について、学校協議会に報告する。 4 学校評議員 学校評議員は、保護者・地域住民から校長が推薦し、教育委員会が委嘱する。選出基準・任期等については別に定める。校長は必要により学校評議員会を開催し教育活動その他について報告するとともに学校の教育計画等を説明し助言を求める。 |
《第1期['00年度1学期]職場民主化緊急方針・抜粋【'00.2.19分代確認】 (神高教職場討議用資料00-01より)》 職員会議の民主的運営の再確立
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59校で 641人、16クラスに相当する欠員 (高総検レポートNO.31 を参照) |
過去最高の 2.29%の退学率 (高総検レポートNO.38 を参照) |
受験者に占める同一校志願者の率 1997年度:75% 1998年度:83% 1999年度:84% 2000年度:86% |
…それまでの学力だけの評価や偏差値で割り振る進路指導の反省から、1994年度の入試から(内申書を重視する入試を)全国的に拡大させた。この年を境に中学にある変化が出た。文部省の統計では、生徒間の暴力事件は、93年度の約2400件が三年後には倍近い約4700件に、同じく器物損壊は約 700件が約三倍の2200件に増えていた。 【朝日新聞 '00.5.27「『暴発』少年事件が映すもの」】 |
学区外限度枠の扱いの中に、隣接学区の扱いを設けることについては、今後の学区外への志願状況を見ながら検討することとします。 |
少子化による生徒数の減少で、すべての都道府県の教育委員会が公立高校の統廃合などの再編計画を検討していることが、二十六日、文部省の調査でわかった。十一の都府県ですでに計画をまとめている他、審議会などによる報告書が提出されているところも十六道県ある。自治体の財政難もこうした動きに影響を与えているようだ。調査によると、神奈川県では今後十年間のうちに現在の百六十六校から十四校減らす計画をまとめている。小規模県では、鳥取県が現在の二十八校を二十二校にする考えだ。学校そのものの統廃合ではなく、学級数を減らしたり、学科を改廃したりしてスリム化を目指している教委も多い。ただし、各地の教職員組合や市民団体などには「教育環境や学校の伝統などを抜きに議論が進んでいる」という反対運動もある。 |
高総検レポート No.34 1998年6月10日発行 県立高校将来構想検討協議会「これからの県立高校のあり方について(協議経過の中間まとめ)」を読む 学校間格差は無視されている 「II 今後の高校教育に求められるもの」(P.3〜8)として挙げられている「1 個が生きる教育」・「2 豊かな心(人間性)を育む教育」・「3 望ましい社会性の育成」は、いまさら指摘されるまでもなく、教育現場において、私たちが長年希求し続けてきたものである。しかし、それが阻害され、課題集中校に顕著なように、教育病理が押さえがたいものとなっているのが、現状である。 その原因が、「IV 将来構想の推進にあたって」で指摘されているように、「保護者や県民だけでなく教職員の中にも根強い」(P.22)意識である、「数値や成績、『学(校)歴』などが過度に重視される」(同)傾向であることも、言うまでもない。つまり、一部のエリート養成のための受験体制、それに連動した、卒業後の社会的階層の仕分けを高校教育段階から導入している学校間格差にその全てが求められる。入選における競争と排除の論理、選抜する私たちの側から言えば、適格者主義を克服しない限りは、「学ぶ意欲や『学習歴』が適切に評価される社会への転換」(同)はその第一歩も踏み出せはしない。 『中間まとめ』は、この実情に対する認識があまりにも低いのではないか。 「I県立高校の果たすべき役割」の中で、「目的意識や学習意欲に欠け、中途退学に至る生徒がいる実情」(P.4)、「いじめや不登校、薬物乱用、性の逸脱など」の「深刻な状況」(P.4)を現状として把握しているが、それを「生徒の多様化」(P.4)の一言で括っているのは、あまりに安易である。「各高校の特色が明確なものとなり、生徒がさまざまな観点から高校を選ぶことによって、高校間の序列意識の変革が促される」(P.9)として、高校の多様化によって生徒の多様化に対応し、その結果として、学校間格差が解消されるというのが、『中間まとめ』の趣旨である。そうした文脈から、「各校の特色は一層幅のある多様なものとなってきた」(P.3)ことを前提として、「生徒自らが進路希望に基づいて、入りたい高校へ志願できるように選抜制度を改正し」(P.4)た事によって、現在すでに学校間格差が解消されつつあるかのような流れで報告がなされているが、これは、まったく事実に反する。 県教委から全校に指示された、いわゆる「特色づくり」は、単位制・総合学科・専門コース制の文部省タイプの高校にしか機能していない。大多数の高校では、教育条件整備、私達の施設設備的条件・人的条件の要求に対する回答、が皆無に近い状況である事から、県教委に「特色づくり」の報告は提出したものの、各校のプランは、虚構化している。むしろ、それ以前に、ファーストフード産業の販拡競争のように、他校との差別化を図るような「特色」が必要であるかがまず疑問である。 同じく、全校に指示された、入選の「重視する内容」は、その前提であるべき「特色」が虚構化しているために、各校の具体的な教育活動との結びつきが極めて希薄であり、外部から見れば選抜方法が不明確とならざるをえない。その導入初年度に大幅な定員割れを生じ、また、学習塾業者の団体が情報公開運動を展開したのは当然の結果である。入選改革は、学校間格差を何ら解消していない。複数志願制は、大多数の受検生が第1希望校と第2希望校を同一とし、そうでない受検生も、第2希望に上位校を記入することはまれである。中学進路指導の読み違いなどによる定員割れの危険性を増大させただけで、受検生は、やはり〈行きたい学校〉ではなく〈行ける学校〉を選択せざるを得なくなっている。それのみならず、総合的選考は、〈行ける学校〉を可能なかぎり上位校とするために、内申書に縛られた「いい子仮面」の中学生を生むという新たな病理を生じさせてさえいる。内申書対策の看板を掲げた学習塾までが、現在、生まれつつある。 つまり、入選改革は、現行の学校間格差に沿って機能をしているだけである。「個が生きる教育」を望むならば、今求められるべき事は、希望者全入の方向性を持った改革である。「特色づくり」、即ち、高校の多様化が、例えば高校統廃合による教育予算削減というような手段で、財政的な実現性をもって実働したとしても、やはり学校間格差を固定化するだけでしかないのは、明白である。 学校間格差から校種間格差へ移行する 「II 今後の高校教育に求められるもの」に記載されている内容は、受験体制による競争原理、各校の適格者主義の排除を前提として初めて成立する。それは、「特色づくり」という他校との差別化によって解消するものではない。卒業後の社会的階層の仕分けに連動している学校間格差を残したまま、高校を多様化すれば、必ずそれは校種間格差にシフトする。序列がより深刻に再編・固定化されるだけで、「高校間の序列意識の変革が促される」ことなどはない。 朝日新聞(98.5.22夕刊)の報道によると、東京都立国分寺高校の教員を、都教委が懲戒処分としたことが問題となっている。同校の単位制高校への移行を、歴代のPTA会長や卒業生などに手紙で伝えたことに対する処分である。都教委は、学校群制度以来の学校間格差を拡大しない制度改革の方針を転換し、97年の『都立高校改革推進計画』で、進学校を指定する方針を打ち出している。単位制高校は、幅広い選択科目によって、受験教科に沿った勉強ができるため、大学受験に有利と認定されているのである。同じく朝日新聞(98.5.15)は、都立晴海総合高校総合学科の必須科目「産業社会と人間」での、日本IBM会長の一日講師を報じている。文部省生涯学習振興課長のコメントによれば、「教育に注文を付ける財界人は多くても、実際に参加する人はほとんどいなかった。歓迎したい。」とのことだが、都立高校では、単位制は大学受験校に、総合学科は財界人が直接参入する職業人輩出校にシフトしているのでは、と考えられる。 『中間まとめ』には、このような卒業後の進路を露骨に固定化した多様化は示されてはいない。むしろ現在ある校種間格差の問題点を指摘している文脈さえある。すなわち、「専門高校では、明確な進路意識を持てないまま、不本意な気持ちを抱いて入学した生徒が見られる事も否定できない。」(P.12)とし、また、「全日制を希望したが、定時制に入学した生徒」(同)という文言もある。さらには、県立高校では弥栄西高・弥栄東高が研究校となることが決定された、中高一貫教育に対しては、一定の意義を評価しつつも、「一方、受験競争の低年齢化を招く懸念や、中高一貫教育の利点が一部の生徒に限られるなどの点から、中高一貫教育の導入に対して慎重な意見も見られる現状がある。」(P.16)と指摘している。 しかし、そうした問題点を認識しながらも、「IIIこれからの県立高校のあり方」に「多様な教育の提供」(P.9〜13)として、百花繚乱のごとく校種を示しているのは、どういうことであろうか。単位制・総合学科・専門学科・普通科・普通科専門コース・専門高校・定時制・通信制の多様化に加えて、単位制普通科のタイプによる類型化、総合学科のタイプによる類型化、普通科の特色による類型化、1校内の複数専門コースの設置、新たな専門学科の設置、単位制専門学科の構想を述べており、校種が極めて細分化をされている。仮に、学区内にこれらが全て実現して、校種間格差にシフトした場合、ほぼ1校1校種となり、現在の学校間格差をそのまま引き継ぐのではないかとさえ思われる。中でも殊に、「新たな専門学科の設置」(P.11)はその「ニーズ」が薄弱であるし、また、「普通科における専門コースの充実・改善」の根拠として、「専門コースが、学校のいわば『顔』となることによって、地域に根ざした特色ある学校づくりの意識が高まり、学校全体が活性化することにも寄与してきた。」(P.11〜12)とあるのには、どこに実態があるのかと、首を傾げたくなる。無理やりに、多様化プランをひねり出しているかの観がある。 校種間格差による不本意入学への対処方としては、「今後、進路変更などの積極的な理由によって転学を希望した場合にも対応できるよう、転入学の機会の一層の拡大が望ましい。」(P.15)とし、「学科間の移動や専門コースと一般コースの間の移動についても弾力的な運用が図られることが望ましい。」(同)と述べ、進路変更の柔軟対応を提言している。殊に、入学時の「明確な目的意識」(P.11)から後戻りのできない専門コース制については、「入学後の進路変更についても、生徒の実態に応じた弾力的な対応をすることが望ましい。」(P.12)と強調をしている。しかし、現行のいじめなどに対する教育的配慮による転入学制度、また、中途退学者に対する再入学制度が、教育病理の解消にどれほど貢献をしているかを考えた時、いかに転編入学を弾力化しようとも、根本的な解決にはならないことは明白である。さらには、全日制・定時制・通信制の課程間での弾力化について言及がないことも、不十分である。 加えて、隣接学区規定(隣接する学区同士で越境受検を認める制度)に対し、「今後、県立高校の再編成や統廃合の進展の中で、学区のあり方について、検討が必要となることも考えられる。」(P.17)として、抑制した表現ながらも積極的な姿勢を見せているのは、大きな問題である。隣接学区規定は、昨年、県教委が、教育改革問題検討会(神教協+県教委)での検証を無視して、独善的に、教育委員会(教育委員5人で構成)に報告をした『平成9年度公立高等学校入学者選抜の検討』の中で、「平成11年度以降の入学者選抜で、何らかの措置の必要性と方法を検討する。」としたものである。この制度の導入は、学区制の破壊であり、さらに格差を拡大させることとなる。現に、義務制においてさえ、「通学区域の弾力化」によって、今春、小・中あわせて約1000人の新一年生が指定校とは別の希望校へ入学した東京都大田区では、「変更先が名門校≠ノ集中する現象が見られ始め」ているとの報道がある。(『朝日』98.6.2) 以上は、つまり、『中間まとめ』の改革の主眼は統廃合にあり、教育病理を解消するための格差是正にあるものではないことを示すものである。 現在必要なのは、なによりまず、格差自体を是正する方向の模索である。 目的は教育予算の削減である 『中間まとめ』では、「I 県立高校の果たすべき役割」で、「経済の低成長化傾向等による国や自治体の財政難など、教育を取り巻く状況も厳しさを増している」(P.4)、「高校教育においては、こうした社会経済状況の変化を踏まえ、教育内容の充実を図る」(同)としながらも、教育予算に関して正面から数値化して示す事はしていない。しかし、県教委は、2005年の少子化ボトムの時期には、現行182校(県立166校)の公立高校は80%の学校数で充足するため、県立高校の量的な見直しが必要と、既に言明をしている。先に述べた「特色づくり」が、人と金の両面から各校の要求に基づいて充足してきたとは言えず、今後の保障もないことを考えれば、県教委が、予算をかけない多様化を手段として、経済効率の面からの統廃合を行なうプランを、将来構想検本報告後に打ち出してくることは十分に予想できる。将来構想検への諮問事項である「県立高校の適正な規模及び配置に関すること」、「県立高校の教育内容の充実に関すること」、「その他上記に関連する県立高校の将来のあり方に関すること」は、そうした教育予算の削減を意識したものであることは疑いない。これは、高校教育の質的な低下につながるものである。「III これからの県立高校のあり方」の中で、「多様な選択やきめ細かな指導などさまざまな教育活動が展開できる規模」、「多様な個性のふれあいの場を保障することができる規模」(P17)の確保のために、また、「学校の活力の低下」、「教員配置数の減」、「学校運営に支障」、「部活動等への影響」(同)が生じることを防ぐために、「一定の学校規模の確保」(同)が必要として、単位制普通科・総合学科・普通科専門コース・学校連携の「特色ある高校」を地域ごとに配置した「再編整備」を説いているのは、ここに直結する。 また、直接に教育予算の削減を図ると読む事のできる部分もある。定時制・通信制における「実務代替、大学入学資格検定合格科目の単位認定、技能連携」及びそれらを前提とせざるを得ない「修業年限の弾力化(=3年卒業制の導入)」(P.13)、「学校間連携と課程間連携」や「実用英語技能検定などの技能審査の成果」「ボランティア活動、大学における単位取得、各種学校・公開講座における学習など体験活動等の成果」の単位認定という「自宅以外での学習成果の単位認定」(P.14〜15)、「企業での体験学習の機会を拡大したり、大学の授業に参加したりする」ことの積極的な検討や「保護者、地域の人々や団体、企業等がボランティアとして学校をサポートするような活動(学校支援ボランティア)」といった「学校教育における地域・社会との連携・交流」(P19)が、それである。これらに対しては、「開かれた高校」としてではなく、高校教育の「外注」として機能する危惧を感ずる。特に、「学校支援ボランティア」のサポーターに「保護者、地域の人々」はともかくも「団体、企業」までが想定されているのは、それが特定校種にのみ導入され、校種間格差と連動した時、高校教育が社会的階層の仕分けを現在よりも露骨に行なうこととなる危険性がある。 まず学級定員減を検討すべきである 少子化時代の到来は、教育現場にとっては、きめ細かな指導が行なえる絶好期である。教育病理の解消は、一朝一夕に達成できるものではない。極彩色のアドバルーンに追従するのではなく、一歩一歩、私たちの教育政策の根幹である「希望者全入」「高校間格差是正」「地域に根ざした高校づくり」に沿って、その解消を図っていくべきである。そのための第一歩として、まず、学級定員減の追求をしなくてはならない。 本年(98年)4月に、長野県小海町の二つの町立小学校が、町教委の独自予算で行なった19〜18人の少人数学級が話題になった。保護者の反応も上々であったという事だが、定数法を背景に、長野県教委は「教育の機会均等、公平性の観点から是認しがたい」という不可解な方針を示して、学級統合を強要した。しかし、小海町は、学級を一つに統合して、科目に応じて授業を二つに分けるチームティーチング(複数指導方式)を導入して、実質的に少人数学級に近い形を確保した。(『朝日』98.4.10)この名を捨てて実をとる方式は、マスコミでも好評であった。 神奈川県も、多様化・統廃合以前に、こうした地方自治体としての工夫を検討しなければならないのではないか。30人学級、当面35人学級を目指さなくてはならない。教育には予算をかけるべきである事を、必ず県民も支持をするはずである。 『中間まとめ』の中にも、「学級定員を段階的に少なくしていくことが望ましい。」(P.17)との指摘がある。だが、どうやって「算定基礎として」の「当面1学級40人」(同)を変えていくかには、何ら触れられていない。40人学級を堅持している以上は、学級定員減の指摘は、アリバイ的な言い訳としか読めない。 高校多様化と高校統廃合の派手なアドバルーンばかりが目立つのは、まことに遺憾である。 |
会場の意見、特に挙手による意見の中(フォーラムは、将来構想検の指名による意見表明、会場の挙手による意見表明、の二本立ての構成であった。)には、『中間まとめ』に対する批判が多数存在している。高校統廃合・高校多様化に対する疑問、学級定数減に対する消極性、学校間格差是・入選再改革・学区縮小に対する視点の欠如などの批判を、将来構想検は、本報告へ向けの討議の中で、ぜひとも生かしてほしいと切望する。 |
『中間まとめ』総体 《批判的意見》 ○『中間まとめ』には、高校生の意見が取り入れられていない。大人の視点だけで、高校改革を進めるべきではない。〈県立高校生徒〉 ○「底辺校」を「課題集中校」と呼び、「職業高校」を「専門高校」と言うような、言葉の入れ替えでは、生徒はプライドを持つことはできない。〈県民(100校計画推進運動経験者)〉 ○小中の教育制度から問題があり、高校の改革だけでは不十分である。〈県民〉 ○『中間まとめ』に、予算がかかる部分の話で出てきていないのはフェアではない。〈県民(中小企業経営者)〉 ○文部省には、高校普通科を20%に削減する(普通科20%・専門高校20%・総合学科60%にする)方針がある。将来構想検は、先に決まっていることに沿って討議をしているのではないか。〈保護者〉 高校多様化総体(「I 県立高校の果たすべき役割、3 これからの果たすべき役割」) 《批判的意見》 ○高校を画一化してきた人達が、今になって、高校多様化によって特色や個性を強調するのはおかしい。〈県立高校生徒〉 ○すべての生徒のニーズにこたえられるような高校の多様化など不可能である。多様化は、生徒の合理的な振り分けとして機能するだけであり、疑問である。〈県立高校教員〉 ○学校の多様化ではなく、学校内で、多様なことができるような方向の改革を推進するべきである。〈県立高校教員〉 《賛同的意見》 ○偏差値からは逃れられず、高校は上下に分離するので、下を多様化すべきである。〈塾経営者〉 ○単線系の学制が学校間格差を生んでいる。〈県立高校教員〉 ○単位制・コース制設置や総合学科増設をするべきである。〈県立高校教員〉 「他者の尊重」(「II 今後の高校教育に求められるもの」) 《賛同的意見》 ○個性を伸ばすためには異質な存在を受け入れる考えを広める必要がある。いじめなどの現在の高校生の排他的な風潮は解消されなくてはならない。〈県立高校生徒〉 特色づくり・入選改革・学校間格差(「III これからの県立高校のあり方、1 多様で柔軟な高校育の展開」) 《批判的意見》 ○「III これからの県立高校のあり方」にある、「生徒が自らの興味・関心、能力や適性、進路希望等に応じて、主体的に学校選択し、目的意識をもって学ぶことができるよう特色ある高校づくりが進められてきた。」という分析は嘘であり、特色ある学校づくりはまやかしである。「各高校の特色が明確なものになり、生徒がさまざまな観点から高校を選ぶようになることによって、高校間の序列意識の変革が促される。」と本当に考えているとしたら、あまりにも認識が甘い。「特色づくり」と「入選改革」に対する分析は、まったく現実に即していない。学校間格差は何ら解消されていない。入選制度改革を再度検討する必要がある。〈保護者〉 ○進路指導イコールどの高校に入れるかの進学指導である、中学進路指導の目から見た総括がない。 〈小学校教員(浜教組組合員)〉 ○入選改革における「入りたい学校」の姿が鮮明でない。進学希望校は、結局高校の序列に左右されており、生徒の学校選択が第一義にはならない。〈小学校教員(浜教組組合員)〉 ○高校入試は廃止するべきである。適格者主義を排して、全入をするべきであり、地域の高校への入学ができる制度を追求するべきである。養護学校からは、高校における適格者主義の支配が、統合教育が前進していない点に如実に現われているとの指摘がある。〈小学校教員(浜教組組合員)〉 ○高校多様化によって序列化が防げるのかは疑問である。点数序列化が超えられるとは考えられない。入試制度の改革を追求するべきである。特に、1も5も7%である、中学内申書の相対評価は問題である。私の知っている美術の中学教員は、自分の生徒にどうやって1を付けるか大変に悩んでいた。1が付けば、93%の全日制からは見離されることとなってしまう。〈県民(100校計画推進運動経験者)〉 単位制(「III これからの県立高校のあり方、1 多様で柔軟な高校教育の展開、A 多様な教育の提供、 ア 新しいタイプの高校の拡大、(ア) 単位制による普通科高校の拡大」) 《批判的意見》 ○単位制にはデメリットもある。単位制の利点を積極的に活用できない生徒も存在すること、とりやすい科目に選択が集中する傾向がある事、学力差が拡大して中退者が増加する事、また、進学校化する傾向がある事、がそれである。〈塾経営者〉 ○単位制は、生徒が、自分のやりたくない教科を置き去りにして、自分のできない部分を無視し続けることになってしまう制度である。単位制高校を増やすことには、同意できない。〈県立高校生徒〉 ○単位制の実践例として、神奈川総合高校に対する評価があるのであろうが、神奈川総合高校は、手厚く保護されている特別な学校であり、すべての高校で同様の実践ができるわけではない。〈県立高校定時制 教員〉 ○単位制は、高校生活を授業の側面からしかとらえておらず、学校行事・部活・HRなどの生徒の生活の場に対する視点がまったくない。生徒相互の交流や人間関係が希薄になる。〈県立高校定時制教員〉 総合学科(「III これからの県立高校のあり方、1 多様で柔軟な高校教育の展開、A 多様な教育の提供、 ア 新しいタイプの高校の拡大、(イ) 総合学科の設置・拡大」) 《批判的意見》 ○総合制は、すべての高校にとって必要な制度であって、一部に特定の総合学科を作ればよいというものではない。〈県立高校定時制教員〉 《その他の意見》 ○地域の高校に全入できるならば、総合学科・専門コース制には期待をしている。〈小学校教員(浜教組組合員)〉 単位制専門学科(「III これからの県立高校のあり方、1 多様で柔軟な高校教育の展開 A多様な教育の提供、ア新しいタイプの高校の拡大、(ウ) 新たな専門学科の設置」) 《賛同的意見》 ○多様化としては、単位制専門学科が有効であり、福祉・看護・産業技術・調理などの専門学科を置くべきである。〈塾経営者〉 専門コース制(「III これからの県立高校のあり方、1 多様で柔軟な高校教育の展開、A 多様な教育の提供、イ 普通科高校の特色づくり、(ウ)普通科におけ専門コースの充実・改善」) 《賛同的意見》 ○私の前任校では、課題研究授業の実践があり、学習内容の定着に著しい効果をあげている。コース制にはこう した実践の発展的な意義がある。〈県立高校教員〉 ○私の高校は課題集中校といわれる学校であり、1日6時間の授業が堪え難い生徒が多く在籍している。個人個人にあった学習ができ、社会に出て役に立つ学習ができるような、コース制を多く設置してほしい。〈県立高校生徒〉 ○専門コース制は、個性が生かせるので賛同する。が、後戻りができない制度であるので、1校内にコースを複数設置して、転編入を柔軟に行なうべきである。また、オープンキャンパスなどによって、入学前に学校の内容が分かるようにするべきである。コースの中で自由選択を幅広く持つべきだが、知識の偏りをさけるために、必須科目は残しておく必要がある。〈県立高校生徒〉 《その他の意見》 ○地域の高校に全入できるならば、総合学科・専門コース制には期待をしている。〈小学校教員(浜教組組合員)〉 単位制の弾力的運用(「III これからの県立高校のあり方、1 多様で柔軟な高校教育の展開、B 柔軟なシステムの実現、イ 単位制の趣旨を生かした学年制の運用」) 《賛同的意見》 ○単位制の弾力化のために、修得要件を半年単位とした二期制を導入することも有効である。〈県立高校教員〉 転編入の弾力化(「III これからの県立高校のあり方、1 多様で柔軟な高校教育の展開 B 柔軟システムの実現、オ 転入学・編入学の弾力化」) 《賛同的意見》 ○多様化をしても不適応の生徒は存在する。そのために、学校間連携・課程間連携を推進し、進路変更のための転編入制度を充実するべきである。〈県立高校教員〉 ○専門コース制は、個性が生かせるので賛同する。が、後戻りができない制度であるので、1校内にコースを複数設置して、転編入を柔軟に行なうべきである。〈県立高校生徒〉 中高一貫教育(「III これからの県立高校のあり方、1 多様で柔軟な高校教育の展開、C 中高一貫教育について」《書き方は慎重》) 《批判的意見》 ○飛び級制度・中高一貫校はエリート養成のシステムとなる危険性がある。〈小学校教員(浜教組組合員)〉 ○中高一貫制を入れるのであれば、全校に導入するべきである。そのためにも、学区の縮小が必要である。〈県民〉 ○中高一貫校を導入するならば、高校全入の方向を目指して行なうべきである。〈保護者〉 《賛同的意見》 ○中高一貫校の導入が、高校の序列化を解消し、閉塞状況を打破する。中高一貫校を多数設置すれば、入試を廃止した高校全入の方向に近付くし、中高の連携によって余裕を持った指導ができる。〈県立高校教員〉 高校統廃合(「III これからの県立高校のあり方、2 生徒数の動向を展望した適正規模と適正配置、B 高校の適正規模」) 《批判的意見》 ○私の高校は、そのランキング・校風が社会的に浸透しており、高校統廃合の対象となることは困難である。他校 においてもそれは同様であり、統廃合の視点を排し、高校数は減らさずに改革を行なうべきである。〈県立高校生 徒〉 ○少子化イコール統廃合という考え方は疑問である。1学年3クラスの品川の中学を訪問したことがあるが、落ち着いた雰囲気のよい学校であった。〈県民〉 ○『中間まとめ』の理念を実現するには、財政的条件整備が大前提となる。教職員定数削減の容認、先に統廃合ありという考え方はおかしい。〈小学校教員(浜教組組合員)〉 ○「中間まとめ」の40人学級を算定基礎とした、高校統廃合には賛成できない。東京では、行政ベースの「40校削る」キャンペーンが行なわれているが、30人学級で算定すると、3校不足する計算となる。〈保護者〉 ○全日制進学希望者は、全員全日制に入学させるべきである。現在2%がそれを実現できないでいる。そのために、計画進学率の引き上げが急務である。この現状を放置したままでの、高校統廃合は納得がいかない。〈県立 高校定時制教員〉 ○学区の縮小によって、統廃合問題にも結論が出る。地域状況によって判断するべきであり、画一的に行なうべきではない。〈県民〉 《賛同的意見》 ○地方税を使っている以上は、不況の現状からは、コストダウンを図るのは当然である。そのために、高校統廃合をダイナミックに推進するべきである。〈県民(中小企業経営者)〉 学級定員数(「III これからの県立高校のあり方、2 生徒数の動向を展望した適正規模と適正配置、B 高校の適正規模、ア 学級定員」《「算定基礎」を「当面1学級40人」としているが、「学級定員を段階的に少なくしていくことが望ましい」との記述もある》) 《批判的意見》 ○高校統廃合の必要性は疑問である。8クラス規模でさえも、相当数の高校が廃校となってしまう。『中間まとめ』の規模数量化の根拠は不明確である。高校統廃合よりも、外国に比べて劣悪な学級定員を、減少させる方向 を追求するべきである。〈県民(100校計画推進運動経験者)〉 ○40人学級を見直すべきである。欧米は30人以下であり、特に、アメリカは18人以下学級を目指している。日本でも、厚木・池子の米軍基地内の学校は、現在25人以下学級である。しかもその学校は日本の税金で建てられている。〈県民〉 ○外国と比較して、学級定員があまりにも多い。30人学級の達成を目指すべきである。〈保護者〉 ○35人学級を即時導入するべきである。定時制は、「小さな学校」であり、密な指導が達成されている。ハンディのある生徒にも、十分な対応ができている。〈県立高校定時制教員〉 ○将来構想検は、財政的現状から、教員定数減を図り、学級定数減を検討していないのではないか。神奈川県独自の改革を検討するべきであり、それを鮮明に打ち出すべきである。〈保護者〉 ○県教委は、やることが既に決まっている。私は、かつて野村前教育長に質問をする機会があった。「クラスが余っているのになぜ募集定員を減らすのか。」との質問に、「私には答えられない。」と回答した。「他県で実践があるの に、なぜ30人学級を目指した学級定数減の努力ができないのか。」との質問には、「国で決まっているからできない。」と答えた。県教委は、こういうスタンスで物事を進めていく。県民が何を言っても、こういうフォーラムを開いても、何もならないのではないか。〈保護者〉 学区(「III これからの県立高校のあり方、2 生徒数の動向を展望した適正規模と適正配置、 C 特色を生かした適正配置」《「隣接学区」の「検討」》) 《批判的意見》 ○地域に根ざした高校を求めるならば、まず、学区の縮小を図るべきである。それによって、輪切り選抜の解消を行なうべきである。〈県民〉 ○学区の縮小によって輪切り体制の解消を図るべきである。〈県立高校定時制教員〉 地域に根ざした学校(「III これからの県立高校のあり方、3 地域や社会に『開かれた学校』、 A 学校教育活動における地域・社会との連携交流」) 《賛同的意見》 ○某県立高校の、老人会と連携した組織的ボランティア活動は、郷土料理教室の実践などもあって、PTA・生徒・老人会が一体となった地域学習としても機能している。このような「開かれた高校」を追求するべきであり、地域 コミュニティ活動の展開を拡大するべきである。〈保護者〉 ○中学では、老人ホーム訪問などの、地域との関わりを持った学校行事がたくさんあったが、高校にはそうした地域との結びつきがない。〈県立高校生徒〉 ○中・高の生徒同士の関わりがあまりにもない。地域との連携はまずそこから始めるべきである。〈県立高校生徒〉 ○高校間の生徒同士の関わりもまたあまりにも少ない。高校生集会などの実践をするべきである。〈県立高校生徒〉 《その他の意見》 ○地域に根ざした高校というならば、教員は学区内の地域に居住するべきである。〈県民〉 施設・設備(「IV 将来構想の推進にあたって、2 行政に期待するもの、B 中長期的な展望に立った改築・改修を含めた施設・設備」) 《賛同的意見》 ○施設設備の充実が急務である。現状は、ひどすぎる。〈県民〉 教員の資質(「IV 将来構想の推進にあたって、2 行政に期待するもの、C 教職員の資質向上」) 《その他の意見》 ○養護学校の生徒にも目を向けるべきである。教員は校種間異動をすべきである。〈県民〉 ○教員のリストラを推進すべきである。それが、教員に対する自浄作用を促すことともなる。〈県民(中小企業経営者)〉 その他 【「子どもの権利条約」に関連すること】 ○卒業式・入学式で生徒会が活躍した、所沢高校は注目すべきであり、教員と生徒は対等の立場に立たなくてはならない。独仏では設置が通常化している、校内最高議決機関としての生徒・職員連絡協議会を、日本でも実践するべきである。〈県立高校生徒〉 ○生徒・職員連絡協議会の意見に同意する。浜教組では、こどもの権利条約に根ざした学校を目指して、こども協議会設置の運動を推進している。しかし、厚い壁があるのが現状である。〈小学校教員(浜教組組合員)〉 ○生徒が教員を評価するシステムがあってしかるべきである。私の高校では、生徒が教員に対して「連絡票」を渡す活動を、年に1回行なっている。〈県立高校生徒〉 【保護者の教育行政参加に関連すること】 ○父親も、こうしたフォーラムやPTA活動など、教育問題に直接参加する姿勢を持つべきである。〈県民〉 【競争原理導入に関連すること】 ○現実の社会は競争社会である。そこに目を向けずに、自由の意味をはきちがえている生徒にも教員にも問題がある。〈県民〉 |
高総検レポートNo.37 1998年8月11日発行 シリーズ 県立高校将来構想検討協議会「これからの県立高校のあり方について(協議経過の中間まとめ)」を読む 第4回 クラスを人間的サイズに 学級規模の縮小は先送りに 『中間まとめ』は、「現状と課題」の部で、「生徒の多様化」という項を立て、「意欲をもって学習や部活動等に取り組む生徒がいる一方で、一部には目的意識や学習意欲に欠け、中途退学に至る生徒がいる実情もある。また、いじめや不登校、薬物乱用、性の逸脱行為なども深刻な状況にあるといえる。」という現状認識を示している(P.5)。しかし、それらをもたらしている原因がどこにあるかの分析はまったくなく、いきなり天下り式に 次のような文部省直伝の全国一律“特色ある"高校づくりを持ち出す。 「今後も、県立高校においては、意欲と希望をもって高校ヘの進学を望む子どもたちに幅広い進学の機会を確保するよう努めるとともに、これまで以上に、社会の変化や生徒の多様化に、きめ細かく対応する教育を展開していく…」。(すなわち)「生徒の学校選択の幅を広げ、様々な選択肢の中から、自らの興味・関心や進路希望等に適した学習内容を選択できるよう、弾力的な教育課程の編成など、特色ある高校づくりを一層推進し、県立高校の多様化を図るとともに、柔軟な学びのシステムを実現する必要がある」。 そして、「子どもたちが、望ましい環境の中で一人ひとりの個性を生かすことができる教育を受けられるよう、県立高校の規模、配置の適正化を図るとともに、教育環境や教育条件の一層の整備・充実を図る必要がある」と形ばかりに付け加えるのだが、強調されるのは、「生徒数の動向を展望した適正規模と適正配置」(P.16〜20)、つまり高校のリストラと「多様化」ばかりで、教育行政の固有の責務(教育基本法第10条)とされている「教育環境や教育条件の一層の整備・充実」について、独立した項目も設けていない。わずかに、「再配置を踏まえた施設設備の整備」の項(P.18)で、「多様化」と高校の再編成・統廃合などを条件にした物質的条件の整備が触れられているのみである。 また、「教育環境や教育条件の整備・充実」で最も肝心の学級定員についても、その改善を無限定な将来の課題に棚上げしつつ、「国の動向など諸般の事情を勘案して」と中身のない官僚の常套句を前置きし、 「当面1学級40人とする」とためらうことなく断定している(P.17)。ちなみに、同じ箇所に、「学級定員を授業展開上の人数と必ずしも連動させる必要はなく」(学級定員自体の改善が行われなくても、「多様化」上のレッスン・クラスの編成やチーム・テイーチングなどで対応できる)という意味合いの表現があるが、言うまでもなく、現行法制では、各課程の生徒数に応して学級数が決められ、それに応じて教職員数が算出される仕組みになっており、学級定員の改善がなければ、原則として、教職員定数の改善もなされない。従って、どのようなレッスン・クラスを完成したとしても、学級定員の改善がなければ、基本的に、教職員の労働強化なしには、教育条件がよくなることはない。『中間まとめ』はこのことに無知なのか、ごまかそうとしているのか。 ともあれ、人的・物的な教育条件の改革・改善を通して今日の子どもと学校教育をめぐる深刻な危機の打開を図る、という考えはあらかじめ排除されているということだけは、『中間まとめ』全体からはっきり読み取ることができる。 待ったなしのダウンサイジング 学級規模の縮小は、教育行政に対する教職員の長年の中心的な要求項目である。だが、教育・福祉分野ヘの一貫した低予算配分政策のもとで、それは遅々として進んでいない。また、この間題について幅広い世論の理解を得ることにも、教職員はあまり成功していない。 江戸時代以来、日本人の教育観には儒教的な精神主義が深く浸透しているが、国民皆学の学校制度が創設されてさほど年月を経ない明治中期に、富国強兵政策のため教育財源がさらに圧縮され、「非常に厳しい環境のなかで苦労しながら勉強をし立身出世してゆく(『苦学』)という学習(観)が、(政府によって)かなり意図的に持ち込まれた」(喜多明人「学校施設の日本の特殊性」『教育』1990年11月号)。「蛍の光・窓の雪(明かりで)文読む月日重ねつつ…」また、人を教え導くという尊い営みに待遇・報酬を間わずよろしく献身すべしとする教師=聖職者観も同じ時期に定着する(聖職論の内実は、待遇を問わず献身するという部分にある)。国民の頭に刷り込まれた、この固定観念は大正を経て昭和の大戦後にも生き残る。「我が国の学校の建物がなぜ美しくないかという理由は、金の間題というよりは、むしろ教育に対する考え方の問題である場合が多い。すなわち不自由な環境のもとにあるほど教育の効果が上がるという考え方が支配的であった」(喜多、前掲書)。このような「考え方」は、根っこのところでは、現在も変わっていない。たとえば、公共施設の建築単価のうちでー番低いのが学校のそれである。学級定員・教職員定数の改善(第7次義務教育諸学校・第6次高校教職員定数改善計画)についても――もともと不充分な改善内容なのだが、それでさえ――99年度実施の予定が先送りにされている。 しかし、昨今、学校でのイジメの蔓延やイジメが原因の自殺の増加、不登校の激増、少年の凶悪な暴カ犯罪や女生徒の「性非行」の増加、「学級崩壊」にも至る「新しい荒れ」の発生・拡大など、小・中・高校の別を問わない学校内外の混迷と困難の増大が学校の内部努カの限界を超えるような程度に達するに及んで、テレビ番組や新聞の記事・論説・投書などにも、盛んに教育間題が取り上げられるようになり、ときには教育条件の改善の必要も説かれるようになっている。 「経済の発展と引き換えに子どもたちの生活から奪ったものも多い。もうけた金の半分くらいは子どもの本当の教育のために返したらどうか…」(『朝日新聞』98.6.8) 「クラス定員を減らすには、先生の人件費などで大きな費用がかかるのは事実だ。(しかし)子どもたちが健やかに成長できるかどうかは、国の将来がかかった間題である。にもかかわらず政府は、銀行の救済などに何十兆円も投入しようとしている。歯がゆい」(『朝日』98.4.5) 将来構想検は、『中間まとめ』を見るかぎり、現に子どもと学校がかかえている問題を脇に置き、中央の方針に従って、「新しい多様化」をテコとした高校の統廃合・再編成にもっとも力を入れているようである。しかし、もし「子どもたちの健やかな成長は国の将来がかかった問題」という認識に異論がないのであれば、そして神奈川の高校教育の今後に対して基本的な責任を負うと考えるのであれば、子どもたちの成長・発達の危機の極まりつつある今日、高校間格差・受験競争の解消と並んでもっとも緊急に解決が求められている問題、教育条件の整備・充実、とくにその基礎的課題である学級定員・教職員定数の抜本的改善に向け、「国の動向など諸般の事情」を乗り越えて、真剣に精力的に取り組むべきではないか。 日本は後進国なのだ [表1]は世界各国の学級編成の基準を示している。これによると、欧米では1学級20人から30人が主流である。一例として、日本と同じ第2次世界大戦の敗戦国、ドイツの場合を具体的に見てみよう。
1991年に、日本でやっと40人学級の編成が完了したとき(45人から40人ヘの法改正そのものは80年度に行われたが、11年間実施をサボっていた)、欧米ではすでに30人の水準に達していた。しかし、我が国の後進性は、その後も放置されたままである。ドイツと同様、焦土から復興に努めた日本国の経済力は今や世界第2位のGDPを誇るまでになった。しかし、その富は、それを営々として築き上げてきた国民全体の福祉の向上にも、新しい世代の教育にも、その価値にふさわしい比率で配分されてはいない。これは、日本の民主主義――制度と国民の意識――の未成熟の問題でもある。 小さな学級で大きな効果 ケニヤのナイロビのイギリス系小学校の女性教師は言う。「教育に責任を持てるのは25人までですね。それを超したら教育ではなくなる。管理になってしまいます。」(『朝日』98.4.5)。 小さな学級にはどんなメリットがあるのか。 アメリカでは学級規模と学習効果の研究がさかんで、コロラド大学のグラス、スミス両教授が発表した「グラス・スミス曲線」が有名だ。 [図1]は、1979年にそれまでの50年間に発表された学力と学級規模の関係に関する論文、約300を、メタ・アナリシスという推理統計学の分析法によって処理し、両者の相関関係を定式化したものだということである。 この曲線を見ると、40人から30人の間では学力は50点程度に停滞的であるが、30人をきる頃からしだいに曲線は急勾配となり、20人では55点、15人では58点、10人では約65点、5人で約75点となった。きわめて単純な要素だけを取り上げたグラフで反論もあると言われるが、学級規模が小さくなると、学習効果が増すことは現場の経験によっても認められるところである。 [図1]と関連して、[図2]の曲線にも注目したい。 これは、教師の一日の授業時間=指導時間を200分とした場合の「子ども一人当たりの教師の指導時間」(Y)と学級規模(X)の関係を示したもので、その式はY=200/Xで、両方の図はほとんど相似形で一致する。学級規模が小さくなるにつれて、子ども一人当たりの教師の指導時間が増え、学力が向上するものと考えられる。 「学級規模が小さくなり、一人の先生の教える子どもの数が少なくなるほど、授業内外での個別指導時間は増え、一斉授業にたいする子どもの理解度に応じたきめ細かい個別指導が可能となる。そうなれば、授業ヘの関心も高まり、“落ちこぼし”もなくなり、理解力のある子どもはさらに深い知識を学び、どの子の学力もさらに伸びるはずである」(三輪定宣「学級・学校規模と教育効果」『教育』90年11月号)。このことは、現場の小学校教員の経験からも裏付けられる。「25人の教室なら、子どもたち全員に目が届きやすい。一対一で子どもと向き合う時間も増やせる。35人を超えると、教壇から見て視野に入りにくい子が出る」(『朝日』98.6.8)。小さな学級は、また、一斉授業でないかたちの学習もさせやすくなる。実験・実習・スポーツ実技や芸術などの指導の際も個別に時間がかけられるようになる。障害のある子や特別の問題をかかえた子などへの対応にも余裕がうまれる。子どもたちの人間関係や―人ひとりの個性の把握も比較的容易になる。 人間が精神的安定を保つには、各自が一定の空間を確保することが通常必要で、逆に、閉塞状況での過密状態はそれだけでも心理的抑圧と暴発の要因になる。物理的空間的余裕は、心理的余裕の必要条件である。学級のダウン・サイジングによって、子どもどうしの接触の機会も増え、相互理解がすすみ、誤解・曲解・先入観・偏見などから生じる摩擦・対立も少なくなり、争いを暴力でなく言葉で解決することができるようになる下地がつくられる。また、クラス全体になごやかな雰囲気が醸しだされ、しばしばクラスの結束力も強くなる。 学級定員減は、教育条件の向上であるばかりでなく、いわゆる「過員」問題を発展的に解消する手だてにもなる。また、新たな教員需要(雇用)を産みだし、それによって、新採用の削減や停止によって世代バランスが崩れつつある高校教職員の平均年齢の上昇を緩和することもできる。 やる気になればできる 日本で学級規模を欧米並みに30人以下にすることは、けっして実現不可能な夢物語ではない。中学卒業生の数が滅少に転じて以来、たびたびその実現可能性が論じられてきている。夢物語どころか、子どもの数が幸か不幸かどんどん減っている現代は、大きな出費なしに学級規模の縮小を実現できる絶好期なのである。千葉大学の三輪定宣教授(教育行政学)は、つぎのような学級規模縮小の具体的な手順を提案している。
小海町は強く反発したが、結局、学級を1つに組み直し、科目に応じてチーム・ティーチングの形をとるということで妥協させられた。このとき国が考えたのは恐らくこういうことだろう。1つ認めたら、全国に広がる。管理統制をゆるめたら国の権威がなし崩しにされる。一般化すれば予算も付けなければならなくなるだろう。しかし、教育などに予算を回したくはない。県に押さえ込ませよう。 この問題の抜本的解決は、三輪氏も指摘するように、次代を背負う子どもたちの教育を行政のプライオリティの最上位に置くかどうかの選択にかかっている。従来行政が常用してきた「財政上の理由」は、もはや通用しない。銀行やゼネコンなど大企業の支援・救済には巨額の税金をつぎこんでも、子どもたちの教育には税金はつかえない、とは言わせまい。安保条約上の義務はないのに「思いやり」で在日米軍に多額の税金を提供し、その子女には施設・設備をはじめゆとりのある教育条件・環境を整備してやり、小人数クラス編成を保障してあげても、自国の子どもたちにはしない、とは言わせまい。 文部省も一枚岩ではないようだ。小海町の件では、「財政措置ができるなら、自治体独自の判断は認められる。当省はコメントする立場にない」というコメントがあった(『朝日』98.4.11)。また、省内には、「学級人数の削減が可能になるように国民の合意を目指すべきだ」「地方分権の流れから、国は財政援助だけを行い、学級規模は各自治体に任せた方がいいのではないか」等の意見もあるという(『朝日』98.6.8)。 「団塊の世代」の孫世代が学齢期に達する2010年ごろ、再び児童数が増加に転じると予測されている。それ以前の減少期になんとしてでも学級規模の縮小を実現する必要がある。そのためには、ひろく強く世論に働きかけ、主権者の共同で教育を最優先課題とする政府・自治体をつくらねばならないだろう。 |
高総検レポートNo.39 1998年10月9日発行 シリーズ 県立高校将来構想検討協議会「これからの県立高校のあり方について(協議経過の中間まとめ)」を読む 第5回 学級定員減が先だ ――統廃合は、いらない―― 1.シミュレーションしてみよう(はじめに) 『中間まとめ』では、「各高校の適正な規模の確保と特色ある高校の適正な配置を図るため、再編成・統廃合を含めた再編整備を検討する必要がある」*1 とあり、県立高校の 統廃合を狙っています。しかし、本当に、統廃合は必至なのでしょうか。数字を見た検証のないままに、統廃合が既定のことがらのように言われてしまっている現状は問題であると思います。そこで、公立小中学校の在籍生徒数の数字をもとにした、若干のシミュレーションを行ってみることにしました。 *1 『中間まとめ』「III..これからの県立高校のあり方 2.生徒数の動向を展望した適正配置と適正規模 (P.16)」 2.学級定員を35人に、県内私学を22%にしてみると? 我々は、この生徒急減期を教育条件整備の絶好機ととらえてきました。今さら言うまでもなく、現在の40人の学級定員は、速やかに減らされるべきです。 『中間まとめ』は、「将来構想」における「高校の適正規模」について、「当面1学級40人」を算定基礎とした上で「18学級(720人)から24学級(960人)」と人数を明記してまで言い切っています。しかし、この算定基礎は、私たちが教育条件整備の中期的見通しを行うときに用いるべき算定基準ではなかろうと思います。物理的に、改善が可能なのですから。以下に、1学級の定員が今後35人まで減らされたものとして、そして学年あたりのクラス数を現在での普通科校の最低規模である6クラスとして、試算を行います(ここでいう「35人」や「6クラス」は、私たちが適正と考えているという意味ではなく、あくまでも試算基準であり、望ましい学級数や学級定員については別途検討が必要ですが、1クラス40人という教育条件の劣悪さについては、『高総検レポートNo37』〈前項〉参照)。 また、県内私学への進学率を、公立中学卒業者の22%と見込んでいます*2。ここ数年、県総務室は県内私立へ18,000人、約25%として計画を策定してきていますが*3、実際にはその数値を大きく下回っています。そして、中学3年生の進路希望調査では、公立高校への進学を希望する者の率が、計画値・実績値よりも高率となっています。我々は希望者全入を掲げているのですから、中学生の希望と異なるような、私学へ高率で進学するという見通しで計画をつくっていてはならないでしょう。これによって私学の経営は苦しくなりますが、それはまた別問題で、私学助成の大幅増額などを措置で対処するべきです。同様に、県外私学国公立への進学率は、7%と見込んでいます。 全日制への進学率は、希望者全入の観点から、公立中学卒業者の96%としています。 *2 県内私学への進学率(実績値)は、1994年22.0%、1995年22.2%、1996年22.3%、1997年23.7%、1998年22.3%でした。22%というのは実績に基づいた値でもあります。 *3 そして、それらの数字を引いた残りを公立が引き受けるとして計画を策定するから公立が計画通りに生徒を受け入れても、神奈川県全体の高校進学率が上がらないという関係になっています。 3.中卒者数の動向は 公立中学校の卒業者は、今後ゆるやかに減少して行き、2006年あたりが最低人数、いわゆるボトムになると推定されています。もちろん、減少の様子は学区によって異なっています。ボトムとなる年度、また減少の急激さ、ピーク時に対する割合などです。以下の表(表1〜表6)に、ピーク時(1988年)実績数、現在(1998年)数、ボトム時(2006年)予想人数を、県全体といくつかの学区について載せてあります。ボトム時の予想人数は、現在の公立小学校1年の在籍生徒数がそのまま公立中学校卒業者数となるとしたときのものです。 4.学級数試算
例えば、横浜北部学区[表2]は、社会増により中卒者が増えていて、1クラス35人の私たちの試算では、2000年頃から一部10クラス以上の規模の学校を設定する必要があることになっています。しかし、ここに隣接する横浜東部学区[表3]では中卒者減が著しく、2005年がボトムになって、その年の公立普通科学級数が57と試算されます(この学区には県立市立を含めて公立普通科高校が9校あり、単純に割り算をすれば、一校あたりの学級数は6を切る)。ここで、横浜北部学区から横浜東部学区へ100名程度以上の特例校受け入れを行えば、北部のクラス数を抑える事ができます(東部は全校が6クラスとなる)。 こうした関係は、川崎北部([表4]―中卒者の減少が少ない)と川崎南部([表5]―中卒者の減少が大きく、また学区内に公立職業高校を3校と総合学科校をもつ)のあいだでも見られます。
*4 横浜南部学区[表6]については、2006年には県内私学に34%の進学を見込む形になっています。これは、我々の行っている、試算に用いている計算式の「癖」が出てしまっている部分です。実際には、もっと低い数値となることが予想されるのですが、しかし、これが少々減ったとしても、このままでは5クラス以下校ができてしまうでしょう〈筆者注:'00年度募集計画で、横浜南部学区に、5クラス規模校が生じた〉。 5.結論 学級定員減を行えば、高校統廃合は不要です。 統廃合を認めれば、35人以下学級への道を閉ざすことになってしまいます。 |
高総検レポートNo.35 1998年7月7日発行 シリーズ 県立高校将来構想検討協議会「これからの県立高校のあり方について(協議経過の中間まとめ)」を読む 第2回 単位制オン・パレード (前略)各論として、『中間まとめ』の中に氾濫している「単位制」〔注〕について、Q&A方式で、問題点を整理してみたい。 〔注〕「単位制による高絞」としての全日制単位制高校、総合学科に加えて、「単位制による普通科高校の拡大」として多様な学習ニーズや生活スタイルに合わせた「幅広い分野にわたる選択科目群を設置して総合的に学習できるタイプ」の学校、単位制による専門学科、専門コースでの単位制の活用、定時制・通信制での単位制の活用、単位制を利用した県立高校の再構成、「個が生きる高校教育」を推進していくための「単位制を生かした学びのシステムの拡大」等々。 Q1 生徒の立場から考えると、「単位制」の高校は、自分の好きな科目だけを選択できて、自分の選択した時間帯だけ登校すればよく、HRや行事などもなくて気楽でいい、といったイメージがあるようです。「各自で好きなものを取っていけるキャフェテリア方式のような自由で開放的な」学校というわけです。また教職員からは、生徒自身の興味にしたがって科目を選択するのだから、学習意欲のある生徒が集まって、授業はやりやすいのではないか、めんどうな生徒指導からも解放されるのではないか、などと思われているようです。「単位制」の高校とは、そういう学校なんですか? 『中間まとめ』は、そういう高校づくりを提案しているんですか? A1 確かに、上記のように、『中間まとめ』では、「単位制」をべ−スにして、様々なタイプの学校をつくる方向で、神奈川の高校を改革しようという意図が各所で述べられていますが、はたして「単位制」の導入が現状を打開する特効薬に成りうるかどうか? それを弁明するには、少し手順をふむ必要がありますので、基礎的な事柄から改めて考えてみましよう。 Q2 では、まず単位制というのはどういうものですか? A2 単位制とは、一般的には「履修の量を判定する基準としての単位を設定し、所定の単位数をもって卒業のための最低必要要件とし、そのもとで、必修教科(科目)と選択教科(科目)を履修させる方式」(『教育学大事典4』第一法規)をさします。現在の日本では、高校と大学で採用されています。文部省・学習指導要領によれば、高校では、1週間あたり1学校時間(50分を標準とする)の授業時数を、1年間(35週を標準とする)通して履修したとき、1単位とされ、卒業に必要な総単位数は、80単位以上と定められています。 Q3 えっ、今の高校は単位制なんですか。そうすると「単位制高校」というのは、屋上屋を重ねているような気がしますが、いったいそれはどういうことなのでしよう? A3 そうです。普通科課程では1948年度から、その他の課程では49年から単位制が採用されています。戦後の新制高校は単位制として出発したのです。この単位制と、現在推進されている「単位制」とはちがうのです。まあ、結論を急がないで基礎的な話に戻りましよう。 Q4 では、なぜ単位制が必要になったのでしよう? A4 単位制と新制高校の基本原則(総合制・小学区制・男女共学制・選択制など)は密接な関係にあります。とりわけ選択制(自由選択制)と不可分の関係にあります。自由選択制のもとでは、必修の教科・科目以外は、個人の選択にまかされますから、卒業のための最低必要条件を満たしたかどうかを計る量的表現法が必要となり、単位制が採用されたのでした。 しかし、ここでいう選択制とは、普通科の中だけの選択を意味しません。なぜなら、学校教育法第41条は、高校教育の目的として普通教育および専門教育を併せ施すこととしているので、高校教育の目的にそった幅広い選択制(自由選択制)は普通科に普通科以外の学科を併置する総合制高校を想定していることは明らかでした。このような理念を持つ新制高校は、文部省からも強く勧められて全国で相当数の総合制高校が誕生しました。 Q5 そうすると、総合制高校として出発した戦後の新制高校が、その選択制の実施のために単位制が必要になったのですね。ではその後、総合制高校はどうなったのですか。 A5 すべての新制高校が総合制をとったのではありません。全国の4割ちかい高校は、普通科単独校のままでした。その後の反動的な文教政策は、総合制を後退させ、総合制高校における単位制・自由選択制の解体が進みました。また1952年以降、漸次、小学区制がとられなくなり、また教育条件整備に経費のかかる単位制・自由選択制は否定されるようになります。他方、学習指導要領の「法的拘束力」が次第に強化され、大幅な選択制は不可能となり、限定された範囲内での選択にすぎなくなります。1956年の学習指導要領の改訂によってコース制(文系・理系などの類型選択制)が導入されるようになり、単位制は形骸化され、学年制への移行がよぎなくされていくのです。 Q6 そうすると、今の高校はもう単位制ではないのですか? A6 原則的には、単位制ではないとは言えません。それは最初にA2で述べたとおりです。最近の教課審の中間まとめでも、「総合的な学習の時間」に関連して、「高等学校が単位制による教育課程であり…」と言明しています。しかし、周知のように、現実の学校は、教育行政が単位制を完全実施できるような教育条件の整備をサボタージュしているために、通信制の他ははとんど学年制を基本にしているわけです。ですから、1科目でも単位が取れなくて原級留置になると、修得したはずの残りの科目の単位も全部ダメになって、もう一度やり直しさせられたりする矛盾が生じてしまうのです。 行政は、この、原則は単位制であることと実際の運用上は学年制であることを、ご都合主義的に巧みに使い分けています。たとえば、転入出などの場合は部分的な取得単位を認める(つまり、厳密な学年制をとらない)ことがありますが、学校が教育課程の改変に際して総合制による単位制選択制の導入などを申請しても、「高校は学年制で進行しているので…」というような理由で申請を却下したりもしています。 Q7 では、なぜ『中間まとめ』は、あらためて「単位制」を持ち出したのでしょうか? A7 そこが、この問題の解明のキー・ポイントです。ポイントには、大きく分けて二つの側面があります。 『中間まとめ』が、将来の高校づくりの中核的制度とも位置づけるほど、単位制にメリットを認めているのであれば、それを、上記のような本来の趣旨に沿って、すべての高校に「復活」させればよいと思うのですが、将来構想検は、そういう提言はしていません。 将来構想検が『中間まとめ』で「単位制」を強調している基本的理由は、実は、新制高校がそれを採用した本来の趣旨とは別のところにあります。すなわち、「単位制」を、高校の「新たな多様化」政策、つまり、多線化と種別多層化を基本とする高校教育全体の再編成に便利な一つの道具として−そこに新しい利用価値を見つけて−採用しようとしている、ということです。 他面、すべての高校に名実共に単位制を復活させない理由のひとつには、前にも触れたように、学年制よりも相対的に費用がかかるという点があります。とくに、普通科と専門学科にまたがる大幅な選択制や無学年制とセットになった単位制は、神奈川総合高校や大師高総合学科に類例が見られるように、他の高校よりも多くの教職員と予算が必要になります。 (したがって、『中間まとめ』が提案する「選択制」を実際に導入するとしても、県は教育予算の削減を基本方針としていますから、特定の高校に「選択的導入」を行うか、あるいは、全日制の一部の高校や定時制・通信制などには、「高校以外での学習成果の単位認定」などを「活用」する安上がりの「寄せ集め式単位制」等を採用することになるでしよう。) Q8 「単位制」を高校の「新たな多様化」の道具にしようとしている、という部分をもう少し説明してください。 A8 1960年代に始まった高校「多様化」政策は、普通科の拡大を抑制する一方、職業科の比重を大きくし、その学科の構成を多種多様に細分化・専門化するものでしたが、それが破綻したあと、次には国民の要求によって増設がすすむ普通科の「多様化」(能力主義的再編)に取りかかり今日に至っています。最近の「新たな多様化」の基本構想は、中等教育を単線構造から多線構造へ変換することです。「特色ある高校づくり」「新しいタイプの高校づくり」などの名のもとに、「単位制高校」や総合学科・6年制中等学校(中高一貫校)・専門コース制などを新設して、高校教育全体を細かく種別化・多層化し、それと入試方式の「多様化」を連結させて、高校教育の共通制と共同制を解体し、全面的に再編成することをねらっています。 『中間まとめ』は「単位制は、普通科・総合学科・専門学科のいずれにも共通する教育展開のシステムであることから、さまざまな展開を考えることができ、今後、積極的な設置の拡大が必要である。」と特筆し、「これからの県立高校のあり方」のほとんどすべての施策にわたって「単位制」の導入を繰り返し提唱しているのですが、これを逆さまにしてみると、「単位制」なしでは、『中間まとめ』の「これからの県立高校のあり方」は成立しないのではないかとさえ思われてきます。なぜ、それほど「単位制」が強調されるのでしょうか? その答えは、はじめに「新たな多様化」方針ありき。それを可能にする方策を突き詰めていったら、「単位制」に行き着いたと考えるのは、はたして邪推でしようか? そこでは「単位制」は、もっぱら、教育内容を規格化された単位に細かく分割し、その履修(修得)の集積によって卒業(修了)認定を行うシステム、ととらえられ、それが、学校形態や学習形態の基本に位置づけられています。そして、その上に、高校教育の「新たな多様化」が展開されるという組み立てになっているのです。 Q9 それでも「単位制」がいいものであれば、問題ないのではないですか?「単位制」はなかなか評判がいいようですよ。 A9 たしかに、「単位制」は一般にいいイメージをもたれているようですね。『中間まとめ』が「単位制」をしきりに持ち上げているのには、そういうプラス・イメージを「活用」したいという思惑も含まれているのでしょう。 しかし、「単位制」に対する一般的イメージには問題の部分もあるのです。たとえば、Q1に挙がったような「単位制」を評価するさまざまな項目は、実は、必ずしも単位制だけによって成立するものではなく、またそこからのみ生じる効果であるとも言えません。多くの人々が抱く「単位制」のイメージは、そのような単位制以外の様々な要素でふくらみ、彩色されているようです。単位制そのものは、A2にあるように、要するに、履修(修得)量を計る方式の一つに過ぎす、それ以上のものではないのです。それだけ取り上げても特に教育的価値があるわけではありません。 肝心なのは、格差のない高校に希望する者だれもが入学でき、そこで各生徒が共通に必要とする基礎課程と個別に必要とする選択課程が差別なく保障されることです。そうすれば、単位制は、自ずと多くの高校で便利な制度として採用されることでしょう。 Q10 「単位制」は、現在、県教委からどのように位置づけられているのでしようか?それと『中間まとめ』との関係は? A10 単位制全日制高校である神奈川総合高校は、「単位制」である故に、特色ある新しいタイプの高校とされ、学区制の枠を外れています。大師高校総合学科も単位制を採っていますが、総合学科である故か単位制である故か、同じく特色ある新しいタイプの高校とされ、学区制の枠をもっていません。「単位制」が、特色ある新しいタイプの制度と位置づけられ、それゆえに学区が外されているとすれば、『中間まとめ』に氾濫する「単位制」の高校は、すべて相似の根拠で、学区制の制約を外されることになるのでしようか?「単位制」の高校が増えれば増えるはど、特殊性も低下し、学区をはずす根拠も薄らぐことになり、県教委はジレンマに陥るでしよう。それとも、逆に、殆どの高校を「特色」化することによって、学区制度全体をなし崩しにしてしまうつもりでしようか? この可能性は小さくありません。そうなれば、学校問格差はさらに拡大し、受験競争はいっそう激しくなるでしよう。 |
高総検レポートNo.44 1999年7月21日発行 県立高校再編整備計画に関する交渉報告 【99.6.15課題別交渉:特色・入選】 (略)
「現場の意向は十分参考にする」という県教委の言は甚だ疑わしい。神高教は、昨年12月以来、現場代表を含めた継続的な交渉を県教委に要求しており、高校教育改革の検討機関である高総検において、『将来構想検答申』に対する批判・評価をベースに、神高教『神奈川の教育改革プログラム』とすり合わせた交渉内容を検討してきた。しかし、ダイレクトに情報が現場に降りれば話に尾鰭がついて広まるという不可解、且つ、無礼な理由で、県教委から交渉を拒絶されている。 6月15日に、99教育改革要求・課題別交渉(特色・入選)で、現場代表として、ようやくこの件に触れることができた。しかし、課題別交渉の時間自体が1時間しかなく、入選・中高一貫にその大部分の時間を取られたため、再編整備計画に関する交渉はわずか10分程度に矮小化された。交渉報告と称するのがはばかられる、極めて不十分な内容ではあるが、以下にそのやりとりを記し、せめてもの情報提供としたい。 (略) ●現場代表との交渉の追求● 【質問】なぜ現場代表との交渉を拒絶するのか? 【回答】5月に各校に校長を通して再編整備計画のイメージを伝えた。それをもととしての意見集約をしている。これからどうするかを進めている段階である。理解を願いたい。 ●30人以下学級の追求● 【質問】30人以下学級とリンクできる計画であるのか? 【回答】高校多様化のためには、一定の学校規模が必要である。1学級40人を基準とし、30人以下学級の導入よりも学校規模の確保を優先したい。1学級40人とは、HRクラスに対するものであり、レッスンクラスでは既に30人以下も実現しているはずである。そうした中で多様な幅を持たせたい。また将来構想検は、学級定員について、「国の動向を踏まえ将来的には、学級定員を少なくしていくことが望ましい」と答申しているので、30人以下学級をまったく無視をしている訳ではない。 【要求】東京都教委の『都立高校改革推進計画』には、職業学科については35人にすると明記されている。30人以下学級実現の際に、それを保障するキャパシティがなくては困る。24〜32学級の過大校など作ることはできないはずだ。慎重な対応をしてほしい。 ●学区縮小の追求● 【質問】現行の学区を変更することがあるのか? 【回答】学区については、今後、一定の再編整備の見通しができた段階で考えたい。 ●高校改革に実現性のある教育予算の追求● 【質問】再編整備に実現性のある教育予算は確保できるのか? 【回答】計画を推進する以上は、一定規模の財政の担保は必要である。しかし100%取れるかどうかは分からない。各校で、工夫をしなければならないところはしてもらいたい。 【要求】[工夫]と言われるが、現在でも講師配当が不十分であることから、学習指導要領に合わない授業展開を余儀なくされている学校もある。しかし、「日の丸・君が代」は指導要領の法的拘束性によって行なえと強要されている。これは[工夫]ではなく[無理]である。現場に無理をかけるような拙速は避けるべきである。結局迷惑をこうむるのは、生徒である。財政状況は如何ともしがたい。計画は、状況を見据えつつ慎重に推進されなくてはならない。 ●市立高校再編整備計画との整合性の追求● 【質問】県内の市立高校を持つ市教委、特に横浜市教委との再編整備計画のすり合わせは行なっているのか。行なっているとしたら、どういう計画となっているのか? 【回答】協議をしている。 (略) 横浜市教委は、98年12月にトップダウンで示した、「横浜市立高校再編整備計画(案)」を現在のところ変更はしていないものの、市立高校内での論議を積極的に促している。対するに、県教委が、現場代表との交渉を拒絶して、県立高校の再編整備計画をブラックボックスの中で行ない、「事前に該当する学校との十分な協議と同意を踏まえたものとする」どころか、「学区(地域)内での検討・協議を保障する」ことさえもしていないことに、大きな疑惑を感じる。 99年6月23日の県議会代表質問に、教育長は、「『総合学科』や『単位制普通科』を持つ高校を、県内の全18学区に1校以上配置する」ことを明らかにし、同時に、「どちらか一方しかない学区には、隣接する学区に必ずもう一方を置く」と答弁している【『朝日新聞』99.6.24】。これらの新設総合学科・新設単位制の入選は、現行通り、全県一学区で行なわれるのであろうか。とすれば、これらは、「生徒の人気」【『朝日』同】があるゆえに、全校単位制化・全県一学区を計画している、横浜市立高校全日制普通科とあいまって、受験競争の白熱化を呼ぶ。その勢いは、「都立学校間に適切な競争原理を導入する」ために、都教育庁が策定している、「都立高校の学区制を実質撤廃して、受験生が都内全域の高校を受験できるよう現行制度を改める方針」(学区東西2ブロック統合、相互2割程度の新入生参入)【『読売新聞』99.7.6】に迫ること必至である。 また、県教委は、昨年の専門高校の推薦枠の50%への引き上げに続けて、本年度は、コース制の推薦枠の50%への引き上げを要求してきている。通信システムへの対応等、財政状況から困難であるものの、普通科への推薦制導入の意向もあると聞く。 無論、「根幹的な部分の変更には慎重な検討が必要である」【本6.15課題別交渉回答】として、見直しの意志を示さない複数志願制・総合的選考の問題が解決に向かっているわけではない。 これら全てが現場に導入される時、受検生の混乱は先の新入選導入時の比ではないだろう。そもそも学区・入選の問題を後回しにした再編整備計画は順序が逆である。教育の専門家であれば、そこに思い至らないはずはない。 ゆえに、県立高校の再編整備が、財政の課題を優先してして取り組まれているのか、教育の課題に応じた計画であるのか、疑惑を禁じ得ないのである。 (以下略) |
「県立高校改革推進計画(仮称)骨子案」 第1章『計画の趣旨』〜 第4章『柔軟な学びのシステムの実現』について |
文部省の教育改革の中で、神奈川の高校改革はどういう位置付けとかなるのか?
〔県教委〕中教審答申に基づく国の教育改革プログラム、及び、新指導要領と連動した改革となっている。
★県民C
新しいタイプの高校4つのうち3つまでが単位制である。手放しで単位制を導入することに問題はないか。東京都では、都立国分寺高校を単位制にすることに対して、保護者・生徒・地域・教職員の全てが反対して運動を行なっている。HRや学校行事がなくなること、受験本位の予備校化となることへの反発である。
特に、フレキシブルスクールは問題である。8〜12時間、つまり、夜間にまで授業時間帯を設 けて好きな時に勉強をしろということは、生徒に、不規則な生活やアルバイトを奨励することである。また、実務代替や大検などの単位認定の導入は、単位の切り売りである。昼間働いて夜勉強をするというならば、現行の定時制で十分なはずである。
〔県教委〕*単位制であっても、HRをなくす事はない。しかし、固定化されたHRよりは配慮が必要である。検証をしていきたい。
*国分寺高校の反対運動は、単位制にすることに対するものではなく、受験進学校にすることに ついてのものであると聞いている。
*様々な選択肢を持つ学校を作ることが改革の目的である。一定の制度に対しても、その中で、生徒のニーズ・スタイルに応えた学校づくりがなされるべきである。選択肢をたくさん作ることが肝要である。
★県民D(フロアから挙手しての、議事進行要求)
質問に各々応えていたのでは時間が足りない。多くの意見を聞くことが、このフォーラムの目的であるはずであるから、まずは意見徴集を優先せよ。
★県立高校教職員A
第3章『多様な教育の提供』に関心がある。中途退学の問題等に対する取り組みとして評価をする。生徒は、自己実現・パフォーマンスの可能な学校を模索しており、単位制・総合学科に関心が高い。自分の勤務する高校には、福祉コースがあるが、オープンスクールには、多くの中学生が参加しており、学校選択に向けての活発な動きがあることを実感する。そうした現状を考えれば、教員は、県民に対して大きな使命・責任を担っている。
それを踏まえて、県教委に要求したいことが2点ある。第1には、特色あるカリキュラムの編成や開かれた学校作りの協力体制に関するノウハウの研修の機会である。第2には、行政サイドによる現場への人的・物的なサポート体制である。
★中学生保護者A
中学校の進路説明会では、高校改革に関する説明が何もない。中学生の保護者としては、改革を、交通費のかからない高校が、あっちでもこっちでも無くなっていくという認識でいる。つまり、混乱をしている。中学生が、安心をして高校教育を受けられる改革であってほしい。
大学生でさえ、将来が展望できない者がいる現状がある。ましてや、15才で将来を展望した高 校選択などできるわけがない。改革には、中学生の意見を聞く場面の設定が必要である。
★県立高校教職員B
中高一貫教育は、15才どころか、小学校6年生での将来の選択を強要するものである。中高一 貫校は、エリート校となることは必至であり、小学校での授業のスピードを上げさせるものである。今回の改革は、それを頂点とした校種による学校間格差を固定化するものであり、保護者・生徒の要望に反するものである。
総合学科は本来多大な予算のかかるものである。その困難をクリアして、高校全校を「総合学科」とするのが、戦後教育の認識であったはずだが、この改革では、「校種間格差」に組み込まれる存 在となってしまっている。総合学科に関しては、現行の大師高校に対する検証を踏まえて展望するべきである。
★県立高校教職員C
自分は、大師高校の教員であるが、この改革案での、単位制・総合学科の認識は、大師高校の現状から遊離をしている。大師高校が総合学科に移行したのは、課題集中校の現状をいかにして改善するかというところから発想されたものである。総合学科に移行して、「輪切り」が解消されたと までは言い得ないが、大師に集まる生徒の層が固定化されず、幅が広がってきたことは事実である。
何より教員のやる気が重要であり、中学への説明会でもそれを強調している。県教委には、中学との連携及び入選の具体的な方策を示すことを要求したい。
★教育相談員
教育相談では、転学、それも県内公私立校からの転学の相談が多く、全体の1/3を占めている。中途退学者の再入学の相談も多く、それも含めると、相談件数全体の1/2にもなる。こうした現状を、高校改革の視点にぜひとも含めてほしい。
★高校生A
今回の改革案に賛成である。
単位制高校は、自分がやりたいことや自分の進路希望に向かって、自分で時間割を作ることができる学校であり、学校生活は安定している。生徒間の交流も活発である。縦割りの交流や隣接校(神奈川工業)との交流が盛んである。制服もない自由な校風であるが、自分の行動には、自分で責任を持っている。
批判する意見もあるが、単位制を多くの人に理解してほしいと考えている。
★高校生B
国際化を学びたいと考えている。留学生との交流の機会があったが、文法中心で学んできた英語では通用しなかった。もっとコミュニケーションのできる勉強をしたい。
★高校生保護者
第3章『多様な教育の提供』に疑義がある。この多様なものからの選択が本当に中学校段階で可能だろうか。入学後にしても、息子は、現行の普通高校の選択科目でさえも悩み、結局は楽そうな科目という安易な選択に流れてしまった。総合学科のようなものに高校生が対応できるのだろうか。
★県立高校教職員D
この改革案は、一方的な上位下達でなされており、作成にあたっての現場の教員・保護者との討議がまったくない。学校改革には、生徒・保護者・教員の三位一体の討議が必要である。すでに高知県では実施をされている、学校協議会の設置を、県教委は考えるべきである。
この改革案は、「できない子」を大事にする視点がないのではないか。「輪切り」体制をなくす視点がまったくない。
この改革案は、30人以下学級の視点が後回しになっている。一人一人を大事にするというコン セプトに反している。
★県立高校教職員E
第3章『多様な教育の提供・2.普通科高校の特色作りの推進』にある「特色ある高校づくりの展開例」を評価する。かつての特色作りの県教委の各校への指示の際には、進学重視を特色とすることがタブーとされた。しかし、この例の「A校」では、「大学等の進学希望に対応し、応用的・発展的な科目を充実」と明記されている。進学重視が私立高校に押されて、信頼を失っている県立高校のためには、よいことである。
★高校生C
うまく表現できないのだが、この改革案は、学校教育を進める人たちと保護者とに都合のよいように描かれている。気持ちが悪い。危険な印象を受ける。
★県民E
フレキシブルスクールの構想に賛成する。
幅広い時間に幅広い生徒が勉強できるということは、自分のような高齢者も、高校生と一緒に勉強ができるということであり、期待をする。
生徒の生活を律し得ないという指摘があるが、自分はこどもを信じている。だらしのないこどもはごく一部ではないのか。
定時制の統廃合が推進されていると聞くが、定時・通信とも、フレキシブルスクールに統合したらよいのではないか。
★県立高校教職員F
今回の改革案に賛成である。
自分の勤務校には、美術陶芸コースがある。枠があるため限度があるのだが、学区外からの生徒も希望して入学してくるようになっている。つまり、県内にニーズが多くある。入学してくる生徒は、成績面からいうと幅があるが、目標を持った生徒が集まっている。高校教育は成績だけではない。自分たちの近くに、自分たちのやりたいものを提供してくれる学校が多くあるという状態がよい。
☆中学生保護者B
中学校のPTAの説明会で、このフォーラムに行ってくれと言われて参加をしたのだが、改革案が配布をされていない。高校改革の内容を知らないものが、中学の保護者には多く、混乱がある。25〜30校の県立高校の削減には反対である。この不況で家計は苦しく、私立高にこどもを進学させることはできない。県立高に入学しても、通学のための交通費などの負担が大きいのでは困る。特色作りのための、私費負担がが大きい。学校によっては教員(非常勤講師か?)の授業料さえも私費で負担していると聞いている。
この改革案を実現するための財源が、神奈川県にはないのではないか。 〈( )内、筆者〉
☆県立高校教職員G
先の発言者と同じく、財源に対して不安がある。
破産寸前の神奈川の財政状況の影響で、現在各高校が行なっている選択科目多様化に対してさえ、非常勤講師の配当が十分になされていない。総合学科や単位制には、それと比較にならない人件費が必要なはずである。教育条件が整わないままに、むりやり改革が推進されれば、例えば、単位制の看板を掲げていても、2〜3年生が共通して履修できる科目をいくつか作ってお茶を濁すという状況が生まれてくるのではないか。そうすれば、単位制に期待して入学してきた生徒は、不本意入学となり、改革の意図に反して、中途退学者が増大するのではないか。
教育予算の十分な確保を、県教委に強く要望したい。
☆県民F
鶴見区の住人だが、近隣の高校では、授業を成立させるために、「できない子」を切り捨てる方 策が取られていると聞いている。改革には、課題集中校同士を統廃合し、学校単位で切り捨てを行なうという意図が含まれているのではないか。
〔県教委〕○人的物的サポート・財源確保について○
改革の内容を実現させるために、責任を持って全力の努力をする。学校現場にも協力を願いたい。
○中高の連携について○
中学校への宣伝が必要なことは認識している。骨子案については、各中学校へ送付し、増刷りを頼んである。
○学校間格差・切り捨てについて○
改革の趣旨は、成績による「輪切り」による高校進学から、多様な選択による高校進学への転換である。新たな格差を作るという発想はない。特定の生徒層を弾くという発想もない。切り捨てのための統廃合ではない。
「県立高校改革推進計画(仮称)骨子案」 第5章『地域や社会に開かれた高校づくりの推進』〜第7章『改革推進のための条件整備等』 |
意見(県民など) | 反映状況(県教委) | 備考(県教委) |
教師自身がワクワクする計画でなければ、どんなに多様な科目を用意しても集まる生徒の気持ちがそがれると思うので、教師の希望、改善策を聞いてほしい。 | 今後の取り組みの参考にします。 | |
新しいタイプの高校の4種類のうちの3つが単位制高校だが、単位制の問題点を十分検討し、学校や生徒、保護者、地域の人たちの納得の上で移行してほしい。 | 検討の参考にしました。 | |
フレキシブルスクールは、不規則な生活、アルバイトを奨励するような学校になってしまい、実務代替や問題のある単位認定が認められてしまうので、反対である。 | 検討の参考にしました。 | |
多様な高校づくりは、これからの社会を担っていく子ども達にとって大事なことだと思うが、15歳で将来を展望することは難しいと思う。 | 検討の参考にしました。 | 中高連携による進路指導を推進します。 |
後期に中高一貫教育校があるが、そこに進むとなると中学3年ではなく小学校6年で選択させることになる。 | 検討の参考にしました。 | |
一番上に中高一貫教育校、その次に現在の進学校、その次に現在の普通科高校、その下に総合学科高校がくるという形になる。 | 検討の参考にしました。 | |
総合学科高校は、元々は基礎教養の他に自分の関心のあることを学び、将来のことを考えていく大変良い学校だが、今回の計画では、対象とする子は入学段階で自分の進路を考えることができない子なので、学校間格差を拡大することになる。 | 検討の参考にしました。 | |
多くの教員や保護者と一緒に議論もせずに、骨子案が出たのは残念。 | 検討の参考にしました。 | 骨子案は、県民の皆さんからご意見をいただきながら取りまとめられた「県立高校将来構想検討協議会」の答申を踏まえ作成したものです。 |
県教委には、学校評議会・協議会を作ってほしいと要望する。 | 検討の参考にしました。 | |
骨子案は、できない子を大事にしていないが、それを計画の第一目標にすべき。 | 検討の参考にしました。 | |
30人学級が遠回しになってしまったことが残念。 | 検討の参考にしました。 | 小集団学習など授業展開上の工夫を図ります。 |
骨子案は、色々なことが書いてあるが、生徒のことを思っているのではなく、学校教育を進める人やそれを支える保護者に都合がいいようにできていると感じる。 | 検討の参考にしました。 | |
8月末に計画案を公表するということだが、多くの人が計画の内容を知らないまま公表することは問題だと思うので、延期してほしい。 | 検討の参考にしました。 | |
30校あまりが廃止になるということだが、不況の中、私学にやる余裕もないので削減しないで中身を充実してほしいと思う。 | 検討の参考にしました。 | |
三崎の定時制が廃止になり、通学費がよりかかるようになったと聞いたが、現在でも私費負担が多いので、計画が進むことにより親の経費負担が増えると困る。 | 検討の参考にしました。 | |
県職員のボーナスがカットされるような財政難の中、校舎も老朽化しているという県立高校の実態の中で、計画の財源があるのか心配。 | 検討の参考にしました。 | |
現在、各校で選択科目を増やしており、非常勤の先生に頼らざるを得ないが、財政難で年々非常勤が少なくなっている。 | 今後の取り組みの参考にします。 | |
総合学科や単位制による普通科は教師の人数がより必要になるが、予算がなくて2年生も3年生も共通の選択科目にするような形だけの単位制にならないよう予算の確保を願いたい。 | 今後の取り組みの参考にします。 | |
学区内の成績順で言えば一番下の2校は、以前は誰でも入れたが、みんな安全圏を狙うことから誰でも入れるということがなくなり、その学校は以前と比べ授業が成り立つようになったのは結構なことだが、行き場のない子、中退者も増えた。 | 検討の参考にしました。 | |
今回の計画では、その2校が統合されて総合学科高校になるとの噂を聞いたが、それでは更に行き場のない子が増え、できない子を切り捨てることになってしまう。 | 今後の取り組みの参考にします。 | 中高連携による進路指導の推進を図ります。 |
統合により入学の門戸が狭まることはないと書いてあるが、機械的に入学機会を狭めているのが実態であり、現在でも入れない生徒が沢山いる。 | 計画案に反映しました。 | 全日制の高校への進学希望等を考慮し、計画進学率を段階的に引き上げていきます。 |
統合により、30校近くの学校が減少することは、若い世代を中心に社会的不安を引き起こすと思う。 | 検討の参考にしました。 | |
首都圏の教育委員会が出す高校改革計画は、どれも金太郎飴で、みな同じ。 | 検討の参考にしました。 | |
骨子案は、大人の視点ばかりだが、高校生の意見をもっと聞いてほしい。 | 検討の参考にしました。 | 広くご意見をいただきながら取り組みを進めています。 |
結局は学歴社会であり、高校がどんなに変わっても、大学入試や企業の採用が変わらなければ、いい大学に行かなければいけないという気持ちは変わらない。 | 検討の参考にしました。 | |
開かれた高校づくりの例として、学校評議員制度、学校モニター制度などがあげられているが、教員、校長、生徒や保護者、また地域の代表も入れた欧米風の学校評議員制度の導入を望む。 | 検討の参考にしました。 | |
校長のリーダーシップだが、高校を開かれたものとするためには校長の公選制も展望すべき。 | 計画案には反映できません。 | |
再編高校名の公表は8月末とのことだが、その時点ではまだ決定ではないと聞いているので、公表後、学区毎などで今日のような集まりを設けてほしい。 | 今後の取り組みの参考にします。 | 今後、計画案についてご理解をいただけるよう十分説明していきます。 |
入試の改善後まだ混乱している中で、今度は再編整備により新しいタイプの高校を設置するとのことだが入試選抜制度と学区が具体的にどうなるのか見えてこない。 | 今後の検討の参考にします。 | 後期計画の進展を踏まえ、検討を進めます。 |
予算の獲得に責任を持って取り組むというが、現状でも、身障者対応や小集団教育のための教員加配が打ち切られている中では難しいのではないか。 | 今後の取り組みの参考にします。 | |
昨年の将来構想の高校フォーラムで出た懸念、意見が骨子案に反映されず、今日も賛成意見もあったが懸念や心配も出ているのでもっと議論が必要であり、拙速な改革には反対。 | 検討の参考にしました。 |
全日制課程進学者 | 県内公立高校以外への進学者数 | 県内公立高校進学者数 | j 県内公立高校普通科入学定員 j=h+i | k 普通科海外帰国生徒等特別募集 | l 県内公立高校普通科入学定員計 l=j+k |
||||||
a 県内公立中学校卒業予定者数 | b 進学率 | c 進学者数 | d 県内私立高校進学者数 | e 県外国公私立高校及び高専進学者数 | f 専門学科 | g 総合学科 | h 普通科 | i 県内公立中学以外からの進学者 | |||
74,800 | 94.0% | 70,312 | 17,500 | 5,600 | 6,805 | 240 | 40,167 | 400 | 40,567 | 135 | 40,702 |
前年度増減 △2,624 〈実績〉 | 前年度増減 0.5% | 前年度増減△2,030 | 前年度増減 △500 | 前年度増減 △264〈実績〉 800 〈計画〉 | 前年度増減 △39 39×1クラス減 | 前年度増減 0 | 前年度増減△2,291 58クラス減 h=c-d-e-f-g | 前年度増減 0 | 前年度増減 △2,291 | 前年度増減 0 | 前年度増減 △2,291 |
《進学率実績予想》 県内私立高校進学者数が、99(H11)実績と同数と仮定する。 〈d=15,544 → c=68,356〉 b=91,2%(△ 計画2,8%) |
高総検レポートNo.45 1999年7月28日発行(加筆修正) 横浜市立高校再編整備計画の現在 【浜高教本部執行部に聞く】 (略)
(1) 99年1月段階 (1) 突然のトップダウンによる計画案発表 ●少子化・市財政状況への対応としての、定時制の解体は推測していた。全日制普通科全校の単位制移行・全県一学区化は寝耳に水である。 ●鶴見工業高校の科学技術校への改編は、同校内の「将来構想検討委」とのすり合わせがまったくない。 ●浜高教は、国際高校の設置を要求していたが、国際学科導入に矮小化された。 ●現在、選択多様化のカリキュラムを展開する努力を各高校が行なっているが、7〜8クラスないと科目が成立しなくなる。再編整備計画案は、そうした現場の努力を無視している。 ●定時制切り捨ては高課検での話し合いを無視(「入学者数2年連続15名以下」の根拠による募集停止でさえない。)している【浜高教・浜教組連名の申し入れ】。 ●98年12月21日に計画案が浜高教に示され、すぐ翌22日に新聞発表されている。市教委は、99年2月6日の市民フォーラム(市教委はフォーラムの開催を市の便りに載せただけであり、パンフも100部ほどしか用意していない。つまり、ほとんど宣伝されておらずアリバイづくりであることは明白。)を経て3月までに計画を確定したいと言っている(浜 高教は、県との整合性を保つため、5〜6月まで待つべきと要求。)提示に冬休み直前の時期を狙い、電光石火に事を運んでいるのは、意図的に検討・抗議の時間的余裕を奪うためである【99年1月30日、浜教組参加の決起集会〈神高教も参加〉】。 浜高教・市教委交渉の概略 《[組]・浜高教、[市]・横浜市教委》 ○ 定時制切り捨ての問題 ○ [組]定時制の切り捨てをなぜ行なうのか? [市]少子化、市立定時制希望者減の状況がある。その中で、例えば、定時制によっては、在籍生徒 の15〜20%が市外出身者であるような実態がある。財政状況を考える時に、市民の税金を用いて定時制を現状のままとすることはできない。また、サポート校的な存在に、公費は不要である。 ○ 全日制全県一学区化の問題 ○ [組]全日制全校を全県一学区とするのは、県立高校を視野に入れた場合、学校間格差の拡大を招き、受験競争の激化につながるのではないか? [市]学区については、中教審によって、市町村に決定権がある。本来ならば、全市一学区としたいが、市立高校がない学区もあり、県内で市立独自の入試制度を組めないので、全県一学区とした。特色ある学校としての位置付けである。 [組]市立高校がない学区があるのは、急増期の百校計画を県立に押しつけ、市立が怠けてきた結果ではないのか。 ○ 教育条件整備の問題 ○ [組]全日制全校を単位制としても、教育条件整備の現状を考えれば、現行の選択科目多様化(県立よりは充実)とほぼ同じカリしか対応できず、上っ面だけのものとなる。何の意味があるのか? [市]二期制が入れやすくなるメリットと、教員数確保のメリットがある。この案が実現しなければ、雇用の問題にも発展しかねない。 [組]二期制については、現在の教育条件では、年間に2種の時間割りを組むことは不可能である。教員数確保については、30人学級要求の全国運動をどうとらえているのか。 [市]30人学級の展望は、現在、まったくない。 [組]教育予算をかけない単位制は、授業時間の殺人的増大による教員の負担荷重を招くだけである。
(2) 99年6月段階 a. 市教委の態度の変化 ○ 定時制切り捨ての問題 ○ ●昨年度(98年度)は6月末に、統廃合への対処を言ってきており、県立三崎高定時制の存続運動などを例に出して、簡単に募集を止めるべきではないと反対した。本年度は、現在のところ、何も言ってきていない。 ○ 全日制全県一学区化の問題 ○ ●現在のところ、全県一学区化を変えてはいないが、地方分権一括法通過後には、地方自治体に裁量権が生ずることから、市教委は、横浜市内一学区化を目指したい意向を持っている。 ●単位制高校の配置のバランスについては、県教委と協議をしていると述べているが、その内実を明らかにはしていない。再編整備計画確定は、当初、市教委は3月と言い、浜高教は県との整合性から5〜6月まで延ばせと主張してきたが、現在のところ、動きが見られない。県に合わせて、8月末以降に出てくるのではないか。 ○ 教育条件整備の問題 ○ ●単位制に移行するには、教員定数のみならず、施設の面からも不備である。生徒の空き時間のためのホームベイ(居場所)が確保できる学校は2校しかないが、市教委は、予算をかけられないため、新設は論外と言っている。また、人的保障ができないことから、2・3年生が共通して取ることのできる科目(1年次からの科目選択は困難なため)があれば、単位制的なシステムを導入したとして許容すると言明しているが、これは単位制ではない。 b. 市教委以外の動き 《横浜市長》 市立高校再編整備計画案に同意していないと、99年年頭記者会見で表明。公立高校教育の主体を県立任せたい意向。浜高教委員長が、市立高校の役割を訴える手紙を市長に出し、返事をもらっている。市立高校の役割を、市立高校校長会ともども市長と話し合っている。 《市立高校校長会》 市立高校再編整備計画案に賛成している。学校間連携に関し、部活指導の派遣・単位互換などについて検討をしている。 《存続運動》 港高校の卒業生・教職員有志による存続運動がかなり大規模に展開している。市立高校は地域との結びつきが強く、学区外しに対する地域からの反対の声があがる可能性もある。
c. 浜高教対案概略 《専門高校》 :現場の意見を尊重して対処すること。 《全日制普通科》:単位制への移行について、現場からの要求がある場合は否定をしない。一方的なトップダウンは行なわないこと(現在要求なし)。 《定時制》 :本当に生徒がいなくなった場合の相談はしている。現在一方的に門戸を閉ざすのは妥当ではない。 d. 神高教と共通する課題 ●入選・学区の問題を置いておいて、再編整備・高校多様化を進めようとしているのは、市教委・県教委ともおかしい。受検する中学生の側からすれば、「どのタイプの高校に入るか」よりも「どうやって高校に入るか」の方が先の問題であり、入選に大混乱を引き起こすことは必至である。市立高校・県立高校・中学校が連携し、市民レベルのシンポジウムを開くなどの取り組みが必要である。 ●現場との協議をしようとせず、トップダウンで事を運ぼうとする姿勢は、市教委・県教委ともおかしい。計画は行政が一方的に立て、失敗すれば現場の責任であるという体制では、意欲を持った取り組みなど期待できないはずである。市立高校再編整備計画案を公式に見直す動向はないものの、市教委は、少なくとも市立高校内での論議を促している。ともに、現場からの論議の積み上げを活性化すべきである。 |
《当初案》 | 《見直し案》 |
★2003年度からの3年間で再編。 | ☆再編整備計画を前期(00〜04年度)と後期(05〜09年度)に分けて、ペースを緩やかにする。 |
★全日制普通科全校単位制導入・全県一学区化 | ☆単位制の一斉導入はせず、前期にモデル校で実施して、その成果を見ながら他校に広げる。 ☆全県一学区は当面見送る。 |
★全定時制高校の統廃合 (定員735人から140人に縮小) | ☆入学者数の動向に合わせて段階的に進める。 定員は、当初案より減らす幅を少なくする。 |
(1) 南・戸塚の単位制移行。 (2) 横浜商業高校への国際学科の設置。 (3) 既存校の再編による単位制総合学科の設置。(全日制・三部制の2校) =定時制・港、鶴見工業、横浜工業、横浜商業、全日制・港商業の統廃合 →募集停止 港、横浜工業、横浜商業、港商業 '02年度 鶴見工業 '03年度 |
(1) 東・桜丘・金沢の単位制移行。 (2) 鶴見工業高校の科学技術校への改編。 (3) 既存校の再編による単位制総合学科の完成。(全日制・三部制の2校) =定時制・戸塚の三部制単位制総合学科加入 |
結局、横浜市立高校再編整備計画の当初案からの変更点は、(1)再編整備計画を前期と後期に分けてペースを緩やかにする、(2)当面は全県一学区を見送る、(3)定時制の定員を当初案より減らす幅を少なくする、の3点にすぎないのだが、ある程度でも現場の声を取り入れている分、横浜市教委の姿勢は県教委よりもましである。
ここに、県教委と市教委の立場の違いがある。
高総検全体会(99.2.6)では、横浜市立高校再編整備計画を、「横浜市長が市立高校をつぶしたい意向であることを考えれば、市教委は、テリトリーを守って、リストラ外し・教育予算切り下げ外しを実現することが主目的ではないか。全日制だけを見れば、校数は一校も減っていない。」と分析した。逆に言えば、県教委の立場とは、どういうものかということになる。
同全体会では、神高教と浜高教とに共通する最大の課題は学区である、という結論に達した。市が高校を作る意義は何かを考えれば、地域との結びつきを無視するわけかないはずであり、それは、政令指定都市の責任でもあるはずだ。学区外しは、市立高校の首をくくる行為である。これに関しては、『県立高校改革推進計画』の柱に「地域や社会に開かれた高校づくりの推進」を掲げる私達も、同じスタンスに立たなくてはならないはずである。
なお、教育研究所のニュースレター『NEZASU No.33』('00.3)に、市立高校の再編・統廃合に関する、神教組(三浦教組)と浜高教からのレポートが掲載されているので、参照されたい。
〔5〕総括
以上の、再編計画に関わるX期高総検の活動を総括し、再編計画の問題点を、『高総検レポートNo.46「県立高校改革推進計画(案)の検証」』('00.1.20)に指摘して、現場に提供した。これは、X期高総検が『県立高校改革推進計画』そのものに言及し得た、唯一のレポートである。このレポートは、『県立高校改革推進計画』の「批判」であり、今後の「再編に関わる条件整備的な問題の指摘」や「各校のタイプに応じたガイドラインの策定」といった「対案」には至っていない。その事情は、この章の冒頭に記した。しかし、その冒頭に述べたように、高校教育改革の目指すべき道が、『将来構想検答申』の謳う、「学ぶ意欲や『学習歴』が適切に評価される社会への転換」(「IV 将来構想の推進にあたって」)にあるならば、『県立高校改革推進計画』の欺瞞性を認識しておくことが、第一義であると考える。
以下に、レポートに若干の編集を加えて、再掲する。
高総検レポートNo.46 2000年1月20日発行(加筆修正) 県立高校改革推進計画(案)の検証
(1) 県民の声は本当に反映されたのか? a. 「教育課程の自主編成権」は、有名無実か。 県教委は、さる99年8月16日に、突如として、『県立高校改革推進計画』を発表した。県民は、『県立高校改革推進計画』の内容(特に再編対象校)を、当初8月25日に予定されていた公式発表の10日前に、朝日新聞のすっぱ抜きで、初めて知らされた。そのため、発表が急遽8月16日に繰り上げて行なわれたのである。 この、再編対象校の実名まで入った『県立高校改革推進計画』の内容は、県議会の文教常任委員会にも公表されていなかったという。 『県立高校改革推進計画』の公表前に、県教委の担当者以外だれが内容の細部まで知っていたかは、今のところ不明だが、再編対象校の管理職も知らなかったことは、どうやら確からしい。いわんや対象校の一般の職員・在校生・同窓生・地元中学生・保護者をはじめとする地域住民などには、まさに寝耳に水であった。 当事者にさえも知らされなかったのはそればかりではない。『県立高校改革推進計画』といっしょに、再編対象校に向けて個別に作られた『再編による新しいタイプの高校等の概要』(以下、『概要』)が初めて配られた。この『概要』は、学校作りの実施設計図のようなもので、各新設校の基本的骨格が、教育課程の編成に自主的権限を保障されているはずの関係教職員の関与の余地なく、県教委によって事細かに規定されている。 昨今の情報公開と説明責務(アカウンタビリティ)・住民参加の大きな流れの中で、県教委も、これまでそれに応じた形づくりは行なってきている。しかし、それは表面上のものに過ぎず、全く中身がともなってはいない。『高総検レポートNo.44』(99.7.21)でも報告したように、「学区(地域)内での検討・協議を保障」し、「事前に該当する学校との十分な協議と同意を踏まえた」計画にせよという、私達神高教の今年当初(「県立高校の将来構想に関わる要求書」99.1.29)以来再三の要求にも関わらず、県教委はそれを頑なに拒否し続け、先の公式発表まで密室で作業を行なってきた。 b. 「地域に開かれた学校づくり」は、有名無実か 今回の『県立高校改革推進計画』の作成に関わって県内6箇所で行なった県民対象のフォーラム(「高校フォーラム神奈川'99県立高校改革を考える」)も、参加者に骨子案を示すのみで計画の具体的な内容を提示することなく、会場で意見表明希望者を募るものの、その中から主催者が指名した者だけに一般的な意見や感想を述べさせるに終わっている。しかも、最終回(横須賀・藤沢会場、99.7.25)からわずか3週間ほどで、また、手紙またはFAXによる意見公募の締め切りである7月末日からは半月ほどで、『県立高校改革推進計画』を発表した。 『県立高校改革推進計画』に、県民の意見を反映する余地がどこにあったのだろうか。すでに再編対象校の基本的骨格である概要までが確定していたことを考えれば、とうてい不可能である。これらの意見公募は、情報公開としても説明責務としても住民参加としても、機能してはおらず、単なる形だけのセレモニーにすぎなかったことを、公式発表の繰り上げによって、自ら暴露している。『県立高校改革推進計画』には、「地域・社会との連携・交流の推進、地域の意見を反映した学校づくり」という項目があるが、地域の意見を無視している事実を考えれば、これはアイロニーとしてしか映らない。 c. 「地方分権の推進」は、有名無実か 99年11月25日に、『県立高校改革推進計画(案)』から「案」の文字が半ば取れて、前期計画が正式決定となった。県教委は、年内に「県立高校改革推進会議」を立ち上げるそうである。公式発表からの3ヵ月あまりの間に、県教委は、再編対象校をまわっての『県立高校改革推進計画』・『概要』の説明を行なっているが、その場で示された教職員の意見、またそこに集約されるべき、生徒・保護者・卒業生・地域の要望を十分に吸収しているのだろうか。 『神高教・情報』【No.2322(99.11.12)、99.10.20本部第4回県教委交渉報告】や新聞報道【『朝日』99.10.22, 11.26】で見る限りでは、『県立高校改革推進計画(案)』と前期計画の相違点は、小田原城内高校の、2002年度募集停止を、外国語コースのみ2004年度統合時まで募集継続と変更した点だけである。これは、分会要求とともに、同校同窓会「窓梅会」(会員数約23,000人)による、同校存続と計画案見直しの、県知事・教育長への陳情書提出に応じたものであろう。しかし、この一事をもって、計画案に生徒の実態・現場の必要が反映されたとは、とても言いがたい。 元来、県教委には、学校の主人公は学習権の主体である生徒たちであり、公教育は自治体住民とくに保護者たちの共同意思とその信託を受けた教職員の権能に基づくべきであるという認識がきわめて薄い。これは、国旗国歌法案成立後の国家主義的な現場への締め付けに顕著なように、「国家の教育論」を固持する政府のもと、「地方分権」とは名ばかりに、文部省を頂点とする中央集権的教育行政が行なわれ、自主的権限をもつべき地方自治体の教育委員会が、依然として、自治省や文部省の下請け機関であるかのように位置付けられている実態の反映であろう。 (2)『県立高校改革推進計画』は、高校教育改革であるのか? a. 『県立高校改革推進計画』は、高校数削減にのみ機能するのではないか。
上に示した「見解」のように、私達神高教は、当然のことながら、再編整備計画が、財政の課題ではなく、教育の課題として機能することを要求してきた。しかし、県教委が、後期計画に至っても、先に記した情報公開と説明責務・住民参加の義務を県民に対して果たさずに、また、前期計画においても、現場との協議と教育条件整備を怠るならば、私達は、『県立高校改革推進計画』を、実質的には高校数削減を目的として機能するに過ぎない計画であると、とらえ直さなくてはならない。
高校数の削減は、言うまでもなく、教職員の人件費や光熱費・電話代などの維持管理費の削減につながり、その分が浮く。県教委自身が、前期計画の14校を削減すれば、実際に校舎が姿を消し始める2003年度から全部なくなる2005年度までの7年間の累計で、100億円弱が節約できるという見通しを、文教委員会(99.9月県議会)に報告している【『朝日』99.10.5】。また、廃校の跡地の「活用」も、改革案に考慮されている【『朝日』99.6.23, 6.24, 10.5、『読売』99.8.1】。県教委の諮問を受けた将来構想検は、「はじめに統廃合ありき」ではない答申を出したとしている。しかし、その答申を得た県教委が、諮問事項の一つ「県立高校の適正な規模及び配置に関すること」のみに依拠をし、高校数削減を第一義に計画を練ったのだとしたら、この『県立高校改革推進計画』は、財政の課題としてだけの顔を持つものとなってしまう。つまり、大型公共事業優先政策と大企業優遇税制、構造的大不況の同時進行による県財政破綻からの教育予算削減の要請を主な動因とし、それと文部省の高校「多様化」路線への追随とが合体した産物と、判断するしかなくなってしまうのである。
これらに加えて、旧校での学校五日制・新カリへの対応が必要となる。さらには、新校建ち上げの準備機関として、県教委関係室課・管理職を含んだ10名程度の新校準備委員会が構想されているものの、「実際の仕事の多くは学校現場が担う」【99.9.24本部第3回県教委交渉】こととなるため、統合時点での旧校教職員がそのまま新校教職員にスライドするのであれば、学校五日制・新カリに応じた「新しいタイプの高校」作りという大仕事も背負うこととなる。これでは、「新しいタイプの高校」作りに積極的に取り組むどころか、過労死が生じてもおかしくはない。当然、適切な加配が必要である。
もし、現場からの要求を満たすだけの予算の裏付けなしに、県教委が、現場の主体性を奪った上意下達の学校づくりをゴリ押しすることになれば、形だけの「改革」が行なわれる再編対象校、また、新設校の現場に、大きな混乱と困難をもたらさずには済まないだろう。そして、高校教育改革のスタート時における混乱の多発は、高校教育の崩壊に直結するとさえ予見できるのではないか。 (4) あらゆる機会に30人以下学級の実現を訴えよう! a. 30人以下学級の実現は教育改革の第一義である 『高総検レポートNo.37』(98.8.11)他でたびたび指摘したように、G7を始め先進諸国では、今や1学級20〜30人がほとんどである。クリントン大統領が、98年11月の一般教書演説で、教育最優先を掲げ、教師10万人を採用増して、低学年を18人学級にすると宣言したのは、単なる選挙対策ではなく、英・仏など先進国に共通の「最優先課題は教育」という流れの一環だった。ユネスコは「教育は21世紀の世界の最優先事項」と明言(98.10)をし、WHOも以前から「学級規模はできるだけ小さいほうがいい。大きければ、規則・管理など非教育的関係が強化され、教育の本質が破壊される。」と主張している。 しかし、日本政府は、大型公共事業には巨額の予算を優先して確保し、銀行にも湯水の如く公的予算を注ぎ込みながら、定数法の改善を始め教育条件の整備はサボりつづけている。40人学級は、約20年前に定めた基準である。神奈川県も、政府の政策に追随し、教育・福祉予算の削減に余念がない。 99年1月25日には、30人学級実施の県条令制定を求める県民(有効署名約30万人、神高教も協力)の直接請求を受けて開かれた臨時神奈川県議会で、岡崎知事は「条令制定は不要」の意見書を付けて条令案を提出し、与党6会派は、前回の選挙戦では自民党以外のすべての政党が30人以下学級を公約していたのに反し、本議会での条令賛成派の質疑も封じ、それを否決している。その前年の9月21日に、中教審が『今後の地方教育行政の在り方について』を文相に答申し、「学級編成基準の40人にとらわれず、各都道府県の判断で弾力的に運用できるようにし、市町村立小中学校などの学級編成を、都道府県教育委員会の認可制から届出制に改める。」としていたにもかかわらず、である。 ちなみに、99年2月現在ですでに、30人学級を求める意見書が、全国の地方議会3,302の23%強にあたる767以上の県市区町村議会で採択をされている(文部省集計)。 私達神高教は、98年度の[二つの県民運動]その他を展開する中で、神高教『神奈川の教育改革プログラム』に指針として並記してある、30人以下学級要求の取り組み(指針1)と、高校再編整備にアクセスする他の高校教育改革に関わる取り組み(指針2〜10)とを、直接にリンクさせてはいない。それは、県民に、30人以下学級の運動が単純な既設校の生き残りのためのものと誤解され、その教育課題としての意義を矮小化して受け止められることを避けるためである。しかし、30人以下学級実現を視野に置いた時、それを阻害する要因が生ずるのであれば、教育条件整備の問題として看過するわけにはいかない。 b. 一例:平安高校+寛政高校の総合学科高校は校舎の建て替えが必要である 一例を挙げる。 『概要』によれば、横浜東部学区では、平安高校と寛政高校を再編対象校として、2002年度から学級減を行ない、平安高校敷地に、2004年度に総合学科高校を開校するとしている。 その「教育課程の展開」の「基本方針」には、総合選択科目として、「環境科学系列・情報ビジネス系列・社会福祉系列・造形文化系列・国際文化系列」が挙げられ、さらに、自由選択科目として「生徒の特性に応じた科目、教養的科目・発展的科目など」を開講することと記されている。もちろん、この他に、必履修科目があり、総合学科としての原則履修科目「産業社会と人間」と「課題研究」(「総合的な学習の時間」の代替に規定されている)がある。 しかし、平安高校は、百校計画において、1学年8学級規模で建てられた急増期の小規模校であって、臨時学級定員増・臨時学級増(ヘビタマ)の時には、現場が大変な苦労を強いられた学校である。新校の学校規模は1学年6学級規模とされているが、1学級40人でも、これだけの授業展開のキャパシティを確保するのは、空き教室の全てをかき集めても、相当に困難ではないか。「主な施設設備」には、「共用学習室、選択科目学習室、環境実習室、福祉実習室」などが「改修により対応予定」とされているが、どこにこれだけのものをつめ込むのだろう。ましてや、30人以下学級が実現した際には、1学年8学級以上となる。1学年の学級規模を大胆に下げるのでない限りは、グランドの確保を考えれば、校舎の建て替えによる高層化の対策を講じなければ、「異年齢集団によるホームルーム活動など特別活動の工夫」という規定に則って、30人以下の意義を無視した大人数のホームルームを実施する、教室に間仕切りをした狭い空間に生徒を押し込む、「カウセリングルーム」や「記念コーナー」でホームルームや授業を行なう、などの悪条件がもたらされること必至である。とうてい、30人以下学級実現を視野に入れて教育条件整備を考えた計画とは思えない。 c. 『県立高校改革推進計画』のままでは30人以下学級は実現しない 『県立高校改革推進計画』は、高校数の削減の理由として、生徒数の減少(2006年に6,300人程度、以降漸増と推計)を挙げる。また、「学校数適正化の基礎条件」として、計画進学率を93.5%以上とし、県内私学への進学者数を調整した上で、「適正な学校規模」を、18学級(1学年6学級720人)から24学級(1学年8学級960人)を標準としている。そして、今後10年に及ぶこの計画案の算定基礎は、あくまで1学級40人なのである。 県教委は、県内6箇所で行なった県民対象のフォーラム(「高校フォーラム神奈川'99 県立高校改革を考える」)などで、数値を機械的に用いた統廃合は実施しないと言明しており、確かに、前期計画では、4学級規模の外短付属が対象になっておらず、7学級以上の規模の富岡・東金沢・川崎・小田原・小田原城内・平塚工業・相模台工業が対象になっているという事実はある。また、将来構想検答申『これからの県立高校のあり方について』には、「国の動向を踏まえ、将来的には、学級定員を段階的に少なくしていくことが望ましい」と明記されている。しかし、上に述べた平安高校校舎の事例などをみると、県教委が、30人以下学級要求の全国運動を、どこまで真摯に受け止めているかは、はなはだ疑わしい。 『高総検レポートNo.39』(98.10.9)その他で具体的数字を挙げて示したように、校舎のキャパシティーが現在のままであるならば、35人以下に学級定員を減らしてゆけば、全体としては、県立高校の統廃合はできないのである。建て替えが6校のみでは、不十分この上ない。 d. 運動は継続中である 県は、30人以下学級を退ける理由の一つに、財政上の問題を挙げている。しかし、『県立高校改革推進計画』でも述べられているように、現在は生徒の減少期に当たり、それにともなう教育予算の自然減を考え合わせれば、30人以下学級の実施とそれに対応した教職員の配置にさほどの予算増が必要なわけではない。 先に記した、条令制定の臨時県議会開催を直接請求したのは、神奈川私教連などの5団体である。一方で神教協(神教組・神高教)でとりくんだ署名・請願は継続審議となっている。つまり、[二つの県民運動]はまだ継続中なのである。 苦しい町財政の下で、30人以下学級を実質的に実現した、長野県小海町長は、「道路は改修が遅れても通ることはできる。しかし、子どもの教育は先のばしにはできない。」と述べている。また、三輪定宣千葉大教授は、「30人学級をめざす取り組みは、教育の抑圧構造を変える展望をもっている。銀行よりも子どもを救おう。」と主張している。筆者は、薬物乱用防止講座に出張した際に、「治療をし指導をされた生徒を学校は受け入れてほしい。」という県教委職員の言に、「それは当然だが、きめ細かい指導のためには30人以下学級の実現が必要だ。」と答える女性教員の言葉を聞いている。 運動は継続中である。私達は、あらゆる機会をとらえて、要求を訴えるべきではないだろうか。行政を動かすには、圧倒的多数の声しかない。 (5) すべての現場が声をあげよう! a. 生徒の実情からの学校づくりを! 先に、『県立高校改革推進計画』が、財政の課題ではなく、教育の課題として機能することを要求している私達神高教の認識を、県教委が、後期計画に至っても、情報公開と説明責務・住民参加の義務を県民に対して果たさずに、また、前期計画においても、現場との協議と教育条件整備を怠るならば、とらえ直さなくてはならない、と述べた。つまり、この『県立高校改革推進計画』は、県財政破綻からの教育予算削減の要請を主な動因として、それと文部省の高校「多様化」路線への追随とが合体した産物に他ならない、というとらえ直しである。 高総検は、文部省の高校「多様化」路線を一貫して批判してきた。しかし、『県立高校改革推進計画』を、教育の課題として機能させるためには、高校「多様化」に取り組まざるを得ないのであれば、再編対象校であれそれ以外の学校であれ、その意図を読み替え、ずらし、裏返して、生徒の情況に最適の環境に一歩でも近付けて、『将来構想検答申』にある、「学校間の序列意識の変革が促され」、「学(校)歴」から「学習歴」への転換を図る、という文言が空証文にならないようにしなくてはならない。オカミのもくろみに追随するのではなく、眼前の生徒の情況を第一義に考えた学校づくりを目指すのが、現場の人間である私達の仕事である。 b. あらゆる機会に声をあげよう! 読み替え、ずらし、裏返すためには、30人以下学級と同様、あらゆる機会をとらえて要求を訴える他に方法はない。それは、再編対象校はもちろんのこと、すべての現場において必要である。 私たち神高教は、99年8月9日に、「『県立高校改革推進計画(仮称)』に関わる要求書」を県教委に呈示している。これに抵触するような言動が県教委や管理職にあった場合は、常に声をあげるようにするべきである。(《 》内は、筆者による付記)
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[新教育課程の改訂・実施スケジュール] 2000年 移行措置の実施 2002年 完全学校五日制実施 2003年 新高等学校学習指導要領、学年進行で実施 |
ア)小学校、中学校及び高等学校を通じ、数量や図形についての基礎的・基本的な知識・技能を習得し、それを基にして多面的にものを見る力や論理的に考える力など創造性の基礎を培うとともに、事象を数理的に考察し、処理することのよさを知り、自ら進んでそれらを活用しようとする態度を一層育てられるようにする。 イ)そのために、実生活における様々な事象との関連を考慮しつつ、ゆとりをもって自ら課題を見つけ、主体的に問題を解決することを通して、学ぶことの楽しさや充実感を味わいながら学習を進めることができるように内容を改善する。(P.48) |
(ア)小学校、中学校、高等学校を通じて、児童・生徒が知的好奇心や探究心をもって、自然に親しみ、目的意識をもって観察、実験を行うことにより、科学的に調べる能力や態度を育てるとともに、科学的な見方や考え方を養うことができるようにする。 (イ)そのため、自然体験や日常生活との関連を図った学習及び自然環境と人間とのかかわりなどの学習を一層重視するとともに、児童生徒がゆとりをもって観察、実験に取り組み、問題解決能力や多面的・総合的な見方を培うことを重視する。(P.50〜51) |
(ア)(1)衣食住やものづくりなどに関する実践的な活動を通して、家族の人間関係や家庭の機能を理解し、生活に必要な知識・技術の習得や生活を工夫し創造する能力を育成、(2)家庭生活をよりよくしようという意欲・態度を育成するために、小・中・高校の領域構成や内容を改善する。 (イ)(3)男女共同参画社会の推進、少子高齢化等への対応を考慮し、家庭の在り方や家族の人間関係、子育ての意義などの内容を一層充実する。 (4)情報化や科学技術の進展等に対応し、生活と技術とのかかわり、情報手段の活用などの内容の充実を図る。 (ウ)(5)基礎的・基本的な知識・技術を確実に身に付けさせるため、実践的・体験的な学習を一層重視する。 (6)環境に配慮して主体的に生活を営む能力を育てるため、自ら課題を見いだし解決を図る問題解決的な学習の充実を図る。 (エ)(7)家庭・地域社会との連携や生涯学習の視点を踏まえつつ、学校における学習と家庭や社会における実践との結び付きに留意して内容の改善を図る。(P.59) |
(3)を受けて、高等学校では、「男女共同参画社会の推進、少子高齢化等への対応を考慮して、家族や生活の営みを人の一生とのかかわりの中で総合的にとらえ、家庭生活を主体的に営む能力と態度を育てる観点」(P.61)から改善を図るとされている。この「男女共同参画社会」とは、相変わらず男性優位の企業社会において、女性が母性保護を撤廃されて男性と同様に酷使されることを意味する。結果、当然の「少子」については、何ら有効な対策をうつことなく、民間のサービスに委ねるだけで公共のサービスをスリムにすることしか考えていない。したがって、子どもがほしければ、専業主婦の道を選ばざるを得ず、「男女共同参画」とは矛盾することになる。また、「高齢化」も同様に民間サービスを受益者負担せよということである。「教課審中間まとめ」では、「少子高齢化やサービス経済化等に対応する観点から、家庭生活における男女の協力、親としての責任、高齢者等に対する理解や福祉マインドと介護の基礎、消費者としての自覚などを重視して改善を図る。」と露骨に書かれている。公的サービスの低下に対応するための学習をせよということである。教課審答申では、改善の(ア)として「家族・家庭の機能、子どもの発達と、高齢者の生活と福祉などについてライフステージごとの課題とかかわらせて扱うことにより、生徒自身の問題としてとらえさせるとともに、衣食住や消費生活と環境などに関する基礎的・基本的な知識と技術を習得させることを重視する。」(P.61)と書かれ、出産、育児、教育、医療等はすべて私事として受益者が負担せよということになる。しかし、「少子高齢化」への対応を考慮すればするほど、個別の家族、子ども自身の努力では解決しがたい課題が山積しており、「生活課題を主体的に解決できるようにする」[高等学校〔家庭〕(エ)P.61]ことは単純にはできない。したがって、結局のところ教育の中では、「家庭の在り方や家族の人間関係、子育ての意義など」いきおい、道徳教育的な中味に陥る危険性をもっている。また、「地域に対するボランティア活動の一層の重視」がここにもまた顔を出している。ボランティアがどういう背景で教育の中に登場してくるかがよく理解できる。
高校の家庭科は、新たな科目「家庭基礎」(2単位)、「家庭総合」(4単位)[家庭一般」を改善]と「生活技術」(4単位)の3科目を、「生徒の多様な能力・適性、興味・関心等に応じて選択的に履修できるようにする。」とある。しかし、現行の教育条件のもとでは学校選択になるしかないし、無理に選択履修にすれば、従来選択科目としておいていた「保育」、「食物」等を開講することができなくなる。また、(1)や(5)に示されている実践的・体験的学習についても十分な教育条件の整備がなければ不可能である。
さて、家庭科では、どのようにして教育内容の厳選を図ろうとしているのだろうか。
(1)2学年分まとめて内容を示して弾力的な指導を可能にする。(小学校)
(2)基礎的・基本的な知識・技術の確実に身につけさせる。(小学校・中学校・高校)
(3)中学校に移行する。(小学校)
(4)選択的に履修する。(中学校)
(5)各学校の創意工夫に委ねる。(中学校)
(6)3科目からの選択をし、地域・学校、生徒の実態に応じて弾力的な指導をする。(高校)
(7)「家庭基礎」(2単位)科目の設置(高校)
(8)改善の基本方針(エ)[上記(7)](高校)
だいたい以上のようなことになるだろう。たとえば、食生活を例にとると、小学校では、「……食品の栄養的な組み合わせや簡単な調理に重点を置いて指導することとし、細かな栄養素の種類と名称などについては中学校に移行する。」(P.61)となった。中学校では、「栄養を重視した食生活」がとりあげられている。しかし、食生活に関する学習は物質中心主義で、現在の児童・生徒の「孤食」、食材の乏しさ等の問題の背景にある家族関係などについての言及がなく、これでは問題解決学習を組むことはできないだろう。高校「家庭総合」では、「衣食住の生活の科学と文化に重点を置」くとされているが、これを達成しようとするならば、自然科学だけではなく、人文科学、社会科学を含むすぐれて学際的な性質をもっており、総合学習として採用するにふさわしいものである。教育条件さえ許せば、ぜひ総合学習として設置すべきである。また、生徒が生活上かかえている課題を解決するべく、学習が行われるとすれば、ぜひこうした視点が必要となるであろう。
〔7〕保健体育 さまざまな課題を負わされた保健体育
体育の授業時数が現行7〜9単位時間から7〜8時間に減少されることになる。通常、各学年3時間で行われていたものをひとつの学年で少なくとも2時間になるということで、平均、小・中学校ともに2.6時間の授業で発達刺激的な意味で体力を向上させることはできないことは明白であるのに、これで「基礎的な体力を高めることを重視する」(P.62)という基本方針は達成されるのだろうか。しかも、この「基礎的な体力」の内容が不明である。また、時間数の減少に対応するために3学年において今まで3〜4領域を選択していたものを、2〜4領域を選択履修するように改められ、選択幅が拡大した。体育における共通基礎の内容をどのようにすべきかの議論をへないまま、一番安易な方法で時間数の減少に対応しようというのである。
それでいて新たにさまざまな課題が保健体育には課せられている。「改善の基本方針」から引き出すと、「生活習慣のみだれ」、「ストレス・不安」対策、それらの対応するとみられる「体ほぐし」(仮称)なるあらたな項目の登場、「心の健康に関する学習」、「食生活をはじめとする生活習慣の乱れ」、「生活習慣病」、「薬物乱用」、「性に関する問題等」さらに「自然災害等における安全の確保」、「健康・安全と運動とのかかわり」、他教科等との関連で「自然体験的活動」など現在の子どもたちがかかえている病弊対策が相変わらず対症療法的、羅列的に書かれている。教育内容の厳選とどのように整理をつけろというのだろうか。健康権・環境権・スポーツ権をその土台にすえて、子どもたちに、自分自身の身体の現実を直視させ、身体についての認識を深め、身体形成(身体変革)の目的意識を育てることの検討がまず求められるだろう。
〔8〕外国語 コミュニケーション能力だけが肥大しても……
改善の基本方針は、(1)外国語による実践的コミュニケーション能力の育成にかかわる指導の一層の充実、(2)外国語の学習を通して、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成、(3)視野を広げ異文化を理解し尊重する態度の育成、(4)言語の実際の使用場面に配慮した指導の充実、(5)中・高校での外国語科を必修とすること。英語履修を原則とすること(P.65)、となっている。
「国語」同様にコミュニケーション能力の育成に重点がおかれている。そのため、中学でも高校でも実践的コミュニケーション能力の育成を第一番にかかげることになった。「読むこと」や「書くこと」よりも、「聞くこと」、「話すこと」が優先し、「日常的な言語の使用場面や言語のはたらきを例示」(中学校、P.65)することが述べられており、高校では「オーラル・コミュニケーションI」、「英語I」のいずれかを選択必修することになった。前者において「音声によるコミュニケーション活動」の指導を重点的におこなうことが書かれている。「英語I」や「英語II」でさえ、「コミュニケーション活動」の指導が中心になっている。
しかしながら、外国語を中等教育において学習させる意味は、ただ実用的な「コミュニケーション活動」にあるわけではない。「中等学校の外国語教育に関する各国文部省への勧告59号」(ユネスコ公教育会議、1965年)は以下のように述べている。
(8)現代外国語教育の目的は、教育的であると同時に、実用的である。外国語教育のもたらす知的訓練は、その外国語の実用的使用を犠牲にしてなされるべきでない。一方、その実用的運用がその外国語の言語的特徴を十分に学習することを妨げてもならない。 (9)外国語教育はそれ自身が目的でなく、その知性と人格を鍛え、よりよい国際理解と、市民間の平和的で友好的な協力関係の確立に貢献することに役立つべきである。 |
ア.教科解説の趣旨とねらい (ア)大量の情報に対して的確な選択、情報手段の適切な活用、主体的に情報を選択・処理・発進できる能力が必須である。 (イ)情報化の進展が人間や社会におよぼす影響を理解し、情報社会に参加する上で望ましい態度を身に付け、健全な社会の発展に寄与する。 (ウ)情報及び情報手段をより効果的に活用するための知識や技能を定着させ、情報に関する科学的な見方・考え方を養うためには、高等学校段階においても継続して情報に関する指導を行う必要がある。(P.67) イ.科目構成及び内容構成の考え方等 (ア)普通教科「情報」には、選択履修できるように、「情報A」、「情報B」、「情報C」を置く。 (イ)各教科の内容 a.「情報A」 コンピュータや情報通信ネットワークなどを活用して情報を選択・処理・発信できる基本的な技能を育成 b.「情報B」 コンピュータの機能や仕組を通して、コンピュータの活用について科学的に理解させる。 c.「情報C」 情報通信ネットワークなどが社会の中で果たしている役割や影響を理解し、情報社会に参加する態度を育成する。(P.67〜68) |
(1) 課題や目的に応じて情報手段を適切に活用することを含めて、必要な情報を主体的に収集・判断・表現・処理・創造し、受けての状況などを踏まえて発進・伝達できる能力(情報活用能力) (2) 情報活用の基礎となる情報手段の特性の理解と、情報を適切に扱ったり、自らの情報手段を評価・改善するための基礎的な理論や方法の理解(情報の科学的な理解) (3) 社会生活の中で情報や情報技術が果たしている役割や及ぼしている影響を理解し、情報モラルの必要性や情報に対する責任について考え、望ましい情報社会の創造に参画しようとする態度(情報社会に参画する態度) |
(1)コンピュータの必要最低限の操作は短期集中的に行うのが効果的であり、1年間を通して学ぶ必要はない。 (2)「情報A,B,C」の内容は、相互に密接な関係があるものなので、どれかを選択して学べばよいというものではない。 (3)「情報C」において、“情報通信ネットワークが社会の中で果たしている役割や影響を理解し”とあるが、コンピュータの活用を中心としたこの傾向は変わることはないだろう。このように幅広い内容を、独立した教科で実現することはもともと考え難いのであり、まだまだ理論的、実践的な積み上げが必要なのではなかろうか。 (4)協力者会議の提言の中で“「情報活用の実践力」については、既存の教科で行い、「情報の科学的な理解」、「情報社会に参画する態度」については特化した教科・科目で行いつつ、その一部については、既存の教科等で行う”と述べているのであるが、「審議のまとめ」の中で既存の教科等の関連については(ウ)各教科等との連携に配慮し、情報科での学習成果が、他教科の学習に役立つように、履修学年、課題の選定、指導計画の作成等を工夫せよ、とは言っているが、既存の教科等の関連は具体的には書かれていないし、系統的、体系的などと言えるものではなく、内容の研究も不十分である。具体的な学ぶ対象から切り離して「情報活用能力」だけを育てるということは考えられない。 |
1.総合的な学習の時間においては、各学校は、地域や学校、生徒の実態等に応じて、横断的・総合的な学習や生徒の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育的活動を行うものとする。(『高等学校学習指導要領』1999年3月、第1章総則第4款) 7.総合的な学習の時間の授業時数については、卒業までに105〜210単位時間を標準とし、各学校において、学校や生徒の実態に応じて、適切に配当するものとする。(同上、第1章 第5款、下線部筆者) |
秋 山 崇 | 神奈川県立 | 七里ヶ浜高校 |
五十嵐 雅 美 | 座間高校 | |
井 出 浩一郎 | 岸根高校 | |
伊 藤 幾 夫 | 厚木東高校 | |
岡 見 多加志 | 二俣川高校 | |
金 沢 信 之 | 元石川高校 | |
紙 谷 典 明 | 柿生高校 | |
嘉 村 均 | 新羽高校 | |
川 本 一 雄 | 岡津高校 | |
久 世 公 孝 | 岡津高校 | |
島 村 照 一 | 栗原高校 | |
中 内 博 子 | 中沢高校 | |
中 野 直 人 | 川崎北高校 | |
早 川 芳 夫 | 生田東高校 | |
布 川 勝 也 | 新城高校 | |
本 間 正 吾 | 田奈高校 | |
宮 澤 一 樹 | 百合ヶ丘高校 | |
柳 川 弘 | 希望ヶ丘高校 | |
山 崎 譲 | 足柄高校 | |
横 山 常 昭 | 城北工業高校 | |
渡 辺 顕 | 横須賀工業高校 | |
大 浜 信 宏 | (98年3月まで) | |
小 川 眞 平 | (98年3月まで) | |
高 橋 勝 子 | (99年3月まで) | |
所属は2000年4月現在 |